『リーダーシップの日本世界近現代史』(300)★『明治トップリーダーのインテリジェンス』★『英仏独、ロシアのアジア侵略で「日中韓」は「風前の灯火」の危機に!』★『国家危機管理能力が「日本の興隆」と「中韓の亡国」を分けた②』
2015/07/11終戦70年・日本敗戦史(107)記事再録
<歴史とは現在への過去形である>70年前の太平洋戦争の原因はその約50年前の日清・日露戦争までさかのぼらねばわからない②
英国、ロシアの侵攻で「日中韓」の運命は「風前の灯」に?―
リスク管理の差が「日本興隆」と「中・韓の亡国」を招いた。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
今、中国・韓国が「日清戦争」「日露戦争」までひっくるめて日本の『侵略戦争』などとプロパガンダを世界に広めている。いまだに延々と続く北朝鮮との拉致交渉、韓国との従軍慰安婦問題や強制連行問題のやりとり、こじれ、失敗のルーツは約150年の明治維新直後の朝鮮との修好条約の交渉開始からの対立にある。
外交官との面会拒否、国書の受とりを拒絶、時間引き伸ばし、約束無視の態度から日本公使館への襲撃、暴動などへエスカレートして、一向に埒が明かない。恨の怨念による「トンデモ外交・害交術」で、現在と全く同じパターン。この日中韓150年戦争史をしらずして、現在の3国関係の歴史認識のねじれにねじれたコミュニケーションギャップを理解することはできない。
◎ ロシア大侵略国家の恐怖→日本が鎖国で眠っている300年間に、
1日100キロ㎡の大膨張、
128年4ヵ月間はことごとく戦争に費したのである。
脅威の世界一の大戦争膨張軍事国家がくる
ロシア帝国はもともと、ボルガ河畔の小さなモスクワ公国がスタートである。そのロシア公国は、1480年のイワン三世の時代に「タタールのくびき」(モンゴルの250年にわたる支配)を脱し、その後、イワン四世がモスクワ大公に即位すると、1547年に「ツァー(皇帝)」を自称し、膨張・拡張・南進主義をとった。以来、わずか百年で七つの海をめざしてウラル山脈を越え、東へと拡大。オホーツク海に達し、さらに北米のアラスカにわたり、アメリカ、中国、インドを上回る大きさの領土を獲得した。
フレデリック・シューマン著『ソ連の内政と外交』によれば、1613年にロマノフ王朝が成立して以来1913年にいたる300年間の領土拡大のスピードは、平均1日100キロ平方メートルの大膨張してきた。
日露戦争の敵将、クロバトキン将軍は次のように具体的な数字をあげている。
「ロシアは18,19世紀の200年で、平和の持続は71年8ヵ月。128年4ヵ月間はことごとく戦争に費し、
この間、外国と戦争をしたのは33回、内戦は2回に及んでいる。その戦争の内訳を見てみると
・領土拡張の目的の戦争は22回で、通算102年余、防御の戦争は4回で通算4年余
一般外交上の利益に基いて行った戦争は7回、
出征2回で通算10年余内乱は2回にして6年
暴徒の鎮圧は5回で6年
その結果、200年間で戦争参加兵員は1千万人、死傷者は100万人」
(クロバトキン『回想録』)である。
以上、日本が250年鎖国して眠っていた問に、ロシアがどのように大膨張をくりかえし、戦争に次ぐ戦争であらゆる地域に執拗におこなわれたが、ヨーロッパ、バルカン半島、トルコ、ペルシャ、アフガニスタン、インドに対してはヨーロッパ列強に阻止され、いずれも失敗した。
とくにトルコ方面には3度も戦争をしかけたが、わずかに黒海北岸地方に地歩を築いただけで、これ以降、ロシア拡大の矛先は東に向かう。この方面には強国はなく、ヨーロッパ列強の勢力も延びてきていない。19世紀半ばロシア人は黒竜江方面に進出した。
1854年(安政元)のクリミヤ戦争のあと、ロシアでは大規模な産業改革が進み、各地で農業から工業への転換が起こり、人口も急速に増加した。しかし、ロシアの農業は大規模農地を必要とする粗放農法だったため、貿易目的以外に植民地建設によって、次々と領土を拡大していく必要があった。
シベリア横断鉄道建設の理由はこの点にあった。同鉄道が全通すれば、アジア北辺の膨大な農地、資源の開発が可能になり、急増する人口のはけ口になるからだ。
ロシア帝国は、南下政策をすべての国境で進め、領土の拡大を狙った。こうして北ヨーロッパ、南ヨーロッパ、ペルシャ(イラン)のはかに、北アジア、インドの国境地帯の至るところで領土紛争が勃発し関係国と対立、紛糾した。
ペリー提督の率いるアメリカ艦隊が日本を訪問するというニュースをつかんだロシアは、これに対抗してプチャーチン中将(侍従武官)の艦隊を派遣することを決めた。プチヤーチン提督はぺテルブルグを出発し、アフリカ大陸を迂回してインド洋を越え、日本をめざした。
ペリー艦隊とほぼ同じルートだったが、ロシア艦隊は旧式でスピードが遅かったため、ペリー提督より約二カ月遅れて1853年(嘉永6)8月22日に長崎に到着した。日本開国はアメリカのペリー艦隊の「黒船来航」による7月2日であり、約2ヵ月遅れた。
★一方、16~20世前半まではイギリスの世界制覇「植民地大英帝国」時代
1840年、英国は「インドからのアヘン密輸」をめぐって清国(中国)とアヘン戦争を起こす。1856年(安政3年―黒船来航から3年後)はアロー戦争(英・仏連合軍対清国)で、清国を倒し、半植民地状態にした。
1853年(嘉永6)7月、米国の黒船来航。8月ロシア艦隊も。10月クリミヤ戦争
オスマン帝国がイギリスとフランスの支援を得てロシアに宣戦布告。
1854年、日米和親条約で開国、以後、列強と次々に不平等条約を結び、鎖国は崩壊
1856年(安政3年)アロー戦争(英仏軍対清国)で清は半植民地状態になる。
1863年 薩英戦争(イギリス艦隊鹿児島湾を砲撃)、下関戦争(英仏蘭米と長州の戦い)
1864年(文久3)、李氏朝鮮で大院君が仏人宣教師、8千人のカトリックを処刑。鎖国・排外主義を続け、その後の明治政府との修好条約も拒否、日本と対立する。
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1868年(明治元)9月、明治維新、日本が朝鮮との外交交渉を始めるが,朝鮮は拒絶。
1871年(明治3、4)、日清修交条規(平等条約)、普仏戦争、パリコミューン
1873年(同6)朝鮮の排日で西郷隆盛の征韓論敗れ、板垣退助・江藤新平ら参議を辞職
1874(明治7)「民選議員設立建白書」提出、日本の台湾出兵、佐賀の乱
1875年(同8) ロシアと樺太・千島交換条約調印、朝鮮と江華島事件おこす。
1976年(明治9)に日本は朝鮮と日朝修好条規を結ぶ、熊本神風連、秋月の乱
1877年(明治10)西南戦争勃発、西郷隆盛自死、木戸孝允没、
1978年(明治11) 大久保利通暗殺により「維新の三傑」は<歴史の舞台>さる。
1881年(同14)玄洋社設立(初代社長は平岡浩太郎)、明治14年の政変(大隈重信下野)
1982年(明治15) 福沢諭吉「時事新報」創刊(多事争論)、
壬午事変(じんご)―朝鮮で親日派の閔妃・閔氏らが日本から軍事顧問を招いて改革を行う。これに反対する大院君派(親清派)がクーデターを起し日本人軍事顧問を殺害、日本公使館焼き討ち、数十人が死傷。清の出兵により鎮圧。以後、親日派であった閔氏は清へと傾き、事大主義になる。済物浦条約。
1984年(明治17) 清仏戦争(ベトナムの領有権をめぐる戦争)
甲申事変(朝鮮ソウルでのクーデター。明治維新をモデルに開化派(朝鮮独立党)の金玉均・朴泳孝らが,朝鮮の独立と政治改革をめざし,日本の援助で王宮を占領したが,二日後に清の武力干渉によって失敗。金らは日本へ亡命した。福沢、玄洋社が金を支援・援助。
1885年(明治18)金玉均らの朝鮮の改革を実力行使で行おうという自由党・大井憲太郎の大阪事件発生。福沢諭吉が「時事新報」に「脱亜論」発表(3/16)「清国、朝鮮が明治維新のように変革できなければ、数年後には亡国となるであろう」と予測。
1986年(明治19) 清国は海軍力を増強、日本にデモンストレーションし、長崎清国水兵事件が発生(8月)。双方で数十人の死傷者、日本側が多額の賠償金を支払う。
1989年(明治22)大日本帝国憲法発布。 山県有朋首相が「シベリア鉄道が完成した時にロシアの侵略が始まる」と想定し「朝鮮半島に利益線の確保のために軍事予算の拡大が必要」と議会演説する。
1993年(明治26)「日本のモルトケ」川上操六参謀次長が満州、シベリアを偵察旅行、福島安正中佐が単騎シベリア横断の快挙を達成。
- 1894年(明治27) 3月、金玉均が上海に連れ出されて、朝鮮王宮・閔妃の刺客と清の李鴻章策謀によって暗殺され、遺体はソウルに運ばれバラバラにされる。福沢、玄洋社、日本の世論は沸騰し、これが日清戦争の導火線となる。
東学党の乱勃発(3月)、玄洋社が天祐侠を派遣。日本出兵(6/5), 高陞号事件(7/25),日清戦争開戦(8/1),威海衛占領、清北洋艦隊全滅(95/2/12)
1995年(明治28) 日清講和条約(下関条約)締結(4/17),日本は3億6千万円の賠償金を獲得。ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉招く(4/23)
、閔妃暗殺事件(三浦梧楼駐韓公使らを軍法会議で無罪釈放)
1896年(明治29)朝鮮国王、露国公使館に匿われる。三国干渉で日本が放棄した遼東半島を列強は租借地、鉄道施設権を獲得、6月に露清密約(日本が清、朝鮮に・侵攻した場合、露清は共同して戦う。李鴻章は50万ルーブルの賄賂を受け取っていた)
1997年(明治30) 米国はハワイを合併。ドイツは膠州湾占領、朝鮮は「大韓帝国」になる。
1898年(明治31)日本は威海衛を撤兵し英国が租借、ロシアが旅順、大連を租借。児玉陸軍次官が台湾総督に。義和団事件勃発。
1900年(明治33)義和団事件に派兵を決定。ロシア満州を占領(8月)、伊藤博文が政党政友会組織(自民党の源流といってよい)
1901年(明治34)桂内閣成立、日露戦争をにらんでの内閣。
1902年(明治35)シベリア鉄道開通(1月),日英同盟締結(2月)、露仏同盟締結(3月)
1903年(明治36)、戸水寛人ら7博士対ロシア開戦決議書提出。ロシア第2次満州撤兵不履行(4月)、日露談判開始(6月)、ロシア・クロパトキン陸相来日(6/12)、東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢。対露同志会(頭山満、内田良平、平岡)は対ロ宣戦布告を求める(10/5)
- 1904年(明治37)御前会議(2/4),日露交渉打ち切り(2/6),宣戦布告(2/10)、金子堅太郎を渡米、ルーズベルト工作(2/24),山県有朋が参謀総長に、児玉は満州軍総参謀長に。
1905年(明治38) 明石元二郎による「血の日曜日」ロシア革命の発端)起きる(1/22),
奉天会戦(3/10),杉山の献策で児玉参謀長が密かに帰京、山県と打ち合わせて停戦、講和に向かう。日本海海戦(5/28)、ポーツマス講和会議締結(9/5)
日比谷焼打ち事件(9/5),日韓条約締結、韓国は日本の保護国になる。玄洋社らによって日本に亡命、匿われていた孫文が東京で「中国革命同期会」を結成、辛亥革命に向けて動く。近代中国誕生の辛亥革命は1911年(明治44)に成功する。
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