日本リーダーパワー史(266)松下幸之助(94歳)の教え★『人を育て、人を生かすー病弱だったことが成功の最大の要因』
日本リーダーパワー史(266)
日本で最も尊敬されている創業者・松下幸之助(94歳)の教え
★『人を育て、人を生かすー病弱だったことが成功の最大の要因。
健康だったら、仕事も自分でやろうとして、そこそこの成功で
終わっていたかもしれない。』(健康成功名言)
健康だったら、仕事も自分でやろうとして、そこそこの成功で
終わっていたかもしれない。』(健康成功名言)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
① 病弱だったことが成功の最大の要因。健康だったら、仕事も自分で
やろうとして、そこそこの成功で終わっていたかもしれない。
やろうとして、そこそこの成功で終わっていたかもしれない。
<松下幸之助(94歳1894・11・27~1989・4・27)松下電器産業(パナソニック)を一代で築き上げた日本屈指の経営者。晩年は政治家育成の松下政経塾を創立。PHP研究所の創立者>
松下は明治以来の日本の実業家の中で、五指に入る成功者といえるだろう。裸一貫、丁稚奉公から出発して自分の努力と才覚で、一代にして日本を代表する世界的企業・松下電器を築き上げた。
新聞記者から「成功の要因は何ですか」と聞かれたとき、意外なことに「病弱だったこと。それが成功の最大の要因です」と語っている。
松下は、八人兄弟姉妹の、三男の末子として生まれた。子供のころ、父親が米相場で失敗して財産を失い、貧乏のどん底にあった。病弱の家系で、一年ほどの間に兄二人、長姉も相次いで死亡。しばらくして残った姉二人も亡くなった。幸之助も生まれつき病弱で、
血たんを吐き、結核のため寝たきりで医者の手が離れることがなかった。こうした状態なので、松下自身も三十代までは生きられまいと覚悟した。
病弱の身体では安定して勤務できないため、十八歳で電灯会社を辞めて独立して商売を始めた。健康に不安があったので、四十代まで養生しながら働き、人に仕事を頼り、任せざるを得なかった。
② 笑わば笑え、死なは死ねという、クソ度胸を固める
松下は語る。「私は二十歳頃、貧しい上に胸部疾患にとらわれた。今日のように特効薬もない時代で、病気は一進一退でながびいた。仕方がないので三日つとめては(日給)一日休み、二日休んでは五日出勤するという有様で、療養と勤務とぎりぎりの兼ね合いだった。
それでも、人間というものは強いものだ。なぜ強いかというと、もうこの線よりあとにひけないところまできて、笑わば笑え、死なは死ねという、クソ度胸というか、一種のあきらめというか、精神的な安定を得ると、それからはビクともするものでなかった。医者のいうとおりにしたら食って行けない。
食っていけないでは養生もできない。これはどのみち運賦天賦やれるところまでやってみるのだ。ままよ、マナイタに乗った鯉みたいに、どうとも勝手に料理してくれといった気持になった。この状態のまま私はその後自分で商売を始めたが、このクソ度胸が、かえっていっそうの商売熱心を生んだ。何が幸いになるか分からぬ人生だ」
「人間万事塞翁が馬」、それがまた松下を成功へ導く大きな要因にもなった。
仕事を遂行するために、彼は「人を使う、人を育てる、人を生かす」ことにすべての神経を集中し、それを経営の根本にすえた。人に任せて、どんどん仕事をやってもらう人使いの名人となり、松下自身は経営に徹したのである。
「病弱だったことが、今日の松下をつくったと思います。もし、私が健康だったら、仕事もすべて自分でやろうとして、そこそこの成功で終わっていたかもしれない」と語っている。
③ 病弱と寿命は別。弱い人は弱いなりに、順応した生活をとるならば、
頑強な人とは違った形で十分な社会活動もできますし、寿命を保てます。
頑強な人とは違った形で十分な社会活動もできますし、寿命を保てます。
「身体と病気を大事に扱い、病気とも上手に付き合っていく」という松下のやり方は五十歳ごろまで続くが、無我夢中で働くうちに、だんだん健康になってきた。
六十歳のころ、易者に手相を見てもらうと、長命の相ありといわれ元気百倍、彫刻家・平櫛田中の「今やらねばいつできる、おれがやらねば誰がやる」に感激して、長生きに挑戦しょうと決意した。
松下の健康長寿観は~
① 人間の寿命は九〇%が天寿で、残り一〇%は人寿。平生からの努力が必要
② 病弱だったら病弱なりに、天が試練、修鎌の場を与えてくれたと感謝して書の努力をする。病弱は健康な人では思いつかない仕事や考え方に気づかせてくれる。
③ 病気と仲よくつき合う。病気を恐れて遠ざけていれば、あとから追いかけくる。反対に病気と仲よくすれば病気のほうから逃げていく
④ 病気になったら、死なば死ねと腹を固めて、残された人生を精いつぱい生きる。
晩年は、松下病院の中に設けられた社宅から会社に通う、病院での下宿暮らしのような生活であった。病院では規則正しい生活を送り、唯一の楽しみは晩酌。好きなお酒を毎晩小瓶に半分飲んでいたが、うれしいときは一本に増えた。
八十五歳のときのインタビューでは、
「特別の健康法はしていない。私は小さいころから病弱な体質だったので、健康には人一倍苦労しました。そこから得たことは、〝病気を恐れずに、病気を大事にしてきた〃こと。よわい身体を丈夫にしようとは考えずに、よわい身体のままに何とか健康を維持していこ
うと考えました。一種の諦め、一病息災か、健康長寿、一病長寿につながったと思ってい
ます」と答えている。
④ 不健康こそ利
松下の教えー「仕事をするには、なんといっても健康がもとである。しかし、世の中というものは、そううまくいくものでない。からだの弱い人がいくらでもいる。生来蒲柳の質とよばれる虚弱な人も多い。はたしてそういう人たちは何をやっても全然ダメであろうか。
なるほど、常識的には、健康が何よりも資本で、生来からだの弱い人、半病人の状態がつづく人、からだのどこかに欠陥のある人、そういう人々は健康体にくらべて不利であり、苦労も多いと思うが、何をやっても成功しないとは限らぬ。自分のことを例に持ち出してはなはだ恐縮だが、私自身もほとんど五十歳まではひとつの病気にさいなまれつつ、その養生と仕事とに追われつづけてきた。
しかし、その体験からいうと、それがためにかえってある慎重さを加えるとか、人に任せるべきを任すとか、健康でなかったよりうまくやれてきたこともあるように思う。不健康の不利は必ずしも絶対ではない。
⑤ 人生、ビジネスの歩き方、ナミ足でいくに限る
人間の歩き方にはカケ足、ハヤ足、ナミ足の三つがある。そのうちでもっとも速いと思われるのはカケ足であり、次がハヤ足、もっとも遅いとみられるのがナミ足である。
ところで、カケ足はスピードは速いが、必ず息がきれる。ハヤ足もカケ足よりは持続性があるが、やはりいつかは息ざれがしてくる。
結局、いちばん持続性のあるのはナミ足で、何里歩いても疲れがこない。まずは平気である。どこまでも同じテンポでやって行ける。そこで、一里走ってへたばってしまうカケ足よりは最初はおくれていても、遠い道を行
くには、ナミ足がやがてカケ足を追い抜き、ハヤ足を追い抜いて、やはりいちばん早いことになる。
この事実は事業経営についてもいえるわけだし、人生の処世態度としてもハッキリいえるわけである。それからさらに日常におけるお互いの健康保持についても、カケ足、ハヤ足は駄目、静かに落ちついてナミ足で行くに限るということになる。
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⑥ シンパイするな、不健康なことで一切の希望を失うことが
いちばんの不幸である。
いちばんの不幸である。
私はよく、健康のよくないことを悩む若い人に、こんなことをいって激励している。
「君、からだの弱いこと、そないに心配せんでええよ。ちっともシンパイいらん。
君は自分のからだの程度に応じて働け。ひじょうに強健な人と同じように働くことは、そらあかん。ぽつぽつ、しかし、他の人より何か工夫をこらしてうまくやるがよい。君はもって生まれてそういう不健康やったら、不健康もまた結構ということでやっていけよ。そのうになんぞ、ええこともきっとある」
要するに、不健康者が不健康をなげいてばかりいたらいかんわけで、一切の不幸はそれから生まれてくる。
むしろそれを逆用して、健康な人では思いつけぬ、あの仕事、この仕事と新しい夢をそだて上げ、それに強い希望を託して、不健康者なりに最善の努力をつむことだろう。不健康なことで一切の希望を失うことがいちばんの不幸である。これは私が過去の体験から申し上げることだ。
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