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『各国新聞からみた東アジア日中韓150年対立史⑫』李氏朝鮮国妃・閔妃と舅の大院君の 勢力争いこそ朝鮮滅亡の引き金に

   

  『各国新聞からみた東アジア日中韓150年対立史⑫』

 

  李氏朝鮮の国妃・閔妃(ミンピ)舅(しゅうと)の大院君
の勢力争いこそ、朝鮮滅亡の引き金になった。

★<歴史家・木村毅著「続・まわり燈籠」(井上書房、1961年)
の第一話「尊族殺傷の法律」(1-8P)>



『韓国皇帝陛下』著者:鳥谷部春汀著 | 発行年月:190903

http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=84

 

『朝鮮史』著者:久保得二著 | 発行年月:190506

http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=66

 

 

 李氏朝鮮国妃・閔妃(ミンピ)は舅(しゅうと―国王の実父)大院君と勢力あらそいをして、日清戦争後の微妙な政局に、妃はロシア勢力にたよろうとし、大院君は日本が援護して、つまりこの血で血をあらう勢力あらそいが、遂に彼女の兇刃にたおされる閔妃事件の原因となったといわれる。

 

 それなら大院君は、日本のいう事をよくきくかというと、そこはさすがに朝鮮人だ。そんな一筋縄でゆく人物でなく、大院君こそ実に、排日の巨頭で、西郷隆盛、司法の恩人江藤新平その他維新の功臣を、征韓論の犠牲にしたのは、じつに、この大院君の政策だったといえる。

 

大院君の前身は、王族ではあるが、あまりいい家柄ではなく、宮中の出入りは自由にできなかったという。

 

そこで彼の前身は市井の無頼に伍して、うかうかと日を送っている道楽者であったが、話が面白いのと、舞踊の名手なのと、文章を書くこと、伽耶琴(かやきん、韓国の伝統の弦楽器)をひくことが上手なことなとで、居酒屋の女たちには人気があった。

 

 ところが、思いもかけない大幸運が訪れる。政争のはげしい朝鮮では、天子が四代もつづいて怪しい死に方をしたので、その側近がおたがいに牽制しあい、ついに四家には全く関係のない李熙という十四歳の少年を後釜にすえることにきめた。これが後の高宗である。http://ja.wikipedia.org/wiki/高宗_(朝鮮王)

 

 遠い王家の血筋ではあっても、落魄して貧乏なその少年は、従者もつれずに、野原でタコあげをしていると、意外にも官中から迎えの輿(こし)がさしまわされた。

母は、狂喜と畏怖でおろおろ声になって、子を抱きよせ、「汝の唇より母なる声をきくこと、今日を以て終りとす」といって、着物をきせかえて、輿にのせた。そこで彼の父は天子の後見として、一しょに宮中に入ることになった。その名は、それまで興宜君と呼ばれていたのだが、この時から大院君と尊称されるようになったのである。

  

戦勝記念碑

 

 虱(しらみ)でも、馬のたてがみにたかると、よく千里を走る。迅速の迅という字は、虱が馬にたかっている格好なのだということだ。

 

 今までの市井無頼の徒も、宮中に入って潮に乗ってくると、思いもかけない仕事をする。

 それまで朝鮮の宮中には、フランスのカトリック教が相当に深くくいこんでいたが、大院君は捕盗(憲兵)大将の李景夏という男をつかって、教徒の大虐殺をおこなった。数万人を粛清したといわれる。裁判の結果、フランス人司教ら9名が処刑が命じられ、キリスト教に改宗した住民も虐殺されたといわれる。

 

 

 宣教師を殺されてフランスがだまっているはずがない。折から英仏連合軍が北京を占領した後だったので、ローゼ提督はただちに七隻の東洋艦隊をひきいて、江華湾に攻めよせ、江華山城をおとし入れ、銀塊四十万と、書庫を戦利品として奪い去った。

 

 大いに恐怖した大院君は、日本に救援をもとめたのである。慶応二年(1866)秋で、徳川慶喜が第十五代将軍職について間のない時である。幕府は滅亡の一年前で、元より救援軍を海外におくる余裕などあるはずがない。

 仕方なく、全国から虎狩の猟師八百人を呼び集めて、城中に伏せておいて、ゆだんしているフランス軍を攻撃させて、フランス兵を負傷させた。ローゼ提督は、こんなことで、部下を失うのをいやがり、さっさと軍艦をひきあげたのである。

 

これが「朝仏戦争」である。「丙寅洋擾(へいいんようじょう)」ともいわれる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AF%85%E6%B4%8B%E6%93%BE

 

 ところが、あのナポレオンも強国フランス軍が退散したのを大院君は自国の勝利と真に受けて、有頂天となり、天狗となった。フランスといえば大ナポレオンの甥のルイ・ボナパルトが第二帝政をつくって、ヨーロッパナンバーワンをほこり、韓国の宗主国の大清国さえ手も足も出なかった軍事大国である。

「その強大フランスが、見よ!ウリ(我が輩の朝鮮語)の策戦には歯が立たずl尻に帆かけて敗走した」と得意絶頂。

 意気あがった大院君は、ソウルのメイン道路(鐘路)に、一大戦勝記念碑をたてた。「洋夷侵犯。非戦即和、主和売国」(「洋夷侵犯す。戦うにあらざれば、すなわち和す。和を主とするは売国なり」)。

 これを機に、鎖国を維持し排外に徹する朝鮮の基本外交政策が確立した。その二年後に、明治新政府が修交をもとめたって応ずるわけがなかったのである。

第一次米朝戦争を勝利と錯覚、誤認した朝鮮

 そればかりか、もう一度、大院君を図にのらせることがあった。

1866816日の米商船「ジェネラル・シャーマン号」が朝鮮の近海を航行中、朝鮮側の奇襲により沈められ船員全員が虐殺された事件が起きた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%
E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3
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朝鮮との交易を求めて米国国旗を掲げた商船ジェネラル・シャーマン号は、大同江を経て平壌の羊角島に来航。朝鮮側からの奇襲攻撃を受け、船員20名全員が虐殺されたが、米国は、当初この事件を把握出来ていなかった。

 

1867年、フランス海軍から情報を得た米海軍は激怒し、この事件に対する謝罪と通商を求めアジア艦隊を派遣して「米朝戦争」「辛未洋擾」が勃発した。

ペリーが日本を開国して、建国以来はじめて、世界外交のイニシアティブとって面目を保ったアメリカは、その勢いで朝鮮をも開国させようとして、明治4年6隻の黒船が漢江(ハンガン・かんこう)をさかのぼった。

 

フランスの侵攻以来、朝鮮では八十門の大砲をそなえて待っていたので、その準備たるや江戸湾の品川台場の比でなかった。アメリカのアジア艦隊司令官ジョン・ロジャーズは長崎で朝鮮征伐の 艦隊5隻を編成、江華島に向かい明治4年(1871611日、激しい砲撃戦の末、アメリカは久留里浜の先例にならって六百五十人の兵をあげたものの、韓軍の激しい抵抗にあい白兵戦が翌日正午まで続いた。

しかし、米軍が勝利し広城鎮を制圧した。朝鮮軍は240名以上が戦死したが、米軍の被害は少なかった。米軍は朝鮮軍の多数の武器・軍旗を戦利品にして、すぐ帰投した。江華島を占領したものの、開国条約をむすばぬのなら、よその土地を取ったって仕方がないとの判断で、さっさとひき上げたのだ。

アメリカにとって朝鮮は日本、中国ほどの経済的、地政学的な利用価値がなかったのである。「韓国は日本よりも一層、厳重なる鎖国なり」と北京在住の大使ロウが米国務長官に報告書おくっている。

 

一方、朝鮮の方では、もう一度アメリカが反攻してくるものと、必死で防御していたが一向にその気配がない。「これは足腰のたたぬほど、ぶちのめされ、アメリカが敗北したのだ」とフランス戦同様に手前みそに解釈し、大戦勝利の祝賀祭を大々的に行ったのである。

 

「米国の侵略を防いで、国土を防衛した」と大々的に宣伝した大院君の声望は国中を圧して、朝鮮は世界一と誤認してしまう。アジアでは日本も含めて西欧列強の圧力にすべての国が屈し、開国を余儀なくさせられたのに対して、唯一朝鮮のみが大院君の名采配でフランス、アメリカを追っ払ったというとんでもない錯覚、誤解、過信をうんで、舞い上がってしまった。

まるで日露戦争での日本海海戦の東郷平八郎のよう国王の実父・大院君は幼い国王に代わって実権を完全に掌握し国内の名声を不動のものとした。

こうした時期に、事情を知らない日本の使節か修交条約を結びにいったのだか、余りにタイミングが悪かった。鉄板にピンポン玉を投げつけたように、はね返されたのである。

「近事、貴国の使節の乗ってくる船、きてくる着物をみるに、在来の倭風と違って、夷狄(いてき)の物である。かくの如きは日本人とはいえない」

純粋の日本は古い修交国だが、夷狄化した国とは、修交の歴史もなく、その希望ももたぬ、寄りついたら打ち殺すぞ」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%B7

と、散々なあいさつだった。

 

結局、このすれ違いが征韓論の原因となったのだが、日本のこれまでの歴史には、大院君の鎖国・排外政策、西欧の軍事力についての認識不足、日本の開国への不信と蔑視について詳細に究明した書物が、私はないように思う、と木村毅は指摘している。

 

この指摘を読んで、確かに北朝鮮の今回の張成沢氏の残忍無比な粛清、処刑のやり方や、国際社会が長い間さんざん手を焼き、振り回されてきた核開発疑惑やミサイル発射に見る北朝鮮の一連のならず者国家の無軌道なパターンのルーツがここに端を発して、いまだに民族の行動パターンはあまり変わっていないことがわかる。

今度は日本側からも日朝修好条約の締結に向けての行動を見ていく。

明治維新とともに新政府は最初に朝鮮との修好関係を結ぼう使節を派遣したが、さんざんな目にあった。今回の拉致問題、北朝鮮交渉の困難さと同じパターンである。

 

明治政府が国内改革と同時にまず対馬藩を通じて隣国の朝鮮政府に、いち早く修交の使節を送った。しかし、朝鮮・李王朝は長年の中華思想の影響で中国を宗主国と仰ぐ一方、華夷序列から遠く離れたベトナム、東南アジア、日本などを夷秋(文明化しない野蛮人)禽獣(獣に等しい存在)と蔑む冊封体制(事大朝貢体制)の意識を持っていた。

 朝鮮国王・高宗(李太王)の実父で実権を握っていた大院君はこうした文化的優越主義(中華思想)にこり固まり、日本を東夷と低く見て、鎖国・排外政策をとっていた。しかも、仏・米戦争に勝利したと誤解して自信満々、日本などへとも思ってなかったのである。外圧で鎖国を解いた明治新政府に対して、中華秩序への挑戦と敵視していたのだ。
 明治元年(186811月、明治新政府は王政復古の内容を通告して朝鮮に修好を求めた。だが、文書のなかに「皇」「奉勅」などの文字が入っていたことに朝鮮側は驚き、会見を謝絶し、国書を突き返した。「皇」は中国皇帝にしか使われない漢字で、そのため天皇が朝鮮国王の上に立つことを意味することになり、日本が朝鮮支配の野心を持っているものと誤解した。

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