日本風狂人列伝(29) 将棋界の奇才・鬼才コンビ・坂田三吉、升田幸三
日本風狂人列伝(29)
将棋界の奇才・鬼才コンビ・坂田三吉、升田幸三
前坂 俊之(ジャーナリスト)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
家出少年の才能をいち早く見抜いた悲劇の奇才
●さかた・さんきち 明治3~昭和21(1870-1946)、棋士。独学で8段になった将棋の天才.打倒関根金次郎に燃え、大正6年、ついに関根を破る。昭和13年、名人位と王将位を追贈る。
●ますだ・こうぞう (大正7・1971-平成3、1991)。棋士。木見金次郎8段に入門。弟弟子に大山康晴15世名人がいる。王将、名人、9段などをとり、昭和48年、黄綬褒章を受章する。54年。引退。
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この「三吉」の字は、書家中村眉山から教わった独特の書き方によっていた。中村は「一の字を上から並べて七つ書くんや。それから、四つ目と五つ目の一の真中にタテに一の字を入れる。頭が四っ目の上に出るようにして……」という具合にタテ、ココ棒だけで教えた。三吉も教えられたとおりを忠実に守り、一を七つ並べて書いたという。
食事に行っても、字が読めないので、テーブルを見て回り、客が食べているものを「これにしてや」と指さしてボーイに二つ注文して、一つはボーイに「あんた食べなはれ」とサービスしたという。この種のおもろいエピソードにはこと欠かない、大阪流の〝けったいなヤツ〃だったのである。
明治、大正の将棋界は万事、東京中心で、それを牛耳っていたのが三吉の終世のライバル、関根金次郎であった。
大阪勢は一段と低く見られていた。大正十年(1921)、関根が十三世名人となる。実力で関根をしのいでいた三吉は「わいこそ、日本一の将棋さしや」と反旗をひるがえし、大正十四年に関西名人を宣言、東西の棋界は真っ二つになった。三吉は以後、対局を拒否され、指せなくなってしまう。
その淋しさと戦いながら、三吉は関根名人とその後継者の木村義雄の打倒に執念を燃やした。 昭和九年(一九三四)、三吉は六十五歳。その後〝棋界の風雲児“になる十六歳の升田幸三初段と出会った。
升田が大阪の清交社で素人相手に稽盾をつとめていた時、升田の後ろでじっと眺めていた老人が三吉であった。勝負が終わったあと、「最近、さした将棋をみせてんか」と育った。
升田が三吉に会った印象では、一五〇センチそこそこの小柄で、貧相な感じ。 目もショポシヨポし、頭のテッペンから金切声を出し拍手抜けの感じだった。三吉は升田の稽古先を調べたのか、必ず時間どおりに現れ、升田の将棋を熱心に見詰めていた。
ある時、升田が「なぜ、私なんかの将棋をご覧になるんですか」と三吉に聞くと、「あんたァ、天下をとりまっせ。木村を負かすのはアンタや。あんたの将棋は大きな将棋や。木村のは小さい」とズバリと言った。これには〝ホラふき″の異名をとった升田自身ももビックリ仰天。
当時、木村義雄は実力日本一で、昭和十二年には関根のあとの名人となった。三吉はこの奇才の天分を逸早く見抜いたのである。三吉は弟子でもない升田を何かと目をかけてアドバイスした。
「将棋さしは体が一番や。体をつくらにやいかん」「毎日同じものを同じ量だけ食べてはイカン。一週間に一度は大食し、あとは腹八分でおさえる。こうすれば、胃袋が伸縮しても胃も体も丈夫になるんや」 と、独特の食事法も教えた。後年、病魔に苦しんだ升田は三吉の教えを本気で聞いておれば、と深く反省した、という。
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「関根はんは石けん会社の社長さんや。将棋の段ばかりアワのように増やして。こんなもの吹けば飛ぶだけやがな」と三吉が皮肉れば、一方、毒舌の升田は、「名人なんてゴミみたいなもの、私はさしずめそのゴミにたかるハエや」と木村名人に面と向かってかみつき、大きな話題を呼んだ。将棋界のまさしく奇人同士なのである。
昭和十二年二月、坂田は十六年ぶりにヒノキ舞台に復帰し、東西決戦が実現、木村八段と世紀の対局をした。世に南禅寺の決戦といわれたこの一戦は、将棋フアンを熱狂させた。戦いを前に三吉は「今さら研究なんかしまへん。うちには将棋盤もおまへんしな」と余裕しゃくしゃくだったが、三吉はすでに六十八歳で全盛期を過ぎており敗れる。
翌年、三吉は関西名人の呼称を捨て、八段として第二期名人位に挑戦したが、ここでも敗れ、坂田時代は終わりを告げた。二ヵ月後に、戦地から復員した升田七段は木村名人との五番勝負に三連勝し、三吉が予言したとおり、升田時代を築くことになる。
さらに、昭和二十七年の第一期王将戦で木村名人を半香に指し込み、「名人に香車を引くまでは帰らない」と書き置きして家出した十四歳の升田の悲願は、二十年後に実を結んだ。 三吉が果たせなかった夢を升田が実現し、三吉の無念を晴らしたのである。
坂田三吉の娘さんの証言では・・
「父のイメージは、貧しいゆえに身なりも構わぬように見られた若いころの話が一般化されているようですが、私たちが見て知っている晩年の父は、すごくセンスのある人でした。名人戦に復帰したときはすでに六十代の後半で、それまで十数年間も真剣勝負を指していなかったので『負けても構わぬが、年をとってるからと哀れみを受けるのは残念だから』 といって、手のツメに丹念に油をぬっていましたし、ファンから贈られた高価なラクダのシャツやズボン下なども、和服の上から見えるのをきらって、袖口や襟元、膝下などを切り取って着ていました。
また頭髪も『勝負師がシラガ頭ではみじめだ』 といって、一本もないよう心がけていましたし、肌もみがいて……それはおしゃれでした。ですから実際とは違う映画や芝居の 『王将』 はあんまり見たくありません」(吉田美代「一芸に秀でた風格を示す」潮一九七四年・八月号)
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