<クイズ>世界一の『プレーボーイ』 は誰じゃー滞仏三十年、使った金五百億、プレーボーイの薩摩治郎八
2015/03/16
世界一の『プレーボーイ』 は一体、誰じゃ
滞仏三十年、使った金五百億、プレーボーイの薩摩治郎八
前坂 俊之(ジャーナリスト)
世界の王侯貴族や大富豪の金の使い方の歴史をみると、まず自分の城や豪華な大邸宅、別荘、庭園に贅をつくす。かとおもえば、欲望のおもむくまま女性に金をつぎ込み、多くの女を金で囲う者も少なくない。芸術のパトロンとしてコレクションをして、美術館などを建てて文化を振興するーなどは上の部の趣味だが、日本の金持ちの道楽も似たり寄ったりである。


明治の大富豪の家に生まれ、パリを舞台に生涯約500億円を湯水のように使い果たしたという伝説の人物・薩摩治郎八はこの類型を大きくはみ出している。人生そのものを芸術的な創造に高めようとしたのじゃな。
薩摩治郎八は一九〇一年(明治二十四)、父方は『明治の綿業王』、母方は『毛織王』という東京でも指折りの大富豪の貿易商の下に生まれた。幼い頃、隅田川付近にあった大名屋敷跡の豪邸の庭に大池があったが、ボートを遊びをしながら『坊ちゃん、大きくなったら、外国商船でも集めるか』など海外雄飛を夢見ながら育った。実家には外国商人がよく出入し、地下にはワイン庫があり、フランス人コックがフランス料理を作り、食事にワインはつきものというヨーロッパ貴族風の生活の中で成長したのよ。
一九一九年(大正八)秋、薩摩は十九歳でロンドンに渡り、オックスフォード大学で学び、英国流のダンディーな貴公子に変身した後、芸術の都、恋の都・パリに乗り込んだ。昭和のダンディー・白洲次郎の1年先輩。
オックスフォードでは、毎月1万円(今に換算すると約三千万円)の仕送りがあり、英、仏流の男の美学を身につけるためのゼイタクなお授業料だった。白洲がカ―マニアでスピード狂だったが、薩摩は恋と冒険にのめり込む。
薩摩はイケメンで
身長170センチと当時の日本人では大きく、日本人で初めてハリウッドスターとして活躍した早川雪洲よりもハンサムといわれたほど。一時前のフランスではアラブの王族の王子や石油王たちがモテモテだったが、1920年代、日本人などまだまだ少なくもの珍しい上に、日露戦争後なので「強い日本」「日本男子=サムライ」、ジャポニズム、エキゾチズムからロンドンでもパリでももてもてだったのじゃな。
薩摩はイケメンで
身長170センチと当時の日本人では大きく、日本人で初めてハリウッドスターとして活躍した早川雪洲よりもハンサムといわれたほど。一時前のフランスではアラブの王族の王子や石油王たちがモテモテだったが、1920年代、日本人などまだまだ少なくもの珍しい上に、日露戦争後なので「強い日本」「日本男子=サムライ」、ジャポニズム、エキゾチズムからロンドンでもパリでももてもてだったのじゃな。薩摩は有り余る金を藤田嗣治や日本人画家たちにパトロンとしてポンと気前よく金も出した。仏政府が計画したパリ大学都市に留学生のための『日本館』の建設資金に約50億円をポケットマネーから出すなど『東洋のロックフェラー』との評判をとり、パリの社交界や政財界の要人を魅了した。
この芸術に理解のあるパトロンを昼の顔とすれば、夜は恋に命を燃やした。当時,パリで一番といわれた美人女優のエドモンド・ギーと愛人関係になるかと思えば伯爵夫人、女優、モデルたちと次々にラブフェアーをくりひろげ、モンパルナスなどパリの下町をも好んだ治郎八は踊り子、娼婦らとも次々に甘美な情事にふけった。
一九二六年(大正15年)、三月、治郎八は山田英夫伯爵の令嬢・千代子と結婚した。パリ・モードでフランス人モデルと並んでファッション誌『ヴォーグ』に何度も登場した美人。2人の生活は贅沢を極め、冬場は暖かいカンヌの最高級ホテル「マジュスチック」で、夏はドービルのホテル「ノルマンディー」で暮らす王侯貴族もおよばぬ豪華な生活ぶりで一ヵ月の生活費は一億五千万円にものぼったというのじゃから、日本人として最高のぜいたくをしたというわけ。
「こんな生活は虚栄だと世間から指弾されるかもしれないが、私は生活と美を一致させようとした一種の芸術的創造であった」と治郎八は自伝で回想する。

結局、千代子は早死し、薩摩は1人で遊びに熱中するが、その日常生活ぶりはー。最高級レストラン『マキシム』には彼の専用席があった。この指定席にマリー・ローランサン、女流作家・コレットや色々の女性たちを毎晩のように連れてきた。
当時、画家や芸術家たちは粗末なかっこうでネクタイなどしていないが、英国紳士の治郎八はエルメスの動物柄のネクタイをしめ香水をたっぷりふっていた。
香水マニアの薩摩はパリでも常にキャロンの『ニュイ・ド・ノエル』(降誕祭の夜)の銀製の香水入れを携帯して美女を口説いてまわっていた、という。芸術のパトロンであると同時に、恋愛と冒険に情熱を燃やしてエロスとロマンの人生を送ったのである。レジオン・ド・ヌール章、フランス文化勲章などはいて捨てるほどの勲章をフランス政府から授与されている。
治郎八をよく知るパリ日本大使館情報部長・柳沢健は「日本で、彼ほどの行動的な夢の探究者を僕は知らない。あえて探せば、大谷光瑞師がいるが、大谷師は古風ともいえる事業家的な夢と情熱を持っていただけで、薩摩のような芸術、美の感覚はなかったね」と語っている。
薩摩は在パリ30年で、1951年、すっからかんで帰国した。取材に訪れた週刊誌記者に「カネなんか残してもしかたないね。どうせ、祖父がポカンと作った財産です。私が無くしてしまったって、どおってことありません。何も後悔はないですよ」と語っていた治朗八は1976年2月、75歳で華麗な生涯を終えた。
彼は美の追求と華麗な恋の体験を「巴里・女・戦争」(同光社、昭和29年)、「せ・し・ぼん」(山文社、昭和30年)「なんじゃもんじゃ」〈美和書院、昭和31年〉で語っているが、これは井原西鶴の「好色一代男」の国際プレイボーイ版といってよいものであり、日本最高のプレイボーイの自伝の傑作である。
プレーボーイをめざしたい諸君!、まず、これをよんでから外国女性を口説きにいきたまえ。
関連記事
-
-
『オンライン/世界戦争講座①』★ 『なぜ広島に原爆は落とされたのか』★『空爆は戦略爆撃→無差別爆撃→原爆投下→劣化ウラン弾→クラスター爆弾へと発展する』
●『空爆→戦略爆撃→無差別爆撃→原爆投下→劣化ウラン弾、クラスター爆弾へと発展す …
-
-
日本リーダーパワー史(412 )『財政改革の巨人・山田方谷から学ぶ』<歴史読本(2012年8月号)に掲載>
日本リーダーパワー史(412 ) 『財政改革の …
-
-
Kamakura Sea Biting Video Lecture” ★ “Kayak Fishing Stupid Diary – Enjoying ‘Sardine Nabura’ in the sea of Seisei Wakiizuru, Harris No. 1, I caught a huge mackerel (about 40 cm). Thrilling and exciting!
2012/05/21 <エンジョイ・カヤック・スタンドアップボー …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 』⑫』★『児玉源太郎・山本権兵衛の電光石火の解決力⑧』★『軍事参議院を新設、先輩、老害将軍を一掃し、戦時体制を築く』★『日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を抜擢した』
2017/06/05 日本リーダーパワー史(821)記事再 …
-
-
『鎌倉カヤック釣りバカ日記』最終編『バンクーバーでカヌーのスローライフを見て以来、釣りバカ暮らし50年に』★『40㎝巨大サバが連続ヒット、最後に大物、そんなに引っ張るなよ』★『海はドラマチック、魚クンや海洋生物と遊ぶと、身も心もリフレッシュ。筋トレにもなるよ』
2013/07/04 『鎌倉カヤック釣りバカ …
-
-
日本リーダーパワー史(190) (まとめ)『この150年間で、異文化体験に成功したベストジャパニーズ100人』①
日本リーダーパワー史(190) (まとめ・リーダーシ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(11)記事再録/副島種臣外務卿(初代外相)の証言④ 『甲申事変後の対清政策意見』1885年(明治18) ★『➀日本で公法(万国法、国際法)をはじめて読んだのは自分 ②世界は『争奪の世界(植民地主義』で、兵力なければ独立は維持できない。 ③書生の空論(戦争をするな)を排する。 ④政治家、経済人の任務は国益を追求すること。空理空論とは全く別なり。 ⑤水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基(国益)立つ。』
日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52) 副島種臣・外務 …
-
-
サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会の日本対ドイツ初戦が23日午後10時から始まる」★『戦略眼からみた世界サッカー戦国史』①ー『前回のW杯ロシア大会(2018)と日露戦争(1904)の戦略を比較する。西野監督は名将か、凡将か➀-8回連載を再録する』
2020/03/ …
-
-
★『オンライン/天才老人になる方法➅』★『世界天才老人NO1・エジソン(84)<天才長寿脳>の作り方』ー発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功の11ヵ条」(下)『私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの 全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」』
2018/11/23 百歳学入門(96)再録 …
-
-
『リーダーシップの世界日本近現代史』(281)★『空前絶後の名将・川上操六陸軍参謀総長(27)『イギリス情報部の父』ウォルシンガムと比肩する『日本インテリジェンスの父』
2011/06/29/ 日本リーダーパワー史( …
