前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

 日中朝鮮,ロシア150年戦争史(50)ー副島種臣外務卿(外相)の証言②『明治の外交の争点はいつも朝鮮問題』 日清、日露戦争の原因は朝鮮をめぐる清国、 ロシア対日本の紛争である。北朝鮮問題のルーツ・・

   

 日中朝鮮,ロシア150年戦争史(50)

副島種臣外務卿(外相)の証言―②

『明治の外交の争点はいつも朝鮮問題』

(大隈重信編『開国五十年史』上巻 明治4012月)

    日清、日露戦争の原因は朝鮮をめぐる清国、

ロシア対日本の紛争である。北朝鮮問題のルーツ・・

『明治の外交の争点は朝鮮問題(明治3712月稿)』

(大隈重信選、副島八十六編『開国五十年史』上巻 明治4012月)より

 

朝鮮は数世紀の間、王統を代へて統治せられたりと雖も、要するに殆ど常に、半ば支那若くは日本の付庸国たるの実あり。

史に徴するに我邦との関係は支那よりも古く、西暦第三世紀の頃、神功皇后の王師を率ゐて之を征服し給ひしより、

久しく我に隷属せしが、後また支那に附従したり。

降って文様年中(第十六世紀の末葉)豊臣秀吉の遠征ありしが、秀吉の後を承けて興りたる徳川家康は、

平和の主義を以て朝鮮に臨み、彼に諭して慶長十二年(1607年)再び

菖交を我に修めしめ、爾来、将軍襲職の時に営りて、修好使来朝の例となりたり。

されば王政維新の政変あるや、明治元年、我政府は使臣を道はして之を通告せしめ、以て奮交を新にせんことを

求めたりしに、

韓国政府はこれを拒斥し、痛く我を凌辱せしかば、志士大に憤激し、いわゆ征韓論なるもの起りて、

朝野これを論ずるの声轟轟たりしが、結局、外征論者は志を得ずして、西郷隆盛以下の参議五人は快を連ねて

野に下るに至りたり。

これ実に明治六年秋の事なりき。

後明治八年我一軍艦江華湾に於て砲撃せられたるを以て、我政府は遂に直接、韓国政府と交渉して、修好條規を締結したり。

該確約の第一条には「朝鮮国は自主の邦にして、日本国と平等の権を保有せり云々」とあり。是に於て乎、

曖昧なる朝鮮国の地位は始めて明確なるを得たり。

日本が開国以来、わずかに十三年を経ざるに、また夫の「隠者国」の門戸を開放することとなり、明治十三年始めて日本公使鰭館を京城に置きしが、韓国には依然として頑冥保守の徒多く、両国の親交は外交上の紛擾によりて、忽ち阻止せらるに至りたり。

十五年、摂政大院君の煽動に由り、頑冥の暴徒等、故なきに一帝国公使館を襲いて之を焼き、館員等、身を以て仁川に免れ、英国砲艦に助けられて長崎に帰るを得たり。

因って井上外務卿、其急に赴き、遂に韓廷をして屈服せしめ、償金五十万円を約せしめたり。

此時、謝罪使として来朝せる朴泳孝は、大に、我国情に鑑みる所あり、爾来、我に信頼して改革を唱へ、我政府も大に之を嘉し、十七年に約したる償金の残額四十萬円を韓閥に輿へ、これよりして京城に於ける日本の勢力は漸くにして昂昇せり。

此年十二月四日、夫の宮中に大宴会あり、責紳大官之に列す。会了るや、事大党の首領閔氏は卒然暗殺せられ、数名の同党亦厄難を共にし、京城ために騒然とし、物情淘々たり。

日本党等乃ち帝国公使に急を告げしかば軍隊を以て宮城を警衛せしめしに、京城に於ける清国公使・衰世凱二千余の兵を提げて宮城を襲ひしかば、我兵衆寡敵せず、国王はのがれて清軍に投じ、我兵は公使館に退きしに、館亦次いで焼かれたり。

事聞ゆるや、我主戦論大に起り、仏国亦協力事をなさんことを提議せしが、我政府は平和主義を執りて、遂に天津傑約の締結を見るに至れり。

伊藤博文伯及び李鴻章の間に締結せられたる此條約に由り、両国は互に韓国より撤兵し、且っ、将来互に通牒することなくして出兵する能はざるを約したり。

又帝国は韓国より償金を徴し、元兇を罰し、帝国公使館を再築すべきことを約せしめたり。

天津傑約は一見、我外交的勝利の如き観あり、我の韓国に於て多年確収せんとしたる対等の権利は、之を占有することを得たりといえども、後、清国をして該半島に勢力の隆大なるを致さしむるの動機となりて、遂に二十七年に至り、日、清両国兵を構ふるの遠因となりぬ。

朝鮮は幾世紀の間、日本及び支那両国紛争の骨子たりしが、明治十四年を機とし、こゝに漁夫の利を私せんとする者、出で来りしかば、半島の問題は更に重大を加ふるに至りぬ。

同年六月露国は韓国と通商条約を締結し、而して彼の少壮有為の外交家パヴロフ乗りて京城駐在公使となりたり。二十年に至り露国政府は更に韓国と有名なる陸路通商条約を結びて、つとに北韓侵略の野心の伏線を設けたり。

以上三国の韓国に於て互に権勢を争ふに際し、清国は常に優勢を占めたり。

其原因や固より明白にして、既に数世紀の間、朝鮮半島の宗主権を占むと称し、而して之に臨むに恩威を以てしたるが故に、韓国亦、之に依頼し、北方に於ける多毛の外夷、或は東方の倭人とて之を侮蔑するの傾向ありき。

而して日本が国内に於て憲法の発布、政府対議会の軋轢、及び條約改正等等に多忙なりしは、清国に輿ふるに乗ずべき機会を以てし、清国公使たる衰世凱は、明治二十七年に至るまで半島の実権者たりき。

是より先き韓国革新党の首領にして、数年我国に亡命の客たりし金玉均は、韓王の命を帯べりと謂ふ洪鐘字のために、同年三月上海に誘殺せられたるあり。

此事、小なるに似て実は然らず、日清の衝突をして急ならしめしも、職として此れに由れり。清国は軍艦を以て金の屍体を韓国に迭致し、其四肢は遂に断たれて、市に曝されしのみならず、三族亦夷せられたり。

之に反して暗殺者は清国の後多大の名声を博し、人民の敬畏を受けたり。以上の事件は我邦人をして大に憤激せしめ、其復讐を叫ばしめぬ。

而して有志者の間に「対韓同志会」なるもの起りて、我政府の対外交軟弱を極力攻撃したり。

つづく

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中朝鮮,ロシア150年戦争史(51) 副島種臣外務卿(外相)の証言③『明治の外交ー日清戦争、三国干渉から日露戦争へ』★『ロシア朝鮮支配の陰謀・奸計で山県外交手玉にとられる』

   日中朝鮮,ロシア150年戦争史(51) 副島種臣外務卿(外相)の …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』⑬『朝鮮独立党が起こした甲申政変について』英『タイムズ』

    『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日 …

no image
『葛飾北斎の現代版富嶽三十六景』のYoutube傑作版①4K撮影/『葛飾北斎の現代版富嶽三十六景』ー富士山絶景に中国人観光客も大はしゃぎ(11/15)-大涌谷から見た冠雪した富士山』★『-鎌倉光明寺裏山からみる大荒れの鎌倉海と霊峰富士』』

 現代版葛飾北斎の「富嶽三十六景』(6/16am9 )-鎌倉光明寺裏山 …

no image
聖将・東郷平八郎の真実・日本海海戦で完全勝利したが、太平洋戦争での『大鑑巨砲主義』(戦艦大和)の敗北を作った

日本海海戦で完全勝利したが、太平洋戦争での『大鑑巨砲主義』(戦艦大和) の敗北を …

no image
日本の最先端技術『見える化」チャンネル/2019国際ロボット展(12/18-21、東京ビッグサイト)ーいま世界中から最も注目されている日本のロボット企業。MUJINの世界初「物流ロボット化トータルソリューション展示」完全無人化とロボット工場のプレゼンテーション

日本の最先端技術『見える化」チャンネル 2019国際ロボット展(12/18-東京 …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑲ 』★『戦略情報の開祖・福島安正大佐ー 明石元二郎の指導する「明石工作」は日英同盟を結んだ英国諜報局とは極秘の「日英軍事協商」を結び諜報の全面協力体制を築いた。福島安正、宇都宮太郎(英国駐在武官、宇都宮徳馬の父)がバックアップして成功する』

    2016/03/01  &nbs …

no image
終戦70年・日本敗戦史(86)陸軍反逆児・田中隆吉の証言⑥『紛糾せる大東亜省問題――東條内閣終に崩壊せず』

  終戦70年・日本敗戦史(86) 敗戦直後の1946年に「敗因を衝くー軍閥専横 …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変②』-『ドイツ、ロシア、フランス、イギリスらの中国侵略に民衆が立ち上がった義和団事件が勃発』★『連合軍の要請で出兵した日本軍が大活躍、北清事変勝利の原動力となった②』

 明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変②』   以下は鹿島 …

no image
日本メルトダウン(908)『イギリス「EU離脱」もし実現すれば世界経済はどうなる?』●『もし第3次世界大戦が起こったら』●『伊勢志摩サミットの「配偶者プログラム」はとにかく最悪』●『そもそもトランプはなぜ大統領を目指すのか? 背筋がゾッとする、並外れた攻撃性を持つナルシスト』

 日本メルトダウン(908) イギリス「EU離脱」もし実現すれば世界経済はどうな …

no image
日本メルトダウン脱出法(744)「大村智さんノーベル賞受賞、背景にある日本人の心 成果や実績を求めるのではない、ファクトへの飽くなき追究」●「朝鮮半島の南北統一に日本は大いに首を突っ込め 「韓国にも日本にもメリットがある」と米国の専門家」

 日本メルトダウン脱出法(744) 大村智さんノーベル賞受賞、背景にある日本人の …