日本経営巨人伝⑧朝吹英二ーー三井のリーダーで鐘淵紡績の生みの親・朝吹英二
日本経営巨人伝⑧朝吹英二
三井のリーダーで鐘淵紡績の生みの親・朝吹英二
朝吹英二君伝
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昭和3
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大西理平
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朝吹英二 1849-1918
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(解)前坂俊之
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00.09
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13,500
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大空社
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前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
朝吹英二は鐘淵紡績の生みの親で、わが国紡績業の発展に貢献しただけではなく、三井のリーダーとして三井財閥の基礎を築いた実業家である。
朝吹は嘉永二年(一八四九)二月、豊前国下毛郡宮園村(現在の大分県下毛郡宮園)で代々、庄屋を勤めていた朝吹泰造の二男として生まれた。
九歳で天然痘にかかり、顔面いっぱいにあばたができ、顔は月の表面のようになった。生涯、大きな丸い顔にこのあばたがトレードマークとなり、容貌怪異だが、天真爛漫で憎めない性格と独特の人柄、才能が相まって人々を魅了するようになる。
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十一歳で同村の朝吹彦兵衛家に養子に行ったが、事業の失敗で養家は傾き、借金や金の工面に苦労して、六年後に実家に戻った。このころから、朝吹は商才にたけており、米穀の売買や投機を試みていた。
慶応二年(一八六六)、十七歳のとき、朝吹は中津に出て白石照山の漢学塾などに学んだが、初めは保守主義の感化を受けて棟夷思想を抱いていた。明治二年、大阪に出て福沢諭吉の従弟にあたる漢学者・藤本箭山に弟子入りした。当時、中津(福沢の出身地)では福沢の西洋思想に対する反感が根強く、「売国奴」と批判するものが多かった。朝吹もその一人で、福沢を警戒していた。
明治三年(一八七〇)、福沢が藤本家を訪ねきて、朝吹は初めて対面した。
牛肉の料理を食べ、風呂にはいってシャボンを使うなど福沢の西洋かぶれの態度に朝吹は腹を立て、「西洋思想を宣伝して暴利をむさぼるニセ学者」として暗殺を計画した。
福沢は尊皇攘夷派のテロを恐れて、頭巾をかぶり股引きをはき、尻をからげたいで立ちで万一に備えていたが、朝吹は大小の刀を差し、その福沢の護衛のお供役となった。
朝吹はスキあらばと暗殺を狙っていた。ある時、福沢が緒方洪庵宅からの帰る途中、駕龍に乗った福沢を襲うには絶好のチャンスが訪れた。あわや刀を抜こうとした瞬間、轟音がして驚いた朝吹は思い止まり、暗殺を中止した。以後、福沢の謦咳に接して、みずからの捷夷の愚を悟り、一転して師と仰ぐようはなる。
朝吹は同年に上京して東京・芝の福沢邸の玄関番となった。慶応義塾に入って英語を勉強し、明治五年には慶応義塾出版局主任となり、「学問ノススメ」「文明論之概略」などの大ベストセラーの出版に従事した。明治八年、その人柄と才能が認められ、福沢の姪にあたる中上川彦次郎の妹・澄と結婚した。
同十一年(一八七八)七月、朝吹は塾の先輩の荘田平五郎の紹介で三菱商会に入ったが、商才を発揮して三カ月後には本店支配人に昇格し、ライバルの三井と競争する。朝吹の独特の人を引きつける魅力、そのぼうようとした人間味によって政治家やライバルの三井側にも、たくさんの友人を作り、特に大隈重信や三井の益田孝らとは太いパイプを持つようになった。
当時、三菱は新進有為の人材を登用して業務の拡張を努めており、慶応にその人材を求めていた。荘田平五郎、吉川泰次郎、朝吹英二、山本達雄、岩永貞一など、その後の明治実業界で活躍する人材が続々入ってきた。
明治十三年、岩崎弥太郎、福沢諭吉、大隈重信の肝入りで横浜外国商館に対抗して、わが国で初めての直輸出機関として貿易商会が創設されたが、朝吹は請われてこの取締役支配人に就任した。
同商会は生糸や雑貨の輸出を手掛けて好調だったが、十四年十月の政変で、大隈内閣が倒れるや、政府は一転して大隈の糧道を絶つため、同商会の為替や輸出業務を禁止した。このため、同商会は膨大な負債をかかえて行き詰まってしまった。
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この間、米代にも事欠く苦しい中で、大隈が作った立憲改進党の台所を一手に支え政界の裏面で活躍、借金で火の車のなか犬養毅、尾崎行雄らに対しては政拾資金を何とか工面していった。
明治二十四年(一八九一)、朝吹の義兄・中上川彦次郎は三井家顧問の井上馨の推薦によって三井銀行の再建のために、山陽鉄道社長をやめて、乗り込んできた。
三菱で朝吹の同僚だった初代日銀総裁・川田小一郎は苦境の中、孤軍奮闘する朝吹を見かねて、中上川に援助の手を差し伸べるように要請し、中上川は重役会でこの件を計り、益田孝らの賛成で朝吹は二十五年一月に経営難に陥っていた鐘淵紡績の専務に推薦された。
↑写真左から朝吹英二、福沢諭吉、中上川彦次郎(明治7年)
説 三井は三菱としのぎを削るライバルだったが、朝吹は人気があり、その実力を相手方が認めていたのである。
この時、朝吹は四十三歳。人力車から通勤のために最新式の自転車を購入して向島の工場まで通い、毎日三交代制の工員たちを交替時間に激励して作業能率を上げ、工場設備を改善し、鐘紡を大手術、見事に経営を建て直した。
明治二十六年、朝吹は兵庫に新工場の建設を計画、中上川に頼み込んで、その支配人として三井銀行神戸支店次長だった武藤山治を引っ張り、軌道に乗せて鐘紡発展の基礎を築いた。
明冶二十九年、鐘紡と中央綿糸紡績業同盟会の間で職工の待遇をめぐって紛争が起こった。鐘紡が同会への加盟を拒否した報復として、同盟会は鐘紡の取引会社へ絶縁を強要して、対立はエスカレートした。朝吹は武藤とともに一歩も引かず、鐘紡の勝利に終わり、財界での朝吹の地位を不動のものにした。
朝吹は明治二十七年に三井工業部設置とともにその専務理事に就任し、名実ともに三井の最高幹部の一人となった。三井の陣容は銀行が中上川彦次郎、物産が益田孝、鉱山が団琢磨、工業部を朝吹が統括しており、朝吹の部下には藤山雷太、藤原銀次郎、武藤山治、和田豊治、藤正純らの静々たるメンバーが集まっていた。
同三十一年(一八九八)十二月、工業部が廃止になるとともに、三越の前身の三井呉服店の専務理事、三十五年には三井の管理部理事となって、三井全体の事業を監督する立場になった。このほか、王子製紙会長、品川毛織取締役、芝浦製作所藍査役、東京商業会議所議員、三井合名会社参事、三井銀行監査役、三井物産取締役、などを兼務した。
三井では「三井の工業化」を推進する中上川と「商業主義」を唱える物産の益田孝が激しく対立していた時代であったが、その間にあって朝吹はクッション役として活躍した。もし、朝吹がいなければ、両者の対立はより激化して、収拾出来なかったかもしれない、といわれる。
福沢からも愛され、早稲田の大隈重信からも信頼され、三菱にも三井にも務めたという、希代の大物であり、三井の大功労者だったのである。
同四十四年十二月、朝吹は三井における一切の職を辞し、財界活動のすべてから離れて、宿願の引退を果たし、一介の風流人となって茶の湯、骨董を楽しむ隠遁生活に入った。亡くなったのは大正七年(一九一八)一月で六十九歳であった。
本書は大西理平編纂『朝吹英二君伝』(朝吹英二氏伝記編纂会、昭和三年、非売品)の復刻である。犬養毅が序文を書き、藤原銀次郎とともに監修・校閲に当たっており、本文では朝吹の明治実業界での足跡を過不足なく記述しており、朝吹「正伝」にふさわしい内容となっている。
編者の大西理平はジャーナリストなのか、漢学の素養の豊かさをバックに明治の経済政治史を朝吹を中心に生き生きと活写しており、数多くの経済人の伝記の中でも白眉となっている。明治経済史を研究する者や、ユニークな実業家・朝吹や福沢諭吉人脈の政治、経済人を知るためにも不可欠な文献である。
(静岡県立大学国際関係学部教授)
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