<クイズ『坂の上の雲』>日本史上の最高の軍人は一体誰でしょうかー「秋山真之ではない。参謀総長だった川上操六じゃよ、ホント」①
2015/02/16
<クイズ『坂の上の雲』>日本史上の最高の軍人は一体誰でしょうかー「秋山真之ではない。参謀総長だった川上操六じゃよ、ホント」①
まさに明治陸軍の空前絶後の稀代の名将とは、この川上操六である
前坂 俊之
(戦史研究家)
明治維新によってアジアの端っこに大陸とは海をへだてて誕生した「まことにまことにちっぽけな貧乏小国」の日本が「富国強兵政策」(これはいまだに論争になっているが・・)によって、軍事・経済大国にのし上がっていった、最も大きな要因は何と言っても軍人の力じゃ。
いいも悪いも、これが結局、日本の現実、歴史で今の姿をつくったのじゃ。有能、無能な国家公務員としての旧軍人たちが(今の国家公務員たちの姿と同じ、当時では軍人政治家といってよい)国を興し、国を滅ぼすことにもなったのですね。
その軍人(国家公務員)の中で最も知謀にすぐれていたものは、「坂の上の主人公」・秋山真之、東郷平八郎か、それでは山本権兵衛じゃろう、いや、陸軍の100年に1度の参謀と言われた児玉源太郎か、大山厳、「陸軍の父」山県有朋、西郷従道・・・・違うんだね。忘れ去られた川上操六こそ正解なのじゃ。
これから、おいおい川上のことを、その親友・徳富蘇峰の口を借りて、語り継いで明治の日本国家の興亡をみていきたいのじゃね
川上操六の登場
明治初期の日本軍の編成はどうだったかというと、鎮台(ちんだい)という名前のしめす通り、国内の内乱を鎮めるのが主目的だった。
しかし萩、佐賀、熊本の乱、西南戦争(明治10年)を最後に内乱はなくなった。逆に大陸に出兵させる危機は年ごとに増大、ロシアは虎視眈眈(こしたんたん)と満州、朝鮮を狙っている。朝鮮が脅かされれば日本の横腹にドスをつきつけられた形となり、鎮台から機動本位の師団編制が急務となった。
しかし萩、佐賀、熊本の乱、西南戦争(明治10年)を最後に内乱はなくなった。逆に大陸に出兵させる危機は年ごとに増大、ロシアは虎視眈眈(こしたんたん)と満州、朝鮮を狙っている。朝鮮が脅かされれば日本の横腹にドスをつきつけられた形となり、鎮台から機動本位の師団編制が急務となった。
陸軍は幕府以来のフランスの陸軍将校を顧問として、着々兵制の建設を行なってきたが、明治16年(1883)にドイツ式に切り替えた。
ここで、登場するのが川上操六である。「川上の作戦能力は絶大で、兵站総督をもかね、日清戦争を連戦連勝でもって終結させた。川上は空前絶後の陸軍名参謀総長であった」と日本軍事史の権威・松下芳男は『日本軍閥の興亡』芙蓉書房(昭和50年刊)で折り紙をつけているが、陸軍大改革のキーマンであった。
明治大正昭和三代60年以上にわたり日本の国家指導者のリーダーパワーを一番身近に知っていた徳富蘇峰は「世の中で大きなことに気づく人は小さなことに気づかない。小さなことに気づく人は大きなことに気づかない。ところが将軍は細大漏らさず、万遍なく気がついた。私は長い間あらゆる人と接したが将軍ほど適材適所で、人使いがうまく、よく気のつく人をみたことがない」〈「蘇翁感銘録」宝雲舎、昭和19年〉と5つ星の最高評価なのである。
つまり、川上こそ陸軍参謀本部を創った父であり、日清、日露戦争での最大の功労者なのだが、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)の日露戦争本や軍人の伝記をみても、川上参謀総長について頁を割いているものは意外に少ない。川上の伝記にいたっては
没後百年以上経つ現在に至るまで徳富蘇峰「陸軍大将川上操六」第一公論社(昭和17年刊)の1冊のみである。しかも、この本の前書きで蘇峰は「陸軍軍医・石黒 忠悳(いしぐろ ただのり)から川上は死後、すぐに忘れ去られた存在となっており、ぜひ君に伝記を執筆してほしいと依頼された」と書いているように、川上研究はこの100年前からほとんど進んでいないのである。川上参謀総長の実像を追ってみた。
以下は島貫重節「戦略日露戦争」(原書房、一九八〇年)より、「稀代の名将、川上操六大将」の一節である。
まさに明治陸軍の空前絶後の稀代の名将とは、この川上操六である
まさに明治陸軍の空前絶後の稀代の名将とは、この川上操六大将のことをいうと、いか程の賛辞を呈しても何人も異存はあるまいと思う。
当時は明治新政府創設の頃であり、西郷隆盛の反乱に例を見るまでもなく、明治以前よりの封建的思想から脱却し切れないものが多かった。
また薩長両藩の主導権抗争や、政府(特に伊藤博文首相)と軍部(特に山県大将)の対立等の見苦しい内部の島国根性的縄張り争いがあったけれども、実に超然としてこれに拘わることを一切拒否したことは、まことに透徹した眼識の将軍といわざるを得ない。
また薩長両藩の主導権抗争や、政府(特に伊藤博文首相)と軍部(特に山県大将)の対立等の見苦しい内部の島国根性的縄張り争いがあったけれども、実に超然としてこれに拘わることを一切拒否したことは、まことに透徹した眼識の将軍といわざるを得ない。
恩師の西郷隆盛の帰郷に絶対の反対を表明し、山県大将が軍部の統領格であっても、日清戦争では彼の第一軍司令官の職を解任させたあたりに、川上操六の面目躍如たるものがある。彼の公正にして近代的な眼識には、政府、軍の長老たちも一目おいていたといわれている。
川上操六の政戦両略に関する卓越した知識と技量も素晴しく、軍人として一切、政治に関与することなく、しかも国際政治、外交に関する研究深く、この点も畏敬の的となっていた重要な点であった。
(註)当時はもとよりシビリアンコントロールの時代ではなかったが、しかしこの川上将軍のような軍人が全軍を指挿しておれば、シビリアンコントロールの近代版型と全く同じ、否より以上の成果をあげていたように思える。
そうだとすれば、組織制度もさることながら、まず要は人物であり、人物養成が先かも知れないことを、この川上参謀総長の例は証明しているといえよう。
川上操六大将の略歴
川上操六は鹿児島県吉野町の出身、明治元年二十歳の時、西郷隆盛の指揮下に鳥羽伏見の戦闘に初陣を飾り、ついで越後の戦、奥羽の戦に従軍し、最後は明治二年二月の箱館(函館)戦争にも参加して功を立てた。
明治四年四月、明治陸軍創設のいわゆる御親兵の編成に際しては、陸軍中尉となり西郷隆盛の配下で薩摩より上京、同年十二月大尉に任官して小隊長となる。当時の仲間に別府晋介、辺見十郎太の両大尉がおり、これらの人々とおおむね同じ地位にあった。
明治六年十月、西郷隆盛の辞職帰郷に際しては絶対に反対の立場を取り、遂に西郷と別れるに至る。かくして明治十年西南戦争においては、熊本城の龍城戦から城山の攻略戦に至るまで、終始第一線で活躍した。
明治十一年、陸軍中佐、歩兵第十三連隊長(熊本)に抜擢される。時に三十一歳であった。
次で明治十四年仙台鎮台の参謀長、明治十五年には陸軍大佐、近衛歩兵第一連隊長となり、明治十八年に陸軍少将、参謀本部次長となる(年齢三十八歳)。
次で明治十四年仙台鎮台の参謀長、明治十五年には陸軍大佐、近衛歩兵第一連隊長となり、明治十八年に陸軍少将、参謀本部次長となる(年齢三十八歳)。
明治十九年欧州留学を命ぜられ、主としてドイツに留学、帰国後から本格的な近代陸軍の編成、連用、作戦、訓練、教育等の広範な大改正とこれに伴う教範、勤務令等の絹集に従事する。明治二十二年より三十一年までの十年間の参謀次長時代の活躍は、まことに卓越しており、特にこの間の日清戦争においては大本営の作戦統帥の中核幕僚として、水際立った鮮やかな戦略指導に貢献した偉功については、この人の右に出る者がない。
この殊勲が認められて功二級の外に一躍して子爵を授けられたことが、如実にこれを物語っている。
明治三十一年一月参謀総長に就任し、同年九月陸軍大将に任ぜられたが、翌三十二年五月、五十一歳の若さで卒然として逝去。まことに哀惜の極みであった。
川上将軍は、日清戦争というわが国として初めての外征作戦の企画指導に全力を挙げた。続いて三国干渉という悲運に対処し、ただちに次期作戦準備は対ロシャ作戦にありと判断して、自ら参謀本部の人事強化と陸軍大学以下の将校教育充実を図り、陣頭に立って渾身の努力を続けた。
また戦略情報収集には特に意を用いて、福島大佐の亜欧視察を命ずる外、各地に参謀を派遣し、自身もまた挺身して、ハバロフスクのロシャの総督府に乗り込んで視察するなど、その東奔西走の活躍振りは畏敬の的であった。
しかしこの過度の激職が、あたら五十一歳の若き名将の命を奪うことになろうとは当時誰しも予想できないことだった。
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