『リーダーシップの日本近現代史』(94)記事再録/『本物のリーダーとは、この人をみよ』★『大津波を予想して私財を投じて大堤防を築いて見事に防いだ濱口悟陵のインテリジェンス
日本リーダーパワー史(318)記事再録
大津波を予想して私財を投じて大堤防を築いて見事に防いだ濱口悟陵のインテリジェンス
及び 被害想定(第一次報告)について』
3・11東日本大地震によって『浜口梧陵』の存在が大きくクローズアップされたが、本書は浜口の伝記の決定版である。大津波の部分と大堤防構築の部分をここに採録する。
十三年和歌山県会ができると、最初の議長に推され、また木国同友会を組織し自らその会長として
政治思想の普及に努め、十七年五月、海外視察のため渡米したが、翌十八年四月二十l日ニューヨークで客死した。66歳。
濱口家は元禄年間に銚子で醤油醸造業を始め、江戸深川にも出店していた。
享保・宝暦(一七一六~一七六四)の頃には江戸第一の醸造家としてその名を馳せており、現在もヤマサ醤油の名で知られている。
その他、福沢諭吉・陸奥宗光・山岡鉄舟・榎本武揚・海上艦響大久保利通・板垣退助・大隈重信らの当時のすぐれた学者や政治家とも親交を深めて、開国論をとなえて奔走した。とくに福澤諭吉との出会いは悟陵が平生から実践していた人材育成・教育改革に一層拍車を掛けることとなった。また多くの蘭学医を養成して、近代医学の基礎づくりに大いに貢献するなど、多方面で活躍している。(川村純一『浜口悟陵と医学』2008年)
安政元年11月4日(1854年12月23日)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4の巨大地震が発生した。
安政東海地震(1854年・安政元年)発生、その32時間後(1854年・安政元年)に「安政南海地震」が発生した。
されるが巨大地震「安政南海地震」が連続発生し、さらに広範囲に被害をもたらせたため、この両地震から元号を嘉永から安政に改めた。
年表上は安政となるため後に安政東海地震と呼ばれるようになった。
稲藁を積み重ねたもの)に火をつけ危険を村民に知らせ、鎮守の八幡神社に向かわせて多くの村人を救った。惨状の中で救助に当たり、津波で流された人々が、暗闇のため安全な方向を見失わないため刈りとったばかりの大切な「稲むら」に火をつけたというのが真相である。
『小学国語読本巻10』(5年生用)につかわれ、太平洋戦争終了まで続いた。そんなわけで昭和ひとケタ族は、すべてこの話を小学時代に読んでいたのだ。
和歌山を大津波が襲って、その時はあいにく闇夜のことではあり、海岸は恐ろしい波の音で、町民は逃げるにも方角がわからず、そのうちに波に巻かれて滞れ死ぬ者も出た。儀右衛門は死者をなるべく少なくするには、まず避難の場所を知らせなければならぬと思ったので、男達を指拝して裏の小山の上に刈り入れ前の稲わらを運ばせ、どんどん火の手を上げさせた。
火は人を惹きつける力を持っているもので、しかも死ぬるか生きるかの境であるから、町の人々は「それっ」と焚火を目がけて誓ってきた。もし儀右衛門がこの火を焚かなかったら、もっと多くの人が波にのまれたであろうと、これはあとになってはっきりとわかったことであった。
さて翌朝になると、早速町民の食物が問題となった。町一帯は波に洗われて、食べる物は何もない。高台にあった領主の倉庫には、米が山と積まれているけれども一応上申して許可を得なければ、倉庫を開くことができない。そのうちに日は昇ったけれども、避難民は一粒の米もロにすることができない。
飢に泣く子供の芦品いて、儀右衛門はついに意を決した。「よし、自分が責任を負う。皆倉庫の前に集まれ」というと、男達に倉庫を開かせ、数百俵の米を持ち出して階災民に分け与えた。人々は厚く儀右衛門に礼を述べて食事の用意にかかった。 ′
儀右衛門は無断で君公の倉庫を開き、無断でそれを分配したのであるから、いかようもご処分ありたしと申し出た。しかし君公も賢明な方で、あえて儀右衛門の罪を問わず、かえってその人命救助の功を貿せられたという。
関連記事
-
『リモート京都観光動画』/初春の京都・大原三千院をぶらり散歩(2019/2/23)-大原バスターミナルから茶店の並ぶ参道をゆっくり歩きながら三千院山門までの風情を楽しむ』★『-御殿門を入り、客殿の庭園「聚碧園」、宸殿、有清園、往生極楽院など、青苔の庭園の幽玄の世界に浸る』★『京都大原の来迎寺(2/23)三千院より呂川沿いの山道をしばらく登ると来迎寺はある。』
初春の京都・大原三千院をぶらり散歩(2/23)-大原バ …
-
『オンライン講義/昭和戦後史の謎』-『東京裁判』で裁かれなかったA級戦犯は釈放後、再び日本の指導者に復活した』★『A級、BC級戦犯の区別は一体、何にもとづいたのか』★『日本の政治、軍部の知識ゼロ、日本語を読めないGHQスタッフ』★『A級戦犯岸信介は首相にカムバックし、右翼は裁かれず、児玉は日本の黒幕フィクサーとして再登場した』
『日本の政治、軍部の知識ゼロ、日本語を読めないGHQスタッフが戦争犯罪を追及した …
-
速報(241)『日本のメルトダウン』★『中国、習体制への移行に難題も』●『なぜ中国人は日系企業に就職したがらないのか』
速報(241)『日本のメルトダウン』 ★ …
-
日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45)日清戦争勝利、『三国干渉』後の川上操六の戦略➡『日英同盟締結に向けての情報収集に福島安正大佐をアジア、中近東、アフリカに1年半に及ぶ長期秘密偵察旅行に派遣した』
日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45) …
-
人気リクエスト記事再録『百歳学入門(195)』-『『超高齢社会日本』のシンボル・『クリエイティブ長寿思想家』の徳富蘇峰(94)に学ぶ➀』★『生涯現役500冊以上、世界一の読書家、著作家の長寿・執筆、散歩術』
2010/09/29の記事再録 『生涯現役500冊以上、世界一の読書家、著作家の …
-
『世界漫遊記/ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編⑧」★『⑩ピカソが愛した女たちーその多種多様、創造的インスピレーションには本当に圧倒されますね。』
2015/06/15 『F国際 …
-
『Z世代のための昭和戦後宰相論』★『中曽根康弘首相の長寿逆転突破力』★『戦後総決算」を唱え、歴代内閣が実現できなかった行財政改革を敢然実行した』★『「ロン・ヤス」の日米関係蜜月、韓国を電撃訪問し、日韓関係を一挙に改革、胡耀邦氏と肝胆合い照らし日中関係も改善。口先だけではない即決断実行型の首相だった』
『Z世代のための昭和戦後宰相論』★『中曽根康弘首相の長寿逆転突破力』★『戦後総決 …
-
★『世界漫遊・街並みぶらり散歩』★『ハンガリー/ブタペスト点描』★『世界遺産としてのブタペストの街はリスボン、パリ、プラハ、ワルシャワの美質を集約した深い憂愁さが漂う』
2017/08/26 『F国際ビジネスマンの …
-
日本リーダーパワー史(475)<日本最強の参謀は誰だったのかー「明治国家の大参謀」杉山茂丸の研究①>
日本リーダーパワー史(475) <日本最強 …
-
『オンライン/ウクライナ戦争講座』★『歴史-それは人類の犯罪と愚行と不幸の記録以外の何物でもない』(英国の歴史家・エドワード・ギボンの言葉』★『「赤い旗(共産主義国家)の利点は殺人者が血に濡れた手を拭っても汚れないうことだ」』
社会主義「ジェノサイド」国家の運命 『歴史-それは、 …
- PREV
- 『日本の最先端技術見える化チャンネル』ー『人気沸騰のたこ焼きロボット』★『セブン&アイ、たこ焼きとソフトクリームのロボットをフードコートで活用★『人気沸騰のたこ焼きロボットー「厨房設備機器展2019」(2/20、東京ビッグサイト)で「ロボットたこ焼きオクトシェフ」の見事な職人芸にアメイジング!これ凄いよ(動画付き)』
- NEXT
- 『リーダーシップの日本近現代史』(95)記事再録/『戦うジャーナリスト列伝・菊竹六鼓(淳)』★『日本ジャーナリズムの光、リベラリストであり、ヒューマニストであった稀有の記者』★『明治末期から一貫した公娼廃止論、試験全廃論など、今から見ても非常に進歩的、先駆的な言論の数々』