近現代史の重要復習問題/記事再録/『大日本帝国最後の日ー(1945年8月15日)をめぐる攻防・死闘/終戦和平か、徹底抗戦か?⑥』<8月14日の最後の御前会議―昭和天皇の言葉とは!>『御前会議が終ったのは正午,ついに終戦の聖断は下った。』
2014/11/01 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉑
『大日本帝国最後の日―(1945年8月15日)をめぐる攻防・死闘/ 終戦和平か、徹底抗戦か⑥』
<8月14日・最後の御前会議の内容と昭和天皇の言葉とは!>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
みんなが泣いた天皇のお言葉
首相官邸と外務省にとって、いよいよ正念場の日がきた。十三日の夜と十四日の朝の二回、束京の上空ではB29 機が大量のビラを撒き、そのうちの何枚かは、官邸の庭にも舞い落ちた。
このビラには「八月九日、日本政府より連合国政府への通告」 「米国務長官より日本へ伝達したメッセージ全文」が印刷されており、政府が秘密裡に進めている降伏交渉工作がスッパ抜かれていた。十四日の朝にこのビラを見た木戸内大臣は驚愕した。
さらにアメリカのラジオ放送は、日本の回答遅延をさかんに責め、中には三発目の原爆投下をにおわせる放送もあるという。事態は一刻の猶予もできない。八月十四日の朝、鈴木首相は八時に参内、木戸内大臣に天皇のお召しによる御前会議を開催し、最後の聖断を仰ぐことを願い出た。
これは迫水書記官長の発案ともいわれているが、天皇の臨席を仰いでの最高戦争指導会議は奏請書類に両総長の署名花押をもらえる見込みがないため、開催は不可能と判断、そこで宮中からただちに思召を願うという、異例の措置をとろうとした。もちろん、木戸も賛成であった。八時四十分、鈴木首相は木戸内大臣とともに拝謁、前例のないお召しによる御前会議を願い出た。
『昭和天皇独白録』では
『昭和天皇独白録』では、天皇はこう語っている。
「かやうに意見が分裂している間に、米国は飛行機から宣伝ビラを撒き始めた。日本『ポツダム』宣言受諾の申し入れをなしつつあることを、日本一般に知らせる『ビラ』である。
このビラが軍隊の一般の手に入ると『クーデター』の起るのは必然である。そこで私は、何を置いても、廟議の決定を少しでも早くしなければならぬと決心し、十四日午前八時半頃、鈴木総理を呼んで、早急に会議を開くべきことを命じた。
陸軍は午後一時なら都合がいい、と云う、海軍は時刻は明瞭でなかった、遅れてはならぬので、こちらの方から時刻を指定して召集することとし、午前十時としたがいろいろな都合で十一時ときめた。
陸海軍では、会議開催に先だち、元帥に合って欲しいと云うから、私は皇族を除く永野、杉山、畑の三元帥を呼んで意見を聞いた。三人ともいろいろな理由を付けて、戦争継続を主張した。
私〔が〕今、もし受諾しなければ、日本は一旦受諾を申入れて又、これを否定する事になり、国際信義を失う事になるではないか、と彼等を諭している中に会議の時刻が迫ったので、そのまま別れた。
午前十一時、最高戦争指導会議と閣議との合同御前会議が開かれ、私はこの席上、最後の引導を渡した訳であるーーー」
この日の朝、他の閣僚たちは午前十時、開会予定の閣議に出席するため首相官邸に集まっていた。
そこへ宮中から各員に「至急参内せよ」という通知が来たのである。至急のことゆえ特に服装を改めることなく参内せよという。
豊田軍需大臣は開襟シャツであったが、あまりにおそれ多いといって官邸職員のネクタイを借用し、無理してしめているのを岡田厚生大臣が手伝うというシーンも見られた。
天皇のお召しによる異例の御前会議は、ポツダム宣言受諾を決定したときと同じ宮中の地下防空壕内の一室で開かれた。
以下は会議に同席した迫水久常内閣書記官長の証言である。
(迫水著「大日本帝国最後の四か月」オリエント書房,1973年刊、233-239P)
八月十四日の午前に開かれた最後のご前会議は、和平へのクライマックスだった。
いつもは最高戦争指導会議の六人の構成員と、事務方であるわれわれ四幹事の十人しか集まらないので、列席者の前には長い机がおかれていた。この日は全閣僚と平沼枢密院議長なども加わるので、総勢二十数名になる。あまり広い部屋ではないので、列席者の前の長机はとりのぞかれ、そのかわりにイスが三列にならべられていた。
陛下のお席からみて、第一列の左端に鈴木総理が席を占め、そのとなりに平沼枢密院議長がすわった。反対側の右端には、梅津陸軍参謀総長と豊田海軍軍令部総長がならんで腰をおろした。当時は、まだ、宮中席次というものがあったので、従ってそれぞれの席についた。われわれ四幹事だけは、最後列にならんで腰をかけた。待つほどもなく、陛下のお姿がみえた。うしろには、この前のとおり、蓮沼侍従武官長がしたがっていた。和平、敗戦という思いがそれぞれの胸中に流れていたのか、だれもがうなだれていた。
陛下がお席につかれると、みんなもしずかに腰をおろした。一瞬、狭い部屋のなかに重苦しい空気が流れた。わたしは内閣書記官長として、この重大な御前会議のもようを記録しておかねはならない立場にあったので、目をサラのようにしてみひらき、陛下のおことばはもちろんのこと出席者一人々々の一挙手、一段足を見守っていた。まるでからだ全体が耳のようになっていた。
鈴木総理が立ち上がって最敬礼をし、九日の御前会議以後の経過をきわめて要領よく説明申しあげたのち、つぎのようにつけ加えた。「閣議では、八割以上の者が連合国側からの回答に賛成しておりますが、まだ、全員一致の意見が打ち出されるまでには至っておりません。こんなことで陛下のお心をわずらわせるのは臣下としてたいへん罪深いことと存じ、探くおわび申しあげます。
しかし、ことは重大で、かつ緊急を要しますので・反対の意見をもっている者がこの席で意見を申しのべますので、親しくおききとり願い、そのうえで重ねて陛下のご聖断を仰ぎたいと存じます」
いい終わった鈴木総理は、まず、阿南陸相を指名した。阿南陸相は、いささか背を丸めるような姿勢で立ち、陛下に対して、自分の意見をのべた。内容には、これといった新しいものはない。
「もし、このまま終戦を迎えるようなことになりましたら、国体の護持について大きな不安がありますので、もう一度連合国側にくわしく照会してみるべきだと考えております。それによって連合国側がわれわれの意見を受け入れてくれるようでしたら、わたしはいま政府が行なっている終戦の手つづきには反対しない所存でございます。もし、万一、相手方が承知してくれなければ、このさい、死中に活を求め、戦争をつづけるほかはないと考えております」
陛下はいちいちうなずかれ、阿南陸相の話をきいておられた。つづいて、鈴木総理は梅津陸軍参謀総長を名指しした。梅津美治郎総長の話もだいたい阿南陸相のそれと同じだった。三番目に指名を受けたのは、豊田副武海軍軍令部総長である。海軍全体が和平への傾きをみせていたので、豊田総長はそんなにきつい反対論はのべなかった。ただ、陸軍への思いやりをこめて、このままの状態で和平を迎えるのには反対であるといった。
ほかにも反対論者がいた。わたしのすぐ苗に腰かけていた安倍源基内相などもその一人である。安倍内相は陸軍の考え方に賛成の意向をもち、陛下の前でもなにか発言しょうと考えていたようで手に原稿らしいものを持っていた。あらかじめ準備していたフシもあるが、豊田総長が意見をのべ終わったあと、鈴木総理が間髪をいれないで「反対の意見をのべるのはこれだけでございます」といってしまったので、安倍内相は意見を開陳するきっかけを失った。
三人の陸海軍の首脳が反対の意見をのべている間、陛下はうなづいておられたが、やがて口を開かれ、まず、こういわれた。「はかに意見がないようだから、これから、わたしの意見をのべる。みなのものは、わたしの意見に賛成してほしい」
天皇は白い手袋の指はしばしば眼鏡拭われながら、とぎれとぎれに・・
ここまで発言されたが、そのおことばは、とぎれとぎれで、腹の底からしぼり出されるようなお声だった。
陛下の苦悩がどんなに深く、大きなものであるかが最後列にはべっているわたしにもよくわかった。陛下はまっ白い手袋をはめておられたが、その手が何度となくほおのあたりへあがり涙を拭っておられるようだった。列席した一同もたまりかねたのか、みんな泣いていた。わたしも泣いた。
堪えがたきを耐えよう
陛下は、みんなをさとすような口ぶりで、ゆっくりとつぎのような話をされた。
「三人が反対する気持ちはよくわかるし、その趣旨もわからないではないが、わたしの考えはこのまえいったのと変わりがない。わたしは、国内の事情と世界の現状を十分考え合わせて、これ以上戦争をつづけるのは無理だと思っている。
国体護持の問題について、それぞれおそれているようだが、先方の回答文をよく読んでみると、悪意をもって書かれたものとは思えないし、要は、国民全体の信念と覚悟ができているかどうかに問題があると思うので、このさい、先方の回答をそのまま受け入れてもよろしいと考えている。
陸海軍の将兵にとって、武装解除や保障占領ということはたいへん辛く、堪えがたいにちがいない。それはよくわかっている。
また、国民が玉砕して国のために殉じょうとする心持ちもよくわかるが、わたし自身は、じぶんの身はどうなってもよいから、国民のいのちを助けたいと思う。このうえ、戦争をつづけたら、結局のところ、わが国はまったくの焦土となり、国民はさらに苦痛をなめなければならない。
わたしはそんな惨状をまのあたりするわけにはいかない。このさい、和平の手段に出ても、もとより先方のやり方に全幅の信頼はおけないかもしれないが、日本という国がまったくなくなってしまうという結果にくらべて、生き抜く道が残っておるならば、さらに復興という光明をつかむこともできるわけである。
わたしは、明治天皇が三国干渉のときになめられた苦しいお気持ちをしのびいまは堪えがたきを耐え、忍びがたきをしのんで、将来の回復に期待したいと念じている。
これからの日本は、平和な国として再建しなければならないが、その道はたいへんけわしく、また、長いときを貸さなければならないと思うが、国民が心を合わせ、協力一致すれば、必ず達成できると考えている。わたし自身も国民とともに努力する覚悟である。今日まで、戦場に出かけて行って戦死したり、あるいは内地にいて不幸にも亡くなったものやその遺族のことを思うと、悲嘆に堪えない。
戦傷を負ったり、戦災をこうむったり、家共を失ったもののこんこの生活についてわたしは心を痛めている。このさい、わたしにできることならなんでもするつもりでいる。国民はいまなにも知らないでいるので、和平を結ぶことをきくと、きっと動揺すると思うが、わたしが直接国民に呼びかけるのがいちばんよい方法なら、いつでもマイクの前に立つ。
ことに陸海軍の将兵の動揺は大きく、陸海軍の大臣はかれらの気持ちをなだめるのに相当の困難を感ずるだろうが、必要があるなら、わたしはどこへでも出かけて行って、親しく説きさとしてもよい」
みんな泣いていた。
だれもが大きな声を張りあげて、思い切り泣きたかったにちがいないが、陛下の前なので、声を押えていた。鳴咽(むえっ)が大きな波のうねりのようにわきあがり、消えかけては、またわきあがっていた。陛下は最後にこうつけ加えられた。
「内閣は、これからすぐ終戦に関する詔書の準備をしてほしい」
陛下のおことばが終わると、鈴木総理が起ちあがって、おわびを申しあげた。
「われわれの力が足りないばかりに陛下には何度もご聖断をわずらわし、たいへん申しわけないと思っています。臣下としてこれ以上の罪はありませんが、いま、陛下のおことばをうけたまわり、日本の進むべき方向がハッキリしました。このうえは、陛下のお心を体して、日本の再建に励みたいと決意しております」陛下は蓮沼侍従武官長の合図によって、しずかに退席された。一同は泣きじゃくりながら最敬礼し、陛下をお送りした。
下村宏国務相(情報局総裁)はつぎのように書き残している。
「陛下の白い手袋の指はしばしば眼鏡拭われ、ほほをなでられたが、私たちはとて正視するに堪えない、涙に眼鏡もくもってしまった。御定が終りて満室たゞすすり泣く声ばかりである。しやくりあげる声ばかりである。やおら総理は立ち上がった。至急詔勅案奉仕の旨を拝承し、くり返して聖断を煩わしたる罪を謝し、うやうやしく引き下がった。陛下は席をたたれた、皆は涙の中にお見送りをした。泣きじゃくり一人々々椅子を離れた」(『終戦記』)
御前会議が終ったのは正午である。ついに聖断は下った。
(迫水著「大日本帝国最後の四か月」オリエント書房,1973年刊、233-239P)
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