日本リーダーパワー史(504)勝海舟の外交突破力を見習え⑥彼(英国)をもって彼(ロシア)を制した対馬事件
2015/01/01
いま米国の一国支配構造は崩れ、中国の躍進で国際秩序は大きく変化
している。そんな中で、憲法改正、集団的自衛権の論議、TPP加入問題、
尖閣問題などによる日中韓との対立の長期化懸念―など外交的懸案
が山積しているが、<外交力のある政治家>がいないのである。
明治維新の国難で幕府側の外務大臣(実質首相兼任)の、
勝海舟の外交突破力を見習え。⑥
<ロシアが無法にも対馬を占拠した際、勝はイギリス
に頼み込んで、談判してもらい、退去させた。
彼をもって彼を制す>
前坂俊之(ジャーナリスト)
「海舟先生氷川清話」(吉本襄 撰著 大文館書店 1933)にみる勝海舟「外交談」
彼をもって彼を制す
ここにまた、外交家の秘訣に、彼をもって彼を制するといふことがある。これも文久の昔の話だが、ある時,露西亜(ロシア)の軍艦が対馬にやって来て、軍艦の修繕がしたいといふ口実で、その実、途方もないことをするではないか。
海岸を測量したり、地図をつくったり山道を切り開いたり、畑地を作ったり、粗末ながらとにかく兵舎の様なものを建てたり、それは実に傍若無人の挙動をしたのだ。
それが初めは、対馬の尾崎浦といふところへ投錨したのであつたから、土地の役人は、開港場でないところへ軍艦を寄せることを詰問しようと思って、小舟に乗って軍艦の1,2町、手前まで漕いで行くと、軍艦からは、三隻の端艇へ水兵を乗せて、この小舟を取り囲んで、水兵はやにわにこっちの舟に乗り移って、鐙1領と槍九条(本)、そのほか鉄砲、脇差などを強奪して、本艦へ持って行ってしまった。
この時、土地の役人は、いよいよ彼らの無法を憤って、軍艦に漕ぎつけて、いろいろ談判に及んだが、彼らは少し取り合はなかった。
そこで仕方がないから、その日はまづ無事に引き上げて、翌日またまた談判に行くと、今度は艦内で大層、御馳走してからに、紙だの砂糖だの、日本の貨幣などを土産に贈ったが、しかし肝腎の談判の方は、少し要領を得なかった。このごとく幾度掛け合に行つても、いつも確かとした返事をせずに、ぐづぐづ日を送って居るそのうちに、南の方の要所々々は、悉皆(ことごとくみな)端艇で測量してしまって、悠々と錨を上げて北の方へ去ってしまった。
とほおもない乱暴な軍艦でほないか。
それからといふものは、魯西亜(ロシア)の軍艦は、幾回もやって来たが一番後に来たのなどは、軍艦を修繕するといって、今言った通り粗末ながらも兵舎めいたものを建て容易に引き上げる模様が無かったから、それでいよいよやかましい掛合になった。
ところが今度は、向ふでも一層図太い覚悟をして来たものと見えて
「私共は、上海に居呈する総督リハチヨフの指図によって、かくのごとき事を致すものであるから、これについてもし御異存あれば、万事上海の方へ御掛け合なさるのがよい、私共の知るところでは御座らぬ」と澄まし込んで居て、何ともはや手の着けやうがなかつた。
その上、彼らが言ふには、「仏蘭西(フランス)は、今から一ヶ年も経てば、地中海の方を掘り抜いて、支那(中国)への海路もそれからは自由になるから、対島最寄(近く)は、しばしば航海することとなって、結局この地を占領するやうになるのは、必然の次第で御座る。
しかしながら我がロシアにおいては、他国の領域を奪び取るなどの事は、誓って致さないのみならず、貴国の御為に、大砲五十挺を対馬へ備え付けて、それを献納致したいから、この儀は他国へはいっさい秘密に願ひたい」などと言って居た。
さあここだ。対馬は、この時、事実上すでにロシアのために占領せられたも同様であったのだ。つまりかういふ場合こそ、外交家の手腕を要するといふものだ。
ところでおれは、この場合に処するー策を案じた。
それは当時、長崎に居った英国公使といふのは、至極おれが懇意にして居った男だから、内密にこの話をして頼み込み、また長崎奉行からも頼み込ました。
さうすると公使は、直に北京駐在英国公使に掛合ひ、その公使は、また露国公使に掛合って、堂々と露国の不条理を詰責して、わけもなく露西亜をしてとうとう対馬を引き払はせてしまったことがあった。こ
これがいはゆる「彼に由りて彼を制する」といふものだ。それをもしも当時の勢で、日本が正面から単独でロシアへ談判したものなら、ロシアはなかなかうんとは承知しなかつたであらうよ。
仮りにその時、談判が調はずに、対馬が今日ロシアの占領地になって居ると思って御覧、極東の海上権は、とても今のやうに日本の手で握ることは出来ないであらう。
つまり外交上の事は、公法学も何もいったものではない。ただただ一片の至誠と、断乎たる決心とをもって、上御一人を奉戴して、四千余万の同胞が一致協力してやれば、なあに国際問題などは屁(へ)でもないのさ。
(ロシャ軍艦の対馬占領は、文久元年。イギリス公使オールコックは、老中
安藤信行と協議の上、七月、イギリス軍艦を対馬にさしむけてロシャ軍艦を
退去させた)
つづく
関連記事
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑰ 』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したか] ★『大統領をホワイトハウスに尋ねると、「なぜ、もっと早く来なかったのか」と大歓迎された』★『アメリカの国民性はフェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアンダードッグ気質(弱者への同情心)があり、それに訴えた』
2011-12-19 『ルーズベルト米大統 …
-
◎<日本最強の参謀は誰か-杉山茂丸>⑧明治の政治・外交・戦争を影で操った破天荒な策士・杉山茂丸の黒子人生
◎<日本最強の参謀は誰か-杉山茂丸>⑧ …
-
『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究③』★『「鎖につながれた知の巨人」南方熊楠の全貌がやっと明らかに。今こそ地球環境問題/エコロジー思想の元祖・南方熊楠に学ぼう(下)
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授) ●[宮武外骨と奇 …
-
日本リーダーパワー史(619) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑬福島安正のインテリジェンス②明治6年、外務卿副島種臣が支那始まって以来、直接、清国皇帝の拝謁を実現した外交インテリジェンスの秘密
日本リーダーパワー史(619) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑬ 『福島 …
-
「司法殺人と戦った正木ひろし弁護士超闘伝⑨」 「八海事件の真犯人はこうして冤罪を自ら証明した(上)」
◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い …
-
日本リーダーパワー史(706)安倍首相は『日露領土交渉』で再び失敗を繰り返してはならない。<安倍多動性外交症候群ー『日中外交』「北朝鮮外交』 「日韓外交」に次いで、3度目の外交敗戦はないか。
日本リーダーパワー史(706) 安倍首相は『日露領土交渉』で再び失敗を繰り返し …
-
知的巨人の百歳学(154)記事再録 <日本超高齢社会>の過去④<日本の天才長寿脳はだれなのか・黒澤明(88歳)、『野上弥生子(99歳)、昭和天皇が87歳で最長寿、在位期間も63年で一番長いですね>
2010/01/26 /百歳学入門(14) < …
-
知的巨人の百歳学(154)/記事再録★日本リーダーパワー史(98)『幽翁』伊庭貞剛(79歳)『大住友精神を作った禅による経営哲学(リーダーシップ)ー『 リーダーは『熟慮・祈念・放下・断行』せよ』★『 有害なのは青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である』★『〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し』
2010/10/19日本リーダーパワー史(98) 『幽翁』伊庭貞剛・ …
-
日本リーダーパワー史(593)『安倍外交への提言(2)「 明治以来、最高の戦略家・児玉源太郎と後藤新平の黄金コンビの台湾統治の成功―そのしたたかな英国流の「植民地統治外交術」に学べ
日本リーダーパワー史(593) 『安倍外交への提言(2) 明治以来、最高の戦 …