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日本リーダーパワー史(89)名将・川上操六⑫日露戦争前、田中義一をロシアに派遣(上)

      2015/02/16

日本リーダーパワー史(89)
名将・川上操六⑫日露戦争前、田中義一をロシアに派遣(上)

<川上参謀総長のリーダーシップと人事抜擢>

              前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
川上が日露戦争全般の戦略を練る中で燃え尽きたことはこの連載ですでに書いている。モルトケ流のインテリジェンスを自家薬籠中のものにした川上操六は各国にひそかに情報武官を適材適所で派遣して徹底した情報収集に当たらせた。ロシアに陸軍切っての逸材・田中義一を派遣したのも川上参謀総長であり、明石元二郎を中国、アジア各地への自らの敵前視察に同行させ手塩にかけて情報感度を育て上げたのも川上である。
その川上の『究極のリーダーシップ』とは、前回も紹介した軍人らしからぬ温厚で、人にも部下にも丁寧をきわめて礼を失わず、老若男女を問はず、いつも温容に接した人遣いであり、コミュニケーションである。
人の話をよく聞く『聞き上手』の典型で、部下に対する態度も極めて丁寧親切であったため、部下は川上の期待にこたえようと一生懸命、努力したと言われる。
小沢一郎にリーダーの資格なし・リーダーパワー(剛腕)もなし、傲慢のみ
 
明治に1人で日本の国家戦略である対ロシア戦での必勝の戦略を立案した最高のリーダー川上の血を吐く努力と比較して、1千兆円の財政赤字で沈没中で第3の敗戦(国家破産)を迎えつつある現在の日本国の政治家、リーダーの「単細胞」(小沢のアメリカ人への批評)、「ずるがしこい」(小沢のイギリス人への批判)を通りこした以上の、デタラメさには、日露戦争前ではなく、大東亜戦争での日本のリーダーの右往左往と、脳死状態、無統制ぶりとダブって見える。
今(9月4日)時点で、民主党代表選挙が菅直人対小沢一郎で争われている。
2人の論戦を聞いていて、2人の総理大臣というのは日本国の最高指導者(戦争の場合の最高指揮官)という意識が全く欠如していることに愕然とする。また、メディアも国家最高責任者を選択している論戦であり、日本を引っ張っていく最高のリーダーシップ、リーダ―パワー、本当に総理大臣の資質、器なのかどうかを問う論議が全くなされていないし、それを具体的、個別の発言の矛盾を追及しない新聞記者たちの無能ぶりには毎度のことだが、つくづく腹が立つ。
<まず小沢をマナ板に載せる>
普天間問題についてまたぞろ、腹案があるなんていい加減な事を言って2回目には「3人集まれば文殊の知恵がある」もう一度話し合うなんて、話を再びぶり返している。小沢が勝って総理になっても、普天間問題がうまく解決できる訳はない。ますます、混乱するだけであろう。
もともと鳩山総理の時の、小沢は民主党の最高責任者である幹事長であり四苦八苦していた後輩の鳩山を小沢が国家指導者の自覚があるならば、協力し自らが積極的に交渉に当たってでも、鳩山を助けるのがリーダーとしての本当のあり方であろう。ところが、「政府の政策決定に全く関与していない」と無責任な発言を繰り返しているのだから、彼の秘書2人が捕まった政治資金についても自分には責任はないという発言と全く同じである。
深刻な財政問題についても、政治主導になってないと菅総理を批判しているが、これも全く無責任極まる発言でしょう。当事者意識ゼロですね。小沢さん、トロイカ方式で民主党を作り、初めて政権をとったのだから、まだ経験不足の多い議員を小沢さんが自ら戦略、戦術をねって政治指導に持って行き、アドバイスをして鳩山、菅の両総理をバックアップするのが、あなたの「剛腕」に国民、民主党の議員も期待しておったものではないのかね。
自分はまるで傍観者、評論家のような立場で(国家最高指導者・リーダーなんですよ、自覚が足りん)、民主党の予算編成や政治主導についても批判しているが、小沢さんこそ「単細胞」ではない「3人集まれば文殊の知恵の空理空論ではなく具体策、官僚を一喝する具体的な数字と方法のある実施プラン」を「ずるがしこい以上に智慧とインテリジェンス」を発揮して、財政縮減を達成すること、成長戦略を実施して成功させること、結果をだす実行力、行動力、リーダーパワーを発揮こそ待望しているのです。
小沢の検察審査会で起訴相当になれば「逃げません。受けて立つ」とは全くあいた口がふさがらない。そんな「カントリーリスク」をさらすようなことを、一国のリーダーはすべきではないし、その結果を選挙1ヵ月にひかえていて、代表選挙に出ること自体が政治家失格、言語道断であろう。
鳩山とともに即やめるべきである。この古い古い自民党型政治家は即されば、民主党政治は今よりはましになる。それなのに、リーダーシップのかけらもなく、総理の器でも、単細胞以上のむちゃくちゃな判断力の持ち主を寄ってたかって、かつぐ民主党議員が多いのも、それを正面から徹底批判するメディアもなく、選挙の票集めのニュースばかりの流しているメディアと国民の間からいいかげんにせよというデモ1つ起きない日本は正に「死に行く国家」そのもののアナーキーな状況である。
小沢らと明治のリーダーをくらべてごらんよ。拙著「明治37年インテリジェンス戦争」(祥伝社新書、2010年)を読んでください。明治の大国難・国力の10倍以上の大ロシアと戦う日露戦争では戦略、戦術を立案した最高リーダーの川上操六、田村恰与造の参謀総長が2代続けて、心身をすり減らし開戦前に燃え尽きて憤死している。ロシアは手をたたいて喜んだ。日本国民のすべてが「国家危うし」と慄然とした時、児玉源太郎台湾総督(内務大臣)が自ら2階級降格して総参謀総長になった。日露開戦3ヵ月前のことだ。国を背負って立つという気概とリーダーシップが脈々と有ったのである。
話を元に戻す。
川上参謀総長の指示で、ロシアに渡る前、田中義一は明治29年10月27日付きで参謀本部第二部員に転じた。
 参謀本部に転ずると共にドイツ語の学習を初めた。当時の優秀将校の月並的コースであるドイツ留学を希望しためである。然るに翌三十年、夏秋の交、はからずもロシア行の内命を受けることになった。これは大尉自身の生涯を運命
づけたのみならず、日本自体の運命にとっても歴史的な影響を与えた人事であった。これに依って大尉はロシアの国策である満韓侵略の遠大な野望と爪牙とを微細にわたるまで徹底的に究知し、極東平和のためにロシアの厭くなき侵略を抑えようとして一生を此の解決に注いだと云うも過言ではなかろう。日露戦争、在郷軍人会の創立、二箇師団増設問題、青年団の創立、シべリヤ出兵、対満洲、対中国政策等すべて淵源はこのロシア差遣に端を発しているのである。
 さて、日清戦後の、満韓に於けるロシアの暴状、国是とも見るべきその侵略に対応するには、先ずロシアの実情を探究しその軍事能力を確知することが、帝国陸軍としては喫緊不可欠の急務であった。従ってこの重大な任務を与えてロシアに派遣すべき将校の人選は、当時参謀本部首脳部の当画した大きな問題であった。
ところがある日、参謀本部第二局長田村恰与造大佐が部員の田中大尉をよんで、
 『どうだ、ドイツを止めて、一つロシアに行かんか。』
とやぶから棒の勧誘があった。大尉は即座に『私じゃ荷が勝ち過ぎます。』 と云って辞退したので、田村大佐は『なぜか』と反問すると大尉は『ロシアとは早晩戦争せにゃなりません、従って派遣される奴は十分その任に耐える者を御選びになるべきで、私よりまだ右翼がたくさん居りますよ。』
と答えたものである。田村大佐もそれ以上は勧めなかった。と云うのは、当時栄達を望む青年将校の目標はドイツ留学であり、ドイツ留学は、参謀将校から将官になる関門でもあった。だから大尉もドイツ留学の順番の来るのを待っていた時である。ロシア行は重大な任務であるにせよ、出世街道の最短コースではないから、田村大佐もそれ以上は情義上勧められなかったのであろう。しかしこの任務は陸軍大学校の序列が右翼であるというだけで、誰にでも出来るという仕事ではない。大尉をおいて他に適当な候補者なしとする田村大佐は一切を参謀総長川上操六に申し出た。

総長もかねてその人選には苦慮していたところであったから最も適当な人選だと膝を打ってこれに賛成した。が、辞退されると困るので強引に引受けさせようと考えて日清戦役中、大尉を最もよく信用信頼した当時西部都督の山地将軍に片棒をかつがせたのである。一大尉を派遣するにも、総長自らがこれだけの配慮を尽したものだ。このころの将星達の存在は日清なり、日露なりの勝利が偶然でなかったことを語るものであろう。
さて某日、田中大尉は川上総長の私宅に招かれたので伺候すると、座に山地将軍もいた。総長は『大庭や山梨がすでにドイツに行っているから、君も行きたいだろうが、ロシア行は君より他に適任者がない、決心してロシアに行って呉れ、参謀本部はすでにそう決めた。』
とロシア派遣の内意を半ば命令式に伝え、同席の山地将軍も口を極めて勧めたので、かねて多少は覚悟していた大尉はこの知己の言に深く感激して、即座にロシア行を決心したのであった。
 後年、田中は当時の事情を次の如く語っている。
 「私の友人等は、皆ドイツに留学を命ぜられ私もまたその一人であったが、或日、参謀総長の川上大将に招かれ、『ドイツに差達する者は何人でもいるが、ロシアに行く者がいない。しかもおそかれ早かれロシアとは戦争せねばならぬ間
柄であることは君も既に承知の通りだ。従って対ロ作戦計画は一日も早く確立して置かねはならぬ。
そのためにロシアの実情を知ることは、実に焦眉の急務である。だが、これは誰にでも彼にでも出来る仕事ではない、そこで君を選抜した訳だ。ドイツに行きたい気持はわかるが、この際、一つ奮発してロシアに行って、その国情、軍隊の実際を、詳細に調査研究して、作戦計画の種子を作ってもらいたいのだ。』
一大尉に過ぎぬ我輩に対して腹の底から打ち明けてロシア行を勧められた。同席の山地将軍もドイツ留学などと比較にならぬ重大任務を引受けるのは、軍人の光栄ではないかと云って、激励された。
当時全国民は、三国干渉に憤慨して敵がい心に燃え、臥薪嘗胆、対ロ報復を絶叫していた際であるから、与えられる任務は固より当面の急務に達いないが、微力な我輩に果して出来るかどうか、責任は重大だし、事は極めて困難だし、又ドイツに留学すれば、軍人としては一応順調に進んで行けるのを止めるのだし、いささか首をひねらざるを得なかった。しかし人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜんやで、事の成る成らぬは別として我輩は両将軍の知己の言に感激してロシア行を承諾した‥但し仕事が仕事だから、一般の留学生同様の拘束を受けるのでは困るので、経費その他特殊の取扱いを受けたいと予め承認を戴いたのである。」
なお内山小二郎大将は次の如く語った。
 「私は、日清戦役後、公使館附武官として、ロシアに駐在していたが、明治29年1月、フランスに転勤を命ぜられた時、ロシアに留学生を派遣する必要ありと考え、当局に意見書を提出した。そのためであるや否やはわからぬけれども二十一年に田中君が来ることになったので、私の意見が実現したばかりでなく、その人選もまら最も宜しきを得ているので、私は非常に結構だと喜んだ。田中君は赴任の途次、パリに立寄り私を訪ねてくれたので、下宿のことから、隊附の必要であることなどに就いて、種々気づきを話して注意をしたものである。」
 ロシア差遣の内命を受けた田中大尉は、それからロシア語の修習に精進しながら出発の準備を整え命令の発表を待った。しかるに、英独仏露等の相つぐ支那要地略奪、更にロシアの露骨極まる満韓侵出は、禍乱がいつ突発するか予断を許さぬ情態を続出したのでロシア差遣は延び延びになっていたが、翌三十一年五月十八日付「御用有之露国二被差達」との辞令を漸く受けた。
田中大尉の壮途に餞けて川上総長が贈った写真には、墨痕あざかに「謹而呈 田中兄 川上操六拝」と、自署がしてあった。のちに評論家・横山健堂(曹洞宗大学教授)は「参謀総長と大尉とでは、非常に身分が違っていて、殊に階級差別の極めて厳格だった当時の陸軍で、-こんなていちょうな字句はちょっと想像出来ぬ。」と云っているが、以て総長の期待の程を知るべきであろう。
 その川上参謀総長は田中大尉の苦心惨澹を極めた報告を待たず、翌明治三十二年五月、病のために死去した。その前には山地元治将軍が、大将のロシア差遣の発令を見ずして三十年十月長逝し、再び川上参謀総長亮去の悲電をロシアで受取った大尉の悲痛は想像に余るものがある。
             「田中義一伝」(上)原書房 1981年(1958年刊行の復刻版)

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