前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

歴史張本人の<日中歴史認識>講義」②袁世凱顧問の坂西利八郎 が「日中戦争の歴史、中国の外交術>」を語る②

      2020/12/17

  

 

 

日中両国民の必読の歴史の張本人が語る

「目からウロコの<日中歴史認識>講義」②

 

 

 

 

 

 

 

 

袁世凱の政治・軍事顧問となった坂西利八郎

(在中国25年)が「日中親善・衝突・対立

・戦争の歴史ネジレ」について語る②

 

<日清戦争後、数百人の日本軍人、教育者、

技術者が中国政府に雇われた。

中国の巧妙な外交術と日本側の対応>

 

 

 

 

以下は坂西利八郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E8%A5%BF%E5%88%A9%E5%85%AB%E9%83%8E

 

1927年(昭和二)二月十八日に「大阪毎日新聞社講堂」で行った講演の全文である。

<「日中友好の捨石、秘録 土肥原賢二」芙蓉書房 昭和47年」に収録>

 

 

ここでは坂西が日中間の日清戦争からの対立、戦争、親善、対立、戦争を繰り返した歴史を20年間以上、現場にいて苦労した人間として、その対立の原因、国家体制の違い、日本人と中国人との民族性の違い、認識、行動のギャップについて、率直に語っている。現在の日中対立のルーツを知るうえで、また「中国の行動パターン」はこれを見ると、少しも変っていないので、今後、いかに付き合っていくべきか、これまでの失敗の教訓を知るためにも大いに参考になる講演録である。

 

 

 

 日支親善(日中親善)の最頂点

 

 二十七、八年戦役(日清戦争)に日支親善が全く出来ていなかったために戦きをしたがそれから十年を経て日本の態度の公正なることに感じた支那の人は、この頃になって、日本を疎んずべきでない、日本と親しまなければならん、日本に頼らなければならんと言うことを初めて痛感したのであります。

 

そしてその時に、陸軍といわず、海軍の一部、殊に教育方面、或は農業、或は工業、警察すべての方面に沢山の日本人が支那に雇われました。単に陸軍の将校ばかりでも約百名に近い、将校下士合せて九十何名というものが、支那全国に雇われましたのであります。

 

直隷一省、即ち袁世凱の下にも将校だけが十九名おりました。

私もそのー人でございました。ところが今となっては、おかしな話でございますが、私どもは真に雇われると同時に昔の支那人の扮装で、頭の周囲の毛を剃りまして、中央の毛だけを伸ばして之を編んで後ろへ下げたのでございます。私どもの仲間の中にはこれを非常に憤慨して、何だ日本人が支那人の扮装をしてと申したものです、

 

その当時は、まだ日本では、支那人はちゃんちゃん坊主といって非常に軽蔑された時代でございます。私もその髪の毛を伸ばして、たまには日本に帰って来ます。日本に帰るために剃るわけにもまいりませんから、やはり伸ばしたままで、それを小さくまるめて帽子を冠って帰ってまい

 りましたが、私の娘などは一緒に散歩することをいやがった位です。(笑声)

なぜ伸ばしたか、そんな詰らぬ余計な扮装をせんでもいいじゃないかと申しますが、そこに支那の外交術といものがちゃんと潜んでおりました。

 

外交術が潜んでいるかといと、李鴻章が、日清戦争で負けた結果、日本のために遼東半島を取られた。が、しかし、これを取返すべき外交術で取返されたのでございます。遼東半島還付は、日本人にとって忘れられぬ屈辱でありました。その辱を雪ぐために、私共はそれから十年、臥薪嘗胆をやりました。そしてロシア語なんかを習って、ダアダアとか、ハラショーなんかいいにくいのを非常にやったものです。それは何だといと、李鴻章が、まんまと露独仏の三国を利用して、日本の手から遼東半島をもぎとられたからであります。その時に、李鴻章は、ロシアと約束いたしまして、もし軍隊の教官を雇ならば、ロシア人を先に雇え、雇いましょとい密約を結んだのであります。

 

もっとも、このことどもが日露戦争の主なる原因をなしたのであります。そこで私共は行きました。

けれども、日本の軍人には違いなくとも、日本人が支那軍隊の教官となることは表面できないので、教官ともいわず、顧問ともいわず、支那の人がいい考えを案出しまして「兵書翻訳官」とい名にいたしました。

日本人は字が同じである、支那文ができるといところから兵書翻訳官とい名にして、しかも顔も同じょぅであるから、頭へ髪の毛を伸ばして一緒にしておけばなかなか判りにくいといので、そ扮装をしてくれいといわれるのであります。

 

理窟は立派でありますし、またわれわれは仕事さえすればいい、目安の関係をよくすればいい、支那の軍隊がよくなればいいとい心で扮装なんぞほどうでもいいと、支那風の扮装をしました。私は元来あまり上等の扮装の出来ない男でありますから、なお更よく支那風が似合ったそであります。(笑声)

 

ことをいたしまして、支那に一緒に働きましたものが、その当時、北の方だけで十九名おった、そことから支那に関係をいたしました。

しかるに李鴻章のやった対露外交の結果、ロシアがだんだん支那の弱味につけ込んではびこり、朝鮮に対しては日露協約があるにも拘らず、ロシアは朝鮮に勝手に顧問を入れる、アレキセーフを財政顧問にするといったことから遂に日露戦争を招来することになりました。

そこでわれわれは臥薪嘗胆、ロシアに報べき時機を待ちました。そしてその時機が近づきつつある三十五年に支那にまいり、三十六年を支那で費し、三十七年支那側の人間になったのでありますが、その年、日露開戦は実現しました。

 

その頃、前に申したよに、支那の方は目安親書の熟が最頂点に達しておりますのでありますから、支那の人は日本と一緒に戦さをするとい決心をしたのであります。併しながら支那の兵隊はまだ十分に錬れていない、準備は出来ていない、一緒に戦さをされて負けてくれたら、日本は困ります。

 

故に支部は局外中立とい名の下にどっちの加勢もしないといことで遼河すなわち営口で樹海湾に注いでいる河の西岸は支那の領域で中立地帯とし東岸で日本軍は戦争をしたのであります。併しそれは表面のこと支那は、日本と一緒にやるといつもりで、ただ露軍に対して鉄砲を打たないだけである、この支那の親日的中立といことは、殊にわれわれ軍事上の関係者としては重大なる問題でございます。

 

すなわち国防上からまた作戦上から非常に重要な問題であります。もし遼河以西にいる支部兵が日本に、敵意をもっておる局外中立であったらどうでしょう。国防上から申しましても作戦上から考えましても、

 日支親善というものの程度を成るべく高めておくということが、支那のためにも必要であれば、日本のためにも必要であるということは言を待たぬのであります。

 

つづく

 

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
速報「日本のメルトダウン」(512)「除染と線量の問題点と科学的対策」多田順一郎氏(NPO法人放射線安全フォーラム理事)会見動画

 速報「日本のメルトダウン」(512) 「除染と線量の問題点と科学的な …

no image
速報(302)●『4号機の燃料プールが倒壊すれば、関東は全滅する。その破局リスクに目をつぶるな、国家総動員で取組め」

速報(302)『日本のメルトダウン』 <考えたくない恐ろしい日本破局に目をつぶる …

『Z世代のための戦争報道論』★『ジャーナリストからみた日米戦争』★『太平洋戦争直前に日本人記者としてただ一人、ルーズべェルト米大統領の単独会見に成功した毎日新聞欧米部長(主筆)の楠山義太郎(90)氏から取材した』★『ジャーナリストは「言いたいこと」ではなく、「言わねばならぬこと」を書くことだ(「他山の石」の桐生悠々の弁』

2009/02/10 /『ジャーナリストからみた日米戦争』記事再録再編集 静岡県 …

no image
日本の「フィランソロピ―」の先駆者だった『新聞界の巨人』毎日新聞の中興の祖・本山彦一

  経済週刊誌『エコノミスト』を創った新聞界の巨人   <日 …

no image
『オンライン講座』「延々と続く日中衝突のルーツ➈の研究』★『中国が侵略と言い張る『琉球処分にみる<対立>や台湾出兵について『日本の外交は中国の二枚舌外交とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家である』(「ニューヨーク・タイムズ」(1874年(明治7)12月6日付)』

    2013年7月20日/日本リーダーパワー史 …

no image
日本リーダーパワー史(32)巨人伝説―日本最強の戦略家・杉山茂丸の謎・・②

日本リーダーパワー史(32) 巨人伝説―日本最強の戦略家・杉山茂丸の謎②・・・ …

no image
日本リーダーパワー史(906)-「終戦内閣」鈴木貫太郎首相(77)の「和平を胸中に深く秘めた老宰相の腹芸」★『阿南惟幾陸相との阿吽の呼吸』★『総理大臣執務室の机の上には書類は全くなく、ただ一冊『老子』が置かれていた』

日本リーダーパワー史(906) 鈴木貫太郎 https://ja.wikiped

no image
日本リーダーパワー史(944)「日中平和友好条約締結40周年を迎えて、日中関係150年の歴史を振り返る」★「辛亥革命百年ー中国革命の生みの親・孫文を純粋に助けた宮崎滔天、犬養毅、頭山満らの熱血支援』

日本リーダーパワー史(944) 日中平和友好条約締結40周年の祝賀記念行事が各地 …

no image
速報(150)『9/16福島原発<半年後の真実>⑥終ー小倉志郎、後藤政志氏に聞く。最後に新聞、メディアへの評価を聞く』

速報(150)『日本のメルトダウン』   『9/16福島原発<半年後の …

『Z世代のための日本戦争史講座』』★『パリ五輪で総合馬術団体で92年ぶりに銅メダル獲得』★『1932年(昭和7)、ロサンゼルス大会馬術で金メダルを獲得した国際人・西竹一選手の偉業を偲ぶ』

パリオリンピックで7月28日、総合馬術の団体で日本が銅メダルを獲得した。日本が馬 …