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日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史(273)-『ユーロ、欧州連合(EU)の生みの親の親は明治のクーデンホーフ光子(青山光子)①』

   

 

 日本リーダーパワー史(273

『ユーロ危機を考える日本の視点』①-

 
 
その二男が「EUの父」といわれるリヒアルト・クーデンホーフ・カレルギーで、父から『日本人はヨーロッパ人
よりも優秀で、世界で最も勇敢で清潔で礼儀正しい民族であると教えられ、日本との混血の自分に誇りを
以って成長した。
 そのヨーロッパと日本の混血児が「EU」(価値観の多元的共存・地域共同体)を生んだのである。
『外国人に優しくない国ワースト2』(ニューズウイーク、6/26)のガラパゴス日本人であるかぎり、
日本沈没は避けられない。

前坂俊之(ジャーナリスト)
 
① 明治初期にオーストリア・ハンガリー帝国の駐日代理公使と結婚した光子は、ヨーロッパの貴族夫人となった最初の日本女性であり、EUの「生みの親の親」であり、「EUを生んだ母」なのである。
② この「EUの父」といわれるのが一九二三年、「汎ヨーロッパ構想」を提唱したリヒアルト・クーデンホーフ・カレルギーであり、その母は日本人のクーデンホーフ光子である。
③ リヒアルトは一九二三年、平和運動の一環として、「ヨーロッパは一つ」「ヨーロッパ合衆国」を提唱した「汎ヨーロッパ運動」の本を出版して、運動を広げ、「ヨーロッパ議員連盟」「ヨーロッパ共同体」「鉄鋼連盟」「欧州連合」の先駆けとなった。
④ リヒアルトは『美の国』(日本思い出)の中で、「私の父は、三年間の日本滞在中に、日本民族の讃美者となっていた。父は日本人が世界の一流国民であり、日本人は世界でもっとも勇敢な民族であり、もっとも清潔な、もっとも礼儀正しい、かつ、もっとも信実のある民族であると、常々子供たちに話していた。そのため、私たちの素姓の半分が日本人であることから来る劣等感を防ぐ上においても役立ったのである。
 
 
欧州連合(EU)の生みの親の親は日本人
 
 二〇〇七年一月、欧州連合(EU)はブルガリアとルーマニアが加盟して計二十七カ国となった。総人口四億九千万人で世界三位、公用語二十三言語の「多民族多文化言語経済国家連合」で、二十一世紀の地域共同体の実験として注目を集めている。
この「EUの父」といわれるのが一九二三年、「汎ヨーロッパ構想」を提唱したリヒアルト・クーデンホーフ・カレルギーであり、その母は日本人のクーデンホーフ光子である。
 
 明治初期にオーストリア・ハンガリー帝国の駐日代理公使と結婚した光子は、ヨーロッパの貴族夫人となった最初の日本女性であり、EUの「生みの親の親」であり、「EUを生んだ母」なのである。
 
クーデンホーフ光子は明治七年(一八七四)、東京麻布で骨董商・青山喜八の三女として生まれた。骨董屋の近くにはオーストリア・ハンガリー帝国公使館があり、代理公使パインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーもよく来ていた。ある日、パインリッヒが馬に乗って来た時、氷のⅠで馬が足を滑らせて鷺して、ケガをしたのを光子が看病したことから、恋が芽生えて、父の反対を押し切って明治二十五年三月に結婚する。光子が十八歳、ハインリッヒは三十三歳である。夫妻には東京で二人の男子が生まれたが、二男のリヒアルトがのちにEU構想の提唱者となる。クーデンホーフ家は十六世紀からハプスブルク家に仕えた有数の名家で、一族の家系はオランダ、ロシア、ポーランドなど多国籍な人たちが集まっていたが、アジア人は初めてであった。
 
明治二十九年(一八九六)春、二家はヨーロッパに帰国し、クーデンホーフ家のボヘミアの領地の居城・ロンスペルウ(現在はチェコ国内)に住んだ。
当時、東洋の全く未知の小国・日本から来た「シンデレラ姫の光子は、アジアの野蛮な民族から来た「卑族結婚」と侮蔑され、親族やオーストリア社交界からは好奇な眼差しでみられた。針のむしろに耐えながら光子はドイツ語・英語・フランス語などを必死で学ぶ一方、異文化の知識、習慣、服装、食事、礼儀、社交マナーなどを猛勉強した。
 
日本とは違い、ヨーロッパは何ごとも夫婦単位である。伯爵の夫は地方の大領主であり、行政や宮廷パーティー、社交界との付き合いも夫人がいつも出席してりつばにこなさなければならない。
 
 計七人の子供が生まれたが、ヨーロッパ人になるために、自己改造と同時に子供たちには日本語を一切使わせず、純粋なヨーロッパ人に育てようと、寝る時間も惜しんで努力した。「黒い眼の華麓なる伯爵夫人」という華やかな生活の裏では、望郷の念に駆られながら血のにじむ努力と苦闘を重ねていた。その甲斐あって、やっと土地と人々にも慣れて幸せな一家の暮らしが回りだした十年目に突然、運命は暗転する。
 
 
  一九〇六年五月、夫パインリッヒが四十七歳で急死した。三十二歳の光子には二歳から十三歳まで七人の子供(四男三女) が残された。遺言状には広大な領地と資産の全財産の管理、子供の後見人もすべて光子に託す、とあった。
 
   クーデンホーフ一族の驚きは尋常ではなかった。裁判を起こして遺産の取り上げと光子の追い出しにかかった。
   それまで子供のようにしか見えなかった光子は、夫への愛と子供を守るため、決然と鉄の意志をもつ女に変身した。弁護士をつけて徹底して争い、法律や経済を学んですべての書類、財産管理のすみずみにまで目を通し、数々の裁判にも勝った。
 
   光子は親類や下僕に断固として命令して恐れられ、子供たちにも専制的な家長となった。財産を子供に残すと同時に、子供たちを養育し最高の教育を与えるために家庭教師をつける金は惜しまなかった。
 
 光子の心をいつも励ましていたのは、皇后から賜った「ヨーロッパに行ったらクーデンホーフ伯爵夫人として、日本帝国の名誉を十分に守るように」との言葉であった。
 光子はやがて、クーデンホーフ家を守った立派な伯爵夫人として、周囲から尊敬される存在となった。東洋的な美貌と機智に富んだ光子は「小さな伯爵夫人」「黒い瞳の伯爵夫人」として、一躍、オーストリア社交界の中心のウィーンで花形となる。
 
 
一九一三年末、十九歳になったリビアルトと、名女優イダ・ローランが出会った。イダは十八歳年上で離婚歴があり子供もいたが、リヒアルトとはすぐ恋仲になり、成人すると光子の反対を押し切って結婚した。
一九二三年、リビアルトは平和運動の一環として、「ヨーロッパは一つ」「ヨーロッパ合衆国」を提唱した「汎ヨーロッパ運動」の本を出版して、運動を広げ、「ヨーロッパ議員連盟」「ヨーロッパ共同体」「鉄鋼連盟」「欧州連合」の先駆けとなった。
 光子は第一次大戦時、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後はオーストリア国籍を守るためにウィーン郊外の森メードリンウに移り住み、最後までクーデンホーフ夫人として、日本に一度も里帰りすることなく六十七歳で亡くなった

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