イラク戦争の真実・・大量破壊兵器は存在しなかった
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2004年1月30日
イラク戦争の真実・・大量破壊兵器は存在しなかった
前坂 俊之
日本で国論を二分して自衛隊のイラク派遣の是非を問うていた最中、肝心のブッシュ
政権のお膝元からイラク攻撃の不正を告発する爆弾証言が飛び出してきたことは何
とも皮肉である。
英米のイラク攻撃から1 年目を迎えたが,時間の経過とともに、この戦争が不法、不
正義の戦争であったことがますます明らかになってきている。1 つ目はいうまでもなく
開戦の大義名分である。
わずか1 年前のことである。開戦にいきり立つ米国に多くの国は反対し、IEAの査察
の続行を支持して、国連も先制攻撃に反対し、反戦デモも世界各地で盛り上がった。
しかし、強い反対を押し切って「イラクの大量破壊兵器(WMD)が国際社会に脅威を
与え、アメリカにもその脅威がさし迫っている」―と『脅威』を全面的に振りかざして米
国は見切り発車した。米世論がブッシュを支持したのも、この脅威のためであった。
ただ、この時、米英によって国連に示された脅威の証拠、大量破壊兵器の存在の証
拠が何ともズサンであったこと、すぐ底が割れる情報操作された疑いの強いものであ
ったことは記憶に新しい。
こうした、米英のなりふりかまわぬ姿勢に、逆に多くの人が「大量破壊兵器は存在し
ないのでは!?・・」と疑問を感じたことも事実である。そして、フタを明けるとあんの
定『先に攻撃ありき』だったのである。
デビッド・ケイ前大量破壊兵器調査団長(CIA 顧問)は1 月28 日の米上院軍事委員
会の公聴会で「私を含めてみんなが間違っていた。調査活動が85%ほど終了した今、
生物・化学兵器が発見される可能性はもうないだろう」と証言した。ブッシュ政権はフ
セインを倒すために大量破壊兵器(WMD)の脅威がでっち上げたのである。
では、大量破壊兵器は一体どこにいってしまったのか。
95 年にイラクから亡命した湾岸戦争当時、大量破壊兵器開発の責任者であったフセ
イン・カメル元中将(フセイン元大統領の長女の夫・故人)は「化学兵器は湾岸戦争後
に破壊した。生物兵器も国連の査察後、すべて廃棄した」と証言しているが、ケイ団
長もこれを裏付けた形で「生物・化学兵器は国連査察とイラクの独自対応で廃棄され
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た。90 年代半ば以降、大規模な備蓄はなかった」と述べている。これがほぼ真相だろ
う。
1・・大量破壊兵器 保有判断『米の誤り』・前イラク調査団長認める
米国がイラクに派遣した大量破壊兵器調査団のデービッド・ケイ前団長は二十八日、
米上院軍事委員会の公聴会に出席し「私も含めて、みんなが間違っていた」と述べ、
旧フセイン政権が大量破壊兵器を保有していると思いこんだ米国の誤りを認めた。
判断を誤った原因としてケイ前団長は、中央情報局(CIA)などが一九九〇年代に
国連査察団からの情報に頼るようになり、独自の情報源を開拓しなかったと指摘。査
察団追放後の情報収集能力の低下につながったとの見解を明らかにし、判断を誤っ
た原因調査のため、民主党が求める独立委員会設置に賛成した。
パウエル国務長官が昨年二月、国連安保理で写真を提示した「生物兵器製造用の
車両」も、別の用途に使われていたという。
しかし、ケイ前団長は、情報機関がイラクの脅威を誇張するよう圧力を受けていたと
の批判については「多くの関係者と話したが、そうした説明は一件もない」と否定。
また「フセイン政権の消滅で、世界ははるかに安全になった」と述べ、イラク戦争を遂
行したブッシュ政権への批判は控えた。
2・・90年代半ばに「イラク自主廃棄」 前調査団長語る
イラクで大量破壊兵器の捜索に当たっている米政府調査団のデービッド・ケイ前団長
は二十八日付の米紙ワシントン・ポストのインタビューで、旧フセイン政権が一九九〇
年代半ばに生物・化学兵器を廃棄していた新たな証拠があると語った。
ケイ氏によると、当時の関係文書やイラク人科学者などに対する事情聴取で判明した。
イラクは九八年に国連の査察を拒否、国連査察団が退去したが、それ以前に自主的
に武装解除していたことになる。廃棄は極秘扱いのため、当時、イラクにいた国連査
察官も気付かなかったという。 (東京新聞2004 年 1 月 29 日)
3 <デービッド・ケイ前団長の証言概要は次の通り>
自分白身を含め、ほとんどだれもが間違っていた。イラク戦争開戦前、私は、イラク
が大量被壊兵器(WMD)を保持しているとの見解を持っていた。
戦争を支持しなかった多くの政府も同じ考えだった。シラク仏大統領は昨年4 月、イ
ラクのWMD保持に言及。ドイツの情報機関もWMDはあると信じていた。我々が全
員、聞達った判断を持っていたことが懸念される。
3
イラクは、無条件、無制限の査察受け入れを求めた国連安保理決議1441 に明白
に違反ていた。
私が辞任するまでにやろうとしたことには、政治的意図はなかった。調査団が政治
日程に沿った結論を導くよう圧力をかけられたとの指摘はあたらない。誤っていた情
報の分析を緊急に見直さなければならない。
イラクが02 年の段階で生物・化学兵器を備蓄していたことを証明する証拠は何も見
つけられなかった。少量の備蓄を持つ能力があったとの証拠は得たが、備蓄そのも
のの証拠は見つけることができなかった。個人的な意見だが、信用性を高めるために
外部機関による調査が必要だ。
ただ、過去12~15 年間に流出したイラクに関する情報を総体として見ると、イラク
がWMD によって世界への深刻な脅威を増していたと結論づけることばできる。
国連による査察の過程で、イラクが90 年代にWMDの製造をあきらめることを決定
したというのは理にかなった見方だ。
北朝鮮は、核兵器や長距離ミサイルの問題において不可解である。脅威は存在し
ていると考える。ただ、(米情報当局の北朝鮮への対応がイラクの場合と)同じようで
あるか分からない。それはほかの人に尋ねるべきだと思う。
我々はもはや(WMD を持つ)能力を支配できる世界に住み続けてはいない。意図
が重要となる。それこそが、フセイン元大統領を危険としたものだと考える。
隣人を侵略し、化学兵器を使用した個人の意図を好意的に解釈することば難しい。
本当の情報分析とは、単なる能力の有無の判断ではなく、相手の意図についての判
断を下させるものだ。
イラクにWMDの製造計画はあったが、それは将来の製造を見込む計画だった。ミサ
イル計画は事実上進んでいた。イラクは科学者と科学技術を維持していた。しかし、
移動手段がなく、査察官に見つかりやすい兵器の備蓄はする必要はない。移動手段
を得れば、急きょ製造できるのだ。
フセイン元大統領と長男ウダイ、次男クサイ(両氏)00年と01 年にマスタードガスと
ⅤⅩガスの製造再開にどのくらいの時間がかかるかを尋ねたとの文書の証拠と証言
がある。
(国際テロ組織アルカイダや他のテロ組織とのWMD の共有を示す)証拠は車。こ
の証拠の有無は極めて高度な調査対象であり、強い関心を持っているものである。
4・・毎日新聞の記者の目では・・
毎日新聞の記者の目では「イラクの大量破壊兵器不在 「戦争の大義」崩壊は明白」
と題して、斗ケ沢秀俊記者(科学環境部)が次のように書いている。
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イラク戦争はブッシュ政権が先制攻撃論を実行に移した最初の例だった。「米国や
国際社会の安全に対する脅威を取り除くためには、先制攻撃が許される」とするこの
理論は、政権の要所を握る「ネオコン」と呼ばれる新保守主義者たちが主張した。01
年9月の同時多発テロを機に、この理論への支持が広がった。
しかし米軍の調査では、同時テロを起こしたとされるテロ組織「アルカイダ」とフセイ
ン政権との関連を裏付ける証拠は得られていない。「差し迫った脅威」も、虚構にすぎ
なかった。
戦争の大義が崩れた今も、ブッシュ大統領は「イラクの独裁者の脅威に対して行動
した」と強弁し、戦争を正当化している。
私が日本に戻った昨秋以降、自衛隊派遣に向けた論議が急速に進み、実行された。
戦争を既成事実とした「復興支援」論議は、根底にあるはずの戦争の大義への疑問
を置き去りにしていると感じた。
小泉首相は開戦時に「大量破壊兵器の廃棄」を掲げて国民の支持を訴えたことを、
もう忘れたのか。首相は1月26日の衆院予算委員会で、ケイ氏の証言を踏まえた質
問に、「今持っているとも、持っていないとも断定できない」と無責任な答弁を繰り返し
た。 ブッシュ大統領は政権の座にある限り、「大量破壊兵器は捜索中だ」と言い続け
るだろう。米国が捜索している間、首相は「見つかる可能性はある」と逃げ続けられる。
私たちはそれを許してよいのか。 大義のない戦争と、米国の恣意(しい)的な「脅
威」の判定による先制攻撃を二度と繰り返さないため、大量破壊兵器の不在は徹底
追及されなければならない。小泉首相は次の質問に、真正面から答えてほしい。「あ
なたは大量破壊兵器所有の確証なしに、開戦を支持したのか」「大量破壊兵器が見
つからない場合、責任を取る覚悟はあるのか」 (毎日新聞2004 年2 月4 日朝刊)
5・・<大量破壊兵器疑惑年表>
02 年9 月 英政府が「イラクは45 分以内に生物・化学兵器を実戦配備できる」との
報告書を発表
03 年1 月 ブッシュ大統領が一般数寄演説で「フセインはアフリカからウランを購入
しようとした」と言及
2 月 英政府が「イラクは組織的にWMD を隠匿」と報告書
3 月 米英、イラク攻撃開始
4 月 バグダッド陥落後、フランクス米中央軍司令官(当時)が「イラクに
WMD があると確信している」と発言
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6 月 米調査団が1400 人態勢でWMD 捜索を開始
7 月 英政府の情報操作疑惑を報じたBBC の「情報源」とされたケリー博士
が自殺
9 月 英議会の委員会が「45 分情報」は不適切だったと指摘
10 月 ケイ氏が、WMD 計画の全容解明に「6~9 カ月かかる」と米議会で証
言
04 年1 月 ケイ氏が調査団長辞任
デビッド・ケイ氏はウィスコンシン大学教授、国務省を経て、湾岸戦争後から国際原
子力機関(IAEA)や国連の査察チーム団長として、イラクの核疑惑の調査にあたる。
91年9月には兵器開発関係の資料持ち出しをめぐり、バグダッドのイラク原子力委員
会内に一時監禁された。現在は米中央情報局(CIA)最高顧問。(アメリカ総局)
6・・英政府情報操作疑惑・ハットン報告書『BBC 編集体制に欠陥』会長ら辞任へ
イラクの大量破壊兵器をめぐる英政府の情報操作疑惑で、国防省のデビッド・ケリー
博士の自殺原因を究明する独立調査委員会(ハットン委身長)は一月二十八日、政
府がイラクの脅威をを誇張したとのBBC の報道には根拠がなく、デスクのチェックを
経ずに報道されるなど、編集体制に欠陥があるとする報告書を公表した。
これを受けBBC のギャビン・デービス会長は同日、グレグ・ダイク社長は翌二十九日
にそれぞれ辞任。リチャード・ライダー会長代行は二十九日、政府への全面謝罪を表
明した。BBC は三十日、今回の報道の火付け役となったアンドルー・ギリガン記者の
辞職を発表。昨年五月切疑惑報道は、報道の正確さと公平性で世界的に定評があっ
たBBC のトップ交代と謝罪という異例の事態に発展した。
ギリガン記者は昨年五月、英政府の大量破壊兵器に関する二〇〇二年九月の報告
書が「イラク軍は四十五分以内に生物・化学兵器を配備できる」とした部分は「首相府
が聞達いと知りながら挿入させた」とラジオで報道。国防省がBBC の情報源としてケ
リー博士の名をマスコミにリークした数日後、博士は自殺した。
調査委は昨年八月から十月にかけブレア首相やフーン国防相、キャンベル首相府
報道局長(当時)らを証人尋問。関係者から膨大な書類の提出を求め、疑惑解明に
取組んできた。
調査ではギリガン記者一と博士の会話録音テープま、で公開され、同記者と博士との
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実際の取材のやりとり一が焦点となった。
ハットン委員長は記者の取材メモが2種類あることなどを理由に「博士が何を話した
のか特定するのは困難」と結論。報告書では、同記者の報道は「政府の信頼性を攻
撃する極めて深刻な主張だ」と指摘した。
さらに委員長は、特ダネ記者で知られたギリガン氏が「表現法の厳密さを欠く」など
と普段から社内で批判されていたことなどを引用。「四十五分」の報道がデスクのチェ
ックを経ずに流れたことを挙げ「編集体制の欠陥」を指摘した。
BBC経営陣には、報道をめぐり首相府と激しく対立した後も実際の取材内容を調査
しなかったことを非難。・ギリガン記者は昨年九月の調査委で「四十五分」情報が間違
いであることを首相府が承知していたとまでは、ケリー博士が話していないことを認め
ている。
ただ、イラクの大量破壊兵器はいまだに見つからず」ダイク社長は二十九日夜、報
告書の内容を全面的に受け入れてはいないとの考えを示した。ギリガン記者も辞職
声明で、報道の大部分は正しく、情報疑惑が存在したとの立場をあらためて強調し
た。
「約八十年の歴史で築かれた信頼は報道の正確さにかかっている」。BBC は一月
二十一日、誤りを早期に発見しなかった自社幹部らの責任を追及する異例の検証番
組を放映。司会のベテラン記者は危機感を募らせるようにコメントした。
報告書は、政府には責任はない、と結論。ブレア首相はこれ以上、BBC を追及しな
い意向を示し、BBC の独立性を十分に尊重することを明らかにした。
視聴者からの受信料を財政基盤にし、政府や企業からの独立した報道を標榜して
きたBBC は、これまでもフォークランド紛争報道などをめぐり政府と対立してきた。
政府はBBC を他のメディアと同様の規制の下に置こうと検討してきたが、今回の報
告書で政府側の動きが勢いづくとの見方も強い。
三十日付の英各紙世論調査では、ハットン調査書公表後も、国民のBBC に対
する信頼度が政府に対する信頼度の二-三倍に達している。
[新聞協会報 2004年2月3日付]
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