前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(556) 「日露インテリジェンス戦争の主役」福島安正中佐⑥単騎シベリア横断、日露情報戦争の日本のモルトケ」とポーランドは絶賛

      2016/04/06

123123

 日本リーダーパワー史(556)

 「日露インテリジェンス戦争の主役」福島安正中佐⑥

★「ロシア情報を入手するためポーランド独立運動家と手を結び、単騎シベリア横断の敵前視察

に成功し、日露情報戦争に勝利した日本の大モルトケ」とポーランドでは絶賛した

ー知らぬは「自国歴史音痴」の日本だけなのか」

 

        前坂 俊之(ジャーナリスト)

このところ、ロシア、プーチン大統領の「核攻撃も辞さない」という帝国主義、強硬恫喝外交のニュースが世界を震撼させた。いつものように弱い者いじめの覇権主義が世界の顰蹙を買っている。

◎「プーチン露大統領に続き、駐デンマーク大使も恫喝「デンマーク艦船は核の標的に…」 MD参加にピリピリhttp://www.sankei.com/world/news/150322/wor1503220010-n1.htm

◎  「核兵器使用を口にしたプーチン大統領の衝撃http://blogos.com/article/107993/

 

               「もともと戦争膨張暴走国家ロシアの実態」

もともと、寒冷大国ロシアは地政学的、本能的に南下、東進膨張主義、つまり侵略主義は一貫して変わらない。「暖かい南の地と不凍港」をもとめて過去400年間、ユーラシア大陸で侵略政策を続けてきた。クロパトキン将軍は『戦争国家ロシア』の中で「ロシアは18、19世紀の200年間で平和は71年8ヵ月、その他の128年4ヵ月は戦争に費し、外国との戦争は33回」と書いており、なんと1日約100平方キロのスピードで領土拡張してきた、とぬけぬけと語っている。日本とは大違いなのである。それなのに、日清、日露戦争までも日本の侵略戦争であったという日本の歴史学者、政党、知識人はもう一度、勉強しなおす必要がある。

日露戦争はロシア側がシベリア鉄道を建設して、陸軍部隊を鉄道でウラジオストック(これは東方を制圧せよ、との意味である)、中国東北部、朝鮮、日本を制圧するための計画に対して、日本がこの『ロシアの大脅威』に対して、機敏に『リスク管理』をしたのである。今回の原発事故のように、原発(ロシア)は安全安心、クリーンエネルギー(平和国家である)という想定無知、リスクコントロールの失敗を、賢明な明治のトップリーダーたちはおかさなかった。

このリスクコントロールのセンサー役となって、対ロシアインテリジェンス戦争を組み立てたのが川上操六参謀本部次長であり、その部下の福島参謀将校であったのだ。明石元二郎はこの2人の下で活躍するが、もともとヨーロッパ列強によってアジア、アフリカ各国の有色人種が軒並み、侵略されて虐げられていた中で福島が唯一、敢然と立ち上がり、その語学力(5カ国語)を駆使し、グローバルインテリジェンス(国際諜報能力)を発揮し、「敵の敵は味方」「近攻遠交」の戦略コネクション、ネットワークを組み、零下30度の酷寒の地を単騎シベリア横断という破天荒の偵察旅行を成功させて、作戦戦術戦略を組み立て日露戦争の勝利の方程式を解いたのである。

まさしく、今日の日本にとって最大の恩人,偉人といって間違いない。

この福島の実像について、日本ではさっぱり知られていないが、ロシアに侵略支配された悲劇にあった『ポーランド』はどう見ていたのか。「日本ポーランド関係史」(エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ 著, アンジェイ・タデウシュ・ロメル 著, 柴 理子 訳、彩流社 2009年)を参考に、見ていきたい。

とかく「インテリジェンス(諜報)」は秘匿されて、結果についても語られず目に見えない世界である、戦後の70年にわたる『戦争アレルギー』「軍事には無知がよい」症候群の日本では、余計に忌避されているが、インテリジェンス(諜報を含む叡智、智慧、賢明)を磨かなければ戦争をさける事も、平和を達成することもできないのである。インテリジェンスの基本は「敵を知り,己を知れば百戦危うからず」『敵を知らず,己をしらざれば百戦百敗』だからである。

 

以下、「日本ポーランド関係史」(13-21P)から引用、要約させていただいた。感謝します。

  •  福島安正は明治日本の陸軍将校としてはもっとも波瀾万丈の興味深い人物で、近代日本軍のヨーロッパにおける諜報活動の先駆者である。
  • 日本という国家の代表として初めてポーランド人と接触した人物。日露戦争期にその関係を利用したのが、日本側諜報機関のもっとも優秀な諜報将校、明石元二郎大佐であった。
  • 19世紀後半、200年間に及んだ鎖国に終止符を打って急速な近代化へと乗り出し日本政府は、西欧型の強力な近代的軍隊の創設を第一目標とした。日本の安全と主権を保障するには、西欧流の軍隊を作る以外にないと考えた。国家の総合的な戦略計画の立案では最大の脅威の隣国ロシアの戦略に関する情報が不可欠であった。
  • 五年のベルリン滞在中、福島は大半のヨーロッパ諸国を訪れ、分割支配下にあったポーランドをおそらくは数度にわたって訪れ、多数のポーランド人と接触したと思われる。ポーランド人志士(愛国者)、武力闘争によるポーランド独立の反ロシア派のみが、ロシア全体の重要な情報をもたらしてくれると考えた。
  • このために、川上操六参謀本部次長の指令で、シベリア単騎横断を計画、情報提供者たちから聞いたことを、自分の目で確かめようとした。福島が注目したのは当時建設中だったシベリア横断鉄道であった。シベリア流刑中のポーランド人と接触し情報を入手した。
  • 1892年2月の紀元節の日に、福島は愛馬「凱旋号」でベルリンを出発し、488日に及ぶ1万4000キロの旅を行った。大阪朝日新聞がこの遠征を報じて大評判となった。ところが、まもなく報道を打ち切った。諜報活動旅行は、秘密扱いとの判断を政府が下し、報道禁止とした。

⑧ポーランドの独立をめざすポーランド人の秘密政治組織はイギリス、フランス、ドイツといった国々に置かれ、当該国の諜報機関と協力関係にあった。

⑨国際舞台での諜報活動の経験の浅い日本軍参謀本部の情報将校が対ロシア情報収集の経験豊富な諸国の専門家に助言や助力を求めるのは当然のことである。おそらく彼は、ポーランドの独立運動家たちから指定された場所に赴き、その仲間と接触して、東京の参謀本部から指示された追加情報を得たのではないかと思われる。これを数年後、日露戦争前夜から戦中にかけて利用したのが、明石元二郎であった。

⑩ スタニスワフ・カジミエシユ・コツサコフスキの回想録(末刊行)では「(通過した)町々を好感の持てる物腰と機転と知性とでもって走り抜けただけでも十分賞賛に値するが、感嘆の的となったのは、14ヵ月の困難な旅に耐え抜いた並外れた忍耐強さであった。」と称賛し、

⑪福島の接待にあたったアレクサンデル・ネヴィヤント将校は、この旅について「いかにも聡明な目をした小柄な日本人が、数年後に日本軍部隊の指揮官として北京の城壁の下に立つことになろうとは、その数年後にはロシア遠征の立案者のひとりとして、「日本のモルトケ」として世界に名を知らしめることになるとは、誰も予想だにしなかったに違いない。」とロシア紙に書いた。

⑫ロシア側は福島の旅についてロシアの軍備、領内各地点に配置されている部隊数、シベリア横断鉄道の敷設状況に関する情報の収集が目的であることを十二分に承知していた。ただし、ロシアを脅かすような水準の活動ではないと判断し、日本を手ごわい敵ではない、見くびっていたのだ。ロシア、ニコライ2世は日本を『黄色の小猿』と呼び、クロパトキンも『日本兵3人に対してロシア兵1人で戦える」と豪語していた。

つまり、

福島のインテリジェンスがロシアのインテリジェンスをはるかに凌駕していたのである。日本軍のインテリジェンスで比較すると満州事変から日中戦争、太平洋戦争への道で発揮された陸軍、海軍のインテリジェンスとも天地の差である。現在の日本のインテジェンス「国会での安保論議、防衛論議」を福島中佐が地下で見ていればいったいどう思うだろうか・・、

 

                                         つづく

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(394)ー尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(下)『清国に戦闘力なし』―目からウロコの日清戦争論

    日本リーダーパワー史(394) …

no image
日本リーダーパワー史(33)戦時下の良心のジャーナリスト・桐生悠々の戦い①

日本リーダーパワー史(33) 戦時下の良心のジャーナリスト・桐生悠々① &nbs …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑰『日本の最も長い日(1945 8月15日)をめぐる攻防・死闘ー終戦和平か、徹底抗戦か②』

 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑰     『日本の最も長い日―日本帝国最後の日 …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史⑯」―『元寇の役のヨーロッパ史での類似性』●『元寇の役では西国だけでなく東国からも武士たちが加わって、日本全体が一致協力して戦い、初めて国家意識が生れた』

 日本の「戦略思想不在の歴史⑯」 元寇の役(1254年)では2度にわたり、元軍の …

no image
<裁判員研修ノート④>『明日はわが身か、冤罪事件』ー取調べの可視化(取調べの全過程録画)はなぜ必要か

<裁判員研修ノート④>『明日はわが身か、冤罪事件』 取調べの可視化(取調べの全過 …

no image
産業経理協会月例講演会>2018年「日本の死」を避ける道は あるのか-日本興亡150年史を振り返る①

 <産業経理協会月例講演会> 2013年6月12日   20 …

no image
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」-「日英同盟の影響」⑧ 1902(明治35)年2月20日『タイムズ』『ロシアが支配した満州』/『米国は満州の公平な門戸開放を要求』★2月25日『タイムズ』ー『三国干渉を『臥薪嘗胆』して、敵愾心を抑えたのは日本の政治家と国民の賢明な愛国心だった。』/『日本が侵略的だとか,そうなろうとしているとか想像する理由は少しもない』

 ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の影響は」⑧  1902( …

no image
日本メルトダウン脱出法(728)「アングル:安保法制で転換迎える日本、「普通の国」なお遠く」●「海外からの「短期移民」が少子高齢化ニッポンを救う」

日本メルトダウン脱出法(728) [アングル:安保法制で転換迎える日本、「普通の …

no image
『オンライン/日本宰相論』★『歴代宰相で最も人気のある初代総理大臣・伊藤博文の人間性とエピソードについて』

    2012/06/16 &nbsp …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉗「開戦1ゕ月前の『米ニューヨーク・タイムズ』の報道」ー『開戦へカウントダウン!』●『この記事は戦争報道の優れた論評で、日本メディアの報道とは雲泥の差がある』★『日本はいずれ国運をかけてロシアと戦わなければならず,シベリア鉄道がまだ能力いっぱいに開発されていない現在の方が,後にそうなったときより.勝てる可能性が高いと一致して見ている。』

  『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉗ 1903(明治36)年 …