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日本リーダーパワー史(564)明治維新のトリガー/民主主義と開国論を唱えた草莽崛起(くっき)の人 ・吉田松陰こそ真の革命家①

      2015/05/06

syouinn  日本リーダーパワー史(564)

明治維新のトリガー・山口県萩市の吉田松陰生誕地を訪れる①

民主主義の理念と開国論を唱えた草莽崛起(くっき)の人

・吉田松陰こそ「知行合一」の真の革命家、

松下村塾で行われた教育実践は「暗記ではなく議論と行動」

 前坂俊之(ジャーナリスト)

松下村塾が「世界文化遺産」に登録される。当たり前のことである。160年前にヨーロッパによって軒並み植民地にされていたアジア、中東、アフリカの有色人種各国の中で、唯一、近代日本を切り開くことに成功した最初の革命家吉田松陰の教育の現場は、大いに参考になるはずである。近代化、経済的な発展のその原動力となった思想、エトスこそ一番知りたいところなのだ。

その意味で萩の町、松下村塾、吉田松陰の生誕地を訪ねれば日本の近代化150年(2018年がその年)の軌跡を知ることができる。いわば萩の「松下村塾」は日本の「聖地」と言って過言ではない。吉田松陰の高い志と熱血教育が徳川旧弊思想を瞬時にぶち壊したのである。教育に求められるものは単なる知識の伝達ではない。そこに込められた熱誠,志操、感動であり、その高温体質は幼心には瞬時に伝達する。教師をいくら増やしても、少人数教育にしても、学校設備をいかに充実しても、熱誠の先生がいなければ、生徒の心を動かすことはできない。松下村塾の小さな古ぼけた日本家屋が「世界文化遺産」なのではなく、この中で行われた松蔭の思想と熱誠こそが「世界文化遺産」なのである。

世界文化遺産:松下村塾など5件の萩市「維新150年へ」http://mainichi.jp/select/news/20150505k0000m040071000c.html

「喜ばしい」「もっと知って」=祝賀ムード、観光客にぎわう-山口、長崎http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015050500284

ところで、「松下村塾」をテーマにしたNHK 大河ドラマ「花燃ゆ」が話題となっているが、低視聴率のようだ。私はNHKの大河ドラマはほとんど見たことはないが、今回は珍しく毎回見ている。なぜか。吉田松陰は「日本開国の父であり、封建徳川を倒したエトス」だからである。明治維新の起こした志士たちでは坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允ら大物小物がたくさんいるが、吉田松陰は中でも傑出した「奇跡の男」であり、自らの死の決意をよって「明治維新を起こす最初のトリガー(引き金)」を引いた炎の人物である。

「吉田松陰」役の伊勢谷友介の目のキラキラの輝きがなかなかいい。吉田松陰の最初の印象も目の輝きだった。そういえば西郷隆盛も「巨眼」の漢であった。痩身の伊勢谷友介の体型、眼の光も適役であった。さらには文に扮した井上真央の演技力とその笑顔は素敵だね、気に入った。だから、このドラマを見るようになった。本物の文は不美人で久坂も最初は縁談を断ったといわれているが、「ドラマ」は実際と違っていても構わない。

井上真央は若いが、大女優になる確かな演技力と素質を十分感じさせる。目の演技力も群を抜いている。りっぱなもんじゃ。

伊勢谷友介も顔も少し松蔭に似ており、特に目の演技力はなかなかのもの。死罪になったので今後は出てこないが、いよいよ「花燃ゆ」から「日本燃ゆ」の怒涛の動乱期の入る。高杉晋作の活躍が見ものだね。

以下、本題の「吉田松陰伝」へ

今から150年前、「人に士農工商あり。農工商は国の三宝。武士は国の寄生虫はなり。厚禄をはみ、おごりたかぶるはもってのほか」「内政は貧院(生活保護)、病院、幼院(孤児・保育)を設けて、上を損じ、下を益すにあり」「外政は鎖国より国際貿易を推進し、民富、国力をこやせ」―など、今にもりっぱに通用する民主主義の理念と開国論を唱えた草莽崛起(くっき)の人・吉田松陰は「天朝も幕府も藩もいらぬ。ただ、6尺のわが身のみ」と「炎の革命家」に変身して国禁を破りアメリカ密航を企てわずか30歳で刑死した。明治維新に最初に火をつけたのは坂本竜馬、西郷隆盛らではなく吉田松陰その人である。

吉田松陰についての最初の伝記は英国で出版された。「宝島」(1883年)を書いた英国の文豪・ロバート・スティーヴンソン(1850-1894)は明治11年頃、英国に出張中の松陰の弟子・正木退蔵から話を聞いて感激して”Yoshida Trajiro”を著し「これは英雄的な一個人の話であるとともに、英雄的な一国民の話だ。このような広大な志を抱いた人々と同時代に生きてきたことは実に歓ばしい」と激賞した。

ところが、日本での松陰の評価ほど変化したものはない。昭和戦前までは尊王攘夷の志士、天皇崇拝主義者、太平洋戦争中は忠君殉国の烈士として英雄賛美され、戦後は全面否定され、その後、至誠の教育者、民主主義者として再び評価されるなど2転3転した。

松陰の実像はどこにあるのか。天保元年(1830)8月、山口県萩の半農の下級武士の子に生まれた松陰は早熟の天才で、兵法学を学び11歳で藩主に講義するまでになる。世は幕末の乱世。列強のアジア進出と外国船襲来に危機感をもった松陰は20歳のころから海防と兵学、海外事情の研究に熱中し、九州から江戸、東北までくまなく旅して、国事に奔走した。

安政元年(1854)3月、24歳で、ペリーの再来航にあわせて小舟で米艦への乗り込みアメリカ渡航を懇願するが、拒否される。下獄、幽囚されこと5年半に及び、刑死することになるが、その疾風怒涛の思想的営為はこのわずかな間に

中での必死の思索と苦悶の果てに尊王攘夷から人民民主主義者、革命家に生まれ変わった松蔭の変革への情念が明治維新への扉を開き、日本を「チェンジ」したのである。

松陰は真の教育者であるー松下村塾の教育方法

その人格、人間性に子供たちはひとめで感動してという。松下村塾での村の少年たちを教育した期間はわずか数年である。松蔭の炎の人格について、門弟たちは次のように証言している。

「松陰は顔に痘瘡の跡があり、お世辞は努めて用いず、一見はなはだ無愛想のように思われたが、一度、二度と話し合う者は、長幼の別なく松陰を敬慕した。松陰も相手に応じて談話を試み、また好んで客をもてなした。食事時には必ず御飯を出し、客に空腹を忍んで談話を続けさせるようなことは決してしなかった。珍しい、おいしい料理がないからといって、御飯を出すのを差し控えるというようなことはなかった。有合せの物のみで出し、快く客と一緒に箸を持つことを楽しんだ。客を招待することがあっても、珍味を少し用意するより、粗末な物でもたくさん出すことを好んだ。(松宮丹畝「松陰先生の令妹を訪ふ」同前掲載)

「私(中島靖九郎)の家は萩にあり、先生(松陰)の塾は郊外の松本村にあった。初めは近所の人から「久坂義助(玄瑞)さんが吉田の塾へ行くので、お前さんも行かしゃらんか」と言われ、てくてく歩いて行ったのだが、その最初の日には誰もいず、久坂さんも不在だった。しかし上がって待っいてたら綿服の粗末ななりをした、目のキラキラした人が出てきて「お前は本を読むのか」と問うた。それが松陰先生だった。私は入門したい旨を答え、今日初めて久坂氏を頼って来たことを告げると、「何、久坂を尋ねて来たのか。よし、わが輩が教えてやろう」と、みずから『国史略』を開いて熱心に教えてくれた。

ところが先生は字句のことなどは説明せず、文章の裏面の意味を語った。知らない文字があってもそんなことは構わぬという風で、わずか十歳の少年をとらえて国家の大事を説き聞かせた。

一時はあっけにとられて、この先生は奇妙な教え方をすると思ったが、半時あまりその講義を開いている内に、心は先生に吸い取られてしまったようになった。家に帰っても本のことよりも、先生のキラキラした目と、強い熱い火のような弁舌とが頭の中を往来して、まるで夢心地で居た。」(中島靖九郎「吉田松陰の松下村塾」『学生』第三巻第一〇号掲載)

 先生の教育に熱心だったことは非常なもの

「先生の教育に熱心だったことは非常なもので、十二、三歳の子供に『国史略』や『日本外史』を教え、楠公が湊川で討ち死にする条に至ると、感極まってバラバラと涙を落した。先生が、和気清麿や楠木正成や大石良雄の事蹟を門弟に語る時は、自身がその人になって語った。だからその一語一層は、電気のごとくただちに門生の肺腑に透徹し、全身の麻痺を禁じ得なかった。」(同前)

「松陰は生徒を扱うのに自分の子や弟のようにした。そのためすぐ近所の者でも、塾に寝泊まりして自炊する者があった。松陰の所にわずかの贈り物でもあると、一口に足りないくらいでも細かく分けて、門人一同に与えたという話で、今の学校風ではなく、まったくの家庭風だった。優しいこともあり、厳重なこともあった。また煙草は身を害し業を妨げるといって厳禁し、断管吟という詩を作って門人を戒めたことがよしだあった。悪いことであればそれを戒め、善いことがあれば他の者までも奨励するという風だった。(吉田庫三「青田松陰先生」『日本及日本人』第四九五号掲載)

 つづく

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