日本リーダーパワー史(261)『山県有朋―『日本陸軍の父』は九つもの庭園を作ったガーデニアン!』
日本リーダーパワー史(261)
『山県有朋―『日本陸軍の父』は九つもの庭園を
作ったガーデニアン』―
『政治家としてもたいした人物と思えない』『戦争でも実績のないのが
元帥となり、陸軍を牛耳ったのは不思議である」(伊藤痴遊の弁)日本
の不思議なトップリーダーの歴史は今も延々と繰り返獲されている。
元帥となり、陸軍を牛耳ったのは不思議である」(伊藤痴遊の弁)日本
の不思議なトップリーダーの歴史は今も延々と繰り返獲されている。
前坂俊之(ジャーナリスト)
著者:伊藤痴遊著 | 発行年月:1935年08月
『政治家としてもたいした人物と思えない』『戦争でも実績のないのが元帥となり、陸軍を牛耳るようになったのは不思議である」と伊藤は書いている。日本の不思議なトップリーダーの歴史は今も延々と繰り返獲されている。
『政治家としてもたいした人物と思えない』『戦争でも実績のないのが元帥となり、陸軍を牛耳るようになったのは不思議である」と伊藤は書いている。日本の不思議なトップリーダーの歴史は今も延々と繰り返獲されている。
陸軍CEOは九つもの名園を作ったガーデニアン
明治政府の実質上の舵取り役は伊藤博文と山県有朋の二人で、「富国強兵路線」を突っ走ったが、その軍国路線を敷いたのが山県である。山県は内務卿、陸相、農商務相を経て明治二十二年に首相となったが、この間、地方制度の確立に尽力し、市町村制、府県制など行政、官僚制度を築き全国に浸透させた。
また陸軍育ての親で、徴兵制度を導入し、「軍人勅諭」を定め、統帥権の独立、軍事優先路線を引き、山県閥が陸軍と内政を完全に牛耳った。伊藤博文の死後は元老として権力を二手に握り、山県閥は「横暴、おごりたかぶって、武断政治の弊はその極に達す」と批判が集中した。
東京目白の「椿山荘」は名園として有名だが、これが山県有朋の別荘だったことはあまり知られていない。山県は八十五歳で亡くなったが、その墓碑に「枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵」とれいれいしく刻まれているように、明治では最高の出世男だった。
「一介の武弁」が口癖で、絶えずそう口にしながら陸軍をおさえて、伊藤博文と明治の政界を二分して、影で政治をあやつった。国家運営の妙手とはとても言い難いが、その山県の唯一の趣味が庭作りで、造園には高い見識を示した。日本最高のガーデニアンだった。
三十歳で故郷の山口県苫田村に最初の別荘「無鄰庵」をつくったが、これ以来病みつきになり四十、五十歳という年齢の節目ごとに別荘をつくるという夢を抱いた。
不惑の歳、四十歳で東京目白に「椿山荘」をつくった。政敵・大隈重信の早稲田をちょうど見下し、富士山、皇居の森や筑波山などを遠望する約六万平方メートルという広大な敷地に、回遊式林泉庭園を作った。
三重塔をいただく小高い山の部分と、池や滝など水の流れを中心にした部分からなる見事な庭園で家屋も一緒に建てた。山県は晩年までここを本邸としており、政治の舞台となった。
明治二十年(一八八七)ごろ、五十歳で大磯に十六・五万平方メートルの敷地の「小淘庵」(こゆるぎあん)を作り、五十四歳には京都別邸として京都市木屋町二条の鴨川近くに「第二無鄰菴」(むりん)
五十九歳で同市左京区の南禅寺のすぐ西側、琵琶湖疏水のほとりに約三千百平方メートルの「第三無鄰庵」をつくるなど、別荘熱は年とともにますます昂じた。
とくに「第三無鄰菴」では、太閤秀吉があまりに大きくてあきらめたという、京都醍醐山中の巨石を牛二十四頭も使って運び出した。この巨石を東山の松林をバックにおいて、疎水からも水を引いて庭に自然の流水をつくった大がかりな庭園で、「京都には数々の名園があるが、ここが京都御所に次ぐもの」という評判をとって、山県は晩年までこの庭を自慢していた。
またここでは、明治三十六年四月二十一日に、山県、伊藤、桂太郎首相、小村寿太郎外相がひそかに集まって日露戦争の開戦を決定した「無鄰菴(むりんあん)会議」が行われたことでも有名となった。
明治三十五年、六十五歳で東京小石川に小石川別邸の「新々亭」(さらさらてい)をつくった。七十歳では小田原板橋の敷地四千六百平方メートルの土地に十五メートルの高低差をいかして
多くの滝、流水を配した自然主義的な庭園「古希庵」(こきあん)を作った。この時、山県は病の床の中から設計図を示して、兵の配置、陣地を指揮するように庭師や作業員を陣頭指揮したという。この庭から秀吉が一夜城を築いた石垣山を正面に眺めることができ、山県は自らを秀吉に伍して自慢したかったのだ、という。
大正三年(一九一四)、七十六歳で側近の清浦杢吾(きようらけいご、首相)を呼び寄せ、古稀庵の近くに建てた別荘「皆春荘」をもらいうけて、「古稀庵」に編入した。
さらに大正六年、八十歳には東京麹町に「新椿山荘」を作ったというから病こうもうに入るというべきか。生涯に計九つもの別荘、庭園をつくった日本一のガーデニアンだった。
大正十二年二月一日、「古稀庵」にて八十五歳で亡くなった。
山県は国葬となったが、衆議院で「国葬の者は真に社会民衆の幸福を計ったものに限る。公は維新の元勲だが、憲政の発達を阻害し、民衆政治に極端な圧迫を加へ、国家の隆盛を軍閥の功に帰するような行動は国民から何が感謝の要あろうか」(『東京日日新聞』二月三日付)との国葬反対演説まで飛び出した。
二月九日、山県の国葬は日比谷公園で営まれた。参列者は最前列には元帥東郷平八郎、陸相山梨半造らの陸海軍将校がズラリと礼装で並んだが、民衆には全く不人気で、一万人収容の葬儀場はガラガラ、千人ほどしか参列者はなかった。
ちょうど一カ月前になくなった大隈重信の葬儀は数万人の民衆がおくるという盛大さと比べると、全くさびしいものだった。
関連記事
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊸』『韓国・朴槿恵政権との向き合い方』◎「中国が「反日宣伝」を強化、習主席訪独で」
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊸』 ◎『韓国 …
-
★『オンライン天才養成講座/エジソンの発明術を学ぶ』② 』★『発明発見・仕事成功10ヵ条」★『 生涯の発明特許数1000以上。死の前日まで勉強、研究、努力 を続けた』★『人生は短い。やりたいと時に徹底してやる。休むことは錆びることだ』
2014/07/16 百歳学入門 …
-
★『Z世代のための日本政治家講座㉓』★『明治最大の奇人、超人とは『西郷隆盛の弟・西郷従道です』★『日本海軍の父・山本権兵衛を縦横無尽に 活躍させた大度量」★『日露戦争でロシアに完勝した日本海軍を建設したのは西郷従道で抱腹絶倒の大巨人で超面白い!①
2016/07/04 日本リーダーパワー …
-
日本グローバル/リーダーパワー史(661)本田、ミラン残留へーその逆転のサバイバル・コミュニケーション、タフネゴシエイションに学べ『ミラン会長の心をつかむ「彼は賢くイタリア人とは全く異なる…」「私は大好きだ」』(動画あり)②
日本グローバル/リーダーパワー史(661) 本田、ミラン残留へー その逆転のサ …
-
人気リクエスト記事再録『百歳学入門(199)』★『関精拙、原坦山、仙厓ら<禅の巨人>の往生術から学ぶ』★『よりよく生きるためには、いかに死ぬかを学ぶ必要がありますね。「ピンピン、コロリ」(PPK)が理想といわれていますが、現実はなかなかこうはいきません」
2010/01/21 再録 百歳学入門①ー知的巨人たちの往生術から学ぶ① 前 …
-
お笑い日本文学史『文芸春秋編」ー直木三十五『芸術は短く、貧乏は長し』 と詠んで『直木賞』に名を残す』●『菊池寛・文壇の大御所を生んだのは盗まれたマントだった。
お笑い日本文学史『文芸春秋編」① ●直木三十五-「芸術は短く、貧乏は長し」 と詠 …
-
知的巨人の百歳学(100)ーギネスブック世界最長寿の彫刻家・平櫛田中(107歳)の長寿の秘訣は!『70、80、洟垂れ小僧、洟垂れ娘、人間盛りは100から、100から』★『今やらねばいつできる、わしがやらねば、だれがやる」』
ギネスブック世界最長寿の彫刻家・平櫛田中(107歳) 平櫛田中記念 …
-
『世界漫遊記⑪/パリ・モンパルナスぶらぶら散歩』★『モンパルナス地区のカラフルでアートな商店街を楽しむ』
2015/05/11   …
-
『明治裏面史』★『日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊴『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力と責任⑪』●『日露戦争開戦前-陸海軍統帥部協同の準備と意見相違の内情』★『児玉次長の海軍将校に対する態度は慇懃を極め、あの敏活なる決心も、あの強硬的態度も、あの気短かも海軍の面前に出ては一切控えて常に反対の現象を呈した。』
『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リス …
-
日本リーダーパワー史 (27) 国家破綻をストップせよー鳩山首相は「戦う総理大臣をめざせ」
日本リーダーパワー史 (27) 国家破綻をストップー鳩山首相は「戦 …