「オンライン・日本史決定的瞬間講座④」★「日本史最大の国難をわずか4ヵ月で解決した救国のスーパートップリーダーは一体誰でしょうか?④」★『昭和天皇の戦争責任について』★『救国の大英断、2回目の聖断が下る』★『鈴木貫太郎首相(78)の「長寿逆転突破力」と昭和天皇の「聖断」が相まって日本を土壇場で救った』
昭和天皇の戦争責任について
さて、天皇の戦争責任について未だに論議が続いているが、ここで1点注意しなければならないことがある。
近代日本の天皇制は非常にわかりにくいシステムです。大日本帝国憲法(1890年(明治23年施行)によると、
第1条 大日本帝国は万世一糸の天皇がこれを統治す。
第3条 天皇は神聖にして侵すべからず。現人神(あらひとがみ)である。(これは天皇の神格性を規定したものではなく、デンマークなどヨーロッパの立憲君主国の憲法と同様に、天皇の政治的無答責(無責任)の立
場を明示した条文です。
第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん、統括)して、この憲法の条規でこれを行う。すべての行政の統治権をもつ。
第11条 天皇は陸海軍を統帥す(軍隊の統帥権)を持つ。
第55条 各国務大臣から輔弼(ほひつ、天皇大権の過誤がないよう意見を進言する)よって「君臨すれども、統治せず」とー規定されていた。
この規定だけを読めば、天皇は政治と軍事の全権を掌握する「独裁君主」との印象を受けるかもしれない。しかし、現実には、天皇は、内閣または陸海軍幕僚長(参謀総長、軍令部総長)の「輔弼」によって、その行政、統帥権を行使するにすぎず、どのような決定にせよ「輔弼」の責任機関の決定に対して、「拒否権」は与えられていなかった。つまり、操り人形と化していて、「君臨すれども統治せず」(矛盾二重構造)に縛られた天皇は不本意な決定でも勝手に拒否したり、不裁可にする権限は持っていなかったのです。
そのため、御前会議の仕組みも、出席者は全員がすでに閣議、連絡会議等で、意見一致の上に出席しているので、天皇には会議の空気を支配する決定権はない状態。つまり、昭和6年の満州事変以降はファシズムの勃興によって議会政治は倒され軍閥政治に移行し、天皇や国民の意思を無視した独裁的、封建的な専制政治(幕府的な)がまかり通っていたというわけです。
8月13日朝、バーンズ米国務長官からの回答が到着した。ただちに閣議が開かれ、正式回答をめぐって再び論議を行なわれた。
- 天皇、日本国の政府の国家統治の権限は連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる。この制限の下の英語は(subject to)となっており、これは隷従ではないかと、陸軍は再びいきり立った。
また②日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである―については「社会が共産化するのではないか。革命が起きるはではないか」との疑問が出され、議論は再び紛糾した。
特に、平沼議長はこの2点に激しい異議を唱えて受諾反対に態度を変えて、鈴木首相に米側への再問い合わせを強硬に要求した。 これに対して鈴木首相が「玄黙」して要求を拒絶しなかっため、東郷外相、木戸内大臣は驚いて、鈴木首相が「この要求に屈した」と誤解して詰め寄ります。それでも鈴木首相は「玄黙」して肚の中を一切見せなかったのが、鈴木首相の終戦決定力の最大のポイントです。
鈴木首相はリーダーシップについて、普段の雑談の中で、静かな口調で
- 「大国を治むるは小魚を煮るが如し」(小さな魚を煮るときに無理したり、急いだりすると形がこわれてしまう意味)
②「僕は舟乗りだが、霧などで行くべき方向がわからなくなった時は、いろいろ無理して手探りすることは禁物で、落着いて、止って霧などの晴れるのを待つのが舟乗りの常道である」と迫水久常内閣書記官長に語っていた。
救国の大英断、2回目の聖断が下る
8月13日夜と14日朝の二回、束京の上空でB29機が大量のビラをまき、官邸の庭にも舞い落ちてきた。
このビラには「八月九日、日本政府より連合国政府への通告」「米国務長官より日本へ伝達したメッセージ全文」が印刷されており、政府が秘密裡に進めている降伏交渉が全面スッパ抜かれた。十四日朝にこのビラを見た木戸幸一内大臣は驚愕した。
アメリカのラジオ放送は、日本の回答遅延をさかんに責め、中には三発目の原爆投下をにおわせる放送もありました。鈴木首相は木戸内大臣とともに午前8時に拝謁し、前例のない天皇直々のお召しによる御前会議の開催を願い出た。
『昭和天皇独白録』 (文春文庫、1995年)よると、天皇は「このビラが軍隊の手に入ると『クーデター』の起ると心配し、会議は11時ときめたのです。会議に先だち、昭和天皇は、永野修身、杉山元、畑俊六の三元帥を呼んで諭しましたが、3人は戦争継続をあくまで主張して、物別れとなった。
午前11時、最高戦争指導会議と閣議との合同御前会議が宮中の地下防空壕内で開かれた。鈴木首相が9日の御前会議以後の経過を説明し「閣議では、八割以上の者が連合国側の回答に賛成しましたが、まだ、全員一致には至っておりません。反対者が意見を申しのべますので、陛下のご聖断を仰ぎたいと存じます」と述べた。
最初に阿南陸相がたち、「もしこのまま終戦を迎えると、国体の護持に大きな不安がある。もう一度連合国側に照会すべきである」。梅津美治郎陸軍参謀総長、豊田副武海軍軍令部総長これに賛同した。そこで鈴木首相は議論を打ち切って昭和天皇に聖断を仰いだ。
白手袋姿の昭和天皇は「三人が反対する気持ちはよくわかるが、国内の事情と世界の現状を考え合わせて、これ以上戦争をつづけるのは無理だと思う。国体護持の問題は、先方の回答文をよく読んでみると、悪意をもって書かれたものとは思えないし、そのまま受け入れてもよいと考える。
陸海軍の将兵にとって、武装解除や占領は堪えがたいにちがいない。また、国民が玉砕して国のために殉職とする心持ちもよくわかるが、わたし自身は、自分の身はどうなってもよいから、国民の命を助けたいと思う。
わたしが直接国民に呼びかけるのが一番よい方法なら、いつでもマイクの前に立つ」、と涙ながらに話して、最後に「内閣は、これからすぐ終戦に関する詔書の準備をしてほしい」とつけ加えた。
昭和天皇の言葉が終わるまで、会議の全員の鳴咽(おえっ)が大きな波のうねりのようにわきあがった」。
鈴木首相と昭和天皇の「阿吽の呼吸」で、戦争に終止符を打った日本史上最大の決定的な瞬間である。
「聖断」の大役を終え鈴木首相が帰宅した8月15日午前4時ごろ、小石川丸山の私邸は兵士ら約百人の暴徒に襲われた。機関銃が乱射され、私邸も焼き打ちされた。車で裏道を通って逃げたため、暴徒とかち合うことなく危機一髪で難を逃れることができた。
裸一貫、無一文となった鈴木首相は悪化する政情不安と大混乱の中で、暴徒のさらなる襲撃を避けるため住居を3ヵ月の間に7度も転々と変えた。20年11月、鈴木の故郷だった千葉県関宿から、町民の強い誘いがあり、やっと帰郷して平穏な生活を始めたのです
1948年(昭和23)4月17日、鈴木は79歳で逝去し、その波乱万丈の生涯を終えた。4月26日付「米ニュース・ウイーク誌」は「日本の救世主」と題した鈴木氏の死去を報道した。
「静かな、穏かな物腰の中に、烈々の気魄を包んだこの老提督は、毎日、否、時には刻々と暗殺の危険にさらされながらも、戦いを強行し、国民に自滅の道を歩ませた軍の試みを、失敗に終らせた。もしこの試みが実現していたな らば、日本国民はもちろん絶滅したであろうし、同時に五〇万人のアメリカ人が生命を失ったであろう」と書いている。
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鈴木首相、昭和天皇の「聖断」が日本を救った。
昭和史の戦争の大失敗を振り返るとすると、満州事変以来の、関東軍の暴走を止められず、近衛文麿内閣の不決断で東条英機内閣が生れ、東条首相の誤判断で太平洋戦争が勃発し、昭和天皇の終戦決断で戦争が終わったという経過。
8月14日の昭和天皇、鈴木首相の断固たる「聖断」がなければ、聖戦完遂・本土決戦派の陸軍に押し切られて、日本はズルズルと米軍との本土決戦となり、同時にソ連軍が北海道に上陸し、本土は両軍のはさみみ撃ちとなり、三発目の原爆投下やB29空爆による地獄の戦闘状態が続き、数百万の日米両軍の将兵や非戦闘員、国民にも大惨禍がおよんだことでしょう。
さらに、ソ連軍が北海道に上陸すれば、連合軍(米軍単独支配)の日本占領はドイツような「分割占領」となり、国際連合への復帰(1952年)は大幅に遅れ,朝鮮半島が分断されたように、「北海道はソ連領」となっていたかも知れない。天皇の聖断がなければ、さらに数百万人の国民の犠牲者が出て、その子孫である若い世代(昭和21年以降生まれの団塊世代も)の人口ボーナスもなく戦後経済発展もなかったのではないでしょうか。
ギリギりの聖断により、大陸に侵攻してい兵士、在外邦人合計624万余人が昭和22年までに復員・引揚げしてきた。そのため出生率が大幅に上昇、団塊世代による生産人口増加(約3000万人)によって、「奇跡の高度経済成長」の波に乗り、「軍事大国」から一転「世界第2の経済大国」に発展できたのである。
鈴木首相は8月17日、辞任しましたが、12月に平沼騏一郎枢密院議長がA級戦犯に指定されたため枢密院議長に復帰した。1946年4月、吉田茂が首相に就任した際、吉田は鈴木邸を訪ね「首相の心構え」を聞いた。鈴木は「まな板に載せられたタイはびくともしない」「負けっぷりをよくせよ」「戦争に負けて外交で勝った歴史がある」と忠告しています。吉田はこの言葉を胸に刻み、わずか7年で廃虚、焦土から復興し国際連合の仲間入りを果たしたのです、
日本の「平和で豊かな民主主義社会」の基礎は鈴木首相+昭和天皇+吉田首相らの奇跡の「長寿逆転突破力」と国民全体の努力のバトンリレーの上に築かれたものです。世界歴史上で大戦争で完敗、亡国した国家が、わずか20年で再び「世界第2の経済大国」として復活した国ははないからです。
◎前坂俊之著「トランプ対習近平:貿易・テクノ・5G戦争(22世紀) Kindle版」
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