日本リーダーパワー史(46)水野広徳による『秋山真之』への追悼文(下)
聞くが如くんば中将戦術の講義を終了したるの日、学生に対し、「戦術は唯戦に於てのみ用ゆべきもの、決して之を人事に応用すべからず」 と訓戒せられたと云ふことである。権詐陥穿足れ事とする今の世に於て、独り軍人のみならず一般人士の深く味ふべき言であると思ふ。
以上は僕の知れる中将経歴の概略に過ぎぬが、以下少しく中将の為人に就いて話さう。元来狛介にして無性なる僕は、従来殆んど先輩の門に伺候せず、同郷人たる中将の邸にすら、前後僅に数回に過ぎない。併しながら中将に対する僕の尊敬の念は、敢て人後に落ちない積りである。職務上に於ても亦、僕が中尉時代に数ヶ月間、中将と同艦したるのみである。当時中将は常備艦隊の小参謀として大尉であった。
之が僕が中将から受けた、後とも前とも唯一つの訓戒である。其後も逢ふことは屡々逢ったが竪子教ゆべからずと思はれたものか、遂に再び其の教訓に接しなかった。此の如く中将と僕との交際は手紙の往復以外、公私共に淡薄であった為め、中将の性行に関しても、あまり深くは知らない。従って此に述ぶる処も、他人より又聞きしたる事柄が砂くないことを重ねて陳謝して置く。
斯して三月経ち四月経つ中、××書店の日本人と云へば付近の一評判となった程である。此に至って書店の主人も遂に中将の根気と熱心とに降参し、後には店の書物を全部開放し
尚は新刊書物の如きは態々取り寄せて見せて呉れたと云ふことである。中将は又我慢の強きことに於て殆んど比類なく、今回の病気に際しても腸管閉塞の為め瓦斯充満して、腹は太鼓の如く膨らみ、今にも張り裂けさうなのにも拘はらず終に一度として苦痛の言を吐かれなかった。中将は多芸多能にして、趣味の広汎なりしこと誠に驚くべく、殊に事物に対する研究心の強きは、所謂孔子の博打といえども亦益する処あり主義で、スリ泥棒といえども研究の価値ありとせられたのである。左れは巧拙は知らねど、碁も打てば将棋も差す。謡曲もド鳴れば浄瑠璃もウ鳴る。詩も作れば発句もやる。興到れば画も書けば書も書く、殊に其の書画は既に素人離れのしたる自家独得の流を成して居た。
の文脈として筆端に繰り出す様、恰かも蘭より糸を繰るが如きに至っては、独り文辞の豊富なるのみならず、其の脳力の如何に組織的にして、総合力と分析力とに富めるかを思はしむるものがある。
中将は趣味の多方面なりし丈け、其の交友の範囲も余程広かった様である。支那人中にすら中将の知己は少なくなかつた。就中孫逸仙の如きは中将に対して多大の信頼を抱いて居たと云ふことである。殊に実業家方面に多数の知己
ありしことは、中将逝去の際各方面の有力なる実業家より、続々弔問弔慰のあるを見て、流石物に動ぜぬ好古将軍も柳か驚かれたるものゝ如く「あいつ色んな人間を知って居る、不思議な男じゃ」と言はれたに徴しても判かる。
中将は職務上の事を処理する上に於ては、頗る細心緻密であったが、身を持することは極めて豪放酒森で言はゝ無頓着であった。礼儀作法などの末節に至っては殆んど眼中に無く、服装の如きもカラが曲がろとネクタイが横向うと、そんなことは平気の平左であった。
海軍省あたりで中将と食卓を共にしたる人は、秋山式食ひ方に大分当てられたものもあると云ふ事である。而かも之が後輩や同僚ばかりの前でなく、先輩の前でも御構なしと来ては、凡人には一寸真似の出来ぬ芸当である。
中将程の身分となれば、普通は子供に学校服位は造ってやるのであるが、中将は其さへしなかった。西郷南洲は子孫の為めに美田を買はずと言ったが、中将は妻子の為めに美服を冥はずであった。況して家おやで、中将は兄好古将軍と等しく今尚は借家棲居である。此の豪放なる中将を輔佐しっゝ、多くの子女を養育せられたる中将夫人も亦賢婦人であると思ふ。
殊に中将の尊皇心は極めて徹底的で所謂忠君屋なるものではなかった。中将唯一の著書とも云ふべき『軍談』中、独逸を論ずる点の如きは口を極めて独逸の悪増を責むるにも拘はらず、カイゼルに対する言葉は頗る丁重で、我が皇室に対すると殆ど同様の敬語を用ゐられて居る。
敵国と云へば皇帝も泥棒も同一扱ひにする世間の多くの人々とは、余程趣を異にして居る。又中将の病漸く重きに及んでや、腹部膨満して恰かも護謹球の如く、苦痛殆んど堪へ難きにも拘はらず、遂に唯一言の苦痛を訴へらるゝことなく、其の語る処は悉く国家並に海軍に関する問題ばかりであったと云ふ。以て中将が如何に国家を思ふの念が厚かつたかを窺はれる。
中将重病の報を聞きて各方面より馳せ付けたる見舞の客も、今は或は散じ或は退き、広き別荘寂として声がない。唯岸打つ波の音と、松吹く風の声とが、撃々濠々として遠く聞ゆる中に、覚めたるか眠むれるか、中将の弱き息の音が微かに而かも断続的に聞ゆるばかりである。医者も家族も知人も、せめて夜の明くるまでと、時計の針の進みの遅きを恨んだ。併し中将の脈は次第に弱くなるばか
注射も既に若干回施されたが、既に運命の帰決を自覚せられたる中将は、此の上の注射を拒まれた。中将は某氏を枕頭に招き、余人を退けて、帝国海軍の将来に関する自己の意見を当局者に伝へるべく諸々と陳べられた。やがて暁の霜に凍ふる四時の鐘が鳴った。中将は明らかに之を聞かれた。意識は尚は明確であるが、脈樽は愈弱く、医者は終に絶望の匙を投げた。危篤の報は伝へられた。家族知人達は今生最後の暇を告ぐべく、せき来る涙を呑んで順次枕頭に進んだ。中将は夫人並に十四を頭に四人の児女を
幼き多くの子を遺して逝く中将の心は、遺言を聞く子の心よりも更に一層つらかつたであらう。こゝ正に一喝の大悲劇である。
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