『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講座⑤』★『今こそ茂丸のグローバル・インテリジェンスに学ぶ。その雄弁術、ディーベイト力、プレゼン力はどこから生まれたか』
日本リーダーパワー史(521)『「明治の国家参謀・杉山茂丸に学ぶ」
杉山茂丸は黒田藩士族・杉山三郎平の長男で元治元年(1864)8月15日生。父・三郎平は修猷館助教で、11代藩主・11代黒田 長溥(くろだ ながひろ)の太刀持ちのお小姓で、無類の記憶力を備え、子どもの時分には父から四書五経をたたみ込まれたという。
お小姓とは殿様の横に控えて身の回りの世話、身辺警護、報告、連絡、取次、戦の場合は戦況の報告、伝令などが任務。杉山龍丸の『わが父・夢野久作』ではこう記述している。(多田茂治『夢野久作と杉山一族』弦書房2012年 30P)
「杉山家は、黒田藩でお伽衆ということで、黒田公の傍近く仕えて、故事来歴とか、武芸や、学問、趣味のお相手、能楽のお手直しという役職にあった。
お伽衆という職務は、学問、詩歌から、武功譜、世事講、伝説、昔話などあらゆる話題に通じた語り部であり、武芸、芸能にも通じていなければならなかった。異能の作家、夢野久作は、突然変異で生まれたのではなく、お伽衆をつとめた杉山家代々の学問、文芸、芸能の血脈を享け継いでいたのだ」
茂丸は成人して、浄瑠璃語りの名手になるが、その朗々たる語り口には伝統的な軍談師、軍団講釈師の血が脈々と流れていたことを示しており、抜群の記憶力、筆力とともにその雄弁が形成されたのであろう。
このあたりの解明は「夢野久作と杉山3代研究会」の第2回研究大会(2013年3月9日、筑紫野市生涯学習センターで開催)で『義太夫節の「大和魂」と「武士道」ー杉山茂丸の芸術観』』と題して発表した川下俊文氏(東京大学大学院修士課程)の研究を待ちたい。
さて、杉山は1864年(元治元)八月十五日、福岡市因幡町で生まれたが、すぐ近くの天神路街ではその2週間前に明石元二郎(1864,9-1919、10、55歳、陸軍大将、台湾総督、日露戦争でのロシア後方攪乱の明石工作で知られる)が生まれており、2人は親友で老年になっても宴席で2人が会うと、明石は『俺のほうが2週間先輩だ』といって、上座にすわっていたという、面白い関係である。
子供時代から茂丸は手がつけられない暴れん坊、ガキ大将だったが、これまた近所に3歳年下の吉田磯吉(1867-1936,68歳、最後の侠客、代議士)がおり、茂丸は磯吉らを子分に従えてガキ大将として、君臨してチャンバラごっこなどをして、町で評判だった。
「最後の侠客」吉田磯吉は後に、憲政党の代議士となり、茂丸や玄洋社の政治的な活動の助っ人役も果たしている。山本権兵衛も子どもの時から、海軍兵学寮でも随一の暴れん坊て、最強のリーダーシップを備えていたことで知られるが、それに劣らずの杉山の暴れん坊ぶりもスゴイ。「坂の上の雲」を考える場合も、明治のトップリーダーのチャレンジパワー(ここではあえて蛮勇という)こそが250年続いた徳川鎖国封建主義の重い重い錆びついた鉄扉をこじ開けたことを思わざるを得ない。
さらに、杉山の人脈では福岡の同郷人と強力なネットワークを築いており、玄洋社のメンバーとも重なる部分も多いが、杉山の参謀役遂行を支えた有為な人材との<強力><共生><協力>のコラボレーションがあった。『経済参謀』では同郷の金子堅太郎(1853-1942、,89歳、伊藤の子分、農商務相)との太いパイプがあった。金子は伊藤の懐刀でもあり、日露戦争開始と同時に伊藤の指示で、対米の世論を日本の味方につける工作に、ハーバード大の同窓生、ルーズベルト大統領のもとに派遣された話はよく知られている。
杉山は明治27年、金子が同次官だった時にあっており、「支那(中国)通、経済通の自分と同じ考えの珍しい壮士なので、すぐ友人となって、つきあった」と金子は語っている。
外務省関係では日露戦争開戦で対露強硬論を唱えて、恐露派の伊藤を切ると公言して、物議をかもした山座円次郎(1866-1914、48歳、外務省政務局長、駐中国特命全権公使)、東大国際法学者の寺尾亨(1859-1925,66歳、アジア主義者)は日本で初の「国際法の担当教授」でロシアとの早期開戦を唱えた七博士意見書を提出)らも、杉山とはツーカーの仲で、こうした福岡人脈が杉山のインテリジェンスを支えた。
それと、もう1人のキーマン・荒尾精と杉山の関係に触れないわけにはいかない。荒尾は明治の大陸政策に大きな影響と実績を残した人物である。
明治の大陸政策に大きな影響を与えた荒尾精との関係
荒尾精は尾張出身の陸軍軍人で、参謀本部付支那課勤務となり、翌19年春、川上操六次長の命により中国での諜報勤務に従事するため上海に渡った。
岸田吟香は(1833-1905 71歳、東京日日新聞主筆、台湾出兵で日本最初の従軍記者)は同新聞社を退職、目薬販売業に転じ、大儲けしで上海にも支店(「楽善堂」)を開いた。た荒尾は岸田の物心両面の支援を受けて漢ロに入り、長江河畔に楽善堂の看板を掲げて、情報収集の基地とした。
宗方小太郎、井手三郎らとともに商業の傍ら、支部を支那の各地に置き、北は北京を中心として、蒙古・イーリーまで、満洲にも派遣して風土気候、人情風俗、農工商、金融、運輸、交通などを幅広く調査した。
明治22年4月、荒尾は三年間の諜報活動を終えて帰国し、参謀本部に2万6千字の復命書を提出した。
同書には「貿易富国」(支那改造、東亜建設の基礎を樹立せんと欲せば、日支提携の策をこうじ、両国の貿易を振興する)の構想が記されており、貿易振興は日中間の急務であり、中国に日清貿易商会を設立して、日清貿易研究所を付属機関として、貿易業務人材の育成を行なうことを提案した。
帰国後、荒尾は黒田清隆首相、松方正義蔵相を説いて全国遊説に旅立って12月に福岡に入った。ここで玄洋社の頭山、杉山らと接点をもった。両者は意気投合、荒尾は茂丸の香港貿易の希望をきいて支那事情の専門知識とネットワークを紹介してもらった。
同年12月、茂丸は荒尾情報をもとに香港に初めて渡った。茂丸は荒尾紹介の友人を訪ね、英商シーワンを相手に、日本炭を輸出す商談をまとめ、若松港の問屋に石炭の集荷を依頼した。
当時、遠賀川流域での石炭運搬舟を取り仕切る川筋者の親分になっていたのが幼友達の吉田磯吉で、全面協力する。集めた石炭は門司港で英国船ベンラワー号に船積みして香港へと運搬してシーワン商会に売渡し、二八〇〇円の利益を得たが、そのうち内2000円を荒尾に渡した。(俗戦国策157頁)
結局、荒尾の貿易商会設立案は一旦、却下されたが、川上参謀本部次長が4万円の補助金を松方蔵相とかけあって獲得し、研究所は設立の運びとなる。明治23(1890)年9月、荒尾は日本全国から集った150人の学生と研究所員数十人を連れて、上海に向かった。同研究所の最大の資金協力者は川上であり、杉山もその1人であった。川上は荒尾が日清貿易研究所を作って金に窮した時、東京番町の自宅を抵当にして四千円の金を都合までしている。
荒尾、川上、杉山の密接な関係はこのように築かれた。明治27年7月末に日清戦争がついに勃発したが、このとき、同研究所の89人の卒業生や学生の多くが「特別任務班」として編成され、中国語通訳や諜報部員として最前線に投入された。同研究所の寄宿生の鐘崎三郎もその1人で、中国軍の出動情報をいち早くキャッチして送ってきた武勲によって、川上の推挙によって明治天皇の恩賜の栄誉を受けている。
その後、鐘崎らは殉職するが、こうした『諜報特別班』の活躍などによって、日清戦争は大きな戦力格差を跳ね飛ばして勝つことができた。同研究所は一旦消滅するが、その後、1901年(明治34)「東亜同文書院」に引き継がれて、より大きな日中協力・発展・交流・情報収集の拠点となっていった。
また、杉山と荒尾の関係については、杉山は紹介された英国シーワン商会、横浜のアメリカン・トレーディング会社などの人脈を通じて貿易実務に精通し、何度か渡米して、日本興業銀行の創設などの外債獲得に活躍、政府の顧問格にまでなる。杉山の国際経済通になったのはこの荒尾の筋なのである。
その点で日清、日露戦争の勝利の方程式はこの3人、川上、荒尾、杉山、児玉の強力な情報ネットワークの上に築かれたといって過言ではない。野田著『杉山茂丸伝・もぐらの記録』(島津書房、平成4年)の154P以下>
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