片野勧の衝撃レポート㉔ 太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災 ー第4の震災県青森・八戸空襲と津波<中>
太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災
『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』㉔
第4の震災県―青森・八戸空襲と津波<中>
片野勧(ジャーナリスト)
八戸要塞跡から何を学ぶか
「八戸の戦跡を見ますか。防空壕も残っていますよ」
八戸市吹上に住む笹垣茂美さん(77)に、こう尋ねられた。笹垣さんは元八戸市役所職員で、10歳のとき終戦を迎え、戦争の悲惨さを体験していた。教室には軍人勅諭が掲示され、宮城に向かって唱和する授業が日課だった。私は何のためらいもなく、答えた。
「もし、許していただけるのなら、是非、行きたいですね」
私は一人の男性から八戸の戦跡情報を得るとは思ってもいなかった。私はレンタカーを借りて笹垣さんの案内で小雨のなか、国道340号線沿いの八戸高校を過ぎ、緩やかにカーブを描いた急な坂道(通称、のぼり街道)を上っていった。眼下に街並みが広がっていた。
その付近には複数の陣地跡があった。八戸要塞跡である。図南小学校南側の対米戦車用の落とし穴や天狗沢(現・ゴミ処分場)のコンクリート製弾薬庫(トーチカ)が数個、散見された。番屋小学校(数年前廃校)から是川差波地域に向かう山間地にも多くのトーチカがあった。
山間地の突端には太平洋上から侵入する敵機を監視できる精巧な要塞が、当時のまま眠っていた。この要塞は、1944年(終戦の前の年)、戦局が悪化し、米軍の上陸が想定されたため、つくられたものだ。この要塞をつくるために、旧制中学生や女学生ら、北東北から延べ約98万人が動員されたといわれている。
たとえば、是川字雨溜二十の防御陣地。新井田川の砂、砂利などを使用し、セメントと混ぜ、型枠に流し込んだもの。その案内板には、こう記してあった。
「その当時、差波部落とこの雨溜地区に軍部一個中隊が駐屯して、地元の人たちをはじめ岩手、秋田、山形など近県より主に職人たちが集められ、さらに学徒動員による資材運搬等の協力を得て、構築完成させるも、一度も使われる事無く終戦となった。周辺にはもっと大きな防空壕が何箇所もあったが……(中略)、私の家では売却せず、幸いにも他二箇所も現存しており、戦時史を語る遺産として後世に伝えていきたい。
平成20年6月吉日
八戸市是川字差波 差波紀一」
戦争遺跡は平和の価値と未来への指針
日本が関わった近・現代の戦争遺跡は国内外に数十万を超えると言われている。
その戦跡を大別すると、次の3つのパターンに分けられるという。1つ目は、原爆ドームのように史跡指定されているもの。2つ目は、陸海軍の建物。たとえば、自衛隊基地の兵舎などに使用されているもの。3つ目は、壊されずにそのまま残っているもの(安島太佳由『日本戦跡を歩く』窓社)。八戸要塞跡は3番目の壊されずに残っている戦跡に入るだろう。
八戸要塞跡の戦争遺跡は是川字雨溜二十の防御陣地跡に見られるように、多くが個人の力で保存されているのだろう。しかし、私は思った。「戦争遺跡の保存は個人の力では限界がある。もっと行政が手を差し伸べてあげるべきではないのか」と。
八戸市櫛引山田の防御陣地も見た。森に囲まれた戦闘用の陣地である。これらの戦争遺跡は近・現代史研究にとっても、また歴史教育や平和学習にとっても欠かすことのできない平和の証人(語り部)である。その保存は明日への指針となるものだ。
しかも、戦争体験者は年々、少なくなり、戦争の記憶は「ひと」から「もの」へと、確実に移行しつつある。歴史の証人でもある戦争遺跡を失えば、現在の平和の価値や未来への指針も分からなくなる。
今、戦争をゲーム感覚で捉える若者が増えている。政治家の中にも過去の戦争犯罪を隠ぺいして戦争を美化し、自衛隊と国防の強化を唱える人々もいる。国家主義の台頭である。われわれは歴史の証人としての戦争遺跡から戦争とは何か、平和創造はどうあるべきかを学ばなければならない。
3・11後、東日本大震災の被災地で被災を象徴する船や建物を撤去すべきかどうかの議論が起こっているが、もし震災被害のモノを撤去したら、100年後にはこの大震災の記憶は消え去ってしまうだろう。再び同じ悲劇を繰り返さないためにも、震災遺跡を後世に残さなければならない。
戦争の記憶も同じだ。アジア太平洋戦争の「生きた証人」である戦跡を消滅させることは、同じ過ちを繰り返すことを意味する。そのためにもボランティア団体だけでなく、各地の自治体などの行政も戦跡保存に取り組むべきではないのか。
戦没者慰霊碑(英魂之碑)の前に立って
私は笹垣さんの案内で八戸市の東霊園も訪れた。霊園内にある戦争で亡くなった出征兵士、2千人以上の名が刻まれた戦没者慰霊碑(英魂之碑)を見るためである。慰霊碑には集落ごとに名前が刻まれていた。慰霊碑の前で笹垣さんは語った。
「戦争末期、八戸市のセメント工場や鉄橋、飛行場など米軍の艦載機による空襲を受け、一般の住民にも多くの犠牲者が出ました。しかし、犠牲となった民間人の慰霊碑は建立されていません」
私はこの話を聞いていて、激しい憤りを感じないわけにはいかなかった。なぜか。それは空襲死者が闇に葬られているからだ。大規模な空襲を受けながら、慰霊碑の一つもないとは……。
一方、外地での戦死者に対しては靖国神社に神様として祀られ、総理大臣をはじめ、国会議員が毎年、参拝している。戦死者のための千鳥ケ淵墓地もあり、東京都戦没者霊園もあり、慰霊祭も執り行われている。
しかし、空襲で亡くなった死者には何もない。約10万人の身元不明になった遺骨がありながら、東京には納骨堂もない。これは死者に対する冒涜である。国家として無責任な行為であり、道義的にも許されないことだろう。
同様に八戸市にも空襲死者に対する慰霊碑がないという。一体、なぜなのか。空襲の惨禍を歴史から消そうということなのか。それとも、戦争を美化し、都合の悪い民間犠牲者を抹殺しようとするのか。
東日本大震災の取材を通して、私の中に再び蘇った68年前の光景と恐怖。死者たちは何を告げようとしているのか。今、あらゆる分野で利権を握る一部少数派(政治家、官僚、経営者)が情報を左右し、「物言わぬ多数派(庶民)」を取り込み、政治を動かしているのは、戦争時とそっくり。この構造を変えない限り、日本は再び、同じ過ちを繰り返すだろう。
撃沈された海防艦「稲木」
私は国指定天然記念物にもなっているウミネコ繁殖地として知られる八戸市鮫町の蕪島の頂にのびる階段を上がった。そこに蕪島神社があり、近くに「海防艦稲木之碑」が建っていた。台座にはこう書かれていた。
「昭和20年8月9日八戸港内に仮泊中の海防艦稲木は来襲せる米38機動部隊の艦載機群と交戦勇戦敢闘遂に沈没す」
海防艦とは戦争末期、物資等を輸送する船団の護衛にあたった艦船のこと。艦船「稲木」は昭和20年7月、大湊港を出港、三陸方面に向かう途中、仮泊した蕪島沖で米軍艦載機大編隊の攻撃を受け、3時間の戦闘の末、撃沈され、死者29人、重傷者35人にのぼったと言われている。
海防艦「稲木」。防波堤に次々と倒れる血まみれの水兵。手足を吹き飛ばされた負傷者を命がけで救助する地元漁民や看護師。その日の朝、八戸港蕪島沖は血の海だった。
蕪島を基点に南東にのびる大久喜までの海岸一帯を「種差海岸」という。国指定の名勝にもなっており、なかでも海に突き出た「葦毛崎展望台」は人気のスポット。雄大な太平洋と変化に富んだ美しい海岸線を一望でき、季節にはたくさんの観光客が訪れるという。
「ここは戦争末期、旧日本軍のレーダー基地でした。飛来する米軍機をキャッチしたと言われているところです」
笹垣さんがきっぱりと言い終えて、崖下を見ると、荒々しい岩石の数々。そこへまるで幾頭ものの獅子が、たてがみを振り乱して襲いかかるような波。「3・11」――。津波が襲った時も、こんな波だったのだろう。一列に整然と隊列を組んで攻めあげるような……。その波を見ながら笹垣さんは、
「自然に対して人間はもっと謙虚にならないといけませんね」
と、日本人は自然をおそれ、慈しむ穏やかな自然観に立ち返るべきだと言った。
連続テレビ小説「あまちゃん」
大野セツ子さん(82)にカメラを向けて、「はい、じぇじぇじぇ」。「じぇ」とはびっくりした時の方言。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」に登場する「北の海女」の中でたびたび使われて、流行語になった。
モデルは岩手県久慈市の小袖地区だが、ここは八戸市小中野。八戸と久慈を結ぶ八戸線は、テレビ小説「あまちゃん」人気にあやかって、いつも満員。その八戸線沿いに大野さんの家はある。大野さんは毎日、楽しみに「あまちゃん」を見ているという。
「戦時中、ここにも海女さん、いたんだよ。憧れてたよ。小さいころから新井田川さ潜ってたよ。大きくなったら、海女さんになろうと思ってね」
大野さんはよく笑う。親戚や仲間同士だけでなく、突然、取材にやってきた私とも冗談を交わし、笑う。
ところが、戦争の話になると、とたんに笑顔が消えた。1945年8月9日、高等科2年の15歳。「あ、B29だ。早く逃げろ」と母の甲高い声。すぐ家の前にある防空壕に転がるように飛び込んだ直後、爆弾投下の大音響。
「防空壕がビシビシ揺れ、崩れ落ちるのかと思うほど、恐ろしい思いをしました。母と二人で『神様仏様、お守りください』と心の中で祈り続けました」
大野さんは学徒動員で日東化学の軍需工場などで働いた。セメントを高館の陸軍飛行場まで運んだことも。勉強どころではなかった。祖父母や妹は疎開し、兄はシベリアで栄養失調のために戦死。母と二人きりの生活が続いた。
家は鉄道の傍だった。空襲となれば、真っ先に狙われるのは分かり切っていた。そこで母と一緒に諏訪神社に避難。まだ朝早い薄明かりのころだった。常現寺の脇道を通って走っていた。ふと、お墓を見ると、草が生い茂り、墓は畑のようだった。
「長く生きてきて、一番思い出すのは多感な時期を過ごしたあの時代です。決して忘れることはありません」
米爆撃機B29から空襲予告のビラもまかれた。しかし、空襲予告日(8月17日)を2日後に控えた8月15日、終戦を迎えたため、市街地の壊滅的な被害は免れたのである。
政府の対応はめちゃくちゃ
「どうも、どうも。お待たせしました」
柔らかな物言いと物腰――。青森県八戸市沼館の自宅で迎えてくれた元八戸市長の中里信男さんの顔色は良く、元気そうに見えた。2013年6月14日午後6時35分。「戦災と震災」――。私は取材の目的を告げた。
「いいお仕事をしていますね」
といってくれた。穴があったら、私は入りたいと思った。インタビューが始まった。
「地震は天災ですから、仕方ありません。しかし、その後の政府の対応はめちゃくちゃですよ。我が国は過去にいくつかの過ちを経験しましたが、菅内閣に象徴的に表れているな、と思いました。まさに『大本営発表』ですよ」
大本営発表とは、太平洋戦争中、陸軍・海軍の統帥機関である大本営が国民に向けて発表した戦況報告のこと。しかし、その戦況報告は事実を隠ぺいし、意図的な情報だけを一方的に押し付けられた。中里さんは冷静沈着、言葉は丁寧だが、熱気を帯びていた。
「政府の対応は、自分の無能を告白するようなものでした。かつての戦争もそうでした。無能な官僚・軍官僚が同じような発想で国策を決めていったのとそっくりです」
1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。近刊は『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。
(つづく)
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