『Z世代のための台湾有事の先駆的事例<台湾出兵>(西郷従道)の研究講座㉖』★『英「タイムズ」米「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙は中国が侵略と いう「台湾出兵」をどう報道したか①』★『富国強兵政策は「植民地にならないための日本防衛」が目的』
2013/10/12 日本リーダーパワー史(422)『各国新聞からみた日中韓150年対立史⑧』
2013年10月12日。最近の日中韓の対立のコジレをみていると、日中韓の150年戦争史の既視感(レジャビュ)がよみがえります。
あと5年(2018)後は明治維新(1868年)からちょうど150年目に当たります。この間の三国関係を振り返ると、過去100年以上は対立、紛争、戦争の歴史であり、仲良くしていた時期はこの最近3,40年ほどの短いものであり、単に「近隣関係、近隣外交は仲良くしなければ」という建前論からの「お人よし外交」ではなく、その対立、戦争のとなった原因までさかのぼって調べなければ、何重にもモツレた歴史のネジレを解いて真の善隣友好関係は築くことができません。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
● 世界史の500年はヨーロッパ白人国家の全有色人種国家の蹂躙の歴史
この150年間の3国関係だけではなく、視野を広げて世界史の主流の中で、「国際秩序」(グローバリズム)に組み込まれていく東アジア<清国、日本,李氏朝鮮(韓国、北朝鮮)>の地政学的な環境を見ると、大国に翻弄された3国の対立、戦争のルーツが浮き上がってみえてきます。
まず、世界史全体の流れをみると、500年前の大航海時代以来からスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの順で西欧列強による帝国主義の植民地獲得競争で、世界中のほぼすべて、有色人種の国のすべてはその勢力下に分割されました。「弱肉強食の帝国主義の戦争と侵略」の歴史だったのです。特に19世紀の英国で起こった産業革命以後は資源と市場の世界的な争奪合戦が一層加速されます。
もともと、イギリスの「資本主義的世界帝国」(パックスブリタリカ)はそれまでのポルトガル、スペインの主に「金銀財宝」の奪取が目的の植民地政策から、産業革命の達成で、蒸気船や蒸気鉄道などの交通手段、武器、兵器のその技術力、軍事力を駆使して世界の「7つの海」を支配して大量生産商品を販売する「大貿易圏」を形成が目的になった。そして世界中で最後に残されたのがヨーロッパ、北米から最も遠い東アジアの中国、朝鮮、日本だったのです。
- ではなぜ、アジア随一の強国「大清帝国」は植民地にされたのでしょうか。
インドを植民地化していた当時の唯一の超大国・イギリスは強大な海軍力にものをいわせ第一次アヘン戦争<1840(天保11)-42>、第二次アへン戦争(アロー戦争<1856(安政2)-1860>)に勝利して清国から莫大な賠償金と開港、領土の割譲をかちとった。フランスも英軍と共同でアロー戦争を起こし、ベトナムを清仏戦争<1884(明治17)―85)で獲得したのです。
このとき、第2次アヘン戦争のどさくさにまぎれて、ロシアは武力によって外満州全土を獲得。念願の不凍港のウラジオストック(ロシア語で「アジアを制圧せよ」の意味)を手に入れました。
「眠れる獅子」と恐れられていた大清帝国は西欧列強の獰猛な猛獣の格好の草刈場となり、食いちぎられていったの,実情です。
ヨーロッパでも西欧列強の覇権争いは熾烈化していました。ロシアはバルカン半島争奪の露土戦争(ロシア対オスマントルコの戦争((1877年(明治10)―78)やクリミヤ戦争(バルカンにおける英国との間の植民地戦争)で、いずれもイギリスにやぶれ、不凍港の獲得を阻止されます、この結果、ロシアはアジアシフトに転換する。つまり、日本の幕末から明治初期の40年間は東アジアを舞台にした西欧列強の激烈な覇権争いの歴史なのです。
- ではこの「食うか」「食われるか」の危機的な状況で、開国した弱小日本は
どうリスクヘッジしたのでしょうか。
230年間の鎖国で「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の3猿主義で惰眠をむさぼっていた徳川幕府はオランダ、中国から「阿蘭陀風説書」「唐風説書」による海外情報(当時の新聞ニュース)によって、幕末には、アヘン戦争の経過は逐一、もたらされており、黒船で来航したペリーは日本側に「イギリスの日本侵略にはアメリカが待ったをかける」と言っています。
当時のイギリス外相クラレンドンは、中国、日本との国交関係は同一の原則を貫け、英国東洋艦隊に訓令していました。幕府は英国軍の恐るべき近代兵器の威力と、巨大な鉄製軍艦に戦慄して一八五四(安政元)年の日米和親条約、その後の日米修好通商条約の不平等条約にあわてて調印したのが実情です。
しかも、露土戦争の直前,1875(明治8)年,明治新政府の外交無知によって樺太・千島交換協定を結び,サハリン全島(それまで日露で雑居地)をロシアにとられてしまいます。これが、ロシアの太平洋進出の道を大きく開き,ロシア唯一の不凍港ウラジオストクの軍事的地位を高めて「アジア侵略の大動脈」としてのシベリア鉄道の建設へとつながり、結局、日露戦争(明治37-8)への導火線となります。
いうならば、北アジア3国は南から英国、フランスなどの猛獣ライオンに追い込まれて食いちぎられ、北からはロシアの巨大シロクマが迫ってくる絶体絶命の危機となったのです。
英国への脅威とともに、ロシアへも「オロシア(恐ろしいロシア)「恐露病」の強い危機感が国民全体にまで浸透していきます。
この結果、明治新政府は岩倉欧米視察団(明治4年(1871)11月―同6年9月)を約2年間もかけて条約改正交渉と世界の政治、行政、教育制度の調査を行い、鎖国によって文明国から1世紀以上は遅れた後進国になってしまったことに気ずいて、徹底した近代国家づくりに着手します。
- 富国強兵政策は「植民地にならないための日本防衛」が目的
この国造りの第一に念頭にあったのは「中国のように植民地にならないため」、「日本を守るため」の富国強兵政策です。そのために「殖産振興」で経済を発展させ、西欧列強からの侵略を防ぐことが基本となったのです。この強烈な危機意識を理解しないことには明治政府の対外政策は理解できません。「富国強兵」はあくまで西欧列強から身を守るための自衛策であり、同じ犠牲の羊と化した日中韓3国同志で争うことではありませんでした。しかし、その後、3国のそれぞれ相手国への上下意識、思い違いの認識ギャップによってがこの協力関係が築くけなかったために、対立感情は戦争へとエスカレートして2重、3重にねじれた関係になってしまったのです。
現在の国際常識の平和擁護・戦争反対・人権尊重思想から「植民地にするのはひどい」と批判しても有効性は余りありません。いいも悪いも、この時は,弱肉強食の帝国主義全盛期、植民地争奪合戦の時代であった前提条件を知らなければ「歴史の真実」は見えてきません。
「侵略されるか」「植民地になるのか」、逆に『危機を脱して独立を守り通すのか』-この危機一髪の状況で、日本はトップのリーダーシップによって鎖国を脱ぎ捨てて、封建的な思想を近代主義に180度転換して、開国へと180度転換したのです。歴史家・トインビーやHG・ウエルズは「明治維新を世界史の奇跡」と称賛しています。
「眠れる獅子」の清国は目覚めることなく中華思想による「天朝上国」(自国を世界の中心とみる)の世界観に浸り切って開国が遅れて、致命傷になりました。一方、韓国も1000年余も続いた「小中華」「事大主義によるかたくなに鎖国政策に固執、秀吉の朝鮮出兵による被害意識のトラウマが『恨の思想』に凝固し、日本敵視論から脱却できず世界の大勢から遅れてしまいます。
この3国の対外政策の決定的な違い、トップリーダーのリスクマネージメント、国際認識能力、情報分析能力、危機意識が三国の運命を分けたのです。
西欧列強では産業革命の発達が封建時代にかわる「自由な社会基盤としてのジャーナリズム」を生み、新聞が誕生する。これが自国の海外進出のネットワーク、情報収集のインテリジェンス、国益追求の先兵的な役割りをも果たします。英国が世界覇権を握った背景にはその圧倒的な情報力があります。アジアを植民地化すると同時に明治維新後の早い段階で東京には「タイムズ」「ロイター通信」も進出し、外国人経営の英字新聞が誕生しています。それより早く上海、香港には『ノース・チヤイナ・ヘラルド』、米紙の「ニューヨーク・タイムズ」も既に特派員、通信員を派遣して、未知の国の日中韓に興味津々で報道合戦行っています。
鎖国に閉じこもり異文化に全く関心を示さず、外国人を排斥していた3国とは違って、西欧諸国は異文化コミュニケーションを積極的に進め、明治20年代には海底ケーブルを通じて世界中からニュースを集めて、報道システを完成しています。
150年前のこの3か国の国の様子や対立、戦争史はすでに新聞によって西欧の読者には伝えられていたのです。これらの外国紙の報道を読むと、世界史の中の明治史、3国関係史、比較史がよくわかります。もちろん日本語の新聞は、幕末に「海外新聞」(1864年)の翻訳からスタートしており毎日新聞(当時は東京日日新聞)は1872年(明治5)、読売新聞(明治7)の創刊であり、朝日新聞は同12年ですが、国際ニュースは少なく、文語体、漢文調で書かれたニュースは今の読者には半分ほどしか理解できません。英国「タイムズ」「ニューヨークタイムズ」「上海イブニングニュース」その他で見ていくと、大変よくわかるし、当時の西欧の新聞の対日中韓の認識がよくわかる。
以下は「外国新聞に見る日本」(毎日ニュース事典)の各外国紙の翻訳ニュースを手掛かりに、対立のルーツに迫りたいと思います。
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