片野勧の衝撃レポート(74)★原発と国家―【封印された核の真実】⓾ (1974~78)ー原発ナショナリズムの台頭■カーター米大統領の核拡散防止政策
2016/04/16
★原発と国家―【封印された核の真実】⓾
(1974~78)ー原発ナショナリズムの台頭
片野勧(ジャーナリスト)
■カーター米大統領の核拡散防止政策
「核拡散の危険を防止できるという十分な結論が得られるまで、使用済み核燃料からのプルトニウムの再生・抽出を行うべきではない。原子力平和利用の需要国が、今後相当な期間、国内での再処理またはウラン濃縮活動の確立を中止することを歓迎し、また、あらゆる国が米国とともに、少なくとも今後3年間は、再処理、濃縮の技術と施設の移動をできる限り制限し、その輸出または契約を行わないようにすることを要請する」――。(『週刊朝日』1977/4・8、「“日米原子力戦争”の内幕」、以下同)
この声明は1976年、米大統領選挙戦も最終段階を迎えていた同年10月28日、ジェラルド・R・フォード大統領が発した「原子力政策に関する声明」である。しかし、この政策は対立候補のジミー・カーター候補(当時)の政策だった。サンディエゴでのカーター候補の選挙演説。
「世界中に核が拡散されようとしているのに、フォード政権は何もしていないにひとしい」と激しく攻撃した。
また10月初めにサンフランシスコで行われたフォード、カーター両候補のテレビ討論でのカーター発言。
「私は原子力技術者として原子力の限界とそのおそろしさをよくわきまえている。私が大統領に選ばれた場合第一にやることは、原子力の拡散を防ぐことだ」
カーターは米海軍核武装化の父といわれるハイマン・リコーバー提督の下で青年海軍将校を務めた経験があり、また海軍兵学校を出てから原子力潜水艦ノーチラス号に乗り組んでいたことから核問題に精通していた。
そんなカーター候補に押され気味だったフォード大統領が、カーター政策を取り込んで巻き返しに出たのが、冒頭の大統領声明だった。大統領選挙の結果はカーター候補が当選した。新大統領になったカーターは再処理及びプルトニウムのサイクル、高速増殖炉の商業化の延期を決めたのである。
カーター大統領を原子力の核拡散防止へ突き動かしたのは1974年、インドがカナダから輸入した発電用原子炉の核燃料燃えカスから、プルトニウムを取り出して、原爆実験をやってのけたからと言われている。
それ以来、原子力の軍事利用と背中合わせの平和利用の拡大に伴う核拡散への恐れに、米国は急に神経質になったのだろう。原子炉で濃縮ウランを燃やすと、使用済み燃料のなかからプルトニウムが再生でき、これは簡単に原子爆弾の材料になる。当然、米国は日本の再処理を押しとどめようとして、核拡散防止を要請してきたのである。
■資源小国の日本は原子力平和利用に期待
日本では1977年6月から7月にかけて、茨城県東海村にある使用済み核燃料の再処理工場(動力炉・核燃料開発事業団)が、ようやく運転開始にこぎつけようとしていた矢先に「核の再処理問題」が米国側から飛び込んできたのだ。
一方、日本では田中角栄の失脚後、「クリーン三木」、すなわち三木武夫(故人)が首相の座に就いたものの、少数派閥の悲しさで自民党の圧倒的多数から引きずり降ろされ、田中のライバルだった福田赳夫が首相を継いだ。1976年12月24日である。
福田は田中とは対照的に東大から大蔵省(現・財務省)という典型的なエリート官僚出身の政治家である。第80回国会における施政方針演説(1977年1月31日)で福田首相はこう述べた。
「国民経済、国民生活から考えて最も大事なことは、資源エネルギーの確保と科学技術の振興の問題であります。これらの問題は、資源小国であるわが国にとって、国の存立と発展にかかわるものであり、まさしく、安全保障的な重要性をもつものであります。政府は、原子力を含むエネルギーの安定供給確保、省エネルギー対策等総合的な資源エネルギー対策のほか、宇宙、海洋開発をはじめとする各分野の科学技術の振興対策を強力に推進してまいります」
刻々と迫る日本のエネルギー危機に対して、福田首相は原子力を含むエネルギーの安定供給の必要性を強調したのである。しかし、アメリカ側から“待った”をかけられたのだから、日本政府は慌てた。
当時、科学技術庁(現・文部科学省)長官の宇野宗祐(原子力委員長)は、まずカーター大統領の核政策の真意を探るため、井上五郎原子力委員長代理を長とする使節団をアメリカに派遣した。一行は1977年2月18日から約10日間、フライ・エネルギー研究開発庁(ERDA)長官代行らと会談し、日本側の考えを伝えた。
同年3月9日から11日までの3日間、日本では「日本原子力産業会議(原産)」の年次大会が行われた。その席上、宇野原子力委員長は核不拡散の重要性を認めつつも、「核拡散防止措置のために、原子力の平和利用が妨げられてはならない」といい、「わが国の国情に合致した核燃料サイクルの確立が、今後の国際的な動きによって阻害されることのないよう最大限の努力をしていく」と述べた。
また原産の有澤広巳会長は、さらに進んで核不拡散と平和利用の両立の方策として、「国際的なプルトニウム・センターの設立と、余剰プルトニウムを国際管理下におく構想」を提唱した(日本原子力産業会議編『原子力は、いま』上、丸ノ内出版)。
宇野原子力委員長や有澤原産会長の提言は当時のわが国のエネルギー政策の基本的方針を示すもので、経済界もマスコミも賛意を表明した。「エネルギー資源に乏しいわが国にとって再処理、プルトニウム利用は不可欠であり、アメリカおよび関係国に対してあらゆる外交努力を払うなど万全の措置を講ずるべきである」と。
■福田・カーターの日米両首脳会談
こうした原子力ナショナリズムが台頭する中、1977年3月、福田は首相になって初めて米国を訪問した。カーター政権は、その年の1月にスタートしたばかりだった。2日間にわたるワシントンでの首脳会談の議題は極めて多彩なものだった。その議題のなかに「核の再処理問題」も入っていた。
資源エネルギー問題は、日本にとって常に緊要な問題である。エネルギー需要の8割近くを石油に頼り、その石油の99%以上を輸入している無資源国日本にとっては、まことに厳しい話である。そこで日本は石油に代わるエネルギー源として原子力発電を進め、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出そうとしていた。
このプルトニウムをさらに効率的に使用できる転換炉(ATR)、高速増殖炉(PBR)を開発し、これらを放射性廃棄物の安全処理で締めくくる「核燃料サイクル」の確立に向かって、歩み始めたところだったのである。
ところが、1974年5月のインドの核実験以来、内外にわたって核不拡散政策を強化していたアメリカから“待った”がかかってしまった。アメリカの政策変更は日本にとって寝耳に水。福田・カーター両首脳会談の焦点になったのはいうまでもない。
カーター大統領はプルトニウムの核燃料再処理は不経済と断じ、米国も含めて従来の核燃料サイクルの考え方を変えて、代替サイクルを選ぶべきだと主張する。
他方、福田首相は、すでに国策として1960年以来、進められてきた東海再処理工場は立地計画・設計・工事の長い期間を経てようやくウラン・テストも終え、試運転を行う矢先だっただけに、カーターの主張を飲むわけにはいかない。
福田さんの回想。
「カーター大統領は就任早々、核の平和利用については大変厳しい姿勢を打ち出していた。特に核廃棄物すなわち使用済み核燃料の再処理は他の国に対しても認めない、という方針を打ち出そうとしていた。しかし、日本は既に茨城県東海村の核燃料再処理工場の計画を進めていたから、これをどうするかということが会談の大きなテーマになった。結局これは、私も強く主張した日米間の話し合いによって従来通り再処理を認めるという方向が後に導き出された」(『回顧九十年 福田赳夫』岩波書店)
1977年4月にスタートした日米再処理交渉から約3カ月後の7月12日。米駐日大使マンスフィールドはバンス国務長官に極秘電文を送った。「将来の日米関係のために妥協が必要である」として、東海村に建設中の核再処理施設の稼働を認めるようカーター大統領に要請した。
カーター大統領は再処理施設反対の強硬姿勢を直ちに転換し、大使の電文の右端上に「私自身が対日譲歩の決定を促進するとマンスフィールドに伝えなさい」と手書きし、バンス国務長官に返したという(ドン・オーバード―ファー著『マイク・マンスフィールド』菱木一美・長賀一哉訳、共同通信社)。
福田は1978年5月3日、ワシントンでカーター米大統領と就任以来、2度目の日米首脳会談を行った。ここでもエネルギー問題が話し合われた。福田首相の述懐。
「その典型的なものが、核融合などの基礎研究のための共同基金創設の提案である。これは日本側から米国側に積極的な提案を行ったという点で、非常に稀な例であったと思う。直ちに商業的利益につながらないエネルギーの分野における基礎研究を、資金の面でも、科学者の貢献の面でも共同で作業をする」(同)
1973年のオイルショック後の世界の関心事は新しいエネルギー開発に集まっていた。「資源有限時代」を唱えていた福田は、そういう観点からエネルギー分野の具体的プロジェクトとして核融合の基礎研究を選んだのだろう。
■日米交渉を担当した元外交官
私は当時、再処理の日米交渉を担当されていた元外交官の2人にインタビューした。その1人が矢田部厚彦さん(86)である。矢田部さんは科学課長として核拡散防止条約への参加交渉を担い、当時の原子力と核をめぐる議論に精通していた人物で、私は是非ともお会いしたいと思っていた。だが、矢田部さんは高齢のために直接会って取材はかなわなかった。しかし、事前にメールしていた私の質問に対して丁重なご返事をいただいた。
矢田部さんは1929年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、1952年外務省に入り、駐ヴェトナム、オーストリア、ベルギー、フランス各大使を経て、1994年退官。主要著書に『核兵器不拡散条約論――核の選択をめぐって』(有信堂)『職業としての外交官』(文春新書)ほか。
――カーター大統領は原子力の核拡散に懸念を表明し、核拡散防止を主張されたが、それに対する福田首相の対応は?
「カーター政権の所謂、新不拡散政策に危機感を持ったのは、福田内閣というよりも原子力産業界・財界です。当時は、石油危機の後遺症で、エネルギー問題が世界的に関心の的になっていた時期で、原子力エネルギーの将来性に対する期待は大きかった。財界は、核燃料サイクルの完結を課題としていた。そこでプルトニウムが問題になり、アメリカは日本や西独の原子力政策にタガを嵌めようとした。日本が反発したのはそのためです」
日本の外交を長年にわたってリードしてきた元外交官の明瞭な論理と明察さが心に響く。
■なぜ、日本は核武装を疑われたのか
――なぜ、そのころ日本は核武装を疑われていたのか。矢田部さんの答え。
「日本の核武装が疑われたのは、日米安保条約が日本の世論で反対が多かったからです。日米安保に反対するなら、日本の安全、独立のためには核武装を自分でするしかないじゃないかという単純な論理です」
――北東アジアの非核化については? 矢田部さんの長文の回答を紹介する。
「中国が核兵器国で、北朝鮮まで核を持っているという現実を念頭に置けば、北東アジアの非核化は夢物語でしょう。しかし、安全保障問題を考える場合、中国と北朝鮮の核兵力の存在は、どうしても与件として考えなければならない。では、それに対応するには、日本も、核武装しなければならないのか。それは賢明ではない。とすれば、日本の安全のためには、日米安保条約による米国の抑止力に頼るほかはない。しかし、抑止力には、信頼性の存在が必須不可欠である。
そのためには、日米間の相互信頼関係を強固にし、日本を核攻撃したら、米国から核による反撃を受けることになると、中国、北朝鮮に思わせておかなければならない。それには、日本自ら、相応の努力が不可欠である」
外交は、まず現実を受け入れ、そこから始めるしかないのか。さらに尋ねた。
――日本の原子力発電についてのお考えは?
「日本が発展的な経済力と国民生活に必要なエネルギー需要を満たしていくためには、原子力発電は必要でしょう。問題は、その安全性を維持強化する必要です。それは、国民の叡智の問題です。ダイナマイトと同じです。科学的進歩には、常に『負』の側面がある。それを馴化(じゅんか)していくのが人間の叡智というものでしょう。私は、それを信じたい」
――最後にアジア諸国の原子力開発について。矢田部さんの回答。
「アジア諸国に原子力発電が増加する現実は、望ましいことではない。私は、人間の叡智という面では、日本人は、中国や北朝鮮より優れていると信じます。アジア諸国は、日本の技術と日本人を信用した方が賢明だと思います」
42年間、日本の国を代表して外交の修羅場をくぐり抜けてきた人の言葉は重い。
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