クイズ>国難の研究―誰が日本を潰したのか・東郷平八郎が日米戦争反対の海軍軍令部長をどなりつけた開戦のトラウマ
2015/01/01
<クイズ>国難の研究―誰が日本を潰したのか
日本海海戦で完勝した聖将・東郷平八郎が日米戦争に反対の海軍
軍令部長をどなりつけた。これがトラウマとなり、昭和16年の開戦
決定の海軍賛成につながった『歴史秘話』。
軍令部長をどなりつけた。これがトラウマとなり、昭和16年の開戦
決定の海軍賛成につながった『歴史秘話』。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は昭和戦前の新聞界きっての海軍記者・新名丈夫(毎日新聞)の東郷平八郎の功罪、老害についての秘話である。歴史の因果関係、歴史上の人物の表裏、功罪を知る上で、大変参考になる。いま、第3の敗戦に当たって、かって戦後復興、経済発展を担ったトップが政財官、マスコミ界、学会の長老組となって、居座って保守老害化して、国を誤らせているケースが再び繰り返されている。
新名丈夫『秘録大東亜戦争、開戦太平洋編』(富士書苑1954年)より、>
神様でなかった東郷元帥
1931(昭和)年9月満州事変がひきおこされた当時、ある日のことであった。
谷口尚真(たにぐち なおみ)大将は、
「満洲事変を、ひきおこしてはならない」と、事件に反対していた。それにたいして東郷元帥が海軍省に出むいて行って、どなりつけたのである。
谷口大将は主張した。
「満州事変は結局、対米英戦争となるおそれがある。それにそなえるためには軍備に35億円(当時)を要する。日本の国力ではこれはまったく不可能なことである」というのであった。
東郷元帥は烈火のように怒った。
「そんなことをいうなら、軍令部は毎年作戦計画を陛下に奉っているではないか。いまさら対米戦争ができぬというならば、陛下に嘘を申しあげていたことになる。また、東郷も毎年この計画に対し、よろしいと奏上しているが、自分も嘘を申しあげたこととなる。いまさらそんなことがいえるか」
東郷元帥のいうことはまったく理屈にならぬ屁理屈であった。軍令部とか参謀本部が毎年作戦計画をたてて御裁可を受けるのは、万一にそなえるための単なる平時の計画にすぎないのであって断じて戦争計画ではない。
ことはどこの国でもおなじである。
東郷元帥の、あまりといえば、あまりの暴論に、谷口軍令部長はあつけにとられて、黙ってしまった。
東郷元帥の怒りは、ほんとうは前の年のロンドン軍縮のときのいきさつから出ていた。東郷元帥は非常な強硬派であったが、谷口大将は条約派であった。強硬派の軍令部長の加藤寛治が帷幄上奏(いあくじょうそう)まで決行して、辞職したあとを、谷口が部内をおさえ、外部の策動にも動かなかった。
いらい谷口と加藤の対立は尖鋭化していた。
加藤はたえず東郷元帥に谷口の悪口を訴えていた。元帥はこれに動かされ、谷口は何事にも弱いと非難していた。
東郷元帥の、谷口にたいする腹いせが転じて海軍の平和主義にたいする痛罵となった。アメリカにたいして戦争ができぬというのか、という悪罵になった。もし、そうなら、毎年うそいつわりの作戦計画をつくり、それを奏上していた責任をおうて、大臣も部長も腹をきれ、自分もその際をきろう、というのである。
相手は、日本海軍で神様のような存在の東郷元帥であった。なんびとも東郷に反対することはできなかった。批判することさえできなかった。東郷平八郎は絶対であった。元帥の叱咤-東郷元帥のこのときのことばが、ついに日本海軍をあやまらせ、ひいては日本を亡ぼすものとなってしまったのである。
満州事変にも、その後の支那事変にも、三国同盟にも、さらには太平洋戦争にも、海軍はなぜ反対をおし通すことができなかったか、国民の疑問とするところであるが、その根本はここからきていた。海軍は戦争はできぬ、ということがいえなかったのである。海軍は戦争はできぬという言葉が、このときいらいタブーになってしまった。
第三次近衛内閣の和戦決定のとき、陸軍は海軍にたいして、海軍は戦えぬといってくれ、と申し入れたのにたいし、海軍がついにそれをいえなかった根本は遠くさかのぼって、この東郷元帥の一喝からきている。東郷のことばはそのまま部内のタブーとなっていた。そして、十年後の第三次近衛内閣の海相・及川古志郎の頭を支配していた。
単に、戦えるか、戦えぬかを割切らなかっただけではない。責任のがれも考えたのである。
和戦決定の重大問題に直面しながら、海軍部内では、軍令部も海軍省も、近衛から下駄をはかせられるな、ということをいった。
そして、及川海相は近衛首相にたいし、
「海軍によって陸軍をおさえ得ると思われているかもしれないが、閣内一緒になっておさえなければだめである。総理が陣頭に立たなければだめである」
という態度にでた。荻外荘(てきがいそう)会見の2日前、鎌倉の近衛の別荘に、及川海相が呼ばれたときのことであった。
東条陸相から海軍にたいし申し入れがあったとき、海相は「海軍として返事すべきではない。首相が解決すべきものである」と逃げたのである。
「なぜ、男らしく、戦えぬといわなかったのか いかにも残念である」 と新名は痛切に思った。-
太平洋戦争が惨敗に終った年の幕から翌年にかけて、海軍で生き残った最高首脳者が何回も集まって戦争を検討する会を開いたとき、井上成美大将が及川大将に食ってかかった。
「全責任は私にある」
及川大将は答えた。そして、それがいえなかった二つの理由をあげた
第一が満州事変当時の東郷元帥のどなり込みであった。
第二には「近衛に下駄をはかせられるな」という部内の論であった。
東郷元帥は日本海海戦の英雄ではあったかもしれないけれども、元帥の言動は日本海軍には大きなわざわいをなした。
ロンドン軍縮のとき、元帥は海軍の最長老としては、海軍の軍紀-軍は政治に干与すべからずーということについてこそ、発言すべきであるのに、単純な元帥は部内の一部のみか部外の策動にのり、事態を紛糾させて、非常な問題を起した。
ロンドン軍縮のとき、元帥は海軍の最長老としては、海軍の軍紀-軍は政治に干与すべからずーということについてこそ、発言すべきであるのに、単純な元帥は部内の一部のみか部外の策動にのり、事態を紛糾させて、非常な問題を起した。
第二次世界戦争の発火点となった満州事変にさいしても、前途を深憂する首脳者にたいして、かくのごとき言動をし、それがついに太平洋戦争の開戦にまでひびいた。
さらに、さかのぼっていえば、そもそも日本海海戦というものが、いかにも東郷艦隊の猛訓練で鍛えられた百発百中によって、ロシア艦隊を盤破したように宣伝され、訓練ということが日本海軍の神話にされ、ワシントン軍縮のときも東郷元帥は、訓練に制限なしと叱咤したものであるが、東郷を英雄たらしめた当の日本海海戦は、実は決して訓練だけによって敵を撃渡したのではなく、科学によって勝ったのである。
日本艦隊の大砲の照準装置には、レンズが入っていたのに、ロシア艦隊はクロス・へアの照準器しか持っていなかったからなのである。その事実をいわずして、ただ精神をいったのであった。
ことはネルソンの場合も同じである。一八〇五年十月二十一日、トラフ7ルガルの海戦でネルソソはフランス艦隊を撃減し、ナポレオンをして、永久に英本土上陸を断念させ、いらい今日にいたるまで世界海軍の英雄にまつりあげられているが、かれの勝利も、たまたま英艦隊が風上にあって敵と会したことが、決定的な勝因であったのだ。
だが、それはいわれずに、ただ、ネルソン功だけがたたえられた。科学がすべてである近代の海戦において、科学によって勝利を得た艦隊司令長官が、神様あつかいをされていたところに、歴史を間違えて国民を誤まらせた悲劇がある。
<新名丈夫『秘録大東亜戦争、開戦太平洋編』(富士書苑1954年)より、>
関連記事
-
-
終戦70年・日本敗戦史(119)日清戦争は日中韓認識ギャップ(思い違い)の対立で東学党の乱から日清出兵⑥
終戦70年・日本敗戦史(119) <世田谷 …
-
-
『Z世代ための異文化コミュニケーション論の難しさ②』★『日本世界史』-生麦事件、薩英戦争は英国議会でどう論議されたか②ー<英国「タイムズ」の150年前の報道><日本の現代史(明治維新からの明治、大正、昭和、平成150年)は 日本の新聞を読むよりも、外国紙を読む方がよくわかる>
2019/11/08 『リーダーシップの日本近現代史』(1 …
-
-
「今、日本が最も必要とする人物史研究②」★『日本の007は一体だれか』★『日露戦争での戦略情報の開祖」福島安正中佐②』★『日露戦争の勝利の方程式「日英同盟(日英軍事協商)」締結への井戸を掘った』
2015/03/10 日本リーダーパワー史(552)記事再録 前坂 …
-
-
『オンライン講座・延々と続く日韓外交衝突の研究』★『2012年8月、野田首相の親書の発信とその受け取りをめぐって拒絶、つき返す、外交的非礼に反発応酬の後進国同士のようなニワトリケンカ外交が続いた」★『160年前の明治新政府の最初の李氏朝鮮(韓国・北朝鮮)との外交交渉でも日本親善大使の拒絶、親書拒否に対して、日本は反発、敵意をエスカレートしたのと同じケース」を今も繰り返している』
2012/08/24 日本リー …
-
-
『オンライン/米中日アジア現代ing講座』★『米国の香港国保法への対中制裁<経済金融為替封鎖・5Gファーウェイ締め出し>は戦争に発展するのか』★『2018/12/25 記事転載」歴史は繰り返すのか!『現在の世界情勢は1937年8月の「米欧情勢は複雑怪奇なり」(1939年=昭和14年)と類似』★『この1週間後にドイツ・ソ連のポーランドの侵攻により第2次世界大戦が勃発した★『日本は<バスに乗り遅れるな>とばかり日独伊三国同盟を締結、1941年12月、太平洋戦争に突入する』
2018/12/25   …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史]』(20)人気記事再録/日本海軍のゼロ戦(戦闘機)のエースパイロット,で200回以上を出撃し、敵機64機を撃墜した日本の『撃墜王』世界最高のパイロットであった。『 生死をこえる究極の心得とは・・撃墜王・坂井三郎の話
2010/07/18 / 日本リ …
-
-
日本リーダーパワー史(39)『日本敗戦の日、森近衛師団長の遺言<なぜ日本は敗れたのかー日本降伏の原因>
日本リーダーパワー史(39) 『日本敗戦の日、斬殺された森近衛師団長の遺言 &n …
-
-
『各国新聞からみた日中韓150年対立史⑤』「1882年、中国は琉球問題で対日戦争準備を進めた」と英『ノース・チャイナ・ヘラルド』⑤
『各国新聞からみた東アジア日中韓150年対立史⑤』 & …
-
-
記事再録/知的巨人たちの百歳学(135)-勝海舟(76歳)の国難突破力―『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』(これこそ今の1千兆円を越える債務をふくらませた政治を一喝、直ぐ取り組めという厳命)
2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350) ◎明治維新から150年- …
-
-
★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊼★『児玉源太郎のインテリジェンス』★『袁世凱と太いパイプを持つ青木宣純大佐に満州馬賊団を起して鉄道破壊のゲリラ部隊の創設を指示』●『青木大佐と袁世凱の深い関係』
★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した 明治人のリーダーパワー,リス …