片野 勧の衝撃レポート④「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)④『占領下の言論弾圧』⓶『マッカーサーの新聞検閲』 ■6000人の被爆者の臨床データも消された ■没収された原爆放射線被害の情報
2016/10/17
「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)④
片野 勧(フリージャーナリスト)
『占領下の言論弾圧』⓶『マッカーサーの新聞検閲』
■6000人の被爆者の臨床データも消された
■没収された原爆放射線被害の情報
■マッカーサーの新聞検閲
当時、読売新聞の渉外部次長(検閲課長兼任)であった高桑幸吉は、占領軍の巧妙でかつ苛烈な検閲の実態を1981年6月から6回にわたって、雑誌『新聞研究』に「占領下における新聞の事前検閲」と題して連載した。この連載は、“隠された戦後史”として大きな反響を呼んだ。
当時は、まだ検閲に関する研究は空白状態であったから、恐らく高桑のこの報道は戦後で初めてのものであろう。しかも、高桑は検閲される側の新聞記者であり、自らの占領体験を通して、検閲の実態を明るみに出したことは高く評価されていいだろう。
高桑が検閲を体験したのは、わずか一年余り。高桑のメモ類や記録類は事前検閲制度ができた後半期だけであった。しかし、たとえ短期間とはいえ、高桑が経験した検閲の実態はGHQの検閲の全体像を知ることとなる。高桑の著『マッカーサーの新聞検閲』によると――。
検閲の人員は米軍将校と軍属を合わせて370余名、日本人嘱託は5700余名。検閲の仕事というのは、米軍の検閲機関に記事原稿のゲラ刷りを提出し、検閲をパスしたもの、部分的削除でパスしたもの、保留になったもの、ボツになったものなどを整理部へ即刻連絡することだったという。
読売新聞の場合だけでも1日700本程度が検閲を受けていたというから、各新聞社、通信社の分を合計すれば、恐らく1日5000本以上の記事が検閲を受けていたといわれている。
ともかく、米軍発表物から在京外人記者の書く原稿、国会ニュース、政治、経済、外電、社会、文化、スポーツ記事など、また死亡記事から連載小説、天気予報に至るまで紙面に登場する一切の記事が棒ゲラのまま提出し、判定を受けていたのである。
高桑は、こうした検閲の現場に立ち会っていたのだが、その検閲業務は取材記者、整理記者時代と比べると、あまりにも特殊で異様な雰囲気であった、と回想している。
しかも、この新聞検閲は完全な秘密主義。国会議員でも米人記者でも全く知ることができなかった。なぜ、保留になったのか。なぜ、ボツになったのか、一切説明されない完全な“問答無用”な機関であった。
では、具体的にどのようなところが検閲を受けたのか。(以下、高桑幸吉『マッカーサーの新聞検閲』を参考にさせていただく)たとえば、フランス人の「東京印象記」(『読売』47/5・5付)。
[メリー・プロンベルジヒ記] 東京の人間、特に婦人の話すことを聞くと記者はパリに帰ったような気がする。日本のヤミ市、それはまたパリのヤミ市でもある。日本の欠乏、それはまたフランスがドイツの占領期間中、経験したものであり、今日なお悩み続けているものである」
日本の焼け跡風景をスケッチしたところはノーカット。最後の次の個所も削除された。
「極東諸国を旅行して記者の痛感したことは、それらの国に礼儀がなくなっていることだった。なにかアメリカ将士の無造作な態度を殊更に真似たがってでもいるように思われるのだ。しかし、それは間違いである。
たしかにアメリカ人は東洋的な礼儀を持ち合わせてはいない。(しかし彼らは一朝一夕には学ぶことができない。)そしてまたその国民性に由来する誠実さ、自発的な親切心、快活さ、なにびとをも快く迎える気安さを持っている。こういった美点を身につけもせず東洋的な礼儀をも失った東洋諸国には最早粗暴さが残っているにすぎない」(高桑幸吉『前掲書』)
このようにして他国から占領された場合、言論は弾圧され、結社の自由は奪われてしまうものなのだ。石川達三の連載小説「望みなまに非ず」(『読売』47/8・13付)も一部、削除された。たとえば、こんな個所。
――「わたしアメリカの進駐軍を見るたびに考えるんですよ。羨ましいほどつやつやして若々しく大股にどしどし歩いているでしょう。やっぱり食べ物が良いのよ」
食糧難の時代であっただけに、日本人から恨まれ、暴動でも起こされたら、との危惧でもあったのだろう。原爆の悲劇を伝え、平和行動に立ち上がろうとする運動も一切、カットされた。
■6000人の被爆者の臨床データも消された
私は2014年3月16日、立川市の、ある学習館で6000人の被爆者を診てきた老医師の講演を聞いた。肥田舜太郎医師(100)である。彼は広島に原爆が投下された時、軍医として広島で働いていた。当時、28歳。たまたま急患の往診で爆心地からおよそ6キロ離れた戸(へ)坂(さか)村にいたため、奇跡的に生き延びた。
被爆直後から被爆者の治療に当たった。それ以来、6000人の被爆者を診てきた。しかし、なぜ、被曝者は凄惨な姿で死んでいくのか。なぜ、原爆の本当の恐ろしさが知らされていないのか。肥田医師の証言。 「それはアメリカが終戦直後から軍の機密として医師や被曝者に沈黙を強いて、世界に知らせてこなかったからです」
ダグラス・マッカーサー。日本に進駐した時、すでに65歳。余人ならば退役の身でありながら、占領下日本に君臨した男である。彼は占領直後から日本の民主化を進めた。政治犯の解放と特高警察の解体、新憲法の制定、財界の解体と農地解放、婦人参政権など……。 その一方で、マッカーサーは原爆報道も含めて占領軍にとってマイナスとなる報道は一切禁止した。たとえば、1945年11月に開かれた文部省学術研究会議の原子爆弾災害調査研究特別委員会で、マッカーサーは医師や医学者に対して、こう言い放ったという。
「職務がら、患者がきて診てくれと頼まれたら、これは診てよろしい。しかし、その結果を記録したり、複数の医師で研究したり、論文に書いて発表したり、あるいは学会で報告したりするのは一切、ダメ」
もちろん、原爆を扱った文学作品も秘匿された。太田洋子の『屍の街』や原民喜の『夏の花』なども検閲に引っかかり、カットされた。
このようにして1952年に占領が終わるまで、日本のマスメディアから原爆報道は消えたのである。しかし、そんな中、放射線障害に関する研究論文を発表した日本人医学者がいた。東京大学教授の都築正男(1892~1961)である。
広島で被爆した人の死因は「原子爆弾症」。カルテには「ストロンチウムという放射性物質が骨に沈着して、骨の中にあるリンという化合物を放射性リンに変える」「紫斑が出て、粘膜出血を起こして死んでいく」などと書いた。
しかし、この研究資料はGHQの逆鱗に触れ、ただちに没収された。没収されたばかりでなく、マッカーサーの名指しで公職追放処分となり、東大教授を退官させられた。京都大学医学部も8・15敗戦直後、広島に入って調査したが、それらの研究記録も没収されたのである。
■没収された原爆放射線被害の情報
以後、日本の学会の調査・研究は禁止され、原爆放射線の障害に関する情報はすべて没収され、米軍によって隠されてしまったのである。
これによって、広島・長崎の被爆者たちの苦しみは、日本国内だけでなく、全世界の人々の眼からも遠ざけられてしまったのである(肥田舜太郎『被爆と被曝―放射線に負けずに生きる』幻冬舎ルネッサンス新書)
肥田さんの証言。 「米国が日本に原爆を投下したことは大変な罪悪です。それにもまして米国が罪深いのは、自分の落とした原爆によって、被爆者の生きる道を閉ざしたことです。それは、原爆という新しい爆弾の秘密が、よその国に漏れることを恐れたからにほかなりません」
原爆被害に関する箝口令を敷いたGHQ――。その後、日米安全保障条約が結ばれ、日本は米国の「核の傘」に守られるために軍事機密として被爆の実態を隠したのである。さらに肥田さんは言う。
「私もGHQから何度も睨まれ、捕まりました。よく殺されなかったと思います。でも、誰も被爆者の治療をやらないなら、私は殺されても、やる覚悟でした」 私は『マッカーサーの二千日』(中公文庫)などの著書を持つ評論家・袖井林二郎法政大学名誉教授にも話を聞いた。彼は占領研究の第一人者。原爆に関する報道に対して、こう言った。
「占領下においては、日本に原爆報道はなかったですよ。あっても、それは地下出版ぐらい」 地下出版――。非合法または秘密の反体制的な出版のこと。アングラ出版ともいう。もともとは政治体制からの追及を逃れて「地下」で出版される雑誌・図書類の総称と言われた(日本大百科全書)。
地下出版の1つが、原爆歌人、正田篠枝の歌集『ざんげ』である。この歌集は昭和22年(1947)12月5日、プレス・コードに抗して印刷され、ひそかに配布された歴史的な原爆歌集である。正田は爆心地から2キロのところで被爆した。 正田は弟の経済学者・正田誠一(九州大学教授)から『原爆の歌集など出版すれば死刑は免れない』と忠告されたが、正田の出版の意思は固く、GHQの検閲を受けず、手渡しで親戚や知人に配布した。袖井さんは言う。
「正田は死刑になってもよいという決心で、やむにやまれぬ気持で、秘密出版したのでしょう」 事実、正田も死刑覚悟で出版したと、『耳鳴り』の手記に書いている。こうして正田の『ざんげ』はGHQから発見されずに、大勢の人々に読まれたのである。飢えと死の危険に脅かされながら、広島を忠実に歌った記念碑的作品である。
■俳誌検閲の実態
GHQの俳誌検閲についてはどうか。この分野に疎い私は、取材の適任者は誰だろうと思って、「戦後俳壇の巨人」金子兜太さんに電話で聞いた。しかし、意外な答えが返ってきた。
「その話なら自分よりも、もっといい人がいますよ」と言って紹介されたのが、川名大(はじめ)さんの『昭和俳句の検証―俳壇史から俳句表現へ』(笠間書院)。私はさっそく、その書物を立川市図書館を通して、東京都立図書館から借りてもらった。
あった。探している資料があった。それは「GHQの俳誌検閲と俳人への影響」という章に書いてあった。川名さんはアメリカのメリーランド大学図書館所蔵の「ブランゲ文庫」(検閲用に全メディアが提出した書籍・雑誌・新聞などのコレクション)の検閲俳誌資料を調査・分析して俳誌検閲の実態と、その俳人たちへの影響を明かしていた。
「ブランゲ文庫」によれば、検閲をバスした俳誌は「現代俳句」「馬酔木(あしび)」「太陽系」「萬緑」「天狼」など295誌。検閲処分を受けた俳誌は「俳句研究」「風」「寒雷」「鶴」「俳句人」「ホトトギス」など96誌。
では、具体的な検閲の実態とは? 例えば、高屋窓秋「秀句遍歴」(「暖流」昭22・7)。 「有名なる町-抄出― ▪広島に月も星もなし地の硬さ 西東三鬼 ▪広島の夜陰死にたる松立てり 西東三鬼 広島や卵食ふ時口開く 西東三鬼 ▪広島が口紅黒き者立たす 西東三鬼
(略)有名なる町「広島」は、今次大戦の惨禍を告げる世界的代表都市の一つである。ここでは一瞬にして数万の人命が飛び、同じく数万の人命が傷き、そして無数の生物が死滅した。一瞬の白光の後には、地上には、破壊された一切のもの以外には残らなかった。死の町、ヒロシマは、最早われわれの記憶から、生涯消え去ることはない。
(略)/そこには、月も星もない。黒い生の可能なき大地があるばかりだ。(略)枯れた松は、死の象徴の如く、恐しく闇の中に立つてゐる。/作者は陰惨な事実に強く打ちひしがれて、顎は硬直し、口を堅くとざして、最早ものを云ふ元気さへもない。辛うじて一個の白い卵を食ふために、わずかに口を開くばかりだ。/そのヒロシマにも、生きんとするものはゐる。唇を濃く塗つた、闇の女だ。ヒロシマがそうした女を立たせてゐるのだ。そして、それは、敗戦後の日本の都市の象徴だ。」
窓秋の鑑賞文の全部と、西東三鬼の三句(▪印)が削除された。削除の理由は連合国の憤りの原因となるからだという。
もう一つの例。 勝者より漲る春に○○○○せ 草田男 言挙げぬ国や冬濤うちへかす かけい 両句とも○にはよく解りかねるが、草田男のは、われわれは戦争に負けたが、アメリカ人などより充実した春をしみじみ感じてゐるといふ○○○○あらうか。しかしそれはさう観念的に思ひなす貧困にしてコウガンな精神主義にすぎない。○○○○○○○○(注・○印は判読不能) 草田男の句とその評五行が削除されたのは「占領軍軍隊に対する批判」「合衆国に対する批判」の検閲指針に触れたからだろうと、川名さんは考える。(川名大『前掲書』)
加藤楸邨の作品「市井」の冒頭句「飢餓地獄夏の障子のましろきを」(『俳句研究』)も削除された。しかし、句集『野哭』(昭和23年)に収録された。事前検閲で見落とされたのだろう。
戦争の残酷さ、核の脅威を封印する占領軍の、こうした検閲は基本的に71年後の今日まで変わっていない。それは「核密約」で証明されている。
(かたの・すすむ)
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