日本リーダーパワー史(255)空前絶後の参謀総長川上操六(34)野党の河野盤州を説得した驚異のインテリジェンスと交渉力
2015/02/19
日本リーダーパワー史(255)
空前絶後の参謀総長・川上操六(34)
◎「日清戦争後、野党の河野盤州領袖を説得して、陸軍
増強に協力させた驚異のインテリジェンスと交渉力」
増強に協力させた驚異のインテリジェンスと交渉力」
―国民必読の「坂の上の雲」の歴史的名場面である。
前坂俊之(ジャーナリスト)
『河野盤州伝(下巻)』(同刊行会)大正12年12月―の中に、河野が日清戦争後に川上操六参謀総長から陸軍6個師団の増強を相談、協力を要請された内幕が載っている。
川上のインテリジェンスがいかに卓越していたかを象徴する説得,スピーチで、日本史を変えた決定的説得名シーン。もっか永田町のバカ政治家、外交家だけではなく、ねじれ国会と子供、老害政治家にうんざりした国民必読の「坂の上の雲」の歴史的名場面である。明治国民劇の名優2人のベストセリフといってもよいものである。
日清戦争後の軍備充実をどう説得したか
日本が清国(中国)と朝鮮問題を契機として東アジアの覇権をかけて争った日清戦争は、世界の予想に反し連戦連勝で日本の勝利に帰した。川上の見通しどうりであった。
世界の先進国は驚くと共に、清国に対する侵略の仲間として日本を加えることに反対した国々によって、三国干渉が行われ、遼東半島の還付という予期せぬできごとにを日本はショックを受けた。日本はこの干渉により精神的には別人となって国力を培養し、臥薪嘗胆して、ロシアに対抗する戦略を必死になって練った。その中心人物が川上参謀総長であった。
川上はロシアとの一戦はどうしても避けがたい、と見て、それには六個師団の増加が必要だと計算して策を巡らせた。日清戦争後は、民力の休養をとなえて、軍事増強、増税には、まっこうから反対する空気、世論が強く、もし、川上が増強などと口出しすると袋だたきにされる恐れがあった。
ことに貴族院による反山県派の谷干城や、曾我祐準や、鳥尾小弥太が増税反対、軍備縮小を唱えて、手ぐすね引いて待っていた。
それから間もないこと、川上は首相官邸に伊藤をたずね、偶然に、用談をすまして出てくる河野と出くわした。
川上は『これはいいところでお目にかかった。ぜひ相談したいことがあると言って、控室の一室の一つをかり、さしむかいになって、日露が戦うのは今後十年とは待たぬでしょう、それに備えるに、最低でも四個師団増設の説があるが、ぜひ六個師団必要である。しかし今の議会の形勢では、とうてい通りそうもないから、何とか尽力をねがいたい』と、誠心誠意、懇願した。
その真摯な態度に胸打たれた河野は、日ごろ疑問としている点をぶちまけて、率直にたずねた。この時の問答は「河野磐州伝」にある。以下は木村毅の「日清戦争」本から、文章の要約である。木村は新聞記者として、川上を研究しており、「河野磐州伝」を参考に、小説家らしく以下のようにまとめている。
「ロシャを相手とするのに、貴下の申されるとおりの六個師団でほんとにたりるのか。この点は重大だから、念のため確かめておきたい」
この問いに川上は「いやいや、ロシアの極東経略は大規模で、いまにシべリヤ鉄道が開通したら、満洲に大兵を集中し、アジアに制覇しようとしていることは火を見るより明かです。それに対抗するには六個師団ぐらいの増設では、もとよりひどく足りませんが、しかしこれ以上をのぞんでも、。政府も、代議士も、世間もみんがキモをつぶすでしょう。政府も、代議士も、世間も」
「じっは内々で、一個師団の兵力を倍加することを陸軍の方ではきめているのです。だから今のままの六個師団でも、自然に十二個師団の兵力になるわけですが、さらに六個師団ふえれば、現在の兵数の二十四個師団とおなじことになります」
「それだけあれば十分か」「え、それなら十分です」「何か年で完成の予定?」
「六年」「しかしそのときはシべリヤ鉄道が開通しているだろう。日本の増加兵力に対抗して、それをしのぐ大兵をロシアが送りつけてくる場合はどうする」
川上はゴトリと音を立てて椅子を近よせた。
「これは極秘の話ですから、この場かぎりに願いますよ。六個師団増設が完了したら、すぐ対ロシア戦をおこします。ロシャが朝鮮に侵入して、はたらいている数々の暴状は、十分な開戦理由になりますので、列国を納得させることができます。それに増師計画の完成をこちらで六年と発表する、こういうものは一年は必ずおくれることが通り相場になっていますから、ロシアも、これは七年はかかるものと踏んで、対応計画を立ててくるでしょう。ここで開戦時機を二年前倒しでき、時間のもうけが浮いてきます」
川上はここで、伊藤首相にも見せて、まだ十分の同意を得なかったであろう書類をひらき、「この計画の完成は六年と表面にうたいますが、私は五年でやりとげる確信をもっています。ここで又一年もうける。敵が七年かかると計算してゆっくりかまえてくるのを、こちらは五年で完成するのだから、当然、相手の不備に乗ずべき必勝の算が立ちます」
その言葉はほんとうに肺肝からしぼり出たものであった。
河野は川上の懇請をきき流しにしてはならぬと思って、まず板垣退助をたずねて、はなすと、自由党の総裁ともあれば、民力休養の立場上、軍備拡張には反対である。しかし維新のときは大村益次郎につぐ軍略家で、西郷も推服していたぐらいだから、いまは時勢でずれたといっても、話がよくわかり、この案をのみこんでくれた。
河野はその足で板垣の片腕として重きをなす竹内綱(吉田茂の養父)をたずねて、彼からも同意を取り付けた。
こうして天下第一党の自由党の総裁、領袖がこぞって賛成したので、伊藤首相もそれにかたむき、ついに第九議会に提出されて、無理かと思われた六個師団増加案があっさりと通過した。川上の作戦成功である。川上はよっぽどうれしかったと見えて、明治天皇に奏上のさい、河野磐州のこの努力については、とくに御留意をおねがいした。
こうして、川上の構想は着々として実現していった。日本を中心に東アジアのの全安全をになう抱負の彼は、参謀本部の調査がペーパープレンにおちいることを警戒し、明治二十九年には台湾から広東、清国南部、安南(ベトナム)を四か月にわたって視察している。このとき特に目をかけて、参謀教育、情報部員教育ににつれていったのが明石元二郎である。
翌三十年にはウラジオに入って本願寺別院に松月和尚の花田仲之助をたずねて懇談し、東シべリヤから黒竜江を巡察した。この時の随行者には特に田村恰与造をえらんでだ。
また、上法快男『陸軍軍務局史』(芙蓉書房、昭和54年)は、この問答を「河野盤州伝)から次のように要約している。
河野「一体国家の一大事とは、どういう事であるか。」
川上「外でもない、陸軍軍備拡張の事に関して、四箇師団増設といふ如き議論があるが、我々の専門的見地よりすれば六箇師団を増設するのでなければ、到底国防を全ふすることが出来ぬ。
貴下は既に洞見されていようが、遼東還附後の形勢を考察するに、最低限度に見積り、六箇師団は、是非とも拡張の必要がある。これは実に国家存立問題に関する重大事件で、これを実行するでなければ、国家の前途測るべからざるものがあると信ずる。」
河野「御尋ねしたいことは、東亜の平和を確保するに、六箇師団の拡張を以て足れりと確信せらるゝか、これは大事の点であるから、念のため確めて置きたい。」
川上「従来の編成に依る師団ならば、六箇師団では足りない。然し今後は、師団の編制を改め、一箇師団の兵力を倍加するの方針だ。故に師団数が現在のままでも、従来に比し一倍の兵力を増すことになる。
されば六箇師団の増設は、二十四師団に増加せられたも同様の結果となる。軍備の拡張はいふまでもなく、露国を仮想敵として行ふのであるが、富国の極東経略は、頗る大規模で、西比利亜(シベリア)鉄道を貫通し、満州に大軍を集中して、極東に覇を称せんとして居る。
しかして西比利亜鉄道の輸送力、その他の関係に致し、露国の極東に於ける戦闘力を打算して居るが、我はこの際、六箇師団の増設を行へば、露国に対抗して決して後れを取ることはない。この点は、十分に確信を有って居る。」
河野「仮りに、貴説のごとく、六箇師団の増設を実行するとする、何箇年間に之を完成せらるゝ計画であるか。」
川上「道理ある質問だ、或年限内に完成を終らぬと、露国の清洲に輸送する兵力は、我が増設せる兵力よりも、優越し来るのである、師団の完成は極力急がなければならない。こゝに大に急いで、六箇年の後には、完成を告ぐる計画である。この間に完成すれば、彼は我より優越になることはない。」
河野「貴説は了解した。然し兵は徒に蓄ふべきものでない。不用に帰せばこれを減ずるが当然である。
六ヶ年の後に、六箇師団の増設が完成を告げ、霹国の極東に於ける戦闘力は、我に及ぶ能はずとすれば、彼は鉄道に依り、引続き夜となく昼となく、兵力を輸送し軍備の充実を図るであらう。然らば、すぐに我を凌駕して、我は折角、増設した軍備も用ゆる能はざるに至るではないか。かくては軍備拡張も、全然無意味に帰する。そこで完成後これを用ゆるの機会を捉ふる事に就て、十分の確信と用意がなければならぬ。この点に関し、貴下の意中を承りたい。」
川上「身を以て国家に任ずるの大覚悟があればこそ、かくも徹底的に考察せらるるのは感激の外はない。よって、ここに予が覚悟及び胸底に蔵する機密を包まず披渡しょう。
如何にも貴説のごとく、六箇師団増設が完成しても、我れ安閑たらは、彼の兵力は我れを凌駕する。故に大に兵を用ゆるの機会を逸してほならぬ。しかも予はこの点に対して十分の用意がある。即ち六箇師団が完成すれば、直ちに討露の役を興すに躊躇しない。開戦の理由を掴むがごときは、極めて容易のことだ。現に朝鮮に於ける彼の行動はどうであるか。戦ほんと欲せば、今でも戦ひ得る。しかも、その戦はざるは、我の軍備が足りないからである。
されば師団増設完成の暁には、直に戦を宜し疾風迅雷の勢を以て猛撃し、彼を千里の外に駆逐するは、予の夙に定めた決心である。戦争に就いては、予の胸底に十分の成算がある。
各国の例によるも、六ヶ年といっても、七ヶ年かかるのは普通である。故に彼はかう考へるだらう。しかし、予の成算では、五ケ年間には必ず完成する即ち一年を短縮する。
彼は七ヶ年の後に完成すると睨んでゐるのを、我は五ヶ年の後に完成し、直に戦を開き得るとせば、彼の備えの完からざるに乗ずるのであって、必勝の算が立つ。予は決して兵を用ゆるの機会を逸せず、また師団の増設を無意味にも終らせない。
乞ふ、予が一片君国を思ふの赤誠を諒とし、六箇師団増設のことに賛成し、この目的を貫くことに尽力ありたい。」
こうして明治二十八年十二月の第九議会において、伊藤内閣は国防充実費として、
陸軍 三、五五八万円
海軍 三、七一二万円
の予算案を提出して可決された。これで陸軍の六師団(六力年間増設)の拡張は実現し、十二師団で日露戦争へと大躍進したのである。
この議会においてめだったことは、陸軍出身の将軍連特に反山県の長老、曽我祐準、谷干城などが貴族院においてこの軍拡に猛反対したことである。
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