『オンライン講座/ウクライナ戦争と安倍外交失敗の研究 ➂』『プーチン大統領と12/15に首脳会談開催。三国干渉の侵略ロシアと「山県有朋・ロマノフ会談」の弱腰外交でていよくカモにされた②
日本リーダーパワー史(738)j記事再録
『大丈夫か安倍外交の行方は!?』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
世界一の買収工作といわれる露清密約(カシニー条約)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%B8%85%E5%AF%86%E7%B4%84
明治二十九年五月、李鴻章と外相ロマノフもウィッテ蔵相と共に立ち会い秘密裏に調印され、清国公使・カシニーの名前をとって、『カシニー条約』とも称されたが、密約とモスクワで調印されたことを隠す偽装工作だった。
このカシニー条約の第一条には、「日本がもしロシャの東部、及び清国ならびに朝鮮の領域を侵したならば、露清両国は即時、陸海軍の兵力をあげて相互に援助協力をする」という軍事同盟の密約である。
日本は当然のこととして全く知らなかった。これは一九四五年に締結された中ソ友好同盟条約と似たようなものである。
見当違いの山県外交
そんなロシアの悪巧みに乗って、ワイロ常習者の李鴻章は盛大な歓迎を受けてロシャ皇帝戴冠式に乗り込んだが、日本側からも日本代表として伏見宮貞愛親王一行が参列した。
この一行には枢密院議長・山県有朋(陸軍大将)が特命全権大使としてお供し、対ロシャ問題をロマノフ外相と審議し、できるだけ有利な協定を結ぶことをねらって、訪露した。
日清戦争が日本がほぼ完全勝利をおさめながら、講和直後に『三国干渉』という惨々な目にあった。
天国から地獄へ。戦争の大勝利から外交の大敗北へ
一転し、「張り子のトラ」を暴露した清国と、その属国朝鮮からも一転して「日本弱し」「西欧列強にはとくに弱腰」と軽蔑される始末となった。清国からも馬鹿にされ、露清密約(カシニー条約)となり、この「朝鮮も日本から離れてロシャへと急接近する事態を招いてしまったのである。
その結果、外交的な手ずまり感が深まっていった。
『臥薪嘗胆』しながら、日本と西欧列強の実力差は如何ともできず、従来からの『ロシャ恐怖症』『恐露病』は一層、重症になっていった。この事態を何とか打開したいと山県は考えた。
何とかロシャに直接談判をして打解の方策を見出したいので、朝鮮問題を中心にロシャ外相と相談し、少しでも現状より有利な言質をとり、何とか日露議定書を調印しようという狙いだった。
当時は各国から戴冠式参列のため皇帝、皇族、高官たちが多数霹都に集まっており、ロマノフ外相はてんてこ舞いの忙しさであったが、山県との会談を特に認めて時間をさいた。山県はそれをロシャも協定を欲している証拠だと誤認して、いっそう希望的観測を膨らませた。
会談の結果、この忙しい機会に協定を行なうことは軽率となる心配があるから余り具体的なことの約束をしないほうがよい、と軽くいなされた。
両者が合意したのは「日露両国は協力して朝鮮の独立維持を保持する」という内容の日本の権利を譲歩しすぎた弱腰会談、お願い外交の典型例であった。
会談では山県の口から『三国干渉』の横暴、非道について抗議,口撃でもあるのか、また「露清条約」の秘密がもれたのか、などなどロマノフ外相はひやひやしていると、
『日本は日露対等の朝鮮に対する勢力を認める』との信じられない提案があったのには内心、仰天した。
ロマノフは日本側の弱腰、バカさ加減に驚き、ほくそ笑んでいたに違いない。
なぜなら、清国との朝鮮の主導権争いをした結果が日清戦争となり、日本側は多数の兵士の犠牲者を出し、膨大な戦費を費やしたのにもかかわらず、ロシャはこれに何も関与していない。
それなのに講和直後にドイツ、フランスと手をくみ火事場泥棒的な武力恫喝外交の『三国干渉』で1兵を動かすことも、1弾丸も撃つことなく、まるまる遼東半島を強奪したのである。いわば『植民地帝国主義国』の悪の権化といっても過言でない。
これを正面から攻撃し、正論でついていけばいいのである。「外交とは言葉による戦争である、外交は戦争の延長であり、戦争とは外交の発展である」とクラウゼビッツは言っているではないか。なぜ、激論、バトルが出来ないか、明治のトップリーダーでは、唯一、山本権兵衛以外には戦争上手、外交上もいない。
山本はドイツに招かれ、ドイツ皇帝を煙に巻き、米国ではルーズベルト大統領とも5分の議論をしている。
山県は人見知りするタイプで、「一介の武弁」を口癖に、よそ者を近づけず、胸襟を開くタイプではなかった、政治、外交下手の1介の軍人で「陸軍内に山県閥をつくって『お山の大将として君臨した」老害元老である。
なぜこんな土下座外交、弱腰外交となったのか。
それには三国干渉を受けた後、被害者意識で、極端な程まで弱気になっていた日本の政府の代表だった山県全権は、軍事大国ロシャに『強露病』が再発し、卑屈な朝貢外交を展開したのである。
(最近例ではー習近平との『トップ会談願望症』の安倍地球儀外交は多国訪問、会見した大統領の回数を誇っているが、国益を増進し、問題を解決する成果を上げる外交が真の外交力である)
さて、話が少し脱線したが、ロマノフにとっても
ロシアにとっては再び、全く手を下さず、朝鮮獲得の成果が転げ込んできたので、日本組みやすしと、交渉術の駆け引きを展開する。
山県はロシアと対等の立場が維持できたと、この確約を喜んだというから、なにおかいわんやである。
関連記事
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(201)』-冬の京都・三千院、比叡山延暦寺、湖西の石山寺、三井寺を周遊、『この数年ヨーロッパばかり回り、石造り建築の露骨な存在感に食傷しておりましたので、自然と一体となった日本の寺院建築の楚々とした佇まいに改めて魅了されました。』
2017/02/23   …
-
日本リーダーパワー史(42)外国新聞がみた日本のリーダー・若き日の伊藤博文は外国人を好み、やさしく扱う人
外国新聞がみた日本のリーダー・若き日の伊藤博文 前坂 俊之 &nb …
-
速報(288)『高浜1号圧力容器脆性遷移温度が95度になった意味 小出裕章(MBS)』●『東日本2500万人移住、日本崩壊の4号機を」
速報(288)『日本のメルトダウン』 ●『4月25日高浜1号圧力容器脆性遷移温度 …
-
『オンライン/日本宰相論/講座』日本史最良・最強の宰相は誰か?、平民宰相と呼ばれた原敬です』★『凶刃に倒れた日本最強の宰相・原敬の清貧の生活、非業の死、遺書、日記』★『原敬暗殺の真相はー「お前は「腹を切れ」といわれたのを、「原を切れ」と勘違いした凶行だった』
2012/08/12 /日本リーダーパワー …
-
『長寿逆転突破力を発揮したスーパーシニア―』★農業経済 学者・近藤康男(106歳)―越え難き70歳の峠。それでも旺盛な研究力が衰えず、七十七歳のときからは目も悪くなったが、それも克服し七十歳以降の編著だけで四十冊を超えた。
2014/05/16 <百歳学 …
-
『オンライン中継/わが青春に悔いなし/』★『平成29年度慶應義塾大学入学式(4/3午後3時)』★『塾歌斉唱『見よ,風になるわが旗を・・ああ、わが義塾、慶應、慶應、慶應』★『 清家篤塾長の式辞『変革の時代、福沢諭吉先生に学ぶ』(20分) ★『新入生入学歓迎ステージⅡ』
平成29年度慶應義塾大学入学式(4/3午後3時)ー塾歌斉唱『見よ, …
-
日本経営巨人伝⑮永野重雄ー夜逃げし、倒産会社を再建して「財界天皇」に上りつめた不屈の経営理念
日本経営巨人伝⑮永野重雄 「世界一国論 …
-
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙は「日韓併合への道』をどう報道したか⑩ 「ノース・チャイナ・ヘラルド」(明治40年7月26日付>『朝鮮の現状』
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙が報道した「日韓併 …
-
速報(239)『欧州危機は全治2年、時間必要』『「日本のようにはならない」移民受け入れ・シンガポール』
速報(239)『日本のメルトダウン』 ★『欧州危機は全治2年、リー …