片野勧の衝撃レポート(63) 戦後70年-原発と国家<1954~55> 封印された核の真実ービキニの「死の灰」と マグロ漁船「第五福竜丸」(下)
片野勧の衝撃レポート(63)
戦後70年-原発と国家<1954~55>
封印された核の真実ービキニの「死の灰」と
マグロ漁船「第五福竜丸」(下)
片野勧(ジャーナリスト)
被災船の数は1000隻を超える
放射能の恐ろしさをまざまざと見せつけられたビキニ事件。その影響は漁業者や庶民の食卓を直撃した。1954年3月18日から塩釜、東京、三崎、清水、焼津の5つの指定港で、魚の放射能検査が実施された。
1954年11月末までに指定5港で発見された汚染漁船は312隻、その他の13の港で発見されたもの371隻、計683隻に達した。廃棄された魚は、あわせて457トンにも及んだという(三宅泰雄『前掲書』)。
しかし、今日では太平洋核支援センターなどのビキニ被災調査で、被災船の数は1000隻を超え、被災船員は全国に約2万人いることが分かっている。
食卓から魚が消えた
焼津港。この港はカツオ・マグロ等の年間44億円の水揚げ高を誇っていたが、水爆による漁業被害額が約1億円に達した。焼津港のカツオ・マグロ漁船は県外船を含めると、150隻あったが、漁業被害は漁民約4千人の生活を直撃した。
当時、焼津市内には戦争や徴用漁船で夫を亡くした女性が600人ほどいた。そのうち約70人が「にこにこ会」をつくり、魚の練り製品を行商していた。浜松や掛川、静岡方面に、はんぺんやなると巻、さつま揚げなどを売って歩いた。
しかし、ビキニ事件以後、焼津物の練り製品は敬遠されて売れず、平均日収が300円から150円に減収した。焼津市内に練り製品業者は100軒ほどあり、事件前は1日、出荷平均600箱(16トン)で252万円ほどの売り上げがあったが、事件後は400箱(11トン)168万円と3割減になった。
市内の20軒ほどの料理屋・旅館もさびれて、芸者43人はお呼びもなく、毎日お茶をひいていた。このように焼津港の魚の価格は暴落し、水産業、飲食店業に大打撃を与え、食卓から魚が消えたのである。
マグロ漁の一大基地・三崎の経済も冷え込んだ
キャッスル・テストと呼ばれるアメリカの水爆実験は第五福竜丸だけでなく、他の漁船にも放射能の影響を与えている可能性は大きかった。実際にマグロ漁の一大基地である三崎港(神奈川県)の漁船も被ばくし、魚の廃棄などで大きな損害を受けた。
「水爆は恐ろしい。風に乗り、灰は海流に乗って、ほぼ太平洋全域に影響を与えたのだから、びっくりだよ」。第13丸高丸の甲板員だった鈴木若雄さん(84)はこう語った。米国が水爆実験を行った3月1日、鈴木さんらはビキニから3千キロ以上も離れたミッドウェー島付近で操業中だった。これは放射能灰が大気中をかなり遠くまで、広い範囲に広がっていることを意味していた。
アメリカ原子力委員会はビキニ事件をきっかけに航行禁止区域を一挙に面積にして8倍に広げた。しかし、危険海域の外なら安全と言えるのか。原子力問題特別委員会委員長(当時)の三宅泰雄は書いている。
「高層大気の気流によってはこばれる放射性物質は、予測しない遠くにまでおそるべき影響をおよぼす。下手をすると世界中を放射能で汚染する危険がある」(『読売新聞』1954/4・1付)
3月16日。第13丸高丸は三崎港に帰ってきた。読売新聞朝刊は第五福竜丸が被ばくしたニュースを報じていた。しかし、この記事は東京版だったために、三崎の人たちは知らない。もちろん、鈴木さんも知らない。
翌17日。三崎にもビキニ事件がニュースで流れ、三崎魚市場は大騒ぎになった。マグロの魚価は暴落した。この日、夕刻から厚生省や県の職員がやってきて、ガイガーカウンターによる放射能の測定が始まった。「ガッ、ガッ、ガッ」。測定器は鳴り、青い札が張られた。
鈴木さんは3千キロ以上も離れていたので、放射能とは関係ないと思っていた。しかし、微量とはいえ、放射能が検出されたと聞いて、驚いた。マグロ漁船に依存する三崎のあらゆる商店、企業が影響を受け、経済はたちまち冷え込んだ。
鈴木さんらは三崎港で魚を揚げ終えて、下田港のドックへ船を洗いに行く。洗い終わって飲食店に入ろうとした。ところが、飲食店のお姉さんから「灰かぶりは来るな」と入店を拒まれた。このいわれのない偏見に、「さすが、精神的に落ち込んだよ。こんなところまで噂が来ていたのか、ってね」と振り返った。
米国はビキニ環礁で水爆実験繰り返す
アメリカは先に述べたように、3・1ビキニ事件以後もビキニ環礁で水爆実験を繰り返していた。一方、日本では原水爆禁止を求める署名活動が始まっていた。東京・杉並区の、とある鮮魚店から声が上がった。それに反応したのが、同じ杉並区に住む女性たちだった。
当時、普及台数1千万台を超えたラジオや、前年2月に放送を始めたテレビなどのニュースを通じ、全国に広まった。8月には「原水爆禁止署名運動全国協議会」が発足した。会には日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹も参加した。
第五福竜丸の無線長・久保山愛吉の死去からおよそ2週間後の10月5日、署名は被爆地の広島、長崎などを含め、全国1200万人に上った。翌55年8月に広島で開く第1回原水爆禁止世界大会までには人口の3分の1に相当する約3000万人の署名が集まった(中日新聞社会部編『日米同盟と原発』)。
戦後最大の市民運動による原水爆禁止署名運動。1945年の原爆投下に対する怒りは、アメリカ占領軍が原爆について語ることを禁止していたため、長年抑えられていたが、それがついに爆発した。
非を認めない米国
ところが、米国は自らの非を認めない。3月14日のホワイトハウスでの定例記者会見で、米核政策の責任者で原子力委員会(AEC)のルイス・ストローズ委員長は次のような発表を行った。
「実験場にごく近接した海域以外の場所でとれた魚には放射能はない。ビキニ環礁は、北赤道海流の海域にあるので、海水の放射能は、海流にのって数マイルもながれるうちには無害となる」
さらに3月31日のアイゼンハワー米大統領記者会見に同席したストローズは、こう述べた。
「日本人船員の病気については、アメリカの医師が診断していないのでよくわからない。それは日本政府が診断を許可しないからだ。しかし、船員たちの血液検査の結果は正常だという。皮膚の障害は放射能というより、さんごから生じた物質の化学活性によるものとおもわれる」(三宅泰雄『前掲書』)
また、こうも述べた。「日本の漁船は明らかに(米軍が事前に通告した)危険区域内にいた」と。放射能を浴びた責任は、むしろ第五福竜丸の側にあると決めつけた。その後、日本人は“放射能アレルギー”にかかっているとか、放射能を恐れるのは非文明人だなどという議論がアメリカ人からも、また日本人からも出た。
米国の本当の狙いは?
反共の砦、日本の反核のうねりは、核独占体制を取りたいアメリカにとっては好ましくない。ビキニ事件を沈静化させるための対日工作が図られた。1953年末にアメリカ大統領アイゼンハワーが国連演説で表明した“Atoms For Peace ”も、その一環だった。
もちろん、狙いは同年8月に水爆実験に成功したソ連をけん制すると同時に、西側同盟諸国に核燃料と核エネルギー技術を提供することによって、アメリカの支配下に取り込むことにあったことは、いうまでもない。
アイゼンハワー大統領の演説は表向き、「原子力の平和利用」を目的に国際社会へ核技術を提供することだったが、それはまた反核運動を封じ込める対日戦略にも利用され、日本もまんまとアメリカ戦略に組み込まれたのである。
その「原子力の平和利用」の宣伝のターゲットにされたのが、史上初の原爆被害都市・広島だった。
正力松太郎が「原子力平和利用」キャンペーンを展開
この反核運動を抑えつけるためにアメリカは読売新聞社主・正力松太郎を抱き込み、「平和のための原子力」を宣伝したのである。正力は読売新聞・日本テレビの影響力を駆使して、原子力平和利用博覧会の開催をはじめとする全国キャンペーンを精力的に展開し、保守3党が提出した原子炉建造予算2億5000万円が1955年には国会を通過した。
また正力は1955年2月に衆議院議員に初当選し、同年11月には鳩山一郎内閣で原子力担当大臣に就任。中曽根康弘などと結託して、日本への原発導入を強力に推し進めたのである。
原発導入に舵を切った改憲再軍備派
日本を震撼させたビキニ事件。原水爆禁止の署名運動は、皮肉にも原子力の平和利用へ口実を与えることになった。反核、反米を鎮めるために平和利用を名分として原子力発電の導入に向けた歯車は大きく動き出す。その中心的役割を担ったのが、正力や中曽根など改進党の改憲再軍備派、のちの自民党右派である。
正力や中曽根のバックにいたのは自民党右派総帥の岸信介だが、首相在任中、岸は国会答弁で、当面のところ核武装の意思はないと繰り返した。しかし、これは建前に過ぎない。本音は対米従属の波に足をさらわれていく。この流れは岸から中曽根へ、さらに安倍晋三へと続くのである。
つづく
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