『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『日本リーダーパワー史(32)』★『 英雄を理解する方法とは―『犬養毅の西郷隆盛論』・・
日本リーダーパワー史(32) 英雄を理解する方法とは―『犬養毅の西郷隆盛論』・・
記事再録
日本リーダーパワー史(32)
英雄を理解する方法とは―『犬養毅の西郷隆盛論』・・
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
偉人を理解することは難しい。人物を理解する道はまず第一に、当人の書いたもの話したものを見聞して、自分で判断することである。次はその人物を直接知る人間、当事者の証言であり、作家、学者による研究は三番手である。作家の創作、推測がどうしても入りやすい。特に、小説の場合はなおさらである。
事実ではなくフィクションだからである。特に、時代とともに偉人は美化され、英雄視されがちである。西郷隆盛、坂本竜馬しかり。日本の英雄として何十倍もの虚像が膨んでおり、その実像をつかむのは容易でない。NHKが取り組む司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」の場合も言うまでもなく、歴史小説ドラマであり、これが竜馬であり、明治維新であり、日露戦争の真実であったと思うと、とんでもない歴史誤認を犯すことになる。
坂本竜馬と同時代の、それ以上の英雄である西郷隆盛もその実像をつかむことはさらに困難である。自らを語ることが余りに少なかった人物だから。つぎに紹介する文章は、『起てる犬養木堂翁』(額田松男著、昭和5年9月刊)の中の掲載されている、『犬養毅による西郷隆盛、従道兄弟論』である。
『憲政の神様』といわれた偉人・犬養毅の西郷隆盛をどのように理解するようになったかの方法論である。隆盛と犬養は27歳違いで、犬養が22歳の時に隆盛は死んでおり、生前に面識はない。西郷の弟従道とは12歳違いの従道が先輩である。政治家になって以来、従道とは謦咳を接することとなり、その人柄、実力から兄隆盛の実像を推測、考察しており、政治家による立派なリーダーシップ論になっているので、ここに紹介する。
<犬養毅の西郷隆盛論>
『西郷隆盛(南洲)は、維新の元勲の大立物として、多くの人々から日本第一の英雄と見なされている。とくに薩摩人は神の如く崇拝しているが、犬養毅は当初は深くその人となりを研究せず、実際それ程の人傑とも思わなかった、という。


薩摩人には、自国の先輩と言えば全員一致で推称する習慣があるから、南洲も最初はそれ程エライものでもあるまいと思ったのである。ところが、松隈内閣(大隈、板垣内閣)の出きた時に、南洲の実弟の西郷従道とたびたび会談の機会を得た。もっとも従道とは、西南戦争の時からの知り合いではあるが、その時、犬養は二十三歳の青年であるから、すでに高地位についている従道候が、十分の話をしてくれるはずもないので、深くはその人柄をも知らなかった。
それゆえ、政治問題で、じっくり腹をわって話したのはこの時初めである。で、段々話して見ると意外にりっぱな人物である、ところが薩摩人の評判を聞くと、その兄とは比較にならないといい、はなはだしきは『信吾どん(従道の本名)はバカだ』とまで罵るものもあった。もっとも侯は学問は無い、そして平生は笑談ばかりしておられたから、一見してはいかにも平凡人のようであるがなかなかさうではない、政治上の事でも、大局にはちゃんと眼をつけている、細事には頓着せず、むしろ無学を看板にしてわずらわしさを避けていた実際の政治家であった。
それから真の武士で虚言いわない、一且、許諾したことは必ず尽力するという美点もあった。要するに大局についてこの見識を備えている点では、元老中でも決して遜色がないことがわかった。
そこで、犬養は考えた。世間でエライと推重される南洲は事実、正真正銘に偉いのではないか、それまでの自分の考えは間違っていたのではないか、従道候の謦咳に接したことで思うようになったという。そのわけは、従道侯と同じ腹から生れた最も密接の血脈であるからは、ますます同型の人物に相違ない。
そこで先づ、従道候を土台にして南洲の人となりを想像して見た、従道侯は無学だが、南洲は、ともかくも陽明学もやったり、相国寺に参禅もしていたから、修養の点では従道侯よりも優ぐれている筈である。従道侯は、南洲ほどの辛苦を嘗めてはいないー南洲は何回も島流しにされたり、反対派に迫撃せられたり幾度も死生の間を出入して、種々の難難苦労を経てきた人である。仮りに従道侯が儒仏の書を読んで、それに静坐の功夫や逆の鍛錬を加へたらとうなるかを、考へて見ると、侯の現在よりもさらに数等優れたるエライ人物になるべき筈である。
まことに従道侯は熱情の人でないが、兄の南洲は殊に従道侯は熱情の人でないが、兄の南洲は熱情の人である(月照と海に投じた一事に徹しても判る)政治界、軍事界に活動するにはどうしてもこの熱情がなくては、多数を感動させる事は出来ぬが、南洲にはこの美点がある。もし従道侯に学問と鍛錬とをえたから、犬養はこれをきっかけに南洲研究をやって見ようという気になった、という。これが南洲研究の動機である。

そこで維新前後の関係書類やら、南洲の人に与えた手紙などを種々見せてもらった。するとその手紙で、その人となりとその修練とを窺いしられて要するに本領の篤実光輝を認めたのである。殊に晩年のものになるとー少しも理窟張ったところがなく、少しも奇異の感がなく、極めて平々凡々である、そしてその平々凡々の中に無限の意味がある。くらべてこの様な平凡は徹底的得カの人でなくては出来ないのである。
それからまた、薩摩で出来た伝記なども読んで見たが、如何にも南洲は天分がエライ、生れ付きが立派である、その上に種々の難苦にあって鍛錬されている学問と言っても、文字を読む方の学問は深くはないが、体得したる学問がエライ。相国寺の参禅で得たか、陽明学から得たか、いずれにしても心地上の徹底した偉人であることわかった。
が、しかし南洲といえども初めからそれ程大成した人物ではなかった、天分のエライ人ではあったが、月照とあい抱いて海に飛込むまでの南洲は、昔時の志士中の傑出した者という位に過ぎなかった。それが一旦、死を決して月照と共に海に投じ、さらに生きよみがえった時、始めてかつ然として一の光明を認めたに相違ない。その証拠には、その後の南洲の手紙を見ればよく判る、造語が非常に平易になってきている、もっともその前から既に平坦の心境に進みつあった思われる。
ある人にそれは南洲の島流しにされた時に、いろいろ世話した人であるがーある時『先生、家内を円満に治めて行くにはどうしたらようございますか』と問うた。すると南洲はそれに答えて『昔の聖人や賢人と言われれる人は、いろいろ厳しいことを教えているが、なかなか凡人には実行が難しいいものだ、そこでこうやって見るがよい、何か旨いものがあったら、それを1人で食べないで家内に分けてやる、何か欲しいものがあったち、それを一人で貪らないで、矢張り家内にも分けてやる、コレ1つやって見るがよい』と言っている。
これは「人欲を去って天理に従う』儒学でいうとやかましい問題で、南洲のこの語は、これを平易に述べたまでで、それをこの様に平易に説いているところにー南洲の人格の円熟さが窺われるではないか。
又、西南戦争の際、いよいよ軍が敗れて逃げ延びて行く途中、後から官軍がドンドン追撃してくる中を、度々、立留っては官軍の砲台を見て『うむ、これは立派なものだ、日本の陸軍もこれだけに進歩したか、喜ばしいことじゃ』と感服していたということである。人間、このところに到れば、彼我なく恩讐なく、利害もなければ生死もない、宜に超々平として卓越したものである。そして最後に城山においては、兵児たちが弾丸を避けるために、穴を掘ってそこへ南洲を置いたが、いよいよ最後の襲撃にあって逃げ出した途中、脚部に弾丸が中って動けなくなってしまった。
すると『オイ、俺の首を斬ってくれ』と言って首を差し延べて斬らせた。月照と海に飛込んだ時はどうかというに、内にあっては島津三郎公の排斥にあい、外にあっては、その主張、抱負の行われるべき望みも絶え、どうしてもいかねといふ煩悶の極死を決したのであるが、城山においては生き延びられるだけは延びようとし、いよいよ生きられぬとなって、かつ然坦然として首を差し延べて斬らせた。
彼の党獄で殺された明の楊椒山が『怖死国富道求死亦害道』と言ったが、是は論語の『愛之欲其生悪乏欲、其死既欲其生又欲其死是惑也』より鍛錬し得たる心地で、真の丈夫は是でなくてはならぬ。
前の南洲はまだまだ死を求める程度であるが、後の南洲は、死を求めて又死を怖れず、超大無辺の心境である。この如き心的偉大は、維新諸傑の中においてはん然として一頭地を抜いている、南洲のエライのは即ちこのところである。この心的方面の大得カは、天地萬物一体の絶対心境に到達したものである。これは偉大の天分に多年の鍛錬功夫を積んで初めて大成したるもので、人の容易に企て及ぶところでない、晩年の南洲は確にこの境地に入ったのである。
ところが薩摩人などの西郷崇拝は、何かというと、やれ外交の意見がエラかつたの、軍事上の計画がどうだったのというが、外交の事ならば、木戸、大久保、又は後輩の大隈、伊藤、井上の方が、南洲よりはエラかつたかも知れぬ、軍事上の事ならば、大村の方がエラかったかも知れぬ。ただ真心的方面の得カ、透徹の一点は、この人をおいて他に比較すべきものはない、南洲を見るにはその所を見なければならぬ。
此意味において西郷南洲は、異に近世の偉人といわなければならぬ。
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