『リーダーシップの日本近現代史』(194)記事再録/全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライの立石斧次郎』 ★ 『トミ-、日本使節の陽気な男』★『大切なのは英語力よりも、ジェスチャー、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインド 』
2025/02/12
立石斧次郎(16)・全米を熱狂させたファースト・イケメン・サムライの立石斧次郎
全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライ
前坂 俊之(ジャーナリスト)
「大切なのは英語力よりも、ジェスチャー、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインド」
いまから6年前、2004年はちょうど日米関係が始まって150年だった。ちょうどこの年は、米メディアでもメジャーリーグで活躍するダブル松井やイチロー選手のニュースが大きく取り上げられているが、この150年間の歴史の中で、米国で活躍した最も有名な日本人とは一体誰なのだろうか?一と考えてみた。
私は異文化コミュニケーション論を研究しており、米国で活躍した日本人について長年研究してきたが、意外なことに『約150年前に最初に渡米したファースト・サムライ・立石斧次郎(愛称・トミー)こそ、最も米国人に愛された日本人であり、その成功の秘訣は英語以上に異文化コミュニケーションスキルの高さだった』と思うようになった。
日米和親条約(1854年)の後、万延元年(1860年)2月、幕府遣米使節団(77人)は米海軍蒸気船「ボーハタン号」に乗船し、ホワイトハウスでの日米通商条約批准のため戚臨丸と同時に太平洋を渡った。立石斧次郎は16歳の通詞見習いとして最年少で参加した。
この遣米使節団は米メディアでフィラデルフィア、ニューヨークなど行く先々で、熱狂的な歓迎を受けた。中でもトミー(斧次郎の幼名は為八。それが『トミー』と米国人には聞こえた)はイケメンで社交的な性格で、女性にやさしく、数千通のラブレターが全米の女性から殺到するアイドルと化し、「トミーポルカ」という賛美歌が大ヒットした。
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私はこのほどニューヨークへ行ったついでに同市立図書館で、「ニューヨーク・イラストレイテッド・ニュース」「ニューヨーク・ヘラルド」など当時の新聞マイクロフイムで報道ぶりを調べてみた。
トミーは「気立てのやさしく、アメリカ的なはしゃぎ屋の魂を持っている。新しい状況に適応する方法を知った若者で、大変な人気者」「この国で適当な妻を見つけて、その人と永久に幸せに暮したいので、日本に帰りたいとは思わない、語った。
サインを求めて扇を差出されると、『I like American lady very much』『I want marry and live Here with pretty lady』と書いた」(トリビューン紙)トミーは米国人とすぐうち溶けて、英語で1つ1つ、何と言うのか聞いては書き付け、発音して習得した。
他の日本人がしりごみする中で、ただ一人り蒸気機関車で機関士をやってみたり、消防士となってホースで放水したり、フィラデルフィアでは「ピアノの伴奏で日本の唄とアメリカの唄を歌って婦女子の喝采を浴びた」(フィラデルフィアインクワイヤラー)。
トミーは活発で、明るくすぐ仲良くなれる性格で、米少女に恋をして自分の髪を切って与えたとも報じられ、アメリカの少女とキスをした最初の日本人がトミーなのである。
当時のサムライは今の日本人以上に、封建的な身分制度、階級制度で固定され、武士の中でも上級、下級武士で大きな階級差があり、また男尊女卑に凝り固まり、口下手、恥ずかしがり屋で陽気で開放的な米国人とうまくコミュニケーションができなかった。
米大統領の歓迎レセプションやダンスパーティーを「とび人足の酒盛り」、議会を「日本橋の魚河岸のよう」と馬鹿にして、異文化を理解できなかった。
唯一、最も若かったトミー自由なアメリカにすぐ溶け込んでが、個人主義、レディーファースト、平等などの民主主義の理念のアメリカ社会をいち早く理解して、ボディラングウエッジ(肉体言語)、ジェスチャー、ノンバーバル(非言語)のコミュニケーションのスキルを身につけて行動したのである。
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