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日本リーダーパワー史(349)総選挙の必読教科書―徳川幕府の末期症状と現在の総選挙状況を比較、勝海舟の国難突破力に学ぶ

   

日本リーダーパワー史(349)

(総選挙の必読教科書―徳川幕府の末期症状と
現在の総選挙状況を比較するとー)

明治維新から150年-日本最強のリーダーシップ
勝海舟の国難突破力に学ぶ(10)
 
① 勝は幕府がフランスから借金して、植民地になることを断固、阻止した。
(自公による国土強靭化法の百兆円以上の建設国債(借金)の積み上げは
国家破産の引き金になることは自明である)
 
② 「将軍様から間違っておる。徳川の政治ではなく、天下の政治です。私は徳川の
役人ではなく、国家の役人であります』と勝は切腹覚悟で直言・諌言した。

③ 野田・安倍、その他の党首、政治家に必要なのは党益より国益、国民益であり、
勝のこの肝識にみならえ。

④ 「日本の政治をダメにした石原、小沢、菅、その他大勢の『老害政治家』は「勝の
ような老獪政治家」に脱皮できなければ、それも無理なこと、さっさと引退せよ
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
         勝は幕府がフランスから借金して、植民地になることを断固、阻止した。
 
◎フランスから金を借りるといふ事では、己は一生懸命になって、とうとう防いでしまった。もしあれが出来て居らうものなら、国家に対して何と申訳があるエ。(日本はフランスの植民地になっていただろう)
 
             
上様(徳川慶喜)に召出されて、長州へ使いにやられる時、上野(小栗)(おぐり こうずけ)がひそかに己に告げた。
(慶応二年、閉塞せられていた海舟が軍艦奉行に再任されて上方へ呼ばれ、第二次長州征伐をめぐる薩摩との交渉、つ
いで長州との停戦交渉を担当させられたこと)。(そこでの話で小栗上野介忠順で、幕末の勘定奉行。親仏派の巨頭で、フランスからの借款によって幕府を強化し雄藩をつぶして郡県制を敷くプランを構想した)
 
 
この度は将軍より直々のお使いゆえ、先方で機密のお話もありますから、私は1言だけ申して上げますが、徳川氏の経済は、とても持てません。それで、フランスの方にこうこういう談がしてありますから、万一左様な事が話に出たならば、宜しく取斗(はから)つてくれと言ふのだ。己は実に驚いた。
 
前々よりさういう話がって、私は将軍にひどく直諌して置いたが、既にその談(はな)しが出来て居た。
 
ただハイハイとだけ言って置いたが、もし先方で、それを言ひ出したら、ひどく困ることだと思ふて居た。薩摩藩の方では、誰だったか、留学生の方から知らせて、チャント玉があがって、何もか知っていたつて居たのだ。(親仏派の巨頭で、フランスからの借款によって幕府を強化し雄藩をつぶして郡県制を敷くプランを構想していた話をキャッチしていたということ)
 
 
さすがに薩摩は通人(情報に通じたとの意味)だから、何と言はず、その意味で懸合があった。
征討総督の言葉にも、慶喜に宣告して、厳刑に処すべき也などとあるは、その意味を含んで居るのだ。コチラでは、厳刑に処すとはひどいなどとやかましく言ふたものがあるが、実にわからんぢやあないか。
             
幸いにして話しが向ふから外れて来て、金が出来なかった。小栗が真っ青になって、ひどく困るやうにフランス公使に言ったから、公使は茶化して笑ったさうだよ。実に国家万年の幸といふ急だ。
 
柴田や田辺なぜは、その時、フランスに行って、金を借りる役さ。(フランス公使とはレオン・ロッシュ。柴田は、幕末の外国奉行柴田剛中。田辺は、外国奉行支配組頭だった田辺太一)。
 
行きだけの旅費を貰って行って、帰りには借りた金を便ふといふ訳だったが、話が違って来たので、パリーの宿屋に長滞留で、払ひ品来ず、帰れもせず、困り切ったのだ。スルト、誰かの思付きで、オランダに行って話したところが、早速に承知して、銀行で即座に貸してくれたさうな。実にこの金で帰朝したから幸の事サ。その金は、維新後にみな己の方で返した。
 
 
将軍の不始末について勝は即決断し、まとめた抜群の交渉力
 
◎最後の将軍・徳川慶喜公も済むまいぢやあないか。そういう国を売るような事をして置き、又大政奉還後、外交の事は、依然、この方にて取扱ふなどといふ書付を各国公使に渡した。それで、明治三年の頃だった。
 
太政官から即刻出頭しろといふ呼出しだ。夜中でも、構わんと言ふのだ。何事かしらと思って、大久保一翁と同じに出て見ると、三条実美、岩倉具視、大久保利通など列座で、苦り切って居る。
 
スルと、大久保が、その書を出して、「これはどういふものか、大政奉還の後に、かういふ書付を各国へ出して置くと
いうことは、不都合の事ではないか、とくと引下って協議してお答へなさい。
その分によっては取計い(処分)があると言ふのサ。
 
大久保一翁は謹直な人だから、恐入ってしまった。
 
私は一見して、『ハアこれですか、この事ですか、かういふ事がありますから、慶喜は恐入って、恭順謝罪致しましたので御座います。それを今更、又また仰しやるのでありますれば、宜しいやうにお計らひ下さい。私の方では別段、御扶持を戴きたいのでもありません。(別段、クビになろうと結構ですーとケツをまくったのだ)
 
たゞアナタガタの方で左様になさいましたのです。慶喜は恭順、謝罪を致したのであります。別段引取って相談致す事も何もありません』と言って突返した。(以上のタンカの切り方は勝一流の肝識から来た交渉術)
 
 
スルト、さすが大久保だから、こう言った。
「皆様方、勝があのやうに申しますが、まことに尤(もっとも)と存ずる」と言ふて、それでそのまゝ済んだ。
 
然し、これから朝廷で、大評判だった。勝といふものは、思ひの外の大胆もの
だ、何をするかもわかりはしないといふので、それからは大層ににらまれた。
 
かういふ事や、あのフランスから借金する事など、どれも機密の事が多くあるので、書いて置いたものもあるが、もう出してよかろからうかナア。少しつつ出してもよかろうか。
 
 
 
 
 「将軍様から間違っておる。徳川の政治ではなく、天下の政治です。徳川の役人
ではなく、国家の役人であります』将軍にも直言、諌言一歩も引かぬ
勝の肝識にみならえ
 
●築地の薩摩屋敷を焼払うといふ時の事サ。ひどく論じた。スルト、「お前などがさういふ事を言ふべき身分でなからう」と言ふから、『アナ夕方がなさらぬから申しますのだ』と言った。
 
スルト、「上には将軍様もあり、それぞれの役もあるものだから」と言ふから、『それだからなお言ひます』と言った。
 
『アナ夕方は、徳川の政治と恩ひなさるから、間違って居ます。天下の政治です。それを、左様なぬるい考へで済みますか。第一将軍様から間違って居る』と言ったら、
 
大層怒って、「もう聞きずてにならん、上様の事まで左様に言う以上は、わが役目に対してすまされん」と言ふから、
『役目を重んずるからこそ、私でも申しします。第一、私共ごとききでも、徳川の役人だと、お思いさるから間違って居ます。矢張り天子(国家)の役人であります』と言ふたら、いよいよ怒った。
 
スルト、〇〇〇が己の肩を叩いて、マアくと言ふて、アチらヘ連れて行き、ひどくなだめた。「お前さんの言ひなさる道理もあらうが、徳川の政治が、さう早くつぶれるものでもありません、それぞれの訳もあるものだから」
 
と言って、大層なだめた。「マア当分遠慮して、引込んでいなさい」と言ふから、『ナニ、引込め位ですか、腹でも切れとおっしゃれば善いのに、引込む位は何でもありません』と言ふて、うちへ帰った。
 
それが暮(くれ)の事であつたよ。
それで引込んで居ると春になって、正月の何日であったか、急に海軍局の奴が来て、「軍艦が帰って来ました、どなただか知れないが、大切のお方が、お着になったといふので、大層騒いで居ます。是非出て呉れろ」と言ふから、『己(おれ)はしくじって引込んで居るのだから、いけない』と言ふて出なかった。
 
少しすると又一人飛んで来て、「上様がお帰りになったのだ」と言ふから、『上様でも誰でもの出る幕ぢやあない』と言ふと、「イエ、上様がお着きになった、是非、安房(勝のこと)を早く呼べといふ仰せだから、何でも一ツ時でも早くく来て呉れろ」との事だ。『それぢやあ行きます』と言ふて、出た。
 
スルト、みんなは、海軍局の所へ集って、火を焚いて居た。慶喜公は、洋服で、刀を肩からこうかけて居られた。己(おれ)はお辞儀も何もしない。頭から、みなにサウ言った。
 
『アナ夕方、何といふ事だ。これだから、私が言はない事ぢやあない、もうかうなってから、どうなさる積りだ』とひどく言った。
 
「上様の前だから」と、人が注意したが、聞かぬ風をして、十分言った。刀をコウ、ワキにかかえて大層罵った。己を切ってでもしまふかと思ったら、誰も誰も、青菜のやうで、少しも勇気はない。かくまで弱って居るかと、己(おれ)は涙のこぼれるほど欺息したよ。
 
(明治三十年四月二十二日、海舟座談より)
 
 

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