前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』⑥

   

日本リーダーパワー史(60)
真珠湾攻撃と山本五十六『提督の恋』⑥
 
 
             前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
真珠湾攻撃後もせっせとラブレターを交換した提督の恋
 昭和十六年(一九四一)十二月八日の真珠湾攻撃。その直前、山本五十六連合艦隊司令長官は家族に密かに別れを告げるため、瀬戸内海・柱島の連合艦隊司令部から急遽上京した。
東京・青山南町の自宅で一夜をすごしたのは十二月三日である。妻の礼子は肋膜炎で床にふせていた。いつも食事は台所横の六畳の部屋だったが、この日は、山本が女中に命じて、お膳を礼子の病室に運ばせた。
 家族六人一緒の夕食では、山本は何もしゃべらず、黙々と箸を動かす子供たちをじっと見つめていた。オカシラつきの鯛には誰も手をつけなかった。長男の義正は父の部屋で目にした、墨で書かれた日米の現状についての書類と、この食事を重ね合わせて、日米戦争が切迫していることを強く感じて、その夜は眠れなかった。
 翌朝、義正は学校への出がけに、はじめて父の見送りを受けた。「行ってまいります」「行ってきなさい」義正は父の熱い視線と心を背中に強く感じた。義正にとってこれが生きている父を見た最後になった。(山本義正著『父・山本五十六』光文社昭和四十四年刊)
1941(昭和十六)年12月8日未明。真珠湾攻撃の成功に日本中がわきかえり、山本五十六連合艦隊司令長官は一躍、国民的英雄となった。山本長官のもとには、全国から手紙が殺到した。その中で、山本が一日千秋の思いで、待ちこがれていた一通の手紙があった。
 
愛人、河合千代子からのラブレターであった。
「方々から手紙が山のごとく来ますが、たったひとり千代子の手紙ばかりを朝夕恋しく待っております。写真はまだでしょうか。」(十二月二十八日付)
 国の運命をかけた作戦指揮の最中、山本の心に去来していたものは、千代子への熱い思いであった。山本はこの頃、五日とあけず、せっせと千代子へラブレターを書き送った。
 
千代子からも、「呉局気付、軍艦『長門』山本五十六様」と、折りかえし手紙が届いた。水兵たちも心得ていて、厚さ二〇センチにもなる手紙の一番上に、千代子のものをのせて持ってくる。
 
 「オウ、どうもありがとう」と山本はうれしそうに礼を言う。千代子の手紙がない日は、不機嫌だったという。山本は司令長官室で千代子の手紙の長さを、一生懸命に測っていたというから、何ともほほえましい。
 
  山本が初めて「梅龍」の芸名を持った新橋芸者・千代子を知ったのは、昭和八年夏である。
もともと、山本は新橋の花柳界ではモテモテで、両手の指が八本しかなかったことから、〝八十銭〃のアダ名で親しまれていた。山本の妻はよく気のつく山本とは、正反対の質実剛健な女性で、家庭的には冷え切っていた。
 
 一方、千代子はこの道に三十歳近くで入った、薄幸の女であった。似たもの同士で、愛情が深まったのである。昭和十二年に千代子は芸者から足を洗い、料亭の女将となった。東京芝神谷町に家を構え、山本に負担をかけまいと、ここを逢瀬の場にした。
 
 〝Ⅹデー〃(12月8日)を前に、山本は広島県呉市から上京、多忙な公務に追われながらも、寸暇をさいて千代子と銀プラを楽しんだ。ダンディな山本は、会う時はいつもバラの花を持っていた。別れの際、「この花ビラの散る頃を見て下さい」とナゾの言葉を残した。
 
六千代子が鏡台に大事に置いていたバラの花ビラが散った翌日、開戦の臨時ニュースを聞いた。連合艦隊は約半年の航海の末、昭和十七年五月十日、呉に帰港した。山本は千代子に会いたいとしきりに電話をかけてきた。この時、千代子は肋膜炎で生死の境をさまよっていた。
 
千代子は山本に一目会いたい、と看護婦が止めるのも聞かず、死を賭して列車に乗った。 山本は呉駅でメガネとマスクで人目をはばかりながら、歩けない千代子を背負って、人力車に乗せた。千代子はこの時の別れを、「あなたはずいぶん強い力で、私の手を握って下さいましたね。どこまでも、私の手を離さないでつれていって下さいませ」と日記に書いた。
 
 ミッドウェーへ向かった山本から、折りかえし手紙が届いた。「私は国家のため、最後の御奉公に精魂を傾けます。その上は、万事を放てきして、世の中から逃れてたった二人きりになりたいと思います。「うつし絵に 口づけをしつつ幾たびか 千代子と呼びてけふも暮しつ」 (五月二十七日付)
 
山本からの最後の手紙は昭和十八年四月二日付である。ガダルカナルを撤退しラバウルへ出発する直前に書かれたもので、遺髪が同封されていた。短歌も小さい紙に書かれていた。「おほろかに吾し 思はばかくばかり 妹が夢のみ毎夜見むい」
 
 四月十八日、山本は帰らぬ人となった。五十九歳。発表は一カ月以上伏せられ、六月五に国葬が行われた。山本から千代子へあてた手紙は、十年間に三〇センチ以上の高さになったが、国葬の前日、昭和十六年以降の分が海軍省へ没収された。
 
 その後、「全部焼却するように」との命令が下り、千代子は心に残る十九通だけを残して、あとは焼いた。別の軍人は千代子に「国葬の当日までに自決せよ!」と迫った。
 
 千代子は山本との愛を生きがいに耐え、戦後は沼津で料亭を経営。昭和二十九年四月十八日付「週刊朝日」が「山本元帥の愛人-軍神も人間だった」で二人のラブロマンスを報じるまでは、一般には全く知られなかった。
 
 まさしく〝提督の恋″であった。                                                                                               (おわり)
 
 

 - 人物研究 , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
世界/日本リーダーパワー史(915)-『米朝首脳会談(6月12日)で「不可逆的な非核化」 は実現するのか(下)

世界/日本リーダーパワー史(915) 一方、日本の対応と、日中のパワーバランスの …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(142)再録★『異文化コミュニケーションの難しさ― 「中華思想」×『恨の文化』⇔『ガマン文化』の対立、ギャップ➃『『感情的』か、論理的か』★『中国の漢民族中心の「中華思想」華夷秩序体制)」 ×韓国の『恨の文化』(被害妄想、自虐 と怨念の民族的な情緒)⇔日本の『恥の文化』『ガマン文化』 『和の文化』のネジレとギャップが大きすぎる』

2014/06/17  /月刊誌『公評』7月号の記事再録 中国の漢民族 …

no image
連載「エンゼルス・大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」①『A・ロドリゲス氏は「これは世界的な物語だ」と絶賛』

連載「大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」① 4月9日 …

no image
日本リーダーパワー史(135) 海軍経営者・山本権兵衛―国難日本を救った最強のリーダーシップとはー

 日本リーダーパワー史(135) 海軍経営者・山本権兵衛―国難日本を救ったリーダ …

『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス⑧』★『ル大統領、講和に乗りだすーサハリン(樺太)を取れ』●『外交の極致―ル大統領の私邸に招かれ、親友づきあい ーオイスターベイの私邸は草ぼうぼうの山』 ★『大統領にトイレを案内してもらった初の日本人!』

 2017/06/28日本リーダーパワー史(836)人気記事再録 <日 …

百歳生涯現役入門(179)-『晩年の達人/渋沢栄一(91歳)④』★『不断の活動が必要で、計画を立て60から90まで活動する』●『煩悶、苦悩すべて快活に愉快に、これが私の秘訣です。』★『90歳から屈身運動(スクワット)をはじめ、1日3時間以上読書を続けていた』

                         百歳生涯現役入門(179)- …

no image
  ★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1054)>『ロシアゲート事件の議会調査で解任されたコミーFBI前長官が証言』★『落合信彦氏「トランプはFBIに追われ大統領職を放り出す」』●『  目の前に迫ったトランプ退任、ペンス大統領就任 予算教書で明らかになった”まさか”の無知無能ぶり』

  ★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1054)> …

no image
日本リーダーパワー史(874)『日中韓、北朝鮮の関係はなぜ、かくも長くギグシャクともめ続けるのか➀』★『130年前の朝鮮をめぐる日中の対立・戦争が今回の件も含めてすべての根源にある』★『憲政の神様・尾崎行雄の名解説「本邦の朝鮮に対して施すべき 政策を諭ず」を読む』★『日本公使館を焼き打ちした壬午軍乱の賠償金40万円(現在の金に換算して約5兆8千億円)を朝鮮発展のために還付した日本政府の大英断』

日本リーダーパワー史(874) 平昌オリンピックを前に日本と韓国、北朝鮮、中国の …

『Z世代への<日本史難問クイズ?>『リンカーン米大統領が奴隷の解放宣言をしたのは1862年(文久2年)ですが、日本で中国人奴隷(苦力)を解放したのは一体誰でしょうか⑲』★『西郷隆盛(参議・実質総理大臣)です。横浜港に入港した『マリア・ルース号事件』(清国人苦力=奴隷230人をペルーに運ぶ途中)で人権尊重の観点から外務卿・副島種臣に命じて停船を指示・船長を告発させ、裁判後に清国に送り替えした』★『「国の本来の政治は軍備の不備を恐れず、一国の運命をかけても、正論を以てこれを貫くべし」』

2019/07/27  日本リーダーパワー史(858)/記事再録 &n …

『Z世代のための歴史の復習問題・福沢諭吉研究』★福沢諭吉の『朝鮮独立党の処刑』(『時事新報』明治18年2月23/26日掲載)を読む➀『婦人女子、老翁、老婆、分別もない小児の首に、縄を掛けてこれを絞め殺すとは果していかなる国か』★『この社説が『脱亜論」のきっかけになり、日清戦争の引き金になった』

    2017/02/20 /日本リーダーパワー史(767 …