『明治裏面史』 ★ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊵★『児玉源太郎のリーダーシップ⑬』●『陸海軍共同作戦会議の席上、「陸軍はいらぬロをきくな!」と児玉は大喝!』★『続いて児玉は海軍側参謀たちに丁寧に一礼して、「海軍側の要望は、わしが、しかと心得てござる。御安心をなされい」と確言』
2017/07/23
『明治裏面史』 ★
『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,
リスク管理 ,インテリジェンス㊷★
海軍が陸軍の児玉参謀次長の調整によって初めて陸軍と協同して具体的な作戦計画を練るようになったのは36年12月末のことである。
年の暮れも正月も返上して陸海軍参謀本部と軍令部の担当参謀たちの間で細部の具体的な計画立案と、これに関する協定が審議されたが、なかでもいつも問題となったのは旋順作戦で会った。旅順という言葉が出ただけで、海軍は直ぐ発言して、
「旅順はロシャ海軍の軍港であるから、旅順に関する作故は海軍が担当することにして、陸軍はいっさい旅順にタッチしないよう遠慮してもらいたい」と陸軍に釘をさした。
児玉次長も同席して陸海軍共同作戦協定の最終審議会でも、この旅順問題がまたも提言され、海軍側が陸軍は介入すべきでないとの主張があった。陸軍の担当参謀が、「それは可笑しくないか。今は占領地の陸海軍の絹張り区画を協定しているのではなく、あくまでロシャ軍に対する作戦協定を相談する審議である」と異論を唱えた。
ところが、この時、「陸軍はいらぬロをきくな!」と大喝する者があり、会場は一瞬にして静まり返った。陸軍参謀の反対論を、いきなり怒鳴り上げたのが、誰あろう、児玉陸軍参謀次長であったので、会場のメンバーは唖然として、その意を会せず児玉を凝視した。
しばらくして児玉次長は海軍側参謀たちの方を向い、丁寧に一礼して、「海軍側の要望は、わしが、しかと心得てござる。御安心をなされい」と低い声だが明確に答弁した。
この児玉の一喝以来、陸海軍の参謀たちは互への詰問を控えるようになった。
『海軍側を怒らせないようにするために、ああまでしてやらなければならぬものか、腰を低くするにも時と場所と限度がある』と、陸軍側の参謀たちは当時の児玉次長の対海軍姿勢について疑問の声も出た。
この時の児玉の心のうちは「永い間の悪い習慣で、すれば直ぐ理屈を並べて陸海軍が対立することを良しとする輩(やから)が余りにも多い。
海軍が旅順に対する作戦を委せよと要望するならば委せたらよいではないか。陸軍がやらなければならぬ仕事は他にあり余る程あり、旅順に作戦する兵力が他の作戦に使えるのに何の文句があるか」と、これは児玉次長がその後も折にふれて部下参謀たちを諫めていた言葉である。
互に他をつつくよりも、少しでも他を助ける気持、特に他人の功名を羨むよりも、その手柄を立てるのを援助してやる精神がなくては、いかに表面で陸海軍協力を唱えてもその実効はあがらない。
こうした基本の心得すらできていなかった当時の陸海軍最高統帥府に対し、参謀教育からやり直さなければ、『この戦は勝てぬ』と考えた児玉次長が、国難に対する最重要会議、局面でありうべきリーダーシップの心得、協力体制の心得を身を持って教えたのである。
<以上は島貫重節「 戦略・日露戦争(上)原書房 1980年 234-236P>
このケースを昭和の軍閥時代と比較すると、陸海軍とも最後まで角を突き合わせて対立、抗争し『勝つための相互一体協力、作戦情報の全面交換、コミュニケーション』まで断絶したままだった、ことはよく知られている。勝つための基本の『協力一致』がまるでできていなかった。負けるべくして負けたのである。
この『日本病』といってよい、現状認識の甘さ、情報の共有、リスク意識の共有、国難への協力一致体制の欠如などは、現国会で延々と続けられている与野党の対立、党閥、省閥、党利党略、国家戦略なし、リスク管理の欠如、与野党、政治家、官僚、経済人、マスコミのインテリジェンス不全と一体となって『日本沈没』を加速させている。
関連記事
-
『中国紙『申報』からみた日中韓のパーセプションギャップの研究』⑤『朝鮮の戦役(壬午事変)を論す』(申報)
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中 …
-
『オンライン日本資本主義講座/21世紀の公益資本主義の先駆者は大原孫三郎(クラレ創業者)」★『渋沢栄一を超えた男で、儲けた財産のすべてを社会に還元した日本一の資本家(大内兵衛いわく)』
日本リーダーパワー史(280) 『欲望資本主義を超克し、21世紀の公益資本主義を …
-
速報(336) 8月15日「無条件降伏の日」原発事故は陸軍軍閥の満州事変暴走が大陸政策を誤り、日本敗戦となる歴史に学べ ②
速報(336) 『日本のメルトダウン』 8月15日「無条 …
-
知的巨人たちの百歳学(174)記事再録/日本最長寿の徳川家三代指南役・南光坊天海(108歳)の養生訓ー上野公園内の「墓碑」で長寿健康を祈る―『 養生法・長命には粗食、正直、湯、陀羅尼(だらに)、御下風(ごかふう)あそばさるべし。』★『養生訓「気は長く 勤めは固く 色うすく 食細うして 心ひろかれ」
2015/02/05/百歳学入門(102)・ 日本最長寿の徳川家三 …
-
『Z世代への<日本史難問クイズ?>『リンカーン米大統領が奴隷の解放宣言をしたのは1862年(文久2年)ですが、日本で中国人奴隷(苦力)を解放したのは一体誰でしょうか⑲』★『西郷隆盛(参議・実質総理大臣)です。横浜港に入港した『マリア・ルース号事件』(清国人苦力=奴隷230人をペルーに運ぶ途中)で人権尊重の観点から外務卿・副島種臣に命じて停船を指示・船長を告発させ、裁判後に清国に送り替えした』★『「国の本来の政治は軍備の不備を恐れず、一国の運命をかけても、正論を以てこれを貫くべし」』
2019/07/27 日本リーダーパワー史(858)/記事再録 &n …
-
日中北朝鮮150年戦争史(4)日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』で、中国との交渉は『無底の釣瓶(つるべ)を以て井水をくむが如く、何時もその効なく』(パークス英公使)ー『話せばわかる』ではなく「話してもわからない」清国とついに武力衝突へ
日中北朝鮮150年戦争史(4) 日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』で、中国との …
-
『Z世代のための初代総理大臣・伊藤博文の明治維新講座』★『○<切腹覚悟でイギリスに密航し、ロンドン大学に留学して、西欧文明に衝撃を受けて攘夷から開国派に180度転換、アジア全土が植民地支配を受ける中で、唯一独立を保ち西欧列強の仲間入りを果たした>』
明治時代は<伊藤時代>といって過言ではない。   …
-
日米の歴史コミュニケーションギャップ・相互理解の難しさ①<ー1860年の日米通商条約から150年目―>
日米の歴史コミュニケーションギャップ・相互理解の難しさ① <ー1860年の日米通 …
-
日本リーダーパワー史(232)『大正政変の立役者・尾崎行雄の突破力(政治哲学)ー格調あるスピーチ(演説)で国を変えよ』
日本リーダーパワー史(232) <憲政の神様・ギネス政治家の …
-
日本リーダ―パワー史(122)『海軍の父・山本権兵衛』の最強のリーダーシップと決断力・実行力に学べ
日本リーダ―パワー史(122)『海軍の父・山本権兵衛』の最強のリーダーシップと実 …
- PREV
- <F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(215)>『共謀罪法案、森友、加計、防衛メモ問題などなど、底流で共通しているのは、権力者が、今の日本が置かれている複雑な諸問題を、誠実な言葉遣いで国民と向き合い率直に語ることを避けて来たこと。隠し事が多過ぎる。』★『日本も極右や極左、国際テロリストの標的になる事は時間の問題、 欧米やイスラエルなどの総合的なテロ対策技術を詳細開陳しながら、国民の理解を深めることが必要』★『ポスト安倍を語り始めた海外 ふさわしいのは自民・民進議員ではなく?』
- NEXT
- 『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊶★『明治37(1904)/2/4日、日露開戦を決定する御前会議が開催』●『明治天皇は苦悩のあまり、10日ほど前から食事の量が三分の一に減り、眠れぬ日が続いた。』★『国難がいよいよ切迫してまいりました。万一わが軍に利あらざれば、畏れながら陛下におかれましても、重大なるご覚悟が必要のときです。このままロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る(伊藤博文奏上)』