前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(146)「戦陣訓」と戦時国際法違反(ジュネーブ条約)のダブルミスで大量集団自決と捕虜虐殺

      2015/08/25

終戦70年・日本敗戦史(146)

<世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』

<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、

どこに問題があったのか、

500年の世界戦争史の中で考える>㉔

戦陣訓」<生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず降伏・捕虜になることを禁じ、民間人もこれならい多数が集団自殺を図った。

 

①「不名誉より死を選ぶ」という信念は以前からあったが、昭和16年1月8日に東条英機陸相によって「戦陣訓」として公布された。

②「戦陣訓」の1節「名を惜しむ」の項で「恥を知る者は強し。常に郷党、家門の面目を思ひ、いよいよ奮励してその期待に答ふべし。生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか=わざわい)の汚名を残すことなかれ」。

③「戦陣訓」は老若男女を問わず、国民皆が守るべき規律となり、サイパンは〈バンザイクリーフ〉では赤ん坊を抱いた女性まで数千人が飛び降り自殺、沖縄でも数千人の民間人が手榴弾などで自殺した。

④これは日本の武士道の極限値である。「武士道とは死ぬことと見つけたり」、殉教の美学、散華の思想、大和魂の「忠臣蔵」の封建的世界に復古して、天皇(主君)、お国(藩)のために命を捧げて最後に集団自決(腹切り)する

<1000年前の武家時代>に突然、タイムスリップしたのである。

 

日本軍の戦時国際法違反(ジュネーブ条約)の捕虜虐殺

①ヨーロッパでは中世以来、国家間の戦争が繰り返され、その悲惨な戦争体験から、戦争のルール、捕虜取り扱いと人権尊重、虐待を禁じた戦時国際法・ハーグ陸戦条約が1899 (明治32)年に成立した。

②さらにこれを拡充したジュネーヴ条約(傷病者、捕虜の待遇改善に関する条約)が1929(昭和4)年に締結されたが、日本はこれは批准しなかった

③米英側から太平洋戦争開戦後にジュネーブ条約の適用の有無の照会があったが、外務省は「準用する」と回答した。しかし、陸軍はこれを無視して日本兵の「戦陣訓」同様に外国人捕虜を取り扱い、虐殺、虐待を起こした。

④シンガポール・マレー半島の華僑虐殺(虐殺は約5000人)、バターン死の行進で(フィリピン人捕虜約1万6千人、米人捕虜約1200人が死亡)、泰緬(タイメン)鉄道建設では豪州軍捕虜の生存率は72%、アンボン捕虜収容所は生存率23%、「サンダカン捕虜収容所の死の行進」は生存率は0,24%

第二次世界大戦中、独、伊で収容のイギリス兵捕虜は5%の死亡、殺害だが、英国兵の日本軍捕虜は5倍の25%が死亡、殺害された」という

 - 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

日本リーダーパワー史(712) 陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均の 『大東亜戦争敗戦の大原因』を反省する②「陸海軍の対立、分裂」「作戦可能の限度を超える」 「精神主義の偏重」「慈悲心の欠如」 「日清日露戦争と日中戦争の違い」「戦陣訓の反省」

  日本リーダーパワー史(712)  『良心の将軍』今村均(陸軍大将) …

日清戦争の遠因となった長崎事件(長崎清国水兵事件)ー2資料の『歴史秘話」を紹介

日清戦争の遠因となった長崎事件(長崎清国水兵事件)ー2資料紹介   ① …

no image
終戦70年・日本敗戦史(69)大東亜戦争開戦 「海軍航空隊、真珠湾の米艦船を猛爆」昭和16年12月9日 朝日(夕刊)

   終戦70年・日本敗戦史(69)  大東亜戦争開戦日の「朝日新聞紙面」 「海 …

no image
日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史(274)ー欧州連合(EU)の生みの親・クーデンホーフ・カレルギー の日本訪問記「美の国」―日本人は世界で最も勇敢 で清潔で礼儀正しい民族②

記事再録/2012/07/05/ 日本リーダーパワー史(274) &n …

no image
終戦70年・日本敗戦史(111) 文明の衝突としての大東亜戦争―玉砕、餓死、自決、捕虜殺害の「人権思想」の対立①

                                         …

『大迫力!台風24号接近中の怒涛の稲村ケ崎サーフィン10分間動画決定版(2018年9/29am720-8.30の圧縮版)-怒涛の大波とサーファーの対決決闘編!だれが勝つか!

  2018/10/02 大迫力!決定版◎台風24号接近中の稲村ケ崎サ …

no image
『日本敗戦史』㉛『太平洋戦争敗戦70年目―ポツダム宣言を即座に受諾する政治決断力がなく終戦までの3週間 に50万以上が犠牲に。

  『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉛   『来年は太平洋戦争敗戦から70年目― …

no image
終戦70年・日本敗戦史(63)徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑭『日露戦争では政治、軍事、外交が一糸乱れず、勝利をつかんだ

終戦70年・日本敗戦史(63) A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたの …

no image
日中韓異文化理解の歴史学(2)(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史の原因を読み解く』(連載70回中、21ー35回分)★『申報、英タイムズ、ルー・タン、ノース・チャイナ・ヘラルドなどの外国新聞の報道から読み解く』●『朝鮮半島をめぐる150年間続く紛争のルーツがここにある』★『「 日本か朝鮮を狙うのは有害無益な ことを論ず」(申報)』●『 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(英タイムズ)』●『 長崎事件を語る」 (日本は国力、軍事力で中国には全くかなわない)申報』

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 ㉑「 日本か朝鮮を狙うのは有害 …

「Z世代のためのウクライナ戦争講座」★「ウクライナ戦争は120年前の日露戦争と全く同じというニュース②」『日露戦争の原因となった満州・韓国をめぐる外交交渉決裂』●『米ニューヨークタイムズ(1903年4月26日 付)「ロシアの違約、日本は進歩の闘士』★『ロシアの背信性、破廉恥さは文明国中でも類を見ない。誠意、信義に関してロシアの評判は最悪だから,これが大国でなく一個人であれば,誰も付き合わないだろう』

    2016/12/24 &nbsp …