戦争とメディアー「9・11からイラク戦争へ」=現代のメディアコントロールの実態②
現代のメディアコントロール(2001-05年)②
前坂俊之(ジャーナリスト)
4・・〝イラクの脅威〝をデツチ上げ、政権内部から爆弾証言
日本で国論を二分して自衛隊のイラク派遣の是非を問うていた最中の二〇〇四年一月、ブッシュ政権のお膝元からイラク攻撃の不正、でっち上げ?を告発する爆弾証言が相次いで飛び出した。ちょうど一年前に開戦にいきり立つ米国に多くの国は反対し、IEAの査察の続行を支持して、国連も先制攻撃に反対し、反戦デモも世界各地で盛り上がった。しかし、強い反対を押し切って「イラクの大量破壊兵器(WMD)が国際社会に脅威を与え、アメリカにもその脅威がさし迫っている」と『脅威』を全面的に振りかざしてアメリカは見切り発車した。米世論がブッシュ政権を支持したのも、この脅威のためであった。
ただ、この時、米英によって国連に示された脅威の証拠、大量破壊兵器の存在の証拠が何ともズサンであったこと、すぐ底が割れる情報操作の疑いの強いものであったことは記憶に新しい。
二〇〇四年一月二十八日、デビッド・ケイ前大量破壊兵器調査団長(CIA顧問)は米上院軍事委員会の公聴会で「私を含めてみんなが間違っていた。調査活動が八五%ほど終了した今、生物・化学兵器が発見される可能性はもうないだろう」と証言した。案の定、ブッシュ政権はフセインを倒すために大量破壊兵器(WMD)の脅威をデツチ上げていたのである。もともと、この戦争は九・一一テロに対しての報復としてはじまった。
ブッシュ大統領はテロ撲滅とその支援国家を「ならずもの国家」と名指しして、先制攻撃を辞さずと、証拠をつかむ前に振り上げたこぶしをフセインにたたきおろしたが、「フセインがアルカイダやテロ組織へ兵器供与をした」という共謀の証拠についてもケイ団長は否定した。
これは重大である。証拠もないのに一方的に戟争を仕掛けたことが明らかになり、戦争の法的正当性が問われているのだ。不法な先制攻撃であり、侵略戦争であったことを自ら認めたことになる。
これだけではない。米国のイラク攻撃の正当性を問う暴露発言がブッシュ政権の中枢からまたまた飛び出した。ブッシュ大統領からクビになったオニール前米財務長官が「ブッシュ政権は〇一年の発足直後から、フセイン(イラク元大統領)を取り除く必要があるという信念があった」とテレビで爆弾発言し、ブッシュ政権の内幕を書いた本の中でも、この事実を詳述しており、ブッシュ政権を再び揺るがせている。
ブッシュ政権発足一〇日後の〇一年一月三〇日間いた最初の国家安全保障会議(NSC)で、すでにイラクへの対処が最優先課題とされ、軍事行動を含めた対策が検討された。
同書によると、この日の主題は中東政策で、ブッシュ大統領はイスラエルとパレスチナの対立ではクリントン前政権の政策が不均衡だったと批判して、「イスラエル寄りに戻す」と宣言した、という。
これに対して、パウエル国務長官はシヤロン・イスラエル首相が強硬路線に走り「悲惨な結果になりかねない」と反対したが、大統領は「それが均衡を取り戻す最善の道かもしれない」と突き放し、話題はすぐイラクに移ったという。【毎日一月十四日夕刊】
さらに、中央情報局(CIA)のテネット長官がイラクのエ場の空撮写真をテーブルに広げ「化学せ物兵器用の材料を作るエ場かもしれない」と報告。その根拠をオニール氏が問うと、テネット長官は物資の搬入・搬出ぶりなど状況証拠を挙げたが、確証は示せなかった。
オニール前米財務長官は「国家安全保障会議で、なぜイラクを侵略すべきなのか、だれも疑問を呈さないのに驚いた」として、「ブッシュ大統領は、イラク戦争を実行する方法を探し出せ、と言っていた」とも証言している。
ブッシュ大統領は、九一年の湾岸戦争当時の軍事連合の再構築∇イラク南恥北部への米軍投入∇イラク反体制派への軍事支援∇新たな対イラク経済制裁∇情報収集力の改善-などの検討を担当長官に指示。2日後のNSCでは「フセイン政権後のイラク危機のための政治・軍事計画」など機密文書が討議資料に使われ、ラムズフエルド国防長官はフセイン政権除去と親米政権樹立の必要性を力説したという。【毎日同日夕刊】
こうした誤った攻撃によって、イラクでは約一万人以上の女性、子供らも含めた民間人が巻き添えで犠牲となり、住宅、建物、国土を破壊され、大量の劣化ウラン弾の使用による放射能汚染を撒き散らして、今度は各国に戦後復興に協力せよ、という理不尽な暴走がまかり通おってしまった。
ソ連崩壊をいち早く予言した歴史学者・エマニュエル・トツドは「世界最強の軍事経済超大国・アメリカがイラク、イラン、北朝鮮などの軍事、経済、政治的にも世界の三流弱小国を『悪の枢軸』とか『世界的脅威』などと大げさに、目には見えない敵なる『国際テロリズムの脅威』を言い立てるのは、強大なアメリカという幻想を維持するための神話に過ぎない」と分析。「『国際テロリズム』なる神話をつくり『演劇的小規模軍事行動主義』の戦略をイラクで実施した。世界を不安定にする最大の脅威はアメリカである」(『帝国以後-アメリカ・システムの崩壊』石崎晴己訳、藤原書店、2003年4月刊)と指摘している。
九・十一テロ以降、逆上してアフガン戦争、イラク戦争と先制攻撃の「力の論理」に猛進するブッシュ米政権に引きずり回されて、小泉政権はわが国の21世紀を見通した国家・外交戦略を論議することなく場当たり的に、「テロ特措法」「イラク人道復興支援特措法」という「特別措置法」の連発で取り繕ってきた。
攻撃支持を早々に表明し、その誤りが判明した段階で、さらに今回も自衛隊を送るという判断ミス、ボタンの掛け違いが大きなツケとなってきている。立憲国家である以上、どの内閣であれ憲法を犯すことは許されない。
「武力行使をしない。外国にいって戦争しない」という憲法9条、国連中心主義の国是を破ってまで、ブッシュドクトリンを支持、アメリカ一辺倒に回ったのは、「アメリカは日本の唯一の同盟国であり、日本もアメリカにとって信頼にたる同盟国でなければならない。口先だけではなく行動が試されている」(小泉首相の自衛隊派遣決定理由の説明)ためだ。
やむを得ず、「アメリカの強硬な態度」を支持した本音はいうまでもなく対北朝鮮問題、北朝鮮の脅威である。「北朝鮮の脅威が存在する限り、日米同盟によって米軍に守ってもらう以外にない。そのため、イラクでのアメリカの行動を支持せざるを得ない」「日本を守ってくれるのはアメリカだけ。自衛隊を派遣しなければ対米関係は崩壊する。米国に見捨てられてしまう」という対米従属論である。
しかし、日本が唯一の頼みとする北朝鮮核疑惑、脅威についての米国の情報の信頼性そのものがイラクのWMD問題で大きく揺らいでいる。北朝鮮核開発計画の決定的な証拠をアメリカはつかみかねている。
「北朝鮮は日本などから援助を引き出すために核開発を誇張しているのか。本当にプルトニウムの生産能力をもっているかどうかもよくわからない。北朝鮮がプルトニウムを保有しているとしても、核兵器の製造技術をもっている証拠はほとんどないと、専門家はロをそろえる」(『ニューズウィーク』二月一一日号)のが実情とすれば、イラクに巻き込むために北朝鮮の核開発脅威を誇張する情報操作が行なわれなかった、との保証はない。「ブッシュ政権は同盟国の国民に嘘をつくことを含めて手段を選ばないことをもっと理解すべきである」とWMDの元国連査察官スコットリッター氏は警告している。(『週刊朝日』二月二十日付)
さらに問題なのは今後のイラク占領、再建、復興がアメリカの見通しどおり進まず、混迷、ドロ沼化が必至の情勢なのだ。連合国暫定当局(CPA)は二〇〇四年六月末にイラクへ統治権限移譲、選挙という日程を出していたが、アナン国連事務総長は6月未の主権移譲後は、「暫定管理政権」を発足させ、できるだけ早期に直接選挙を実施すべきだと勧告している。
多数派のシーア派、フセインのスンニ派、独立を望むクルド人三つの勢力が揺れており複雑に権利、利害、宗教が錯綜し、建設的、平和的にまとめ上げるのは容易でない。部族間、民族間の対立、ナショナリズムが激しく、これが障害となって、内戦への危機が一層高まっている。
「人道的支援などというものは、内戦状態の国では通用しない。非戦闘部隊は,生贄になるだけだ」(スコットリッター氏)という最悪の条件の中で、自衛隊は海外派遣の第一歩を踏み出すことになった。
自衛隊の派遣、対北朝鮮問題の取り組みでは小泉首相の姿勢を支持して『読売』『産経』が強硬路線を主張しており、『朝日』は反対、『東京』も反対だが、『毎日』はこれまでの反対の姿勢を変えて、自衛隊派遣では賛成に回った。メディアの姿勢も真っ二つに分かれ、激しく対立した論調を展開している。
二〇〇四年元日付けの各紙社説をみると、『読売』は「国民の安心が日本再生の基盤重い決断を要する国家百年の計」で、「自衛隊イラク派遣を評価し、武器使用基準の改定や集団的自衛権行使を容認せよ」と憲法改正を目指しての持論を主張、『産経』も「日本の運命を決める十年、文明社会の重責を果たしたい」で自衛隊を派遣すれば、犠牲者を出すこともありうる。任務を完遂する強い国と歴史に刻まれる年であってほしい」とハツパをかけた。
『朝日』は「『軍隊』を欲する愚を思う」で「『専守防衛』の精神に自負を持ち、『普通の軍隊でない』ことに誇りをもつのがいい。我々はアメリカの危うさも直視し直言したい」と反対の立場を堅持した。
一方、『毎日』は「アメリカリスク対応が鍵だ。心配はイラクより政治の信頼感」で「対米追従以外に戦略を持たない現状では、行かない選択がもたらすリスクが大きすぎる」と自衛隊の派遣に賛成の態度を打ち出し、引くときは引く決断の重要性を指摘した。
『東京』の「混迷の中に教訓が」では「時代の転換期にあって指導者を選ぶのは国民。乗客と思い込んで傍観すれば、どこへ連れて行かれるか分かりません」と夏の参院選の重要性を説いた。
昭和戦前の日本を滅亡させた原因は国の対アジア外交の失敗、軍事力の過信、軍国主義暴走、これを政治がブレーキをかけて抑止できなかったこと、外交能力、情報収集、分析能力が欠如していたこと、メディアも軍国主義と排外的なナショナリズムの暴走をチェックせず、逆にあおりたてたこと、国民も大勢順応主義、現状追随主義に陥って愛国心を昂揚させたことなど、さまざまな要因が重なって全体として日中戦争、太平洋戦争を支持したのである。
中でもメディアコントロールによって実情を知らされず強硬論に走る国内世論や反中国、反英米のナショナリズム、それに輪をかけて対立、戦争をあおったメディアの報道が外交の誤断を一層増幅させていったことも苦い教訓である。
また、途中で戦争の行く末を危惧して、誤った政策だと気づいた時、リーダーでも、ジャーナリストでも、国民でも引き返す勇気、反対する気概が乏しかったことが悲劇を招いたのである。
昭和戦前の新聞の最大の失敗は、関東軍が謀略で起こした満州事変(一九三一年)の事実を報道せず、政府が事変不拡大を望む中で、即軍事行動を容認して、愛国・戦況報道のキャンペーンをはったことである。
一九三七年、日中戦争の勃発で日本軍は中国大陸に戦線を拡大し、ドロ沼の戦争に入ってしまうが、日本の世論は新聞、雑誌の煽動によって『支那討つべし』の反中国一色に染まり、近衛内閣は「国民政府を相手にせず」との一方的な声明を出して、自ら交渉相手との道を閉ざし、和平ルートを断ち切ってしまう外交的大失敗を犯してしまった。
今回の北朝鮮との交渉をみても、「拉致問題の解決なくして、日朝交渉なし」といち早く『拉致問題」を前面に出して圧力をかけ、経済制裁法案をちらつかせる強硬姿勢一本やりで、北朝鮮の強硬姿勢にはさらに強硬に出るというやり方だ。
『読売』『産経』が感情的で、センセーショナルな報道でこれを大々的に支援している点が「近衛声明」同様の危うさを感じる。もっと外交力ードが活かせるような柔軟な交渉姿勢、二枚腰、三枚腰こそ必要ではないか。
北朝鮮問題解決のためには中国の影響力が不可欠だが、日米同盟一辺倒で、中国には無関心な小泉首相は靖国参拝問題で中国と対立して、日中首脳交渉も開けない。この重要な時期に、中国カードを全く切ることが出来ない状態で、近衛声明と載類似性を強く感じる。実質上「中国政府は相手にできず」の片面外交の手づまり状態に陥ってしまい、メディアもこれを強硬にあおっている状況は70年前とそっくりである。
5・・戦争報道で一番自戒すべきことは・・
(1)感情的、センセーショナルな報道をさけ、過剰な取材、オーバーヒート気味の過熱取材を排する。
(2)一方の情報のみを過大に伝えること、偏重報道、愛国的報道は失格であり、戦争の旗を振ってあおる報道は避けなければならない。特定の国を誹謗中傷することなく、ジャーナリズムの原則である客観的、公平、公正な報道を貫くことだ。
(3)戦前の報道の失敗は情報操作された事実を十分検証することなく即報道することによって、既成事実を容認、追認して政府のなしくずしの既成事実づくりに手を貸してしまい、抜き差しならぬ状況を自ら作ったことにある。一歩下がって冷静に報道すること。
(4)情報操作を取材力を発揮して見破ること。事実報道とその検証報道をくり返りながら執拗に事実に迫っていくことが大切。ここまできたらのだから、もう仕方がない、やむを得ないとあきらめて反対する勇気の欠如こそ戦前のジャーナリズムの敗北の歴史である。
(5)今後、イラクで活動する自衛隊を批判しにくいという空気が懸念される。自衛隊反対を叫べば、戦前と同じく「非国民」と呼ばれかねない状況こそが言論の自由を奪ったのである。ジャーナリズムは批判する勇気と姿勢を堅持せねばならない。
(6)現状レポートと、それ以上に将来をしっかり見通した洞察力のある正確な分析力こそジャーナリズムに求められるものである。
戦争報道の方針についてロイター通信社ニュース編集部門責任者・デービッド・シュレジンジャー氏は「特定の国に従属せず、完全に公平で偏りのない報道を目指す。同時テロのときも含め「テロリスト」という言葉は使わない。感情に訴えることばでレッテル張りをするのは読者のためにならない。読者に必要なのは、事実の明快で率直かつ正確な描写だけだと思うからだ」(読売二〇〇四年二月十九日朝刊)と並べているが、日本のメディアの真価が今厳しく問われている。
6・・イラク大量破壊兵器米調査団最終報告書
ところで、イラク戦争最大の疑惑である「イラク・フセイン政権の大量破壊兵器」について二〇〇四年十月六日、最終報告書が提出された。米中央情報局(CIA)の調査団・チャールズ・ダルファー団長が米上院軍事委員会に提出したもので『大量破壊兵器の備蓄は発見できず、開発、生産を再開する具体的な計画も確認できなかった』という内容で。ブッシュ政権がイラク戦争開戦の大義とした「差し迫った脅威」は存在しせず、情報操作されたものだとの結論が出たのである。
報告書は約千ページにものぼり、イラク開戦後からの約二十カ月間にわたる現地調査や、元イラク政府幹部への事情聴取を元にまとめられた。報告書によると、フセイン政権は核兵器開発のノウハウを維持しようと九五年ごろまで画策したが、積極的開発計画は持っていなかった。化学兵器も九一年の湾岸戦争後にほとんどを廃棄して生産も停止。生物兵器も、95年には開発・生産計画を中止した。
ブッシュ政権幹部らが、「ウラン濃縮用遠心分離機の部品」と主張したアルミニウム管については、砲弾用のものだったと結論。移動生物兵器実験室とされたトラックは、水素生産用であり、イランからシリアへの大量破壊兵器関連物資の移動についても「確認できない」とした。一方で、フセイン元大統領が大量破壊兵器の再保有を望んでいたと指摘。そのために国連経済制裁の解除を目指し、国連管理の「石油・食料交換計画」の悪用や密輸で必要な物資を入手することに、努力を集中していたと分析した。
しかし、兵器保有の主な動機は、イランの脅威への対抗や、アラブ世界での威信の向上だと説明、米国への対抗意識は相対的に低かったとの認識を示した。一方、ミサイル開発に関連し、報告書は推進用固形燃料の原料の一部を、イラクが間接的に日本企業から入手していたことも明らかにした。技術的ノウハウやエンジンなどの入手先として、ロシアやポーランド、ベラルーシを挙げている。
同日証言したダルファー団長は「(〇三年三月に始まった)イラク戦争の前に、サダムが(大量破頓)兵器を持たない決断をしたことは明白だ」と明言。調査を継続したとしても、「軍事的に意味のある備蓄が発見できる可能性は、五%以下」との見方を示した。
7・・・有事法制と北朝鮮核問題
イラク戦争が終結した後、二〇〇四年には北朝鮮核問題が次の安全保障の最大の懸案としてクローズアップされ、六月に日本、北朝鮮、米国、韓国、ロシアによる中国を議長国にした六カ国協議が始まった。北朝鮮の核保有、核疑惑、ミサイル問題、朝鮮半島の非核化、拉致問題などをめぐって各国の思惑が一致せず、協議は中断、難航し、二〇〇五年七月に再開した。
北朝鮮の核疑惑問題は一九九三年から九四年にかけて連続して危機を迎えた。
寧辺(ヨンピョン)の核関連施設の疑惑をめぐって北朝鮮とIEAE(国際原子力機関)が対立、IAEAの「特別査察」要求に対して、北朝鮮は「自主権への侵害」だと反発、九三年三月八日にNPT(核拡散防止条約)の脱退を表明した。米韓両国は九日、合同軍事演習「チームスピリット」の再開を決定して対決姿勢を強め、これに対し金正日は、「準戦時状態」を軍に発令するなど、対立はエスカレート、一触即発の状況になった。
北朝鮮は十二日、NPTから正式に脱退を決定、四月一日、国連で北朝鮮のIAEA
の核査察協定違反についての制裁を検討する決議が採択された。ところが四月下旬、北朝鮮は姿勢を軟化させ、アメリカも歩み寄り内政不干渉などを盛り込んだ米朝共同声明が六月に発表されたことで危機は一応回避された。
交渉はその後もー進一退を繰り返すが、九四年に入って再び危機に突入、今度は文字通り戦争勃発寸前までいく。ニ月、米朝は対話と協議を通じての解決を再確認したが、北朝鮮のプルトニウムの抽出が可能な黒鉛原子炉の開発をめぐる問題、核疑惑問題で協議は暗礁に乗り上げた。
二月に訪米した細川首相にクリントン大統領が在日朝鮮人の送金を止めるように要求し、北朝鮮側に情報がもれることを恐れたアメリカ側は武村正義官房長官の更迭をもとめて、この結果、細川首相の突然の辞任に発展する。く小池百合子『細川首相退陣の引き金は北朝鮮有事だった』「正論」2002年7月号)
三月にアメリカ軍は韓国へのパトリオット・ミサイル配備を決定するとともに、アパッチ攻撃ヘリ、などが投入、兵員を三万七千人に増員され、米艦船が海上に待機した。
アメリカは海上封鎖の準備と有事の作戦支援のため密かに防衛庁に協力を打診し、日本政府は驚愕し、石原信雄官房副長官を中心にして防衛庁と外務省に極秘裡に研究を開始させた。アメリカからの強力な後方支援の要請に日本政府は混乱した。
羽田政権は極秘裏に「特別本部」を設置、超法規措置として朝鮮有事を後方支援する「短期法案」を準備した。防衛庁は外務省、関係各省とで立案した「朝鮮有事対応計画」で対米協力計画を練った。海上自衛対の日本海封鎖、航空自衛隊の北朝鮮領空までの進出、日本海沿岸に建ち並ぶ原子力発電所へのゲリラ攻撃、在日米軍基地への攻撃、中距離ミサイルへの対応、在韓日本人の避難計画をどうするか一など多岐にわたって具体的に検討された。
アメリカ軍からは四月に掃海艇の派遣要請、民間空港、港湾施設の利用、燃料の補給など約-000項目にのぼる「協力要請リスト」が出され、日本側は国民には-
切知らすことなく協力できるもの、できないもの一つ一つ検討した。(この経緯については97年8月17日のテレビ朝日番組『21世紀への伝言』で詳しく報道)
IAEAが問題を国連安保理に回付し、安保理が北の核兵器保有を阻止するとして、
制裁措置を決めるようになるのかどうかの瀬戸際となった。三月、南北実務者会談で、北の代表が「ソウルは戦争が起これば火の海だ」と発言した。三月三一日に国連安保理が「核再査察」を要求する「議長声明」を採択。五月三十日には燃料棒交換停止などを求める「議長声明」を採択し、海上阻止を伴う「経済制裁」をちらつかせた。
北朝鮮は、IAEAからの脱退を宣言し、「経済制裁は宣戦布告だ」と強く反発、危機は最高潮に達した。
すでにアメリカは北朝鮮との戦争を具体的に検討し始めていた。五月十八日、シャリカシュヴイリ統合参謀本部議長が作戦会議を召集した。ここで極秘の米韓共同の対北朝鮮戦争計画『作戦計画5027』が検討された。このプランでは在韓、在日米軍、米本土から五十万人の兵員を確保して空母を含む艦船数百隻、航空機一千機以上を動員する。まず巡航ミサイル、F-117戦闘機で寧辺(ヨンピョン)の「核疑惑施設」をピンポイント爆撃する。「原子炉をメルトダウン(溶融)させることなく、精密誘導爆弾で破壊する作戦を立案した」(『朝日』2002年10月21日付夕刊)
この先制攻撃によって、全面戦争に発展し、米韓軍は平壌、北の軍事基地、主要
都市を空爆でたたき、大規模上陸作戦を展開して地上戦に突入。これに対して「南北境界線付近に展開する百万人以上の北朝鮮軍兵士や長距離砲千百基がソウルに
襲いかかり、韓国側は数百万人、北朝鮮側にはそれ以上の避難民が予測された」
(『朝日』同夕刊)
結局、米韓軍は首都・平壌を占領して親米政権樹立、戦争終結後に占領統治して一定期間の軍政を経て南主導型で南北統一を図るという作戦である。
コンピューターによる軍事シュミレーションの結果では、全面戦争に発展して、緒戦の九十日間で死傷者は米兵五万二千人、韓国兵は四十九万人、戦争全体ではアメリカ兵の死者八万から十万人、朝鮮半島での軍、民間人の死者は百万人、経済的損害は近隣諸国を含めて一兆ドルにのぼる。「核を使わない場合でも百万人の犠牲者が出る」という結果が示された。(『ニつのコリア』(ドン・オーバードーファー著、菱木一美訳、共同通信社、2002年2月刊、366-370頁)
この結果を受けて、ペリー国防長官は、六月初め、①先遣隊二千人を即時派遣②米軍の一万人増強とFllステルス爆撃機の増強、空母の配備、③陸海軍-○万人規模の派遣という一三つの選択肢を考え、そのうち一万人増強案を決定した。アメリカ政府が恐れたのは、米軍の増強配備を戦争開始と受け取り、北朝鮮が反応することだったが、増強策は決定された。
六月一三日には北朝鮮はIAEAの脱退を正式に宣言した。韓国政府は戦争に備えて一般市民を動員する大規模な防衛訓練の実施を発表し、ソウル株式市場は大暴落し、市民は食料などの買いだめに走った。十五日、ラック在韓米軍司令官とレイニー米大使が秘密会談を行い「在韓米国人の国外避難計画」を本国からの指令を待たず決意をした。大使は娘と孫三人に三日以内に韓国を出国するように密かに指示した。
この決定に金泳三韓国大統領は激怒。「韓国政府の了解なしの決定で北朝鮮側に空爆開始のシグナルを送るもの。もし戦争が勃発したら、私は国軍の最高司令官として韓国軍人を誰一人として参戦させない、とクリントン大統領との電話会談で通告した」(『サンデー毎日』2002.2.10号)と回顧している。
「第二次朝鮮戦争勃発か!」という瀬戸際の六月十五日にカーター元米大統領が特使としてクリントン大統領の親書も持たずに、和平の期待の少ない中で訪朝した。カーターは交渉の前に戦争突入の可能性が大きく絶望的な気持ちになったと振り返る。力一ター特使の訪問を金日成は大歓迎し、会談では核開発凍結、核査察の受け入れを受諾し合意にこぎつけた。
その場からカーターはホワイトハウスに電話を入れた。ちょうど戦争計画に断を下すべく、クリントン大統領はゴア副大統領、クリストファー国務長官、ペリー国防長官、統合参謀本部議長ら外交、国防担当閣僚との閣議の席上にその電話はかかってきた。急転直下、戦争は土壇場で回避された。金日成は三週間後の七月八日に急死する。九四年十月、核開発を凍結する代わりに軽水炉を提供するという「米朝枠組み合意」がやっと成立した。
米ソ核戦争の手前までいったキューバ危機、「五月の七日問」に匹敵するこの「第二次朝鮮戦争危機」は奇跡的に軍事衝突が避けられたが、もし戦争になっておれば、朝鮮半島はもちろん日本にも戦懐すべき国民の犠牲、壊滅的な被害をもたらしたであろう。北朝鮮だけではなく、韓国からも大量の避難民が日本に押し寄せ、兵姑を担った日本の輸送の動脈は混乱、ストップし、不況に苦しむ日本経済は崩壊への引き金になっていたことであろう。
この危機の経過は『ニつのコリア』(ドン・オーバードーファー著、菱木一美訳、共同通信社、2002年2月刊)、『日米同盟半世紀一安保と密約』(外岡秀俊、本田優ら著、朝日新聞社 2001年9月刊)、『同盟漂流』船橋洋一著、岩波書店、97年11月刊、などで明らかにされている。
ここで「94年朝鮮危機」を詳しく振り返ったのは、これがアメリカ、日本政府が有事法制を急ぐきっかけになったものであり、有事法制がなかったために戦争が避けられたというパラドックスを考えるためである。戦争になれば大変な犠牲、被害がでることが示されるなど幾多の教訓がこのケースには含まれている。
アメリカ側が先制攻撃を思いとどまったのは、戦争になれば米兵だけでな朝鮮半島で恐るべき犠牲者を出ること、兵姑基地となる日本に有事法制がなく、兵端、後方支援をできなかったことが大きな理由であった。アメリカ軍が先制攻撃して核施設をたたくことが出来ても、北朝鮮側の反撃、日本に対する反撃も防ぐことが出来ない。特に、ゲリラ、特殊攻撃隊による原発へ攻撃を加えられれば、未然に防ぐことができないし、核汚染は日本全国に破滅的な被害を及ぼす。
戦争遂行には米軍の大兵力輸送や武器、弾薬、物資の輸送に成田、関西、新千歳、福岡、長崎、宮崎、鹿児島などの主要民間空港、港湾では苫小牧ノ\戸、名古屋、大阪、神戸,水島、松山、福岡、金武湾などを日本側が提供し、アメリカ軍がその管理下におき優先使用する必要があるが、その法的な根拠(有事法制)がなかった。戦争の犠牲者、負傷者の収容や受け入れ、医療体制のバックアップ体制もなく、皮肉なことに有事法制がなかったことが米側の軍事行動を思いとどまらせたのである。しかし、アメリカは朝鮮有事の際に日本は同盟国としての役割、責任を十分はたすことが出来ないことを痛感した。
この危機からすべてが始まった。アメリカ側は九五年十二月、「同盟国としての責任を果たせ」と、千五十九項目にのぼる対日支援要求を突きつけ、さらに九六年四月には安保の対象領域を極東から「アジア・太平洋地域」に拡大した安保再定義の日米安保共同宣言に合意。九七年九月には「日本有事よりも周辺事態を日米軍事協力の中心」に位置づける日米ガイドラインを締結、それを実施する国内法としての周辺事
態法(99年5月)などの制定、有事法制へと着々と発展させ、日米同盟が『米軍の世界戦略のためのシステムの一環』へと拡大、大きく変質されていった。
アメリカ側防衛担当者は自衛隊を活用するための制約である「集団的自衛権」「有事法制」を撤廃すると言明し,アーミティジ報告(2000年)では「集団的自衛権は日米同盟協力を束縛しており、有事法制の整備が必要である」としている。
以上の流れをみると、有事法制は外国の攻撃から日本を防御する、日本有事のための備えが目的ではなく、本質はアメリカ発の有事法制であり、ブッシュ・ドクトリンで先制攻撃を高く掲げている米国が世界戦略実現のため日本に軍事協力を迫り、自衛隊を手足にして使い、日本国民も巻き添えにする性格の強いものといえよう。また、アメリカ側が突きつけた千五十九項目の対日支援要求リストが有事法制の具体的内容の根幹となっている。周辺事態法では後方支援業務での自治体、民間企業、国民の協力はあくまで要請であって強制力のないものであったが、今回の有事法制では罰則が設けられており、国民を強制的に総動員する内容となっているのである。
さて、小泉首相が北朝鮮との国交正常化交渉のトビラを開いて、粒致されていた五人の帰国を十月十七日に実現させた矢先に、北朝鮒ま八年前に結んだ米朝合意を破って密に「高濃縮ウラン施設建設などの核兵器開発を継続している」ことを認めて、今度は一転して居直り発言をしている。
再び八四年危機のパンドラの箱が開いたのである。日本のメディアの北朝鮮報道は粒致家族の帰国から一カ月が過ぎた現在でも大々的でセンセーショナルな報道が続き、国民の間に北朝鮮への強い不信感と怒りの感情を一層、ヒートアップさせ北朝鮮脅威論が拡大している。
再び同じ状況が来ようとしているが、今回は違う。「悪の枢軸国」と名指ししたアメリカはいうまでもなく、韓国側は大統領選挙で野党り\ンナラ党の李会昌(イフェチヤン)候補が当選すれば、金大中の太陽政策にかわって強硬姿勢に出るであろうし、日本側も有事法制の整備、メディア・世論の強硬論の高まりの中で、日米韓とも強い包囲網を引いている。
それだけに、軍事衝突が起こった場合に、日本への影響、被害は計り知れないと言う苛烈な現実を直視しながら、北朝鮮、米国の軍事暴発をしっかり押さえて交渉を冷静に見守る必要がある、と思う。
94年危機当時のペリー元米国防長官は「寧辺のプルトニウムより、このたび製造計画が明らかになった高濃縮ウランによる核兵器開発には時間がかかる。この時間的余裕がブッシュ政権と同盟諸国の幅広い協議を可能にする。時間はあり、外努力をするべきだ」と「ワシントン・ポスト紙」(2002年10月20日付)で主張している。
アメリカも日本もすでに戦時報道体制に突入しているのである。今こそ、日本のメディアも自分たちの報道がどのような影響をあたえているか、どのような報道に陥っているのかを自省すべきであろう。その点で、9・11同時多発テロ以降のアメリカのメディア報道がどのようになったのかは、他山の石として参考になるし、同じワナに日本のメディアも陥っているのではないかと思う。
ニューヨークのメディア監視団体「FAIR」(Fairness&Accuracyin Reporting=報道における公正と正確さ)は「メディアは権力から独立した批判勢力であるべきだ」との立場で、ニュースをモニターし、テレビ、新聞の記事に問題があった場合は電話、メールで抗議して、メディアの対応もWebサイトに掲載する。メディア評論のラジオ番組も放送している。
こうした「FAIR」などの調査でも、9・11テロで噴出した米国民の愛国心の高揚、集団的な熱情のたかまりの中でブッシュ政権への支持率は一挙に上がり、政府や戦争を批判した記者が解雇されたり、そうした言論には読者から抗議が殺到した。政府は戦時体制の中でメディアへの情報を制限し、湾岸戦争の時以上にきびしい情報統制を敷いた。政府、国民の愛国心に押されて、メディアは自己規制して、国民の知る権利に応える報道ができなかったし、自ら自由な報道を控える事態に追い込まれたことが報告されている。
「メディアは多様な意見を伝えなかった」「テロ以降の政府とメディアの関係は宮廷ジャーナリズムになってしまった」「ジャーナリズムは中立性を捨て去り戦争のチア・リーダーになった。政府の意向をオウムのように伝えた」と指摘している。そうした反省点に立って、ジャーナリズムに必要な姿勢について「FAIR」のシニア・アナリストは次の点をあげる。
①第-は正確さ(Accuracy)である。ジャーナリストが困難な状況で取材しているので、誤報がおきるのもやむをえないが、誤報は訂正されて初めて許される。
②幅広い討議(Broadrandhing Debate)の場になること。軍事報復を主張するもの、反対するもの人権擁護、国際法などさまざまな観点、視点を紹介すること。いろいろ
な意見を公平、客観的にったえる。
③背景(Context)の説明を十分行なうこと。アメリカでは国際ニュースにかんする情報が読者に十分与えられなかった。アフガニスタン、中近東の情勢について報道されていないので、テロの背景が何か知ることができなかった。
④思いやり(Sensithivity)。反アラブ、反イスラムのステレオタイプ的な考えを持った人が多い。イスラム教徒らへの襲撃事件が起こったが、メディアはこうした人たちを守ろうとする思いやりが大切。
⑤メディアの独立性が重要。ブッシュ政権をはじめ歴代政権はメディアコントロールに大変な力をいれているが、メディアと政府は対立する関係を保つべきだ。ここで指摘されている米国メディアの傾向は日本のメディアの北朝鮮報道、泣致報道でも共通した現象として見られる。同じようにナショナリズム、愛国心の高まりのなかで、センセーショナルで画一的な報道になっていないか。ステレオタイプ的な報道が目立ち、批判できない雰囲気にジャーナリストが自縛されている。-方的な主張をするメディアが目立ち、幅広い議論の場の提供という役割を果たしていないし、北朝鮮の粒致、核疑惑問題、軍事国家になぜなっているのかという背景、原因の報道が不十分であるし、相手側への「思いやり」のある報道はそれ以上にすくない。メディアの力、ジャーナリストの真価が今ほど問われている時はない。<『マスコミ市民』2002年12月号に掲載>
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