<金子堅太郎⑥>『日本海海戦勝利にルーズベルト大統領は大喜びして、熊皮を明治天皇にプレゼントした』⑥
2015/01/01
<日本最強の外交官・金子堅太郎⑥>
―「坂の上の雲の真実」ー
『日本海海戦勝利にルーズベルト大統領は大喜び
して、熊皮を明治天皇にプレゼント』⑥
して、熊皮を明治天皇にプレゼント』⑥
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は金子堅太郎の『日露戦役秘録』(1929年(昭和4)>の紹介である。
ルーズベルトとの交渉成功の中に外交の要諦は示されている
金子はルーズベルト大統領とはハーバードの同窓生だが、学部も違い大学時代には付き合いはなかった。ルーズベルトが海軍次官から政治家となって活躍していたころに知り合いハーバード同窓生、同じ政治家として意気投合、互いに尊敬する親友となった。その親友が米大統領になったのだから、このパイプは強力である。
① 個人の付き合いも、政治家同士、国の付き合いも要は同じである。人間関係の良し悪しで決まってくる。この場合の外交の要諦は「良き友を持てと言うこと。
② 2つめは『敵を知り、己れをしれば百戦危うからず』(孫子)も外交の要諦である。忍者さながらにわずか1名の随行員ともに、なんらの武器弾薬も持たず、単身で大アメリカに渡り、その弁舌と英知によって大統領からアメリカ国民を日本の味方につけようと言うまさに大役者であり大説得者である。
③ その恐るべき知恵と大陸を駆けめぐる行動力だ。
④ そのアメリカの歴史と成り立ち、移民による多民族国家の風土、国民性をよく知っており、それにもづいての勉強し研究したこと。その戦略が成功した。
⑤ 卓越した英語力とスピーチで広報外交の成功した。金子は18才の時に米国に留学してハーバード大に進みその英語力は傑出していた。高校では卒業生代表でスピーチしたという優等生で、渡米後、彼は、その博識と機智とに加えて、抜群の英語と巧みな演説方法を駆使して説得にあたった。
⑥ ハーバード人脈を最大限活用したこと主として同国の知識層の多く居住する東部を活動地域にした。
⑦ アメリカ人のフェア、半官びいきに訴えた。アメリカの国民性、対人意識の根底には、フェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアソダードッグ観(負け犬に対する同情心)があり、それに訴えたのである。
●シベリア鉄道のおどろくべき秘密
ところがここに驚くべきことが分った。それはかのシベリア鉄道は鉄道大臣のヒルコフ公爵が経営しておった。公爵は日露戦争の数年前、家産が傾いて、到底公爵の暮しができぬというので、アメリカに来て鉄道の工夫になって、アメリカの鉄道工夫に混じって一労働者としてしきりに労働に従事した。
上役の人にただならぬ者であると認められて、漸く工夫から事務員、課長と抜擢されて重要な位置を与えられた。それからワシントン、ニューヨークその他アメリカの重要なる鉄道を見て回って経営方法を調べたり、技師にも交際を結んでロシアに帰って行った。
ちょうど、ウィッテが大蔵大臣としてシベリアの鉄道を旅順大連まで延長しようという際であったから、ヒルコフ公爵を鉄道大臣に任じて「貴下に一任する」ということにした。そのうちに戦が始まった。そこでヒルコフはごく秘密にアメリカのもとの友人と交渉して鉄道の技師や技術家を何百人とロシアに呼び寄せ、アメリカの製鉄所、汽車製造所からどんどん汽車やレールを買い込んでアメリカから輸入したそれをモスクワから単線で一つの列車を二三十台つないで、それに兵隊も載せ、兵器弾薬も被服も載せてハルビンまで送った。
これサイド・トラック(横線)に引き入れて、その貨車は倉庫とか、兵営にしてしまう。そこで六十万の大軍が輸送されたしだいである。戦がすんで後になって分った。もしぼくが早くこれを聞いておったら君に知らしたものを、残念のことをしたと思ったが後の祭であった」という話を児玉にした。
そういう方法でシベリアの単線鉄道があの大兵を難なく送ることができた。
さて乃木将軍がステッセルに送った降伏の勧告状につき一言しよう。旅順の陥落前にこの勧告状はアメリカに伝わっておった。そうするとこれが旅順の陥落とともに非常な評判になった。乃木将軍の降伏勧告状というものはアメリカ人が感服して大評判となった。それは、
「我が天皇陛下はいたずらに無辜の兵を殺し、無益の血を流すのを非人道と思し召さる。この際投降せば武人の名誉を保って帯剣のまま旅順を出で、北方の露軍に投軍することを聴許あるべし」
というのでありますが、これは非常にアメリカ人が感服した。これがすなわち武士道だと言って賞讃した。ところがこれに対してステッセルがどう言って断って来たかというと、
「我輩は決して降伏はせぬ」
のみならずロシア皇帝に上奏して、
「臣は日本皇帝の降伏勧告を拒絶したのみならず、臣はここに祖国に対し最後の訣別をなす。臣は旅順をもって墳墓の地となさんと決心す」
と言った。この電報は旅順からロシア皇帝に打った。これは非常にアメリカで評判になった。そうして一方もさすが乃木だ、実に偉い。また、ステッセルが露国皇帝に対し“Last farewell(最後の訣別)をなして、墳墓の地となすと言った。これも感心だと、両将の言行を対照して新聞に出して賞揚しておりましたが、一月一日の降参のときにはどうです。
◎乃木とステッセルの評判は!?
ステッセルその他の士官は立派な軍服を着て、乃木と手を握っておった。これに反して兵隊は破れ軍服を着、破れ靴をはいて、ぞろぞろ出て来た、実に哀れな有様である。
まず普通ならステッル将軍は破れ着物を着、破れ靴をはいているべきである。しかるに兵隊は見るに忍びないような見すぼらしい服装をしているにかかわらず、自分達は立派な軍服に立派な靴をはいている。
このことはアメリカ人に非常な悪感情を与えた。のみならず、ステッセルが長崎に上陸して日本のお土産物や美術品を夫婦で五千ドルも買い込んで、船に積んで帰ったという電報が新聞紙に載せられた。よって米国人は実にロシア人は嘘八百言う。このような心がけであるから負けるにきまっていると言って大いにロシアを悪く言った。旅順開城のときのロシアの将校と日本の将校とを比較対照して、ロシアは最初は偉いことを言うが、しまいの方が卑劣だ。こういう次第で実は旅順陥落の有様により、日本軍はアメリカ人に非常に好感情を与えた。
さて旅順が陥落したから、大統領ルーズベルトは平和回復のことをロシア政府に勧告しましたが、露国はなかなか承知しません。その言うところによれば沙河の戦で露国の軍隊の士気は非常に奮起しておるから旅順は陥落したけれども奉天には四十万の新兵が本国から来てたむろしている。
これは武器も良い。兵隊も今までのようなものではない。これまで負け戦をしたのはシベリアの駐屯軍であったからである。今度のは本国の精兵であるからこれをクロバトキンが率いて奉天から南下してくれば、大山の率いる満洲軍を攻め滅ぼすくらいのことは今年の春の間に出ない。和談判などとは思いもよらぬと答えた。それで旅順は落ちたけれどもルーズベルトも私も、いつ講和談判が始まるか分らぬというわけで、しばらく形勢を観望する外はないということになった。
●ドイツ皇帝からの親書を金子が読む
しかるにワシントンの外交社会ではルーズベルトが講和談判の斡旋をしているということがちらちら聞え始める。そうすると二月七日、高平公使が私に電報を打って急に会いたいからワシントンに来てくれといってきた。それで私はすぐ行って停車場に着くと高平公使は馬で迎えに来ておったから同乗してホテルに行きました。
その道すがら高平公使が言うには、ドイツ皇帝から重要なる親翰(親書)がルーズベルトに来たと聞く、これはどうも講和談判のことらしいという外交社会の取沙汰である。それで長さはこのくらい、幅はこのくらい、その裏には封蝋(ふうろう)が付いてドイツ皇帝の印が押してあるという。これは大統領が誰にも見せぬが最も重要なる機密の親翰であるということを私は確かなる人から聞いた。これは講和談判のことであろうと思われた。
それでルーズベルトに会って閣下はドイツの皇帝から御親翰をおもらいになりましたかと聞いたところが、そういうものはもらわぬと白を切る。どうか貴方ルーズベルトに会って聞いてくれぬかという話。それで私は、
「よし、それじゃ行って聞いてやろう」
と言った。もうそれは日の暮方でした。それから大統領に電話をかけて、急に会う用事が起ってニューヨークからわざわざ来たが、いつ会えるかと尋ねると、
「今夜は外交団を呼んで宴会を開くから、十時過ぎでよろしければさしつかえない」
という返事であった。それから時刻を計って大統領の官邸に行くと、ルーズベルトが玄関まで迎えに来て、「何の用だ」と聞くから、「ここでは話ができない」
と言って、いつも秘密談判をする二階の書斎に行った。そうするとルーズベルトは向うの方からソファーをゴロゴロ引いて来て、
「今夜外交団のお世辞話で疲れきったからソファーにひっくりかえって話そう。君はその安楽椅子を持ってきて、それに腰をかけて話したまえ……何か飲むか」「ぼくは酒は飲まぬ」「それじゃ炭酸水でも飲もう。一体十時過ぎて来たのは何事か」「少し用があるのだ」「どういう用か」
「ぼくはちょっと君に聞きたいが、ドイツ皇帝から秘密の親書をもらったか」
と単刀直入問いかけた。ところがルーズベルトは平気な顔をして、「イヤ何ももらわぬ」そこで私は、「高平が聞いたときにももらわぬと言ったそうだが、僕にも君がもらわぬと言うならば、重ねて問いはせぬが、君はぼくの友人でないか。友人なら本当のこと言うてもよいじゃないか。君はもらわぬと言うけれども、たしかにもらっている。もらったという事実のみならずその中に書いてあることもちゃんとぼくは知っている。それでも君はもらわぬと言うか」
「どんなことが書いてあるか」
こう言ったからこれはもらったに違いないと思って、
「それはドイツ皇帝が自若の講和談判を君と二人で斡旋する代りに、膠州湾はドイツの勢力範囲にするというその交渉の手紙とみている」
「そんなことはない」「そんなことはないなら、どんなことがあるか」
ここで一本参った。
☆★大統領―『親友だから見せないが、話すよ』
「そんなことがないと言うなら親書は来ているのだろう」「来ている」「それみろ、来ているじゃないか」
「しかし君の言うようなことは書いてない。大変日本に好いことが書いてある」
「それはぼくは信用せぬ。ドイツ皇帝はこれまで日本に邪魔をした人だから、今度にかぎって日本によいことをするはずがない。自分のためを図って自分の利益になることをする人だから」
「それでも書いてある」
「書いてあると言ってもぼくは信用せぬ。君はぼくの友達だから嘘は吐かないと思うけれども、君がぼくに手紙を見せぬ以上は信用できぬ。その手紙を見せなさい」
「それは見せられぬ。これは外務大臣のジョン・へイにも見せないのだ。高平公使が来て「手紙を受取ったか」と聞いたときにももらわぬといったくらいである。しかしドイツ皇帝の機密の手紙だから誰にも発表せぬけれども、君は親友だから話だけする。手紙を見せるだけは許してくれ」
「ぼくは手紙を見なければ君の言うことを信用せぬ。よく考えてみなさい。ドイツ皇帝の態度は、日本において伊藤、井上、山県、松方の元老も心配している。ドイツ皇帝についてはすでに三国干渉のときにもてこずった苦い経験がある。それで日本政府はドイツ皇帝の態度が一番こわい。君がぼくに今度は日本によいことが書いてあるというならちょっとでよいからその手紙を見せてくれ。そうすればどれほど日本政府は君を徳とするか分からない。こうま君の友情に甘えて要求するのは無理かもしらぬが、ぼくの国は国を賭して戦っているのだからどうか許してくれ」
と言うと、ルーズベルトはスッと立ち上って金庫のところに行きポケットから鍵を出して自分で開けてー通の書翰を持ってきて私に見せました。果たして高平公使の言ったような大きさの手紙で封蝋が裏に押してあった。
「これ見たまえ」
と言いましたから開いて見るとフランス語で書いてある。私はフランス語はどうにかこうにか拾い読みはするけれどもおぼつかないので、
「ちょっと君一つ翻訳してくれ」
と言って、二人でずっと見て翻訳してもらった。その翻訳したところによれば、
「予は支那に寸地をも希望せず、又山東省をも占領せざるべし。平和回復のことは一に貴下の意見に任す」というような意味が書いてあった。
「これだから君、良いじゃないか」
とルーズベルトが言った。
「これを見せてくれたのは実にありがたい。友達としてかくまで親切に、かくまでぼくを信用してくれたことは一生忘れない。ひとりぼくのみならず日本国民も君の今夜の親切は忘れない。実に君は日本の恩人だ。さて一を得ては他の一つを望むようなれどもぼくはこのことを日本政府に電信を打って知らせたい、許してくれないか」
「それはいかぬ。君が懇望であったから君だけには見せたが、ぼくの外務大臣へイにも見せないものを日本政府に漏らすわけにはいかぬ。万一日本政府から漏れたときはドイツ皇帝に申訳ない」
「しかし今までぼくの電報は一つとして漏れたことはない」
「きっと大丈夫か」
「大丈夫だ、そのことはぼくが保証する」
「そんならよろしい」
と言ったから私は堅くルーズベルトの手を握って二階から下りた。それから玄関に出て来ると夜の十二時近くですが、十四、五人の新聞記者が待っておった。
ほうほうの体でホテルに逃げて来ました。そうすると高平がまだ待っておった。
●暗号電報で小村外相に知らせる
「君が話したドイツからの手紙は果たして来ておった。ぼくは今から会見の模様を英文で書くから君は公使館に帰って暗号電報の用意をしたまえ」
と言って大体の様子の話をして、それから英文に書いて、それを秘書に持たしてやって、暗号電報に翻反訳して小村外務大臣に打った。夜は正に明け方であった。日置益という一等書記官が翌日やって来て、
「昨夜の貴方と大統領とのお話は国のために非常に貴いものです。貴方が今度アメリカにおいでになって長い間ご滞在なさったのも、あの電信一つだけで十分でございます。金鵄勲章(きんしくんしょう)の価値はたしかにあります。その代りにわれわれ公使館員は昨夜は暗号電報の翻訳で徹夜し朝までかかってついに一睡もできませんでした」
と言ったくらいでありましたが、日本にある元勲も政府当局もこの電報を見たときには非常に喜んだということを後から聞きました。
さて旅順が陥落すれば無論ロシアは講和の依頼を大統領にするだろうとはヨーロッパでも思い、アメリカでも思っておった。ところがなかなか講和をする模様がない。そこでルーズベルトはか今度はフランスの外務大臣デルカッセに頼んで、もう旅順も陥落したから、ここで講和談判をしてはどうかということをロシアに申し込んだ。
そうするとデルカッセの返事に、ロシア政府はなかなか講和談判などをしようという考えはない。そのわけはクロバトキンが四十万の兵を奉天に集中しており、なおロジェストヴェンスキーもいまやアジアの海岸に行きつつある。
このロジェストヴェンスキーが日本海に近付くや否や、クロバトキンは奉天から四十万の兵をもって大山軍に当る。そうして一戦の下に大山の全軍を撲滅してしまって、一兵一卒でも大陸には残さぬ。
そうしてバルチック艦隊が対馬海峡に突進して東郷艦隊を全滅し、日本と朝鮮との連絡を断つ決心であるから講和談判などは思いもよらぬというけんもほろろの挨拶であった。そこでルーズベルトも困って私を電報で呼びましたから、ワシントンに行ったところが、実はこれのことである、これは奉天の戦で、向うは終局の決戦をするつもりであるから、しばらく奉天の戦までは待っているよりはかはないと、こう言っておりました。
それからだんだん日露の両軍が戦闘準備をして、三月十日のあの大激戦があった。その戦でとうとう日本が奉天を占領して、ロシア軍がハルビンに退却した。そこでルーズベルトは電報をもって、私にワシントンに来るように言いましたからまいりましたところが、大統領は自分の部屋から飛び出して来て、私の右手を取って、Greatest Victory!「偉大なる勝利」と非常な喜びで握手を強く致しました。
これで今度はもう戦はかねて言った通り、奉天で終局した。今度の大激戦でかく偉大なる勝利を得た以上は、今度はロシアが必ず講和談判をするであろうから、まずこれで日本のためにぼくが尽くし甲斐があったと私に言いました。ルーズベルトは非常に奉天の戦勝を喜んでおりました。
しかるに時日は過ぎましたけれども、ロシア政府から講和の斡旋を大統領に頼む模様もなく、バルチック艦隊も日本海に来らず、それで一向講和談判の兆候もみえず、そうするとルーズベルトから三月二十日に私にちょっと会いたいから午餐に来てくれという手紙が来た。私はワシントンの大統領の官邸に行き、午餐の後、相ともに別室に行くとそこに陸軍大臣のタフトもおった。ルーズベルトが言うには、
☆ルーズベルトは休暇で熊狩りへ
「実は我輩は六週間の休暇をとって、今からコロラド州の山の中に熊狩に行く。今のところ別に講和談判が始まる様子も見えないから、六週間熊打ちに行く。
その留守中は陸軍大臣のタフトに大統領の権限を委任してあるから、ぼくの留守中に用事があったらすべてタフトと相談してくれたまえ。ぼくは熊狩りに行くときには一切外部とは電信、手紙の往復はせぬ。山の中に入って一切人間社会と交渉せぬ。急用があったならばタフトに、ぼくにすぐ帰れということを言ってくれたまえ。そうすればすぐに帰ってくる。それを君に話そうと思って呼んだのだ」
ということであった。それから三人寄って話しているうちにルーズベルトは、
「ぼくはちょっと公文に署名しなければならぬから失礼する」
と言ってデスクのところに行って署名をしていた。その間にタフトと私がストーブの前に立って四方山の話をしているとタフトがストーブの上の壁にかけてある額を指して、
「この額がコロラド州の山の中の絵だ。あそこにぞろぞろ歩き回っているのが熊だ、大統領はあの熊を打ちに行くのだ」
「それじゃあぼくは熊打ちは止せと大統領に勧告したい」
こう言ったところが署名していたルーズベルトの耳に入ったのであろう、署名の手を止め私を顧みて、
「止めろというのはどういうわけか」
「なぜかといえば君も知っているだろう。イギリスの記章は獅子、アメリカは鷲、ロシアは熊である。そのロシアの記章たる熊を米国大統領の君が日露の戦争中に打ちに行くということは、穏当でない。とりもなおさずロシアを打つということになる。ゆえに厳正中立を標ぼうする大統領としては止した方がよかろうと思う」
「ぼくは熊打ちよりもロシアを打ちに行くのだ」
「それなら大賛成。どうか君が熊を沢山打ってくるようにぼくは祝福する」
と言うと、ルーズベルトは、
「ぼくがコロラドで沢山熊を打ったならば、今度来るロジェストヴェンスキーの艦隊は日本の海軍のために打ち沈められる前兆だ。ぼくは沢山とって来るから待っていたまえ」
と言って別れた。
★日本海海戦勝利にル大統領喜び、熊皮を明治天皇にプレゼント
それが三月二十日です。果たせるかな後日すなわち五月二十七日にはバルチック艦隊が日本海にてあの通りに潰滅した。
五月十八日まで待っても艦隊がまだ日本の近海に来ぬ。ルーズベルトがちょっとワシントンで午餐を一緒にしようというから私は行った。いつものとおり最初は夫人や子供達と一緒に飯を食って食事を終えた。ところが、「実はこの間の熊狩りの報告をしようと思って招いたが、大きな熊を三頭、中小取まぜて六頭、都合九頭も捕った」
「それは大成功だ」
「ロジェストヴェンスキーも近々日本の近海に来るはずだが、日本の艦隊がこれを打ち沈める吉兆はもはや実現した」
「それならぼくはその熊の皮を一枚その記念にもらいたい」
「折角だがそれはやれない。ぼくはすべて猛獣狩に行って捕ったときの獲物は、親類でも友達でも一匹もやらぬことにしているから遺憾ながら君にもやれない」「しかしぼくは是非欲しい。ぼくはそれをもらっても自分で所持する考えではない」
「何にするのだ」
「君は先般熊狩に行って熊を撃つのはロシアを打つつもりだと言い、今日これだけの獲物があったのはロゼストウエンスキーの艦隊を日本の艦隊が打ちつぶす前兆だと言うから、ぼくはこれをもらって帰朝したとき、わが天皇陛下に献上したいと思う。ぼくは自分の私有物する気は毛頭ない」
「なるほど、天皇陛下に献上するか、それなら一番大きいのを上げよう」
と言って大いに喜びました。その日官邸を辞し去るに臨み、
「君が日本に帰るまでによく皮を柔らかにして目の球も入れて、生きているそのままに見るようにするから、君が帰朝するときこれを持ち帰って、天皇陛下に献上し、この熊皮についての事柄を奏上してくれたまえ」と言いました。それで講和談判もすんで私が帰朝するとき大統領にいとまどいに行きますと、
その献上の熊の皮を託されました。それから帰朝し、拝謁仰せ付けられましたとき、陛下にそのことを直奏(じきそう)いたしまして、これがルーズベルトがコロラド州で打ち取った熊の皮の一番大きい物で、ロジェストヴェンスキー艦隊の全滅の吉兆だと大統領が申しておりました品でございます
と奏上致しましたところが、陛下は大変なお喜びで、その熊の皮を明治四十五年七月三十日の崩御まで、お学問所の次の間に敷かせられて、ルーズベルトの記念として長く御愛用になりました。
そうしてその御返礼として平和回復後、初めて全権大使としてワシントンに行く青木周蔵子爵に託してお品物を賜わった。その品物は当時の宮内大臣田中光顕伯に御沙汰があって、田中光顧さんから私に相談がありましたから、私は、
「ルーズベルトは武士道を尊信しているがゆえに、日本の緋鍼(ひきどうし)の鎧(よろい)をお贈りになったら、定めし喜ぶでありましょう」と申して二人で相談をして、緋鍼の大鎧を探し出して上奏し青木大使に託して、熊の皮の御返礼として御贈進になりました。ルーズベルトは明治天皇の賜物として非常に喜びました。長くて大切に保存しているということを私は聞きました。
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