★10「日本の知の限界値」「博覧強記」「奇想天外」「抱腹絶倒」―南方熊楠先生の書斎訪問記はめちゃ面白いよ①
2015/04/30
「日本の知の限界値」「博覧強記」「奇想天外」「抱腹絶倒」―南方熊楠先生の書斎訪問記はめちゃ面白い①
<以下は酒井潔著の個人雑誌「談奇」(昭和5年9月25日号掲載)「南方先生訪問記」より転載>
南方熊楠先生が幡居する紀州田辺は、永いこと私の聖地だった。一度は巡礼にと思っていたところが、たまたま田辺町に住む友人から、遊びに来ないかという勧めがあったので、これ幸いと関西旅行の最後の部分を、田辺で過ごすように割り当て、日を選んで、先生を訪問することに決定した。
そこで東京を七月十五日の夜出発して、あちこち廻り歩いて、大阪から田辺へ着いたのが、八月の七日の夜十時であった。
上屋敷町の津村唯之助氏のお宅に滞在して、二日休養。九日の夜八時頃、同町内にある南方先生のところへ出かけて行った。この上屋敷町というのは、町名の示す通り、昔はお屋敷町であったので、現在でも田辺町の中心から南寄りの浜辺に近い所にあり、静かな落ちついた、感じのいい町である。その一角に古い土塀を囲らして、理想的に古色蒼然たる広いお屋敷がある。これが先生のお宅である。門から四五間奥にある玄関に立女中さんで、仇やおろそかにできぬ女中さんであることは後に話す。
で、来意を述べて、名刺と斎藤昌三氏の好意で得た紹介状とを出す。女中退場。待つこと二分ばかり、代わりまして一人の老人が出現する。そして南方先生目下中風の気味で、口も耳も不自由、かつ医者の注意もあれば、遺憾ながら面会お断りという挨拶だった。
かねて先生に面会することは、至難なことだと聞いていたので、紹介状まで用意して内心ビクビクでやって来たのだが、あっさり玄関払いを食ってしまったので、かくなる上は致し方なしと、携帯した書物三冊(拙著『愛の魔術』、『巴里上海歓楽郷案内』および、尾崎氏著『怪奇草双紙画譜』皆東京竹酔書房の発行書)を差し出して先生へ
の伝達方を依頼したところ、これも老人人では受け取らず、また先生の御意見というのを聞きに行く。はなはだ手強Lと見て取ったので、手土産として一緒に持って行った、大阪名物昆布菓子の缶だけは出すことを遠慮してしまった。やがて老人再現、本は預かっておくという言葉であったので、無駄だとは思ったが、田辺滞在中の宿所を書き残して帰って来た。
その翌日から新谷氏夫妻と、私ら夫婦とで、上屋敷町から十二三丁も離れた、海辺の別宅へ移って、呑気な自炊生活を始め、海へ入ったり、対岸の白浜の温泉場へ行ったりして、ウカウカと数日送ってしまった。すると十四日の夕方、突然当地の牟婁報知新聞社長雑賀貞次郎氏の来訪を受けた。来意を聞くと、南方先生の依頼で、私がどんな男か下見に来られたのであるそうだ。先生と氏との関係は、氏自身の言うところによれば、ずいぶん以前から親しくしていて、目下自由に南方先生のところへ出入りすることのできる数人のうちの一人だということである。
先生への面会難は昔から有名なものだが、最近はいよいよ烈しくなって、この頃はほとんど誰にも会われぬということである。この前も改造社や文牽春秋社あたりからやってきたが会わぬ。自分が会ってみようと思う人間が来ると、まず雑賀氏を下検分に派遣して、その報告によって、やっと会うという段取りだ。もって面倒なこと知るべしである。それからなおいろいろな先生の逸話をうかがって、この次に先生を訪問すると聞い、先ず、雑賀氏へ電話をかけ、氏が先生の都合のいい時間を聞いて、私を案内するということに定めてお別れした。
ところで私の予定では、十九日に田辺を引き上げて、大阪へ帰ることになっていたから、十七日に先生を訪問したいと、雑賀氏のほうへ通じると、氏からの返事には、十七日の午後七時よりということであった。
いよいよ十七日になると、七時少々前に、海岸の別宅から、上屋敷町の津村氏の本宅へ着いて、雑賀氏の迎えに来るのを待った。そのうちに雑賀氏がやって来る。挨拶もそこそこ連れ立って津村家を出たが、先生のお宅は同町内なので、すぐ門前へ着いた。
雑賀氏が案内を乞う、すでに打ち合わせてあるので、すぐに玄関脇の入口から庭を過ぐって、母屋から四五間離れて別建てになっている先生の書斎のほうへ通された。八畳ほどの平屋建てのはなはだお粗末な書斎と、質屋の庫のような巨大な書庫とがひと棟になっている。
これが世界的大学者南方老先生の俗社会に対抗していく金城鉄壁である。さて城の主はいかにと破れ障子の陰から覗くと、我らの大先生は素裸の(もっともこの頃は自ネルの湯巻をしておられる)偉躯の背を丸めながら、書物や、棟本類で足の踏み入れどころもないような部屋の掃除をしておられた。
書斎の周囲は夜のことでよく見通しは利かなかったが、樹木の立てこんだ広い庭があって、木立の奥のほうで焚火の消え残りからメラメラ赤い火と白い煙が、もつれ合って立ち迷っていた。折りしも細い雨がポッポッ落ちて来たが、着物を濡らすほどでもなく、あっさり通り過ぎていく。なんだか一夕立ザット来てほしいような蒸し暑い夜だった。
雑賀氏が挨拶の言葉をかけると、先生口の中でプツブツ何か言いながら、ノソノソ庫の中へ入って行かれる。やがて本や標本をいっぱい抱えて出て来る。また入って行く。また本を持って出て来る。かくすること数回、時間にして七時より七時半に至る。その間私達二人ボンヤリ庭に立って、蚊を追いながら目のあたり見る先生の奇行を立ち話していた。
そのうちに書物運搬も一段落ついて、いざと書斎内へ招ぜられた。室内へ入って、グルリと一見すると、今まで書斎書斎と言ったのを取り消したくなった。誰だって世界的大学者の南方先生の書斎と聞くからには、壁をめぐって身長大の本棚に、ギッシリつまった金文字入りの原書、こちらの硝子戸の標本棚には動植物や粘菌の貴重な標本が、整然と陳列され、あちらの卓上には世界の珍奇な発掘物が安置してあるくらいのことは、義理にでも想像するであろうが、さて空想と実見とは雲泥の相違。一方の壁に台所の棚のような板が三段ほどつられて、その上にくすぶったような大きな書物が無雑作にのせてある。
も一方の壁際には標本を入れる粗末な戸棚があり、並んで小学生の使用するような机が一ツ。他の二面は破れたガタガタ障子だが、奥のほうの障子の一部分がなんのためか薄汚れた白布のカーテンがかけてある。その前にはどこかの鉱山の事務所にでもっている。畳の上には所狭きまでに、いろいろの書物が秩序よく散乱して、その間々にアルコール漬けの蛇の標本や、顕微鏡の箱や、粘菌の標本箱が点綴している。こうした知識の珊瑚礁をよけて一方の壁際に、やや三人分くらいの空間ができている。この港湾へ三双の舟が碇泊したという形になった。
私は簡単に初対面の挨拶をして、つくづく我が偉大なる南方翁を真正面から観察した。最初部屋の外に立って背を丸めて、ノソノソ庫の中へ入って行った先生の後ろ姿を見たときには、さすがの豪傑もよる年波にだいぶん衰えたなと、一脈の哀愁を感じたのだが、こうして相対してみると、どうして例の重瞳とでもいうべき特徴のある、射るような三角眼が太い眉毛の下でギョロリと光る有様なんかは、老いてますます旺なりという言葉を如実に物語っている。
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