終戦70年・日本敗戦史(76)大東亜戦争開戦「朝日,毎日の紙面」ーマレー、シンガボール、フィリピン戦線
2015/05/23
終戦70年・日本敗戦史(76)
大東亜戦争開戦の「朝日,毎日などの新聞紙面から」ー
マレー、シンガボール戦線 「英軍、マレーの制空権喪失と発表
〔昭和16年12月16日 朝日〕
日本軍、マニラ北方に上陸〔同年12月11日 大阪毎日(夕刊)〕
マレー総督、非常事態宣言〔昭和16年12月2日 東京日日〕
〔シンガポール特電一日発〕 トマス英マレー総督は二目、ポッパム英極東軍総司令官と協議後、非常事態の存在を宣言し、マレー植民地の志願兵、空軍全予備隊に召集令状を発した。
〔シンガポール特電一日発〕 マシー当局は非常事態宣言に関し、次のごとく発表した。トマス総督は軍当局の要請に基づいて、宣言書に署名し召集令を発した。これは東亜の事態の即時悪化を意味するものではなく、万一に備えるための措置である
シンガポール全軍に集結命令〔昭和16年12月8日 東京日日〕〔シンガポール特電六日発〕
シンガポールにおける陸海空軍は六日、それぞれ集結を命ぜられ、上陸中の英国海軍士官、下士官、兵一同は同日、突如軍艦に帰還を命ぜられた。また同日、マレー政庁は志願兵の動員完了とともに講ずべき種々の非常警戒措置をとった旨発表し、マレー駐屯兵全部に対して兵営に帰還するよう命令を発した。更に六日午後七時、マレー半島全滅に亘って軍隊の活動が活港に展開され、沿岸一帯に機関銃陣地が構築され、兵士が配置された。なお釆たる十日、
シンガポールにおいて英、印、一濠、マレー各部隊の三マイルに亘る大行進が開始される旨発表された。
日本軍、マ幸-半島に奇襲上陸
〔昭和16年12月9日 東京日日(夕刊)〕(大本営陸海軍部発表十二月八日午前十一時五十分) わが軍は陸海緊密なる協同の下に、八日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。
上陸の日本車、英軍と激戦〔昭和16年12月9日 東京日日〕
〔上海本社特電八日発) 上海に入った報道によれば、英国の戦闘部隊はシンガポール北方のマレー海岸○○に上陸した日本上陸軍と白兵戦を演じている。南支那海の暗雲の下で、日本軍は強力な海軍援護の下に奇襲上陸を敢行した。日本軍は激しい攻撃を冒して、八日午前一時、敵前上陸に成功、約二十三キロにわたって上陸した。英軍司令部発表によれば、英空軍は日本軍並びにその艦船を空襲中であると。
〔ブエノスアイレス本社特電八目発〕 シンガポール八日の報道によると、日本軍は○○飛行場を占領した。
陸海軍航空隊、英軍航空基地など攻撃〔昭和16年12月10日 東京日日(夕刊)〕
(大本営陸軍部発表九日午前十時二十分)帝国陸軍航空部隊は咋八日、マレー半島敵航空基地に対し数次にわたり果敢なる攻撃を実施して、英マレー空軍の多数を撃滅し、かつ逐次マレー半島に躍進してシンガポール方面を攻撃中なり。
(大本営海軍部発表九日午前十時四十分)
昨八日未明、帝国海軍○○航空部隊はシンガポール附近テンガー、セレタ両空軍基地及び空軍司令部その他重要軍事施設に対し、夜間爆撃を敢行せり。戦果は大なりと認むるも、夜間爆撃のため明確ならず。当時敵の反撃極めて大なりしも、わが方に損害なし。
〔上海本社特電八日発〕 日本様は八日夜、マレー半島西岸の○○飛行場を爆撃したといわれる。
〔上海本社特電九日発〕 シンガポールからの報道によれば、日本空軍は九月午前四時、シンガポールに来襲、猛烈な爆撃を開始した。空には探照灯の光芝と高射砲の砲火が交錯し、凄烈な光景を現出している。
〔マニラ八日発同盟〕 マニラで傍受したロンドン放送によれば、八日、日本軍のシンガポール空襲により相当の被害があった。その他より成る日本艦隊は八日、タイ国沿岸シンゴラ方面を攻撃した。また日本空軍は八日朝、九龍を襲撃した。
北部の戦略要地を占領〔昭和16年12月10日 東京日日〕
(大本営陸軍部発表九日午後十時) マレー方面に作戦中の帝国陸軍部隊は九日、英軍が頑強に死守せんとしたる北部英領マレー戦略上の大要衝○○を完全に攻略せり。
〔上海本社特電九日発〕 シンガポールより上海に達した情報によれば、日本軍精鋭部隊のマレー半島奇襲作戦は全く敵の虚を衝いたもので、敵陣内は乱脈状態を呈している。すなわちシンガポール政府は左のごとき正式公報を発したが、それによってもその周章狼狼振りが察せられる。公報の内容、次のごとし。
月曜日午前一時半頃、軍艦00隻に護送された日本貨物船団○○隻は○○に到着、日本軍上陸部隊は掩護射撃の下に上陸せんとしたのに対し、英軍は銃砲火を浴びせたが、日本軍は上陸に成功し、目下○○を中心に同地一帯に大戦闘が展開中である。
- 上陸作戦の直後、同上陸地点より南方十マイルの沖合に日本の大船団を発見、直ちに爆撃機が出動、攻撃したが、戦果は不明である。英軍爆撃機三機はまだ基地に帰還せぬ。
英機械化部隊を撃破、日本軍進撃〔昭和16年12月15日 朝日〕
(大本営陸軍部発表十四日午後同時四十分)
マレー方面に作戦中の帝国陸軍部隊は、北部英領マレー方面において敵前上陸に引き続き、英軍の激烈なる反撃を撃砕しっつ逐次戦果を拡大中にして、すでに堅固なる国境陣地を突破して深く英領に突入し、一昨十二日、○○方面においては英国軍機械化一個師団を撃滅し、多数の停虜および多数の兵器を痙獲
せり。その主なるもの、左のごとし。
戦車20輌、速射砲18門、自動貨車約60両。
〔サイゴン特電十四日発〕 当地外字通信によれば、マレー国境突破の皇軍精鋭部隊は十一日、北部マレーの要衝○○附近において有力なる赦機械避幣逼遇、ほとんど瞬間的にこれを潰滅せしめ、敵戦車数十、速射砲十数門、トラック数十台を鹵獲した。続いて鉄条網を張りめぐらした敵既設陣地を猛襲、敵の約一個師団を撃滅して、十二日夕刻、同陣地を完全碇占領、○○に肉薄していると伝えられている。
〔上海特電十四日発〕 ロンドンよりの来電によれば、英マレー守備軍は十三日、精鋭なる日本軍に抵抗し得ず、マレーの北西ケダーの新戦地に後退を余儀なくされた旨発表した。
陸鷲、ビルマを初爆撃(大本営陸軍発表十四日午後二時) 帝国陸軍航空部隊は咋十三日、大挙、飛来及びビルマ方面敵空軍基地を空襲し、敵の嬢烈なる防空火力をおかして大塚撃を敢行し、これに多大の損害を与えたり。その状況、左のごとし。
(一)わが有力なる部隊はそれぞれ英領マレイ東西北海岸の要衝ペナン港及びビルマ領ビクトリア飛行場を急襲して、敢船団及び敵機に対し猛烈なる攻撃を加え、小型戦闘機四機を炎上し、輸送船二隻爆沈、同じく一隻を大破せしめたり。
(二)他の一隊はビルマ領メルギー飛行場を攻撃し、基地附属設備及び燃料庫を徹底的に爆砕せり。この方面の敵機はしょう伏、遁走せり。
(三)また他の一隊は馬来クワンタン飛行場を襲撃して、飛行場施設を破砕するとともに、大型爆撃機を一機炎上せしめたり。
(四)この日におけるわが方の損害三機なり。
英軍、マレーの制空権喪失と発表〔昭和16年12月16日 朝日〕
〔上海特電十五日発〕 十四日、シンガポール軍司令部は左のごときコンミュニケを発表した。
戦争は目下のところ高潮を示しているが、シンガポール最後の防衛線への退却は覚悟しなければならぬ。マレー半島における英軍、濠洲軍は蘭印空軍の増強によって、開戦以来の一週間は何とかやりくりをして来た。
日本空軍は緒戦において各英航空基地に一斉奇襲を敢行したため、英空軍は集結を妨げられた。しかし日本空軍の攻撃は分散的であり、これに対し英空軍の攻撃は集中的であったといえる。蘭印やらの増援軍到着により、最初の英軍の苦戦はようやく救助された。蘭印空軍は非常に勇敢であり、機械力も極めて優れていた。それにも拘わらず英空軍は、マレーの制空権を日本空軍のために奪われた。さらに英空軍は新鋭機の増援を必要としている惨状である。
〔上海特電十四日発〕 シンガポールよりの来電によれば、シンガポール政庁は十二百夜、次のコンミユニケを発表した。
ケダー戦線における日英両軍はなおも猛烈な激戦を交えつつあるが、ケランタン地区は膠着状態にして戦線異状なし。
英軍、全戦線で退却〔昭和16年12月18日 東京日日(夕刊)〕
〔上海本社特電十六日発〕 上海に達した報道によれば、マレー半島の日本軍は目下2ヵ所に楔を打ち込むことに成功し、シンガポールに向けて攻撃を続けている。
〔ベルリン本社特電十六日発) ストックホルムからの情報によれば、英国はマレーの要地○○の失陥を認めており、また日本軍が○○附近に上陸した事実を認めている。
〔サイゴン十七日発同盟〕 十七日朝、サイゴンで傍受したロンドンBBC放送は、昨日来マレー戦線の英軍は一斉に戦略的に後退を開始したと報じている。
マレー戦線における日本軍の攻撃は勇猛かつ作戦の至妙を極め、行動が神出鬼没で、現在の態勢をもっていたずらに抵抗を続けるならば、図らざる苦境に陥る惧れがあるので、16日、英軍は全線にわたって予定の退却を開始した。・マレー西岸のケダー地区は今や日本軍の疎隔に委ねられた。
シンがボール新嘉披防衛絶望(バンコック十七日発同盟〕 シンガポール.のラジオ放送によれば、マレー英軍司令部ではマレー戦況が著しく英軍に不利なることを認め、その原因として、
一、日本軍の数的優越。
一、日本軍の装備の優秀。
一、日本軍の絶対的優秀。
の三点を挙げているが、殊に優勢なる日本空軍のため完全なる制空権を握られたことは英国側敗戦の最大要因で、もし将来において米陸空軍め援助を受けることが出来なければ、シンガポールの運命は風前の灯であると、弱音をあげて米国の援助を待っている。
なおシンガポール空軍は戦前に総機数二百五十機で、うち百機が戦闘機、百様が中型爆撃桟、五十機が偵察機であったが、わが大本営発表に見ると、ほとんどその全部はすでに壊滅しており、更に英国の持みの綱の米空軍の来援もまた、無敵海軍の制圧するに従い、これを輸送することは絶対に不可能であり、
今や英国側自らシンガポールが絶望的立場にあることを自認している。
英軍、要港ペナンから撤退〔昭和16年12月21日 東京日日(夕刊)〕
〔ストックホルム十九日発同盟〕 ロンドン来電によれば、シンガポール当局は十九日、マレーの要港ビナンの「全般的かつ完全撤退」が行われた旨公表した。
国境より百哩マイル進入〔サイゴン十九日発同盟
〕十九日、シンガポールでは左のごとく敗戦自認の放送を行った。シンゴラに上陸した日本軍は既に国境より百マイル以上深く進入し、その攻撃は激烈を極めている。
- 英国軍は十八日、更に二十五マイル退却し、クライパー河岸の新陣地によって防禦することになった。現在英軍と日本軍との距離は十マイル乃至十五マイル離れているが、この距離は日本軍のわずか半日行程であり、英国の危機は去ったとはいい得ない。
- 日本軍の次の進撃目標はマレー中部の要衝○○にあるもののごとく、もし同地が目本軍の手に陥れば、マレー戦線の英軍.は全面的崩壊を免れず、ここ数日間の戦闘は実にマレー英軍の運命を決定するものである。
マ二ラ市民に引き紡げ勧告〔昭和16年ノ12月8日 朝日(夕刊)〕
〔マニラ特電七日発〕 フィリッピン政府は六日夜、マニラ市民に対し、地方に避難出来るものはただちに避難するよう布告した。また軍事上の重要地点附近に住む人達には指定避難先へ立ち退くよう、近く強制命令が出る模様である。
なおアメリカ東亜陸軍司令官マッカァーサー中将は七日、飛行機でパギオに赴き、ケソン大統領と協議したが、東亜軍に対し重大命令が出るものと予想される。
日本空軍、主要飛行場を急襲し百機撃墜〔昭和16年12月9日中外商業〕
(大本営陸海軍部発表十二月八日午後九時)帝国陸海軍航空部隊は本八日、緊密なる協力の下に比島敵航空兵力並に主要飛行場を急襲も、イバにおいて四十機、クラークフィールドにおいて五十乃至六十機を撃墜せり。我が方の損害二機。
日本軍、マニラ北方に上陸〔昭和16年12月11日 大阪毎日(夕刊)〕
(大本営陸海軍部発表十日午前十時十分)帝国陸海軍は十日未明、緊密なる協同の下に比島に対も上陸作戦を敢行し、目下着々戦果拡張中なり。
(大本営海軍部発表十日午前十一時三十分) (こ帝国海軍航空部隊は九日午前、敵の猛烈なる照射反撃を冒し、比島空軍基地ニコルス飛行場に対し夜間爆撃を敢行し、飛行機格納庫を爆破し、二カ所に大火災を生ぜしめたり。
(二)帝国潜水艦は九日午前、マニラ湾において米国軍用船(一万五千千ン)を撃沈せり。
(三)帝国海軍艦艇は八日午前、香港南方海面において英国武装商船ベネプ
(六、000トン、八センチ砲二門搭載)をだ捕せり。
〔サイゴン十日発同盟〕 サイゴンで傍受したところによれば、マッカーサ一・マニラ防衛司令官は十日午前六時半(比島時間)、特別放送を行い悲壮なる口調で、月本陸軍部隊が海空軍との密接なる協力のもとにマニラ北方某地点の上陸に成功した旨発表した。
〔ベルリン本社特電九日発〕 マニラ情報によれば、旧本軍のルソン島爆撃によって地上部隊二百が爆死し、内六十は米人である。目撃者の談によれば、爆撃は極めて正確であった。猛烈な高射砲乱射に拘わらず、一爆弾は石油タンクに命中、目下盛んに延焼中である。
〔リスボン九日発同盟〕 リスボンに達した情報によれば、マニラ地域内に多数の爆弾が投下され、爆音がしきりに聴取された。マニラ・ヘラルド紙はマニラ爆撃を報じているが、市庁舎警察隊本部にも命中弾が投下された模様である。
〔ローマ九日発同盟〕 ステファニ通信マ二ラ電によれば、日本空軍はパーク・フィールド空軍基地にも猛爆を加え、死傷者二百名を生ぜしめ、同基地の通信連絡は完全に遮断されるにいたった
上陸の日本軍、マニラへ進撃〔昭和16年12月12日 朝日(夕刊)〕
〔サイゴン十一日発同盟〕 マニラからの報道によれば、十日払暁、ルソンに壮烈なる敵前上陸を敢行した日本軍は、直ちに進撃を開始、随所にフィリッビン防衛軍を粉砕し、同日、早くもルソン鳥における要衝○○を占領した。比島防衛軍は続々マニラ方面に潰走しつつあり、日本軍の進撃阻止のため、○○以南の鉄道、道路、通信施設は比島防衛軍によって破壊、切断された。
〔ベルリン特電十日発〕 当地着電によれば、フィリッビンの米軍司令部は十日、左のごときコンミユニケを発表した。
日本軍の大部隊はルソンに進入した。この結果、海岸重要数都市とマニラ間の連絡は 遮断された。戦闘は継続中である。
ルソン島南部へも上陸〔昭和16年12月13日 東京日日(夕刊)〕
(大本営陸海軍部発表十二日午前六時) 帝国陸海軍新鋭部隊は本十二日未明、緊密なる協同の下にルソン島南部に上陸せり。これをもってさきに上陸せる北部進攻部隊と相呼応して、フィリッピンの主島たるルソン攻略の挟撃態勢を完成せり。
米の東亜根拠地制圧 皇軍精鋭は十日未明、フィリッピンのルソン島北部に敵前上陸を敢行し、以来着々戦果を拡張中であったが、更に十二日未明、陸海軍新鋭部隊は緊密な協同作戦でルソン島南部の上陸に成功した。
これで首都マニラの攻略態勢は完全に出来上がり、その陥落は時日の問題となった。既に陸海航空部隊は八目以来連続して大挙比島の軍事基地を爆撃し、撃墜破した敵機も二百機の多きに達し、比島空軍力の大半を破かいしたのである。
比島防備の重任を担っている米国駐屯軍は大体五千程度で、その傘下にある土民軍を加えて一万一千の兵力である。このほかに国防法の規定に基づく比島陸軍があり、ケソン大統領を総司令官に戴いている。
その編成は常備兵、予備兵より成っている。正規軍は歩兵、騎兵、海岸砲兵、航空兵、工兵、通信兵等に分かれ、その現有兵力は四万数千と見られる。皇軍精鋭の前に米駐屯軍、比島陸軍を合した戦力がどこまでその抵抗力を発揮出来
るか、次々の敗戦が立証するであろう。かくして皇軍は暴虐米国の東亜根拠地フィリッビン全島を遠からずして完全制圧するであろう。
二百二機を撃墜破、比島作戦海軍戦果(大本営海軍部発表十二日午前十一時半)
(一)比島作戦開始以来現在までにおける帝国海軍航空部隊の比島方面の赦航空兵力に与えた綜合戦果、左の通り。
撃墜七十七機(内大型七機)、撃破百二十五機(内大型、中型四十五機)、合計二百二機。
(二)比島作戦における作戦開始以来現在までのわが方の損害、左の通り。
艦艇被害
(イ)軽巡洋艦一隻軽傷す。ただし任務遂行に差し支えなし。
(ロ)掃海艇一隻(十一日発表の駆潜艇は本掃海艇につき訂正す)沈没す。乗員の大部を救助せり。
(ハ〕掃海艇一隻大破す。飛行機被害 (イ)自爆せるもの九機、(ロ)未だ帰遷せざるもの一機(十一日発表の三機中二機は不時着、乗員は無事帰投せり)。
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