『日中韓150戦争史』(58)★「明治維新後の日朝交渉が長期に停滞した理由、「江華島事件」は起るべくして起った。
2015/01/01
『中国紙『申報』などからの『日中韓150戦争史』
日中韓のパーセプションギャップの研究』(番外編)(58)
★「明治維新直後に新政府が朝鮮に外交関係を求めた時に、
朝鮮側が頑強に拒絶、日朝交渉が長期に停滞した理由。
「江華島事件」は起るべくして起った。
<名草杜夫『右翼浪人登場―岡本柳之助の光と影』(草風社刊 昭和1980年刊)
の188-192Pによると次の通りである。
業を煮やした日本政府は、翌五年八月十八日・外務大記花房義質、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%88%BF%E7%BE%A9%E8%B3%AA
外書九等出仕森山茂・同広津弘信らに命じ、九月、春日、有功の二軍艦をひきいて釜山に赴き、交渉をやろうとしたが、朝鮮側は交渉に応じようとしなかった。このような状態が明治七年(二八七四)まで続いている。
当時日本では、参議西郷隆盛が一死をもって、この日韓関係を打開せんとして、自ら遁韓大使を志願したが、内治優先を唱える岩倉らの帰国によって沙汰止みとなってしまった。
だが朝鮮側の宮廷内では、大院君
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%AE%A3%E5%A4%A7%E9%99%A2%E5%90%9B
の堅持していた鎖国対日強硬政策も、息子の国王高宗の王妃・閔中殿の閨房の囁きである「大院君殿をそのままほっておけば、日本と戦端を開き・壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の二の舞をまねくような憂い濃厚なり」に国王は動かされて、高宗十年(明治六)11月、国王親政を宣言し、大院君の政治干与と宮廷出入が禁止され、大院君一派は追放された。
対日強硬外交を担当して大院君の腹心とされていた釜山駐在の倭学訓導安東唆が、暗行御史(中央から地方に派通されたお目付け役)に摘発され、対馬の日本人に政府米の不正処分をしたという罪名で斬刑され、東菜府使鄭顧徳と慶尚監司(知事)全世鏑らも罷免または配流されている。
明治七年五月の台湾出兵は朝鮮側に日本の実力を知らしむる絶好のチャンスであった。又、朝鮮宮延内の政変は漸く、停滞中の交渉を打開しようという動きが、朝鮮側に出始めてきたのである。
今までは日本の外務官吏が朝鮮の小通事にすら面会できなかったのに、今度は日本側と朝鮮側役人と「筆面応接」をやり、日本外務卿の書契を受けとろうと約束し、八年三月三日、倭館において別差玄済舜と森山理事官との間において外務卿の書契が渡された。(『朝鮮交際始末』)
大日本国外務卿寺島宗則、書ヲ朝鮮国礼曹判書閣下ニ呈ス・我明治元年皇上極二登り、万機親裁シ、紀綱ヲ更張シ、汎ク外交ヲ容ル、而シテ本邦ノ貴国卜隣誼旧アリ、疆土相違ナル、蓋シ是唇歯ノ国、宜ク更二懇款ヲ敦クシ、緩寧ヲ撥ルベシ・勅ヲ奉ジ、書契ヲ修シ、特二理事官森山茂、副官広津弘信ヲ派シ、明カニ本邦盛意ノ在ル所ヲ告グ、貴国ソレ之ヲ諒セヨ、萬ヅ使ノロ陳二委ス、不宣。
明治八年一月 日
外務卿 寺島宗則
明治元年十二月大修差使正官樋口鉄四郎が訓導安東唆に会見以来、六年半ぶりでやっと日本側の文書が受理されたのである。この様に長期に亘る交渉で、日本側もその原因は大院君の鎖国排外主義のみではなく、朝鮮の社会制度の相違からであるということを理解した。
本来、日本側の好意的な将軍慶喜の開国調停が、こじれて誤解を生み、更に新政府の王政復古通告が、朝鮮側の日本軽視の差別感情がこれを阻害したのであって、両国にとっては、まことに不幸なことであった。日本側としてはその不信感は残った。
いよいよ日本側代表と、東莱府使の接見するの段階になって、その打合せで、当日の日本側代表の洋式大礼服着用と正門通行を拒否したことで・双方とも形式論にこだわり、再びこじれている。
この時、森山理事官は四月十五日広津副官を東京に派遣して、デモンストレーションのために軍艦の出動を要請する「軍艦ヲ発通シ対州近海ヲ測量セシメ以テ朝鮮国ノ内証:乗シ以テ我声援ヲ為ンコトヲ請フノ議」を上申している。
朝鮮の宮廷内における権力斗争というものは、想像に絶する陰険、陰惨にして、その手段方法を撰ばない露骨なものであった。大院君と王妃閲妃との葛藤についても後述するが、高宗十二年(明治七)二月、閔妃(ミンぴ)に二度目(長子は病死)の王子<拓>が誕生した。しかし拓は病弱であったが、
翌年1月元旦に拓を世子とせんとして、左議政李最応を世子伝に、李裕元を世子冊封都監に、宗近沫・金柄徳を左右賓客に任命し、その体制を固めようとした。処が朝鮮の上図である清国では、嫡・庶の関係よりも、長・幼(兄弟)の序列にしたがって、八才になった宗和君を世子に認可しようとする公算が大であった。
そこで李裕元は密かに釜山滞在中の、日本の花房義質(外務大記)を訪ねて、国交修好を条件に、駐清日本公使副島種臣を通じ、北京の靖国政府の要路にコネクションを持つことに成功している。
倭学訓導安東唆はこの秘密の内幕を探知して、それを告発しているが、逆に、日本人に政府米を構流しした科で死刑に処せられ、東莱府使鄭顕徳は文川に流刑となった。
安東唆らはそれまで日本の外務省官吏を代表として認めず・飽までも宗氏にこだわって日本人との交易で利益を得ていたのである。
森山らのこの上申は変形された征韓論であると後世史家に指摘されるが、尊大ぶって形式論に終始して、裏面では国父修好を条件に自派のために日本の協力を要請するという醜い争いを続けている彼等には、森山は日本の力を見せつける以外に有効な手段はないと思ったのである。
外務省当局もその必要を認めているが、とりあえず、外交手段により当初の目的を達すべしと追加訓令をしている。
だが、朝鮮の宮廷内では、少数であるが日本国制改革の結果として書契の改革も当然であるとする意見や、日本が修好を主とする限り我が方においてこれを拒否する理由はないと主張するものがあったが、大多数は旧格を変更することは不可であるが、さりとて日本と正面衝突は避けなければならないというだけで具体案はない。この様な状態であったから、東莱府使に対する訓令も往々相矛盾し、府使・訓導においても、ただ手をこまねくことが多かった。
明治八年七月三日、森山理事官は広津副官 を上京せしめ、現状では外務省の追加訓令は実施することは不可能であり、最早、寛猛の二手段しかない。自分たちの意見はむしろ猛の方であり、即ち、日本側代表の本国引揚げしかないという報告であった。
朝鮮側では、事ここに至らしめた責任は・東莱府使黄世淵にありとして、国王はその職を免じ、懲戒処分に附している。
昭和十五年朝鮮総督府編による『近代日鮮関係の研究』では、この時の森山理事官の外交政策を批判して、次の如く述べている。
「森山理事官にして、若し、朝鮮の政情を理解し、明治八年二月外務卿追加訓令の趣旨をも考慮して、別通堂上訳官と会見し、書契呈納の便法を講じたならば・日韓国交調整の端緒は此に開け、江華島事件の発生が避け難かったにもせよ、爾後全く異った経過を取ったであらう。明治六年日韓関係停頓の責任は、全く朝鮮に帰属する。だが明治八年九月の日韓関係再停頓の責任は、日本もまたその一半を頒たなければならない。
森山理事官は明治八年九月二十日帰朝の命を受け、同二十二日釜山を出発した。訓導玄昔運、之を開き、公館に来到して、理事官の出発過早なるを遺憾としたと云ふ。」
戦前の政府関係文書にしては、仲々、手さびしい批判である。「江華島事件」は起るべくして起ったのである。
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