前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(47) 辛亥革命百年①現代中国の国父・孫文を助けた日本人・梅屋庄吉「我は財を挙げる」

      2021/06/30

 
現代中国の国父・孫文を助けた日本人・梅屋庄吉
 
前坂 俊之
                            (静岡県立大学名誉教授)
 

2010年5月22日(土) 午後8時より9時30分NHK BS ハイビジョンスペシャル<孫文と支えた日本人~知られざる辛亥革命の志士 梅屋庄吉の生涯~>が放映されました。現代の日中関係がどのように築かれてきたのかーその出発点である孫文の辛亥革命とそれを支えた数多くの日本人の存在を知る面でも大変有意義なドキュメンタリーで、感動的な作品に仕上がっていました。もっと多くの日本人がそして中国人がこうした歴史的な事実をしれば、日中関係はもっとホットなものに発展していくでしょう。上海万博でも今年8月24日から<孫文と梅屋庄吉展>が開かれる。

 
 
 
日本にとって躍進著しい中国との関係がより重要課題になっているが、『中国の国父』孫文の革命を影でプロデュースして成功させた実業家・梅屋庄吉の存在が今、注目を集めている。来年〈2011〉は辛亥革命からちょうど百周年にあたる。
 
梅屋庄吉は1868(明治元)年11月、長崎市に生まれ、貿易商の養父母のもとで近所の「土佐商会」・岩崎弥太郎(三菱創業者)らに背負われて遊びながら育った。冒険心と義侠心に富んだ少年で、14歳で上海に密航したり、地元のやくざと決闘。17歳で米国へ留学するため明治19年、米貨物船で出航したが,途中で船火事にあった。
 
コレラにかかった中国人苦力が生きたまま麻袋に入れられて海に捨てられるのを目撃、列強の中国植民地支配と、アジア、中国人への虐待、殺戮に憤り、「人類はみな平等」の信念からアジア解放を志した。
1895年(明治28)1月、香港で経営する写真館で孫文と初めて会い中国革命で意気投合した。梅屋は「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」と誓った。庄吉27歳、孫文29歳の時である。
 
梅屋は映画創生期の実業家で「Mパテー商会」を経営し、日本、中国、香港などで映画ビジネスを展開して大儲けした。東京新宿百人町に5千平方mもの撮影施設を併設した邸宅を構え、映画製作に取組んだ。
 
明治43年には白瀬矗中尉の南極探検に資金を提供し記録映画を製作した。大正元年にはライバルの映画会社と合併して「日本活動写真株式会社(日活)」を設立するなど「映画界の風雲児」として活躍し、それによって得た莫大な利益を孫文の革命資金に惜しみもなくつぎ込んた。
 
大正4年には自邸で孫文と宋慶齢の結婚披露宴が盛大に行なわれた。式には孫文を支援する犬養毅(のちの首相)、小川平吉(のちの鉄道大臣)らの政治家、頭山満、杉山茂丸、宮崎らのアジア主義者が多数集まり祝賀した。大豪邸の梅屋邸には中国革命の拠点ばかりでなく、、中国、フィリピン、インド、アジア各国の独立革命家たちの集まり「大アジア主義者の梁山泊」と化しのである。
 
こうして、明治30年に来日した孫文は、梅屋らの支援を受けながら亡命中国人、中国留学生、革命三派を糾合し宮崎滔天や玄洋社をバックに明治38年に三民主義を綱領とした初の革命政党「中国革命同盟会」(総理に孫文)を組織した。梅屋は「中華革命軍東北軍武器輸入委員」の肩書で、アジア解放の念から多数の武器、弾薬、軍備の資金を提供した。その額は遺されたぼうだいな日記、借用書などに書く残された貸金額から推計しても数百億円以上の巨費にのぼる。
 
孫文の広東蜂起から悲願十六年、革命は約二十回も失敗につぐ失敗の連続だったが、明治44年(1911)10月の辛亥革命によってついに成功、270年続いた清王朝を倒した。2000年以上も続いた皇帝政治にピリオッドを打ったのである。孫文は中華民国臨時大総統に就任し、ここに革命の基礎が築かれ、近代中国が誕生した。しかし、その後、孫文は袁世凱との権力闘争に敗れ、日本に再び亡命したが、大正14年(1925)、「革命未だならず」と遺言して58歳で北京で死去、葬儀に参列した梅屋は日本人の至友として柩を担いだ。
 
昭和4年、孫文の偉業を後世に伝えるために娘に残していた遺産三百万円を提供して孫文の銅像3個を作り、南京の中山陵、軍民学校などに寄贈した。
 
梅屋は生涯かわらず献身的な友情を孫文にささげたが、その信条は「富貴在心(富や尊さは心の中にある)」「世の中は持ちつ持たれつ、お互いに助け合うこと人の道なれ」「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」であった。満州事変(昭和6年)以来、悪化する一途の日中関係を憂慮しながら昭和9年9月に65歳で亡くなった。
 
宮崎滔天らの陰に隠れて梅屋の活動はこれまであまり知られなかった。
 
このほど曾孫にあたる小坂文乃氏が「革命をプロデュ―スした日本人」〈講談社、2009年11月刊〉を出版し、その全貌を明らかにしたが、「孫文との盟約によっておこなったもので、関係する日記、手紙は一切口外するな」と固く家族に禁じていたのである。小坂さんは「孫文を最後まで支え、日中、アジア友好に命をかけ男の美学を知ってほしい」と語っている。
 
 
 

 - 人物研究, 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究④』★『明治最大の敵国<恐ロシア>に対して、明治天皇はどう対応したか』(2) 大津事件で対ロシアとの戦争危機・国難(日露戦争)を未然に防いだ 明治天皇のスピード決断、突破力に学ぶ(下)

  2019/09/21  『リーダーシップの日本 …

「Z世代への遺言「東京裁判の真実の研究➂」★「敗因を衝くー軍閥専横の実相』」で 陸軍を告発し東京裁判でも検事側証人に立った田中隆吉の証言①

ホーム >  戦争報道 > &nbsp …

『オンライン講座/野口恒の先駆的なインターネット江戸学講義(19)』★ 『日本再生への独創的視点・江戸のネットワ-ク社会に学ぶ 日本のノマド学』★『ノマド(移動の民)は日本の歴史や社会の主流ではなかったが、彼らのパワ-とエネルギ-は日本の社会に変化と活力を与えてきた』

    2012/06/07 記事再録 日本再生へ …

『Z世代のための日本リーダーパワー史(380)」★『児玉源太郎伝(3)『 ●『日露戦争でドイツ・ロシアの陰謀の<黄禍論>に対して国際正義で反論した明治トップリーダーの外交戦,メディア戦略に学ぶ』★『<英国タイムズ紙、1904(明治37)年6月6日付記事>』

              前坂 俊之(ジャーナリスト) 『日本は膨張または征服 …

百歳生涯現役入門(176)『生涯現役/晩年の達人の渋沢栄一(91歳)①』晩年(70,80,90歳代)の人生を充実し、生涯現役で、元気で働いて『傍楽(はたらく』、臨終定年の『ピンコロ』人生こそ理想』★『日本資本主義の父・渋沢栄一(91)の「百歳生涯現役・晩年の達人」のノーハウ』

 百歳生涯現役入門(176)   平均寿命ではなく『健康寿命』とは「健康上の問題 …

no image
日本リーダーパワー史(30)インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素男先生 <増田政巳(編集者)>

日本リーダーパワー史(30)   インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素 …

no image
日本リーダーパワー史(801)ー『明治裏面史』★ 『「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス⑰杉山茂丸の『伊藤博文を日露戦争開戦の死者第一号にする』

 日本リーダーパワー史(801)ー『明治裏面史』★ 『 「日清、日露戦争に勝利』 …

no image
日本経営巨人伝⑦・若尾逸平ーー明治期の甲州財閥の巨頭・若尾逸平

  日本経営巨人伝⑦・若尾逸平   明治期の甲州財閥の巨頭・ …

no image
日本リーダーパワー史(728)ー1945(昭和20)年8月『終戦』での最も感動的なスピーチー『出光佐三の『玉音を拝して』(8/17)『順境にいて悲観し、逆境にいて楽観せよ』●『活眼を開いてしばらく眠っていよ』

日本リーダーパワー史(728) 記事再録ー日本リーダーパワー史(179) 『国難 …

no image
日本リーダーパワー史(857)ー『今回の「北朝鮮有事危機」は真に国難に該当するものなのか』★『「北朝鮮危機」こそが自民党圧勝の最大要因だ 英メディアは日本の総選挙をどう分析したか』★『トランプの強気が招く偶発的核戦争』★『衆院選で明白、政治家のレベルの低さこそ本当の「国難」』

日本リーダーパワー史(857) 日本史における「国難」4戦争と 『朝鮮有事』『朝 …