日本風狂人伝⑦ アル中、愚痴の小説家・葛西善蔵
日本風狂人伝⑦
2009,6,23
アル中、愚痴の小説家・葛西善蔵
前坂 俊之
(かさい・ぜんぞう / 一八八七~一九二八)作家。大正七年『哀しき父』『子をつれて』で文壇にデビュー。破滅型の私小説作家として貧困と病苦を酒で紛らわせながら、『遁走』『不能者』『湖畔手記』などを発表、滅びゆく姿を書きつづった。
私小説『子をつれて』などの作品で知られる葛西善蔵は、明治、大正を通じて〝酒仙作家〟の名をほしいままにした。文名が高まって以来、思うように書けない苦しさを酒で紛らわせる以外になく、完全なアルコール中毒になってしまった。いわば〝アル中文学″であった。
中毒症状が現れたのは大正十一、二年頃で、晩年は酒びたり。毎日一升(一・八リットル)以上も飲んでいた。手がひどく震えて、自分で筆をとることができず、小説を執筆中も酒を飲み、編集者相手に何日もかかって口述筆記をしてやっと、それも短編を仕上げた。
口述がうまくいかないと、逆上して夫人に殴る、蹴るの暴力を振るった。二枚も原稿が進むと、スッカリ有頂天となり、真っ裸になって狭い部屋の中を、四つん這いでワンワンはえながら、這いずり回って喜んだ、という。

「こうして足を上げて小便するのがおとこ犬、お尻を地につけて、小便するのがおんな犬です」とふざけると、父親は、「おまえがいいかげんバカだとは知っていたが、それほどバカとは思わなかった」と呆れかえった。
ある友人が健康を害して、酒をやめるという話を開いた葛西は「酒をやめるなんて了見はケシカラン」とカンカンに怒った。
「酒をやめるなんていけない。体を悪くするのは、自分が悪いからで、決して酒に罪があるのじゃない。ぼくなんか、酒をやめるなんてせんえつなことは、夢にも考えたことはないですな。酒をやめるなんて、思い上がった気持ちは絶対にいけません。ぼくなんか、もし酒で、腹を壊すようなことがあると『わしが悪かったのだ。許してくれ。おまえに罪があるのじゃないんだから……』と腹をさすりながら謝るんです。すると、大変気持ちがよくなる」
作家・牧野信一の印象談話の取材に訪れた編集者の訪問記によると-。
葛西宅の格子戸のガラスは破れ、新聞紙を差し込んでいる。居間の夕タミは縁がはがれ、フスマの半分はビリビリに裂かれているというひどさ。部屋には机だけがポツンとあった。
初対面なのに、すぐ徳利と酒杯が出た。
「まあ、少し酔ってから話すよ、もう少し待って……」と手が震えていた。
三時間たって、すでに徳利は何本も空になった。
「牧野のことか、困ったなァ、広津や宇野のことなら、困ったなァ……」と言いながら、
「もう少し酔ったら、大丈夫話すよ」とロレツが回らない。
「じゃ、題だけでも『牧野君のこと一、二……』」と言いながら、便所に立ったが、よろめいて倒れそうになった。すでに五時間。
帰ってきた葛西は「君、腹は空いていないか、ソバでもとろうか、ぼくは酒を飲んでいるからいいが……」「話は三、四時間はかかるよ」
外はすでに暗くなっていた。

話は三時間かかり、筆記した原稿がやっと四枚できた。「意味は通るか……原稿になっているか。大丈夫か……。何枚書いたか……」と何度か、葛西は念を押した。
結局、わずかな談話原稿に計八時間かかり、葛西は酔ってぶっ倒れてしまい、編集者もクタクタになった。
ある年、葛西が書いた原稿枚数はわずか七七枚であった。これでは家賃さえ払えぬ貧乏暮らしから抜け出せるわけがない。口述筆記によって何とか原稿になったのは、いわば出版社のお情けであり、葛西は「酒の神様のおかげ」と感謝していた。
葛西自身が酒を飲んでの口述筆記について解説している。
「シラフで相手の顔を眺めながらでは、到底、口述などできるものではない。で、ぼくは宵から飲み始めて、もうどんなことも気兼ねしない程度に酔いきった時分、始めるのである。筆記させられる記者こそ、まったく堪らない。
口述中のぼくは、ドロ靴をはいて、廊下をドシドシ踏み歩きながらドナるのだ。壁一重の隣家からまた始まった』という声をよく開いた」
あまりのひどい騒音と、酔った大声に近所の人たちが家主に言いつけて、葛西は追い出しをくらってしまった。
菊池寛はそうした自虐的な葛西の文学をまったく認めず、その作品を毎回、コテンパンにやっつけた。葛西の代表作『子をつれて』が島崎藤村の『破戒』と並んで、自然主義文学の傑作と賞讃された時、菊池はこう言った。
「あいつは馬鹿だよ。何の権利があって妻子を苦しめるんだ。ミレーだったかね。芸術家たる前に人間になれって。あんな芸術家は人間じゃないよ。生活があってはじめて作品があるんだ。生活第一だよ」
菊池や文壇から〝愚痴の文学・愚痴の大将″と許された葛西はヤケ酒の量を増やした。特に、菊池が葛西の小説を創作と認めず、雑文と評すると、葛西はヤケのヤンパテでこう言った。
「ぼくの小説が全部、酒飲みのタダだと言われても、それもいいじゃないか。酒を飲めばクダが本音、飲まねばグチが本音。その間にちょいちょいと、イヤ味カラ味をみせたのがおれの自伝小説さ」、ヒッヒッヒ-。
一九二八(昭和三)年七月二三日、酒に溺れて重症のアル中となった葛西は、喀血して四一歳の若さで急死した。
死の二日前。新聞に「絶望の葛西善蔵氏」という見出しの記事が掲載された。病床でこの記事を繰り返し読んだ葛西は、
「割合よく書いてあるね」とはめた。
作家の広津和郎(一八九一~一九六八)と葛西善蔵は親友だったが、葛西は何度か広津に不義理をして、晩年には絶交を言い渡された。葛西が死を迎えた時、枕元を訪ねた広津に対して、葛西は、
「おれはもう死ぬ。これまでの不義理を許してくれ」と謝った。
広津は「私は許さない。人間は誰でも死ぬよ」きっぱりと断った。
いよいよ危篤状態になり、酸素吸入を当てられると、葛西は拒否して、酒を飲ませてくれと言った。友人たちが仕方なく、吸い飲みに酒を入れて飲ませ、もう味もわかるまいと思っていると、「爛がぬるい」と言って、周りを驚かせた。
それから、「いよいよ、臨終だ。死の床を飾るんだ」と飲み始め、三本の徳利をあけたところで、こときれた。最期の言葉は「切符、切符」であった。郷里へ帰りたい気持ちを捨てきれなかったのである。
近所の酒屋には酒代のツケがたくさんたまっていた。この主人は葛西に酒の不自由はいっさいさせず、葛西のツケは現在の金で数百万円にのぼっていた、という。
関連記事
-
-
オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争を比較する④』★『ウクライナのゼレンスキー大統領 、23日に国会で演説する』★『金子堅太郎はハーバード大学での同窓生・ルーズベルト米大統領をいかに説得したかール大統領は日本のために働くと約束す②』
2015/01/19<日本最強の外交官・金子堅太郎②の記事再 金子堅 …
-
-
『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか>の講義』②<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱るー『売り家と唐模様で書く三代目』②『自民党の裏金問題の無責任・C級コメディーの末期症状!』●『80年前の1942年(昭和17)の尾崎の証言は『現在を予言している』★『『 浮誇驕慢(ふこきようまん、うぬぼれて、傲慢になること)で大国難を招いた昭和前期の三代目』』
2012/02/24  …
-
-
『長寿逆転突破力の時代へ』★『人生折返し後半戦の50 ,60. 70 ,80からのスタートダッシュの研究』★『人生/生涯マラソンレースに参加しようよ‼」
オンライン講座/清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』12 …
-
-
最高に面白い人物史④人気記事再録★「世界で最高にもてた日本人とは誰でしょうか」ー『答えは「ハリウッドを制したイケメンNo.1の早川雪洲じゃよ」
世界で最高にもてた日本人とは誰でしょうかーーー 答えは「ハリウッドを制したイケメ …
-
-
『オンライン/日本リーダーパワー史講座』◎国難最強のリーダーシップ・勝海舟に学ぶ(11) すべて金が土台じゃ、借金するな』★『政治家の秘訣は正心誠意、何事もすべて知行合一』★『借金、外債で国がつぶれて植民地にされる(中国の一帯一路戦略、アフリカ各国援助がこの手口』
2012/12/04 日本リー …
-
-
日本リーダーパワー史(464)「西郷隆盛」論⑤西南戦争では1万5千中、9千人の子弟が枕を並べて殉死した天下の壮観(中野正剛)
日本リーダーパワー史(464) 「敬天愛人」民主的革命家としての「西 …
-
-
人気リクエスト記事再録/百歳学入門(32)『世界ベストの画家・葛飾北斎(90)の不老長寿物語』★『『創造人間は長寿になる』→『生きることは日々新たなり、また新たなり』
百歳学入門(32) 『世界ベストの画家・葛飾北斎(90)の不老長寿物語』 &nb …
-
-
日本リーダーパワー史(858)ー来年1月からNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まる。国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。
日本リーダーパワー史(858) 国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。 …
-
-
★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★『ガラパゴス国家・日本敗戦史③』150回連載の31回~40回まで』●『『アジア・太平洋戦争全面敗北に至る終戦時の決定力、決断力ゼロは「最高戦争指導会議」「大本営」の機能不全、無責任体制にあるー現在も「この統治システム不全は引き続いている』★『『日本近代最大の知識人・徳富蘇峰(「百敗院泡沫頑蘇居士」)が語る『なぜ日本は敗れたのか・その原因』
★(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★ 『ガラパゴス国家・日本敗戦史③ 』1 …
-
-
『オンライン現代史講座/日本最大のク―デター2・26事件はなぜ起こったのか』★『2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100万人が飢餓に苦しむ)が引き金となった』(谷川健一(民俗学者)』
『2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100 …