前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義④『憲政の神様/尾崎行雄の遺言/『太平洋戦争敗戦で政治家は何をすべきなのか』<1946年(昭和21)8月24日の尾崎愕堂(96歳)の議会演説ー新憲法、民主主義についてのすばらしいスピーチ>』 

   

『オンライン/日本興亡史サイクルは77年間という講座②』★『明治維新から77年目の太平洋戦争敗戦が第一回目の亡国。それから77年目の今年が2回目の衰退亡国期に当たる』
2010年8月17日 /日本リーダーパワー史(87)記事転載
  
「議会政治の父」尾崎行雄(96歳)の遺言スピーチ
前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

立注府の権威を高めよ
 
「議会生活60年」の憲政の神様・尾崎愕堂が1945年の昭和敗戦後に新憲法が発布された時に国会でこの『立法府の権威を高めよ』との演説を行った。日本の明治以来の議会政治の本質を的確に述べており、現在の政治家、国民にも大きな示唆を与えるのなので、ここに紹介します。
第九十臨時議会開会中の1946年(昭和21)8月24日、憲法改正案が衆議院に上程され、六十年もの間、議会政治の発展のために戦ってきた尾崎翁の発言を求める声が強かったので、翁はこれに応じて登壇し、約二十分間の演説を行った。芦田均憲法委員長の声涙ともに下る報告が終ると、尾崎翁は古ぼけた手提げの皮カバンと聴音器と虫眼鏡を持って演壇に立ち、例によって御座なりな祝辞などは1言も述べず、簡単に改正に賛意を表してから、痛烈な皮肉と軽いユーモアを交えながら議員の耳には痛い忠告を連発せたが、さすがに大先輩の貫録がモノをいつてか一言のヤジもなく、終始、謹聴させた。
 

憲法で国は救えぬ

まことにとに良い憲法の修正になりましたについては、私は満腔の賛意を寄せるのでございます(拍手)
この細目ついては、無論文章の上において、或いは字句の上において改善すべき点は幾らもございましょうが、左様な細義を論ずべき今日ではない故に、私は一切意見を述べずして全部賛意を表します。
ただかくの如き良い憲法を行うに当たっては、余程、良い心掛けがなければ実行出来ないと思いまするが、如何なる心掛けがあるかを委員長はじめ、主として満場の諸君に伺いたいというのが私の質問の主旨であります。(拍手)
 
 これに比べればはるかに劣っていたところのこれまでの憲法すら、我が国民は十分に実行し得ない結果が、千古未曾有の国辱(敗戦)となって今日現われて居ります。あの憲法が正常に行われて居るならば、決して、今日の如き大屈辱には遭遇せぬはずであります。
今回制定せられんとするところの憲法は、これに比すれば非常に優れたものである。優れれば優れるほど、知識道徳のなお低い我が国人民においては、実行は困難であるということを覚悟して置かなければなりませぬ。(拍手)
 
 良い憲法さえ作れば国が良くなるなどという軽卒な考を以て、これに御賛成になりますると非常な間違いである。憲法で国が救われるならば、世界に滅亡する国はありませぬ。良い憲法を作ることはまことに容易なことである。しかしこれを行うことは非常にむづかしい。(拍手)この点を諸君に尋ねると同時に、私は顧みて己れにも尋ねなければならぬ程に心配を致して居ります。
 
 元来、民主主義というものは、申すまでもなく官尊民卑の弊習が骨随にしみみ込んでいるところの、我が国人民においては余程、行いにくい事柄であります。良い事をいうことは誰にでも出来まするけれども、これを身に行うことは非常に困難である。

 

議会と政府の位置

 
 民主主義となる以上は、国家の政治の主体が議会になければならぬ。立法府が国家の政治の主体となって、行政府はその補助機関ともいうべき位置に立つのであります。(拍手)
今度の憲法によっても、総理大臣は議会の指名によってその人を定める、即ち総理大臣の選定までも既に立法府に移るのであります。故にこれまでは主客転倒、従来は行政府が国の政治の主体であった。立法府はその補助機関、極めて柔弱微力なる補助機関の如く扱われて、また全国人民も大体それに満足しておった様でありまするが、(拍手)今日この憲法が制定せられる以上は、それではいけませぬ。
 
立法府が国家政治の主体であって、行政府はその補助機関でなければならぬ。これを実行するに当たつては、先づ議場から改造しなければならぬ。この前にも申した通り、この議場の造り方は何でありますか。(拍手)
 大臣席、政府委員席のごときは一番高い所に設けておる。これは議院を全く無視した補助機関として造った構造である。かくの如き不都合なる議場において、本営の議事が運べる筈はないのであります。(拍手)
 
 故に第一に、真に民主主義を行なおうというお考へがあるならば、先づ第一にこの議場を改造せわはならぬ(「ヒヤヒヤ」)大臣席、政府委員席などは直に廃止して、これは議員席としなければならぬ筈のものである。議場では議員以外には何人も発言権を与えるべきものではないのでありまするが、我が国においては議員の発言権は極度に制限せられて居る。これに反して大臣、政府委員の如き、元来補助機関となるべきものは何時でも発言することを許して居る。(拍手)
 かくの如く主客転倒、己れの位置すら知らない議会の構造において、真の民主主義を行なうなどということは非常な心得達いであり′ます。(拍手)
 

議員・国民の奴隷根性

 
次に議長の選挙を、もう少し本当にしなければならぬということは、この前申し述べましたので今日は先づ私はこの程度で満足し、十分な漸足ではないが承認は致している。しかしながら、こんな選挙の仕方では本当の民主主義は行えませぬ。従って書記官長を初めとして、現に議会における役員は、皆議長もしくは議長の指名するところの立法府の選任する。予算は立法府が編成し、万事ここで決め行政府の御厄介にならないやうにしなければならぬ。
 
それと同時におよそ議員たるものは、行政府の役人に任命せられ、もしくは内閣等から委員などに任命せられて、喜んでそれを受けるという奴隷根性を以てしては、真に民主主義は行われませぬ。(拍手)しかし、これは二千年近く養い来ったところの官尊民卑の悪習でありますから、これを改めることは容易に出来ないと思ひます。
 
恐らく二代、三代以上かからなければ、この弊習を改めることはできないと思いまするから、私は先般、憲法委員会の進行中に、芦田委員長までに、この根本を改正するのには、どうしても教育の力によるより外に仕方ない、それでなければ如何に憲法を良くしても、それが良ければ良いほど実行はできないという意味の書面を発して御参考に願いました。その根本にふれなければ、憲法は有名無実なものになって終わるという心配を持って居るのであります。どうぞこの点を十分に御考へを願いたい。
(中略)
一番大切なことが、主客転倒しているこの状態を改めることであります。行政府が補助機関あって、立法府が将来は政治の主体とならなければならぬ。それに相応したところの選挙法、議院法、議事規則、議場の構造、すべてのことをみな改めなければなりません。今はみな客体、もしくはお客さんのようなつもりで、邪魔者といわぬばかりの方法・精神を以て、すべての法律、命令及び議場の構造まで出来ておるのであります。従ってこの議場において議事の進行の方法を拝見いしまするとーこれは私どもが責任者で最も罪が重いと思いますがーこれまで五十有余年間行なっておった悪俗な旧法、悪い風俗習慣がそのまま今日継承せられて、現在もなお行われておるようであります。(拍手)驚くべきことであります。
 

歴代首相は閥族出身者

 
なぜ我々がかやうな不都合な事、世界の文明国のいづれの国にも見ることのできないやうな議事手続きを運んだかというと、これには深い理由がある。当時は日本には民主主義などといふ思想は少しもない。うかつにこれをいえば直ち牢屋に入れられるという時代であって、藩閥全盛の際で、いやしくも総理大臣などという行政府の首脳は、門閥か、薩長の藩閥か、もしくは軍閥か、あるいは官僚閥の外は、これまで五十回近く内閣の首脳は替わりましたが、普通の全国、日本人の側から出た総理大臣といふものは犬養毅君より外はないと思います。(拍手)
 
それは諸君の御手許に渡っているあの日記帳の如きものに歴代内閣の表がありますから、どうぞ詳しく御調べを願いたい。大正年間は政党政治の世の中などと申しましたけれども、その時ですらも政党の側から立って内閣の首席を占めた者は、大隈重信候にしたところが元は藩閥の人である。いわんやそれに続いて出たところの加藤高明・原敬・若槻礼次郎、その他色々な有象無象、ことごとく官僚出身の者である。(笑い声、拍手)
軍閥・官僚以外に総理大臣となった者は犬養毅君より外ないのであります。(拍手) その事賓はお分りにならなければならぬ。
 

抱負のない今の議員

 
将来、内閣大臣は、無論、衆議院議員でなければ実際政治はできないような世の中になるべき筈でありまするが、この根本の心掛けを改めなければ、内閣を倒しても作ることは出きますまいと思います。現にこの間も幣原内閣を倒したらしい。しかしながら後が出来ないで一ヵ月ばかりぐづついておったことは実に愚劣の至りであります。(拍手)
前の明治の維新は王政維新といった、今度の維新は民政維新であります(拍手)、前の王政維新に比べれば、二倍三倍もしくは十倍も重大なる民政の維新である。この維新をする以上は、従来の如き心掛けでは相成りませぬ。まだ文化未開の王政維新の際ですらも、幕府を倒すと、すぐ列藩から無名の青少年が出て、内閣の実権をとつて参議と云う名義で立派に維新の大業を成就しました。
 
 明治の初めに参議となって現在の日本を作ることに尽力したところの人は、皆現在の諸君と比ぶれば知識経験いづれも欠けているところの若い青年であります。まあ西郷・大久保などはやや年がいっておりましたけれども、それにしても四十、五十代の者はなく、大抵二十代、三十代、彼等の知識、識見などというものは諸君に比べて劣りますとも決して優っておった気づかいはないのであります。
 
それですら王政維新という比較的小さい事変に遭遇して起って起れば、この日本をどうかかうか経営することができたのは、識見が高いのではない、知識が多いのではない、抱負があったからであります。(拍手)国家を背負って自ら高く任じて居ったからである。

 

内閣打倒は手柄とならぬ

 
御同様は、彼等に比べれば知識も経験もよほど富んで居りますけれども、如何せん官尊民卑の悪習に縛られておって抱負がない。国家を背負って起つだけの抱負がないから、詰らぬことで喧嘩をして、内閣でも倒せば非常な手柄であるかの如く心得て居る。(拍手)
 
あんなものを倒すのは手柄でも何でもありませぬ。藩閥や何かを、我々ですらもあの乱暴な世の中においてついに倒したのである。全国は決して我々の後押しをしない、全国はかって我々に反対したにも拘はらず、武力を以て頼みとするところの藩を倒し得た。
 
これは力があったためではない、抱負があった、その見識を持っておったからである。
 
今日選挙権も大いに拡張せられ、全国一体となって後楯にならせればなるべき民主政治の初めにおきまして、内閣を倒すとか、国家を経営するなどということは、維新の時の後に元勲と云はれた人々に比べれば、我々の方がよほど有利な位置に立っておるのであるが、諸君は如何せん抱負がない、それだけの自信がない。維新の連中は盲減法界に自ら任じておったものだから、とにかく相当な知識経験も得られた。
 
今日は知識や何かを得ることはその当時に比べれば極めて楽である故に、諸君に国家を背負って起つと云う抱負さへあるならば、今日の窮境を切り抜けることは何でもないことと思いますが、その抱負が残念ながらあるかないか、これを先づ承って見たいのであります。

 

政党と徒党の別、民主、自民党は政党か、徒党か

 
これから後はどうしても政党政治にならなければなりませぬけれども、今日の如きやり方では眞の政党は出来ないのであります。(拍手)
 私は一生涯ほとんど改案のために努力した。初めは大隈重信侯を戴き、後には伊藤博文公を首領として、先づこれらが維新の元勲中、知識的には一番勝れた人でありましたから、我々はそれを戴きまして、政党を作りにかかりましたけれども、どうしても出来ませぬ。
 
徒党は直ぐ出来ます。博徒が作るが如き、ただ自分達の1身の利害、栄辱を考へて離合集散するところの徒党はいつでも出来る。(拍手)国家の政治を担任して行くべき政党は、不幸にして大隈侯にも出来ない、伊藤公にも出来ない。故に私はこれ等の両先輩をも見限って、とても駄目である、私自身はなお駄目であるから、もう将来、政党に関係は致さぬということに覚悟して、この民主主義を行い得べき人間の養成教育に全力を尽くすということに、今日は致して居るのであります。このことが諸君に御賛成出来るや否やを承りたいのであります。(拍手)
 
 現在のものが本当の政党であるとお考えになると、大変な間達いであります。政党の眞似ではあるけれども、あれらは徒党であります。又その党員というものは、党議に縛られれば正邪曲直を問はず、良心を棄てて党議に服従します。(拍手)現に議長選挙でこのことが証明せられて、幾度も恥をかいて居るけれども、まだ御分りにならぬ様であります。(拍手)

 

首領さへ出せぬ今の政党

 
今日以後もまだかくの如き失態は、この魂を改めざる以上は幾らも出て来ます、出る筈である。政党が大層威張って、多数党であるから内閣を取らなければならぬなどと、あたかも抱負があるが如く言って居りますけれども、その人々が如何なる人間を首領とするかというと、自分達の仲間からは総裁を仰ぎ得ずして官僚の古手を捜し出して、自由党も進歩党もこれを首領として戴かなければならぬといふ程の恥しい状態であります。これを真の改案などとお考へになると根本的に達います。徒党であるからあんなことができるのである。本当の改政党であるならば、こういふ働きは恥しくてできないはずと私は思ふのであります。(拍手)
現在首儲となって居るところの幣原君とか、或いは吉田君-吉田君と私は交りは浅いからよくは知らぬけれども、外から見れば官僚中のよほど優れた、類を見ない人であります。(拍手)故にこれを戴くといふことについては異議はないけれども、さりとて自由党に、これに越した人間がないかと言へは、さうでもない、幾らもあるだらうと思います。皆これは官尊民卑の悪習から出ることである。
 幣原君については、私はよほど長く知って居ります。次官時代から色々交渉したこともあって、その人物には感心して居ります。しかし、これも官僚の古手であるというに過ぎない。政党社会にはこれと対抗すべき者がまだ幾らもあるべき筈でありますけれども、如何せん抱負がない。
 
まるで使用人の如く考へて、大臣にでも任命せられれば、欣喜雀躍してお祝いするといふやうな連中が首領株になって居るのでありますから、(拍手)それではとても民主主義は行へないかと思ひます。これ等の点をどうぞお考へを願ひたい。
 

議事と喧嘩を区別せよ

 
現在の日本は死生のへき頭に立って居るのであります。一歩誤まれは倒れてしまう。これを生かさうとするのは非常に困難である。これは思想的に困難であるのみならず現在は肉体的にも困難で、衣食住に非常に窮して居るのであります。
この場合に、我々が衣食住が充足して、堂々藩閥をも倒して世界の五大強固とか六大強固などといはれる得意の時代にやった、あのやり方は非常手段であります。官尊民卑の弊を一掃するがためにやむを得ず施した非常手段である。
あれは決して良いやり方ではありませぬ。質問などと唱へて難題を政府に持掛けたり、用もないのに高い声を出して喧嘩を仕掛けたりしたというのは、あの威張って居る連中を天下公衆の前で叩きつけて、こんな人間であるぞといふことを知らすために我々はやったので、あれは良い趣向ではありませぬ。
 
しかしそれをやって行かなければ、どうしても日本全体が、大臣などを見れば我々より十段も高い人間の如く考へて、我々の言うことを聞かぬから、ここで大勢の前で叩きつけて、この通りの人間であると云ふことを知らすためにやつた悪手段である。
 
今日はそんなことをする必要は少しもないのでありますから、議事は議事らしく、喧嘩と議事とは違うから、おとなしく真に熟談協議、殊に国家が今日の如く窮境に陥って居る時には、議論等に違った事があつても、延ばすことが出来るものは出きるだけ延ばして、目下の急務だけを、お互ひに助け合って国を救ふといふことをやらなければならぬ、即ち小異どころではない、大異をも捨てて大同に合して故国の働きをせなければならぬのでありますが、我々が三、四十年間、喧嘩腰でやった手を、どうも諸君は学んで居るやうに見えます。
 
近来の議事を見ると、我々の子供の時にやった点に大層似て居ります。熟練したからといってあんなことはどうしても改めなければならぬ。これを学ぶというに至っては、実に諸君のために、私は残念千万にたへないのであります。
どうぞかういうやり方は根本的に改めて、議場は議員だけの集合場として、行政官などはこちらへ呼出し、説明をさせようとする時には全院委員会を開いて説明させる、本意には議員にあらざる大臣やその他の人間をば一切入れない、物をいわはせないで、御同様だけで熟議懇談するといふことにして、国家の急務を片附けなければならぬと思ひます。これはすべての法規を改正する実行手段として、議院法・選挙法その他の法規の改正は、憲法改正以上に目下の急を救ふに必要かと思ひます。(拍手)
 
これまでのやうなただ喧嘩腰のやうなやり方は非常にいけない。それも平生、日本が隆々進運に向つて世界の六大強国などといわれる運命にある時には、時々は間違った喧嘩をしても宜しいが、今日の如き生きるか死ぬか分らぬ・肉体的にも精神的にも生死不明という状態において、しないでもよい喧嘩をする、出さぬでもよい高い声を出す、甚しきに至ってはなぐり合いまでするという様な醜態は、絶対に禁ぜなければならぬかと思ひます。(拍手)
以上まことに老婆必であるかと思ひますけれども、これ等の衷情を申述べて、諸君のお考へを承りたいといふのが私の質問であります。(拍手)
 
尾崎愕堂全集第10巻収録『立注府の権威を高めよ』 昭和30年8月刊(非売品)

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