前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本天才奇人伝③「日本人の知の極限値」評された南方熊楠の家族関係

   

 

日本天才奇人伝③
 
「日本人の知の極限値」評された南方熊楠

                  前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 南方熊楠は慶応三年(一八六七)四月、和歌山城のそばの金物商「雑貨屋」で父・弥兵衛、母・すみの二男として生まれた。父称兵衛は道成寺近くの庄屋の二男で、御坊で丁稚奉公した後、和歌山でも有数の両替屋に入り、番頭をつとめるほどの商才に恵まれ、それが見込まれて、「雑貨屋」に養子に迎えられた。
 
 もともと「雑貨屋」は紀州藩でもトップの豪商だったが、弥兵衛が入った頃は家運が大きく傾き、つぶれる寸前で、家財道具を全部売り払っても、わずか十三両しか残らせかった。
 
 これを元手に再起をかけて弥兵衛は「鍋屋」をはじめ、寝食を忘れて働いた。しかし、悪いことは重なるもので、母と妻が相次いで亡くなり、弥兵衛のもとには三人の幼子が残されてどん底状態に陥った。弥兵衛は近くの旧家、西村惣兵衛の二女すみにほれて再婚するが、すみは美しく利発な女性で南方家は一挙に明るさを取り戻した。
 
 これをきっかけに、幕末維新の時代の波に乗って鍋屋商は繁盛し、明治十年(一八七七)の西南の役では一挙に巨利を得て、和歌山市でも第一の金持ちへとなった。
 
 熊楠は当時を「家貧というに非ざれども、父母いたって節倹なる人なりしゆえ、金銭とては一文もくれず。家で売る鍋釜に符牒つくる藍と紅がらにてブリキ板へ習字し、また鍋の包み紙にと買いきたりし内に、『訓蒙図嚢十冊』ありLをもらいそれを見て画を学べり」回想している。
 
倹約一筋の父に本を買ってくれとはいえず、後に『大和本草』『和漢三才図会』など超人的な記憶力で写本することになった。
 
  渡米と父の死
 
 熊楠は小学生の時から成績抜群の神童で、その天才ぶりを遺憾なく発揮したが、士農工商の名残が強かった当時、「鍋屋の子」の熊楠は、士族の子供から「鍋屋の熊公、鍋釜売っても、かかあ売るな」とからかわれた。
 
後の熊楠にみられる権力の横暴への激しい批判はこのような経験で培われた。
 
「商売人に学問はいらぬ」という弥兵衛も、熊楠の異常な天才ぶりを認め、大学への進学は許したが、留学については頑として反対した。熊楠の必死に嘆願、懇願すること四度にもおよびついに弥兵衛も折れて米国行きを認めた。
                              
 熊楠には長男藤吉と三男常楠の兄弟があった。
 
この米国行き反対の背景には、女狂いと出奔癖のある長兄藤吉に原因があった。弥兵衛は家督を藤吉に継がせることをあきらめて熊楠に継がせ、ともに住む家を建て、妻を持たせようとの意向を示したが、学問を究めたい一心の熊楠は「田舎で守銭奴となって、朽ち果ててしまうのはバカバカしい」と反発し、渡米を決意したのである。
 
 二十歳が眼前に迫っていた熊楠は徴兵を武器に父を説得した。弥兵衛は八千円(現在では約三千万円)という大金の旅費を与えて、明治十九年十二月に熊楠は米国に旅立った。
 
米国に約五年間滞在した後、明治二十五年九月、熊楠は二十六歳でロンドンにたどり着いた。
 
仕送りの金を受け取りに、弥兵衛の友人の中井芳楠が支店長をしていた横浜正金銀行ロンドン支店を訪れたとき、異国でさまよう熊楠のことを案じつつ六十四歳で亡くなった父のことを知らされた。
 
 弥兵衛は死の数年前から南方家の財産の分与について遺言を残していた。
 
「財産の半分を長男藤吉に、残る半分は五分して自分と熊楠以下子供四人に等分にわける。藤吉は好色、放恣なれば、われ死して五年内に破産すべし。二男熊楠は学問好きなれば、学問で世を過すべし。

ただし金銭に無頓着なるものなれば一生富むこと能わじ。三男常楠は謹厚温柔な人物なれば、これこそわが後を継ぐべき者、又、わが家を保続し得べき者なり。兄藤吉亡き後は、熊楠も姉も末弟も、この常楠を本家として帰依すべきなり」

 
 弥兵衛の葬儀は和歌山市始まって以来という盛大なものであったが、熊楠は帰国せず、いよいよ貧しく、断食など続けながら大英博物館に通って、以後八年間も勉強を続けた。
 
その後、弥兵衛の見通しどおり、長男藤吉は破産し、南方家は再び傾いたが、常楠が酒造業を始めて盛り返した。「日本人の知の極限値」と柳田国男に評された熊楠の勉強を支えた財力は、すべて父称兵衛によるものであった。
 
 

 - 人物研究 , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(385)児玉源太郎伝(7)「インテリジェンスから見た日露戦争ー膨張・南進・侵略国家ロシア」

 日本リーダーパワー史(385) 児玉源太郎伝(7) ①  5年後に明治維新(1 …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑱日本帝国最後の日(1945年8月15日)をめぐる攻防―終戦和平か、徹底抗戦か➂』

 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑱     『日本の最も長い日―日本帝国最後の日 …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑱ 』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したか] ★★『ルーズベルト大統領だけでなく、ヘイ外務大臣、海軍大臣とも旧知の仲』★『外交の基本―真に頼るところのものはその国の親友である』★『内乱寸前のロシア、挙国一致の日本が勝つ、とル大統領が明言』

2011年12月18日日本リーダーパワー史(831)★『ルーズベルト米大統領、全 …

『オンライン・日中国交正常化50周年記念講座』★『日中関係が緊張している今だからこそ、もう1度 振り返りたいー『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(1回→15回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、秋山定輔ら』

    2016/07/25」/記事再録『辛亥革命/孫文を熱 …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1065)>★『トランプ真夏の世界スリラー劇場・各国の興亡史は外部要因(戦争などの)より以上に、内部要因による自壊・自滅現象である。オウンゴール連発のトランプ大統領はレッドカードで退場か?』★『米デフォルト・リスク、トランプ政権の混乱で「正夢」も』★『トランプに「職務遂行能力なし」、歴代米大統領で初の発動へ?』●『「トランプおろし」はあるか、大統領失職の手続き』

 ★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1065 …

no image
長寿学入門(217)-『三浦雄一郎氏(85)のエベレスト登頂法②』★『老人への固定観念を自ら打ち破る』★『両足に10キロの重りを付け、これに25キロのリュックを常に背負うトレーニング開始』★『「可能性の遺伝子」のスイッチを決して切らない』●『運動をはじめるのに「遅すぎる年齢」はない』

長寿学入門(217)   老人への固定観念を自ら打ち破れ ➀ 60歳を …

no image
日本リーダーパワー史(53)辛亥革命百年②孫文を助けた日本人たち・・・宮崎滔天、秋山定輔ら①

日本リーダーパワー史(53) 辛亥革命百年・孫文を助けた日本人たち宮崎滔天ら① …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(66)記事再録/ 日本の「戦略思想不在の歴史⑴」(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか①

2017年11月13日 日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起こったか 今から …

no image
日本リーダーパワー史(847)ー『安倍首相は25日午後に衆院解散の記者会見して、理由を表明する』★『明治150年で朝鮮半島有事と日清、日露戦争、今回の米朝開戦か?と衆議院冒頭解散の歴史的な因果関係を考える』①

日本リーダーパワー史(847) 安倍晋三首相は25日午後に、衆院解散に関して記者 …

『世界天才老人講座・葛飾北斎(88歳)研究』★「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人」★『「ジャパンアニメ」+「クールジャパン」の元祖』★『創造力の秘密は、破天荒な奇行、93回も引越す』★『創造力こそ長寿力、72歳で傑作『富嶽三十六景』を発表、80歳でさらに精進し、90才で画業の奥義を極め、百歳にして正に神の領域に達したい』

葛飾北斎(88歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人 &nbsp …