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日本リーダーパワー史(167)『敗軍の将・勝海舟の国難突破力⑥『金も名誉も命もいらぬ。大バカでないと何もできんぞ』

   

日本リーダーパワー史(167)
 
『敗軍の将・勝海舟の国難突破力⑥
金も名誉も命もいらぬ。そうでなければ明治維新はできぬ
 <すべての問題解決のカギは歴史にあり、明日どうなるかは昔を知ればわかる>

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)
 

以下は「海舟座談」の一節である。250年の徳川幕府の幕引きを行い、坂本竜馬らを育て、咸臨丸で初めて渡米し、明治維新の扉を開いた海舟こそ、西郷隆盛と並ぶ近代日本をつくった2大巨人である。その海舟七十余年の生涯にわたる経験と人生訓のリーダーシップのつまったこの放談こそ、現代人にとって永遠の名著である。

「ナアこ、明治維新の事は、おれと西郷とでやったのサ。西郷の尻馬にのって、明治の功臣もなにもあるものか」
「国というものは、独立して、何か卓絶したものがなければならぬ。(略)アジアに人がないのだよ。それで一々西洋のマネをするのだ」
「三十年、おれが苦心して立ててやったものを、みんなが寄ってたかって、ぶちこわそうとするから、不平だ」と。
とにかく、われわれ現代人をつくったご先祖様の代表・海舟先生の話を拝聴する。

 
明治二十八年七月の「海舟座談」

 
●(質問)今日は、「道」とするところを伺いたいものです。
 
 主義だの、道だのといって、ただこればかりだと、きめることは、私はごく嫌いです。道といっても大道もあり、小道もあり、上に上があります。そのひとつを取って、他を排斥するということは、不断から決してしません。
 
人が来て、いろいろやかましく言いますと、「そういうこともあろうかナ」と言っておいて、争わない。そしてあとでよくよく考えて、いろいろに比較してみると、上に上があると思って、真に愉快です。研究というものは、死んで初めて止むもので、それまでは、苦学です。一日でも止めるということはありません。
 
 マア、私などは、ズルイ奴というのでしょうよ。しかし、ソウ急いでもしかたがない。寝ころんで待っのが第一だと思ってます。西洋人の気長いのには、実に感心です。伊藤サン(博文)の外交のように、成功か、不成功がじきに分かるのは、あまり感心しない。李鴻章のこんどの処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか、少しもその結果の分からないのには、大いに驚いてますよ。大馬鹿でなければ、たいへん、上手なのでしょう。これまでの長い経験では、たいてい、日本人の見た大馬鹿と見えるのがエライようです。
 
 西郷ナドも、ほんとうに考えを言って、相手にする人が少なくて、真にさびしかったようです。私なども、奸物などといわれて、しばしば殺されかけた。山岡(鉄舟)や、一翁(大久保)くらいには、後には少し分かったようです。二人とも、熱するほうで、切迫するものだから、早く死んでしまった。私だけは、ズルイものだから、こう長生きしているよ。
 
●(質問) 外からの慰めというものは何でございました。
 
 家内だって、娘だって、みんな不平サ。誰でも、私に賛成した人はなかった。しかし、このうえに道があると思い出しては、いかにも面白かったよ。また、中途で殺されて、代わるものがあろうかということに屈托したこともあったが、ナニ、それはよろしい、ただ行なうべきだけを行なえば善い、自分で身を殺すようなことさえなければよろしいとキメて安心してましたよ。
 
人を集めて党を作るということは、一つの私ではないかということは、早くから疑っていました。人間は、みなそれぞれの長所があるから、信ずる所を十分に行なえば善いのだ。世のなかは広いから、酒屋でも、餅屋でも、高利貸でも、一の借庭に住まわせて善い。それで治まってゆくものがあると思っていた。機会と、着手、の二つさえ誤らねば、みンな放任しておいて善いのだ。
 
●(質問)機というものは、言うべきことでもないでしょうが、これを悟るについての用意は。
 
 機は感ずべきもので、言うことのできず、伝達することのできんものです。かねて、小楠(横井)のことを尾州の男から聞いていたから、長崎で初めて会って感服したから、しばしばその説を聞いたが、いつでも、ソウ伝言してよこしました。「よく勝サンにそう言ってください。今日はこう思うが、明日のことは分かりません」テ。それで、いよいよ感服したよ。
 
 小楠は、太鼓もちの親方のような人で、何を言うやら、とりとめたことがなかった。維新の時に、大久保(利通)でさえ、そう言ってました。「小楠を呼んでみたが、意外だ」と。たいていの人には分からなかった。
 
しかしエラク分かった人で、とほうもない聡明でした。アメリカから帰った時、いろいろ向こうのことを話すと、一を聞いて十を悟るという塩梅だ。「ハハア、尭舜の政治ですナ」 と言ったよ。西郷は無口だし、小楠はよく弁じたよ。それで、小楠の説を西郷が行なったらはと思って、幕府に薦めたところが、そのころ、西郷は島に流されるし、小楠は、無腰で、茶畠から逃げて藩で閉門をくってる時で、勝はとほうもないことを言うということで、叱られたよ。
 
●(質問)小楠先生が、春岳公に用いられた時、もッと行なうことはできなかったものですか。
 
 とても、行なわれない。
 
●(質問)西郷先生は、小楠先生にお会いなさらなかったですか。
 
 会いません。また、説く必要もなかったろうよ。
 
小楠は、毎日、芸者をあげて遊んで、太鼓持ちなどと一日話してる。人に会うのでも、一日に一人二人にあぅと、もう疲れたなどと言って会わない。しかし、
植木屋だの、魚やなどと、一日話して倦ませなかったが、春岳公の時でも、内閣に出ても、いちいち政治を議するなどは、煩わしいといってしなかったろ
ぅよ。だから、善い弟子もない。どうせ、覚えられる人じゃなかったよ。
 
 斉彬は、エライ人だった。西郷のことは、安政のころに、聞きました。一一度、お庭をいっしょに歩いてる時に、二つのことの伝達があった。人を用いることは急にしてはいけなーい。
また、一事業というものは、十年たたぬと、とりとめめつかぬものだッてネ。どうだエ、私は、形をもって言いますから。
 
●(質問)先生が、自から許していらっしゃることは何ですか。
 
 まず、経済だ。徳川の経済は、コウコウいうふうにしました。ずいぶん、骨を折ったよ。
 天下の富をもってして、天下の経済に困るということはないというのが、コッチの落付だ。昔の人も、みな、経済には苦労しました。信長は、経済の着眼が善かったので、アレだけになった。信玄でも、甲州の砂金をソット掘出したり、いろいろな法をたてた。南朝でさえ、北朝に細川頼之という経済家があって放られた。芭蕉などもなかなか経済家で、近江の商人は、みなその道法によってるのだ。
 
 感心なのが、北条氏だ。元寇三年につづいても、軍事公債は募らなかったよ。総理が自分で走り回りはすまいじゃアないか。九州の探題に防がせてしやくしゃくとして余裕があったよ。泰時でも、単騎でかけてゆくと、三日にして十万騎を得たというじゃアないか。
その頃の兵姑は、羨ましいほどに調っていたのだ。陪臣、政を執りながら、九代の治を致して、民も富み、武臣人民ことごとく服したじゃアないか。それで、自分は僅かの旧北条領を持っていて、位は五位の下だろう。倹約で、盛んになって、おごりでつぶれたのだ。
 
 北条氏が、仏法に帰依したといっても、ただ禅に凝ったのではないよ。やはり経済のためだあネ。宋が亡びて元の起こる時だからネ、宋の明僧を呼んで、五山を開いたよ。それで、電光影裏に春風をきるの無学まで、渡って来たよ。
 
そこで、宋のやつが続々渡って来る、参詣人も絶えない、信仰にことよせて来るものもある。銭はたいそう渡って来たよ。どこを据っても、宋元通宝の余計に出るのをごらんナ。信仰といってもそのためサ。
 
●(質問)真の信仰が篤くて、それが事業に現われたというものでありましょう。

 ソレが利用というものサ。だから、北条氏は、天下の子民ということが一番で、それはひどく憂えたものだ。栂尾の明憲が、ある時、泰時に帝室のことに
ついて忠告すると、泰時の言うには、真に恐れ多いことではありますが、先父もしばしば申しておりました。
 
民百姓のことを思えば、やむをえず、かようのこともせわはなりません、致しかたがないと申しておりましたと、言ったそうな。こちらも幕府の末に、はたして北条氏だけの決心があるかと自分で問うてみたが、とてもできないよ。驚くべき決心じゃアないか。それに無学文盲で、勅文すら読むことができなかったよ。ソレで、学者というものの役にたたんことは、維新前からよくよく実験したよ。あンな学問は、造作もないことで、いたって容易だよ。
 
●(質問)二宮金次郎はご存知でしたか。
 
一度会ったッケ。いたって正直な人でした。あのような時には、ああいう人がよく出るものです。何人か、人をやったッけ。ああいう人に行って聞けッテ。時勢で人ができて、逆境がまたよく人をこさえるということは、事実を私は確かに見ました。
 
 私のところには、太鼓持ちや、遊び人や、芸人が多く来ます。芸人などは、無心で、熟練して、それぞれ自得してるから、面白いよ。それで、自分には知らないのだから、コッチが説明してやると、ひどくビックリして、炯眼のように思うよ。
 このごろの人は、自分でエラがって、議論ばかしして、うるさいから、理屈を書いたものを見るとしやくにさわる。それで、人情本や、古人の書いたもの
をヒマヒマに見てます。
 
明治二十九年十月十七日(松方正義総理の時代)の放談
 
 
 どうだ。世間は落着いたろう。先月二十七日サ。松方のところに行って、高島(鞆之助)も西郷(従道)も来てネ、ひどく言ってやったよ。樺山(資紀)はいなかった。アア、歌がやったらあナ。
 今度は、もっと騒ぎになるだろうと思ってた。それでそれぞれ準備をしてネ。徳川家の人々にも「都合によらば多少の運動をなす事もあらん」と申しお
き、一応二応の手順をふみ、それから面談したのサ。存外早く落着いて、一日で事も了ったのだ。松方(正義)も礼に来た。
 三人寄ったら、西郷(隆盛)の半分ぐらいのことはできるだろうと言ってやった。
 長州は智恵に屈托するが、薩摩は、感激するところがまだ残っている。黒田の病気を見舞に行った時、薩摩の大株がだいぶおったから、ひどく悪口を52言ってやった。ありもせぬ智恵才覚はおよしなさい
 と。
  政綱の出るまでは、ちと心配もしたが、ほんとうに、ボンヤリと、よくできた。自慢を書かなかったのが善かった。肥塚が来たから、「へノコの筒切は
 どうだ」と言った。ヲレの家に、あの前から、だいぶ馬車が往来したのを知らぬか、それだから新聞屋は間抜だと、言ってやった。
  ただ、大方針と精神とを言ったばかりサ。細かい方法などをいちいち言うと、姑が嫁をいじるようで宜しくない。アアなると、薩摩は、また一生懸命
 に、いろいろと工夫して、細かいところまで気を着けるよ。
 
 三十年来徳川一門を固めておいた。みんなヲレの言うことを聞くから、マサカの時には国家の御用をすることのできるようにしてある。松方なども、ヲレが何をするかと、少しは恐れたであろぅよ。
 
 陛下は、三位(徳川公)は善いものだとおっしゃるそうで、松方もあれこれ言ったから、三位にすすめて、松方に合わせた。文部大臣はどうだと言った
 ら、逃げるようにして断わった
 
 
●(質問)維新の時のことは、他に要せられてのことか、または自らさように思ってのことかと問うに、
 
 自分でも勝っていると思っていたのサ。西郷にほんとうに、従っているものは三百人ぐらいで、その外はみな背いているから、戦っても訳はないと思っていたのだ。大勢を知らんで、そういう見識だから困る。

陛下はヲレを徹信用なさらない。一度御陪食をしたが、そのほか余り上らない。末だ経験もないかたが、その外あまり上らない。慶喜公でもそうだ。 徳川家を禍いするものは勝であるということを、書面にも書かれたのを見た。
 
 松方も、今度は、支那と交易することにつとめるそうだ。西洋人などわざわざ遠方から来るくらいでぁるのに。向こうがし(河岸)にいながら、商売をせぬというものがあるかエ。

 ヲレは若い時、支那へ行ってみて、万事の大きいのにビックリした。わが日本のことを思うと、何もかも小さくて、実に涙がこぼれた。その小さい中で、また小さな小党派の争いをしているのだよ。
 松方も、支那の公使に、ヲレから言ってくれろと言うけれども、ソウ奔走するのは、嫌だからね。黙っているよ。

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