前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(1)その全体的な真実を当時の新聞、資料のままで紹介する。

      2015/01/01

  

花子とアン」のもう1主人公柳原白蓮事件(1)

 

 


NHK
連続ドラマ
花子とアン」のもう1主人公柳原白蓮事件はどう描かれたか・

NHKの朝ドラ、歴史大河ドラマは母と妻はよく見ているが、私はほとんど見ていない。

つまらない以上に、歴史的なリアリティー≪その当時の映像再現、風俗、
人間関係、服装、生活、言葉使い、表現、背景など描き方のすべて>
が抜け落ち、キレイにきれいにウソだらけのドラマ仕立てになりすぎて、

歴史を少しでもかじった人間や体験した年寄りには、
ここも違う、あそこも嘘だねと、違和感を覚えて、
腹が立ってくるので見ないのである。

 

 「山本官兵衛」「花子とアン」もしかり。

花子とアン」のもう1主人公柳原白蓮事件は大正デモクラシーの
エポックを告げる事件である。

明治維新後、一応士農工商は廃止され、四民平等になったとはいえ、実質上は
天皇制の立憲華族主義の実態、日本の旧弊の家族制度、男尊女卑、

女性差別、公娼制度、男女自由恋愛の御法度など封建的身分制度、きびしい
男女差別、女性の非参政権は

1945年(昭和20)8月の全面敗戦によって、米国に大改革されるまでは、
日本人の手によって民主化、獲得することはできなかったのである。

花子とアン」のもう1主人公柳原白蓮件では、日本の近代的な負の部分、
柳原白蓮が戦ってきた封建的な男女差別、身分制度、公娼制度、
女性の就職口といえば女工哀史か、売笑婦か女中位しかなな
かった影の部分に

このドラマはほとんど光を当てていない。BSによる海外のドキュメンタリーやドラマ
と比較するといかにNHKや韓国ドラマもそうだが。ディレクターに歴史的、

民主的な的な視点が欠落しているかは一目瞭然である。

華族とはいえ妾の子にうまれて「不幸な差別された人生を送った」柳原白蓮
は大正デモクラシーの一端に触れて、社会の影で抹殺されていたひどい
男女差別の実態、人権蹂躙に目覚めて、西欧社会ではすでに獲得され
ていた人間の平等、自由、権利の主張に勇敢に立ち上がったのである。


当時の新聞、資料で社会のNHKがあえて無視した影の部分をそのまま紹介する。

文語体、旧漢字などはわずか100年前の事なので古文で読め

なければならない。英語などはそのまま読んでいるのに。自らの言語の何でも
現代文に改めるのは古典理解につながらず、知の衰弱につながる。

                          

   前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 

柳原白蓮

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E7%99%BD%E8%93%AE

 

 

白蓮事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

)女たちの近代 柳原燁子と「白蓮事件」 – Biglobe

http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/an/01.html

 

 

「私は青春の日をしらない」柳原 燁子(白蓮)

『女性』大正15年5月号

 

      

 

 私の若い日のおもひで、それは薄暗い淋しいおもいでばかりが、諒闇の絵巻のやうにつゞいてゐるばかり。

 

私には楽しい青春の日はなかった。幼い日からやうやうに人生の春に目醒めようとしたとき、私もその楽しかるべき日を何とはなしに待ってゐたやうでもあった。

 

併し私には麗らかな春の光りは見出せなかった。人として生れ甲斐ある、まして女として美しう生れて来たことを悦楽の春もしらなかった身は誰に感謝しようぞ、

 

髪は黒く長くのび、面影は艶やかに、我身ながらも時としては、鏡の前にぽつねんと、よそ人にでも向き合った時のやうに飽かずながめ暮した日もあった。

 

けれど楽しかるべき青春の日は遂に来ないで、それと気のついたときはいつか

しらぬまに、この若い日はもうすぎ去ってしまってゐた。

 

 

 我身をこの大地の上に強く踏みしめ、頭から足のつまさきまで、輝やかしいこの太陽を体中一ばいに浴びながら、周は動く、雲は走る、花のかをりは何所ともなくたゞよふ中に、これぞ我人生だ、いまこそ我世界と、この大空の月も陽もわがものでなくて何であらう、

 

我身あってこその鳥の歌だ、花の色香だと思ひあがっては、斯ういふ世の中に自分は一日でも長く生きてゐたい、

 

またゐなければならない身の上だと、さう思って歓喜に踊ったとき、私の青春はもうとくに姿を消してしまってゐるではないか。

 

おお私の青春の日よ、お前はいつこの私を音づれてくれたことがあったらうか、追うてかへらぬ日ながら、知らぬまに消え失せてしまったわが青春の花は黒い喪の花であったのか。

 

 

 如何にこの恵まれなかった私にも、それでも若い日はあった筈だ、その日私は不断の悲哀に疲れはてて夜も眠らなかった晩が幾度あったであらう。

 

夜な夜なの枕の下に敷いた私の黒髪は常に私の涙ではぐくまれ成長してゐたのである。

 

 幼子としてやや仕合せであった私は、童女の頃からして、同じほどの学校友達などの及びもしらぬ程の悲しみを持ってゐた。

 

その童女はやがて少女の日となった。青春のあかるい光りに照らされて、草木でさへ、鳥でさへ、悦楽の春であらうものを、あはれ薄幸の日の私の姿は暗かった。

 

 

 怖ろしい狼は常に私の肉を喰はうとねらってゐる。恐い鷲は隙さへあれば私の胸を引き裂かうと身横へてゐる。

 

その前にいつもおののいてゐるかよわい私、其の頃の遠い遠い学校通ひに疲れきった体を、夜の目も合はさずにこの毒爪から逃がれようために戦った。

 

そして何かはしらず神のみ手づからさづけられたと思ふ玉とも宝ともいつくしむ処女の生命を最も勇敢に守護した。

 

 

 あのやさしい年をとった成さぬ仲の父と母とは、私のこの苦しみをちっともしらない。まして自分の息子が、私の為めには世界中で一番怖ろしい狼であり鷲であらうとは。

 

二人の親のいつくしみの影にさへいつも氷のやうな胸を抱いてゐた。

 

 私の目の前にゐるその人は、私のためにはいひなづけ許嫁の夫であった。私の何もしらぬうちに、私はそれと定められてしまってゐたのであった。

 

 

女はみんな大人になれば男のお嫁さんにならねばならぬもの、そんな怖ろしいいやなことは、もう私等の大人になる頃にはすっかり止めになればいい、丁度御維新前のお大名がお廃止になったやうに、さうなれば第一私はどんなに助かるであらう、とその頃の私はこんな事を希ったりもした。

 

 

 男が女の体に対して何か必要なことがある、男と女とには何か異様な怖るべき戦ひがある。

 

そんなことをおぼろげに少女の私は悲しくも知った。自分の学校友達の涙と笑ひは無邪気なそれであったけれども、私の涙と笑ひにはいつも声を立てることすら出来なかった。

 

 

 親のいふことはきくもの、長者の命は絶対なもの、と教へた人々があった、親と長者なくては自分もないやうに思ってゐた私は、さういふ風に導かれた教育を恨む、己れなくして何の長者かと、今の反逆心はその時の種が芽をふき枝をはり大木となった影であらう。

 

 

 そんな我まゝをいふのなら平民にやってしまふぞ!。これが私を生みの家の人々の言葉であった。あの人達はたわいもなく泣きむづかる幼な子に、鬼に喰はしてしまうぞとおどかして泣き止めさせようとする人たちであった。

 

 

 平民-それは怖ろしい名である。自分のよく知らぬ世界人である。およそ平民とは、朝な朝なの学校への通ひ路に行き合ふあはれな納豆売の子、あれが平民の子ではあるまいか。

 

 それほど私は愚かであった。

 

 先の日の血と涙と戦ひ、それは誰の為めに戦った貞操であったらう。こればかりは神さへ許し玉ふべきに人の親は許さなかった。

 

 宝とも玉ともいつくしむ処女の生命はたうとう奪はれてしまった。私の一生涯の悲しみの種はこの時蒔かれたものである。

 私は満十五才と何ヶ月かで人の子の母となった。

 

 

 二十一から先は婚嫁を待つ娘に似たやうな日を暮った事もあった。以前に半端で無理に止めさせられた学校を、ここで取り戻して女学校に入れて貰った。

 

そこでは幾多の若い処女たちと遊びもし戯れもした、それでも私に心からの歓楽のあらう筈はなかった。

 

この純な美しい清い処女たちに立ち交って、常に。私の胸はうす暗い秘密を貯へてゐなければならなかった。なぜならば私も人並に清い美しい処女のやうな顔をしてゐたから。

 

 

 私は青春の日をしらない。

                   『女性』大正15年5月号

 

 - 人物研究 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(366)<まとめ・正木ひろし>生涯かけて司法の正義、人権擁護のために戦った最高の人権弁護士

 日本リーダーパワー史(366)   <まとめ・正木ひろしに …

no image
日本リーダーパワー史(203)『辛亥革命100年』・今後の日中関係のヒント②日本最大の革命家・宮崎兄弟はスゴイ!

    『辛亥革命100年』・今後の日中関係を考えるヒント② …

百歳学入門(170)長崎でシーボルトに学び、西洋の植物分類学をわが国に紹介した伊藤圭介(98歳)ー「老いて学べば死しても朽ちず」●『植物学の方法論ー①忍耐を要す ②精密を要す ③草木の博覧を要す ④書籍の博覧を要す ⑤植学に関係する学科はみな学ぶを要す ⑥洋書を講ずる要す ⑦画図を引くを要す ⑧よろしく師を要すべし』

 百歳学入門(170) 長崎でシーボルトに学び、西洋の植物分類学を わが国に紹介 …

百歳生涯現役入門(177)ー『晩年の達人の渋沢栄一(91歳)②』は70歳で、自ら創立した59の会社と17の団体役員から身を退き、76歳で完全に実業界から引退』★『86歳以後、彼の公共的な肩書、社会的貢献事業は50近くあった』●『会社の用はわがものと思え。会社の金は人のものと思え』★『楽隠居的な考えをせず、死ぬまで活動をやめない覚悟をもつ』

2017年8月6日/百歳生涯現役入門(177) 渋沢栄一1840年(天保11)3 …

『オンライン講座/野口恒の先駆的なインターネット江戸学講義⑯』★『諸国を遍歴、大仕事をした“歩くノマド”たち(下)』ー90歳まで描き続けた葛飾北斎』★『全国を歩いて学問を修め、数々の発明を成した破天荒の「平賀源内」』★『紀州藩御庭番として各地を遍歴、膨大な著作を残した「畔田翠山」』

    2012/05/30  /日本再 …

no image
知的巨人の百歳学(138)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳・天才老人の勉強法を見習え!』★『日本株式会社の父』渋沢栄一は83歳で関東大震災を体験、自宅、事務所は全焼した。家族は郷里に避難をすすめた。すると、渋沢は「バカなことをいうな!わしのような老人は、こういう時にこそ働かなければ申し訳ない。それを田舎に行けなど卑怯千万な!これしきの事を恐れて八十年の長い間生きてこられたと思うのか」と怒鳴りつけ、翌日から大車輪で復興の先頭に立った』

2011/05/04記事再録 生涯現役の達人・渋沢栄一(91歳)の晩年・長寿力に …

★『巣ごもり動画で私の鎌倉古寺巡礼で最も好きな<苔の寺/妙法寺』を紹介します』★『鎌倉通―梅雨で美しい<奇跡の苔石>800年前の鎌倉時代の面影を残す唯一の古寺』★『<鎌倉古寺巡礼>『鎌倉で最高の巡礼のお寺はどこでしょうか?ー妙法寺(苔寺)の山道じゃ。単独で往け』

    「秋の紅葉の鎌倉めぐりのおすすめは!・・苔寺/妙法寺 …

『湘南ビーチ・ぶらぶら散歩は心が晴れるよ①』『鎌倉材木座海岸、逗子海岸、葉山森戸海岸からの富士山絶景ビュー』(葛飾北斎/スマホ写真版8変化)

鎌倉材木座海岸から江の島の右手、山上に三角形の白雪富士山が見えた。 2025/0 …

『日中台・Z世代のための日中近代史100年講座③』★『宮崎滔天の息子・竜介(1892―1971、弁護士)による「孫文回想記」』★「1966年11月12日、朝日新聞講堂での孫文先生生誕100年記念講演の抜粋』★「現代中国と孫文思想」(岩村三千夫編 講談社、1967年刊に掲載)

  2010/06/25    …

no image
知的巨人の百歳学(148)ー人気記事再録 『長寿経営者の健康名言・グリコの創業者 江崎利一(97歳)『 健康法に奇策はない』『事業を道楽にし、死ぬまで働き学び続けて』『 面倒をいとわないと、成功はあり得ない』『健康哲学ー噛めば噛むほどよい。』

2012/03/12  /百歳学入門(35)―『百歳長寿名言 …