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村田久芳の文芸評論『安岡章太郎論」②「海辺の光景へ、海辺の光景から』

      2018/11/23

 

20091010      文芸評論  『安岡章太郎論』

村田久芳

 次に磯田が指摘した安岡の郷里がもつ意味について考えてみたい。

 例えば、太宰治にとって故郷 津軽は出生後、約20年間暮らした地であった。津軽は色濃く太宰の中に刻印されており、その出自に反発するにしろ、黙殺するにしろ、確固として自己の意識の中に存在していた。

 一方、安岡は先に述べたとおり 、高知を出生後ほどなく離れ、各地を転々としており、その中には4年間の朝鮮の京城の居住もあった。

 安岡にとって故郷とはどういったものだろうか、「海辺の光景」を見てみよう。

「子供のころから信太郎には郷里がある怖ろしい感じのものだった。

アルバムをめくっていると突然、変にくろっぽい陰影の濃い一葉の写真にぶっつかる。まんなかに黒い着物をきて支那風の椅子に坐った祖母、そのまわりに二列にキチンと並んでいる大勢の伯父や伯母や従兄妹たち。女の人たちは皆、手を袂のなかにかくして前で合わせている。

また彼と同い年の従兄たちは三角形の長いマントを着せられて裾から足袋はだしの足をのぞかせている。そんな恰好は彼に、奇妙な古めかしい、貧しいものとしてうつると同時に、一種凄みのある雰囲気をもって迫ってくるのだった」という件があり、故郷は、ある種の後ろめたさをともなった、恐れを呼び起こすものとして捉えられているのがわかる。
そしてさらに「どうして、そんなにまでして郷里をしたうのか?故郷を棄てるとは、一体どういうことなのか?それは何かしらの罪に値いすることになるのだろうか?その一家の人たちを見るたびに、信太郎は子供心にとまどった。

彼にとって、故郷は一つの架空な観念だった。知らないうちに取りかわされた約束がどうしても憶い出せないような、そんなイラ立たしい不安がいつもつきまとう・・・・・ 。そのくせ『故郷を棄てる』という言葉は、聞かされると、それだけでもう自分がなにか後暗いことをしているような気にさせられる」と進める。

 

 安岡にとって「故郷は一つの架空な観念」であったけれどそれは観念であるがゆえに、いつも心の底にあってなにかにつけて浮かびあがってくるような厄介なものであったにちがいない。故郷は、また、父や母と結びついた観念であり、逆に父や母を想う時にそのずっと背後に必ず忍び込んでくるものであった。

 

 安岡にとって、故郷は「ひとつの美しい幻影」でもないし「逃避の場」になるほどの実体を伴ったものではなかったにしろ心が繋がっている地ではあった。幕末の土佐藩で安岡の身内が藩の重役 吉田東洋を暗殺した事件を書いた「首斬り話」を発表したのは昭和16年であったことをここで想起しておいてよいだろう。これは後年の「流離譚」にはるかに繋がっていく最初の兆しであったかもしれない。

 さて、私はここまで安岡の作品、特に「海辺の光景」にいたる小説の特色を劣等者意識や社会性、故郷に対する意識に注目しながら見てきた。

 安岡の文壇デビュー後の作品を振り返ると落第生もの、戦争もの、ファンタジックもの、といった単線的なテーマをもった比較的短い小説が多いことわかる。

長編を書き上げることを強く意識していた安岡が「遁走」、「舌出し天使」とやや試行的な中篇小説をステップにして本格的な長編小説「海辺の光景」を満を持して発表することになった。それはそれまでのいくつかのテーマを集大成するものであり、また、その後の小説家としての行方を指し示すものであった。

「海辺の光景」については多く批評があり、様々な評価を受けてきた。

ここでは江藤淳の「成熟と喪失」の「海辺の光景」をつぶさに点検し、劣等者意識や故郷への思いがどのように変節したかあるいはしなかったか、私の「海辺の光景」を対峙させるとともにその後の「流離譚」にいたる安岡の作品の道筋を探り、「海辺の光景」が安岡文学に占める位置をあらためて考えて見たい。

江藤は、「海辺の光景」の中で母が主人公信太郎に歌を歌って聞かせ、それはどうかすると一日何遍も繰りかえされる場面をまず取り上げる。それが信太郎にとって情緒の圧しつけがましさとして受けとられているとし、そこから自説を展開し始める。

エリック・エリクソンの「幼年期と社会」を引用しながら、一般に日本の母親と息子の関係はほとんど肉感的なほど密接な関係であるとし、米国の母子関係を米国の青年の大部分が母親に拒否されたという心の傷を負ったものとして対比する。

日本の母親と息子の関係は、「圧しつけがましい」濃い情緒が隠されており、保護過剰であると指摘する。江藤はこの双方とも成熟のさまたげになるとしつつも、日本の母と子の密着ぶりと米国の母子の疎遠ぶりのあいだには、本質的な文化の相違があり、そのことが文学に影響をあたえているとする。そして「日本の作家が『成熟』を迫られ、しかも『成熟』の手がかりをつかめずにいるのが実情だとすれば、その原因はおそらくここまで溯らなければきわめられないはずである」とし問題の前提を広げてみせる。

論理の展開の上でこのような前提を置くことが必要であったにせよ私は米国と日本を対比的に図式化して見せることにまず疑問を抱かざるを得ない。また、このように日本の作家をきっぱりと成熟していないと断定することの危険性と意図的な方向性をここでは指摘しておけば十分であろう。

たしかに日本における母親と息子の関係はほとんど「肉感的なほど密接な関係」であるかもしれない。しかし、母親に拒否された米国の方がより成熟へのアプローチがたやすく、肉感的な日本の方が成熟へはほど遠いという一つの仮定は成り立つのだろうか。ことはそれほど単純ではないのではないか。

それでは、父はどんな存在であったのか。江藤は母についてこのように一般化したが父については突然この小説の父を俎上に載せる。

江藤は「この母子にとって『恥ずかしいもの』である父親は、同時にいつも遠いところにいる存在であった。しかし、とにかく父親はいたのであり、この母子のなれあいも、あの奇妙な肉感的な『自由』もすべてこの父親がどこかにいることを前提にして成立していたのである」とする。

父は「この母子にとって『恥ずかしい』ものであった」のか。信太郎はほんとうに父が嫌いだったのか。ここで私はそのことを検証するため「海辺の光景の」のある場面を示したい。

「ある引っ越し間もない家で、信太郎は母と台所のとなりの茶の間でコタツにあたっていた。勝手口から御用聞がやってきて、母はコタツの中から応対していたが何かのことで御用聞が『おたくの旦那は軍人さんですってね』と問いかけた。ちょうど満州事変のはじまって間もないころで、少年雑誌の読物やマンガに戦争ものが人気をしめていたからだろうか、御用聞の小僧は父の階級はなんだとか、サアベルは何本もつものかなどときいたあげく、

『旦那さんは騎兵ですか』といった。

『そうじゃないよ』母はこたえた。

『へえ?じゃ何です』                                    

(獣医だ)と信太郎は答えようとして、コタツの下から母の手で足をギュッとつかまれてしまった。そして母は、『さあね』と、急に冷淡な口調でこたえてから、信太郎の顔をじっと見て黙った。そのときの母の羞恥心が端的に息子の心にのりうつった」と。

この場面とほとんど同じ描写は「故郷」にもある。なぜ安岡はこの場面を二回も使ったのであろうか。

「自分も父が嫌いになったのは、この母の影響のせいにちがいない。父のすることなすことは、食べ物のこのみから職業のえらび方まで一切合財、ことの大小にかかわらず、みな好ましくないものとして教えこまれてきたのだから・・・・・・」、そう、信太郎は、母によって父に嫌悪を持つように仕向けられてきたのである。

信太郎にとってもともと父は恥ずかしいものではなかった。せいぜい獣医官という軍隊の中の特殊な位置にいることが恥かしく、違和感を覚えたのである。

信太郎にとって、むしろ、父は遠い存在ではあるが、母とは違ってひそかにいくばくかの敬意さえ覚える存在であったのである。この場面はそのことを語っているのであり、もともと信太郎と母の父に対する想いはかなり違っていたのである。

私はこの小説の読み方の大きい岐路はここにあるのではないかと思っている。母と信太郎とでは父に対するアプローチにかなりの隔たりがあるということをまず指摘しておきたい。信太郎は父がもともと嫌いだったのではなく、母が幾度と無く朝な夕なに嫌悪の言葉を吹き込むことによって嫌いになったのである。

やがて、戦争が終わり、父は職を失いそれまで当然に受け取っていたお給金が入らなくなった。この状況を江藤は「『恥づかしい』夫=父はそれにもかかわらず信太郎母子の小宇宙をささえる秩序の基礎であり、したがって、ひとつの権威であった。だが、この秩序と権威がやがて崩壊する」として、ここでも母と信太郎を同じ位置にいる(夫=父)と認識している。

収入が無くなった父は、それでも勤め先を探しはしたが、はかばかしくなく、やがて鶏を飼育することによって収入を得ようとするが全く思いもかけない結果となり、一家の収入は信太郎がほそぼそと得るものだけになってしまう。

こんな父の日常に身近に接することによって信太郎は父の無力さ、無能力さを思い知らされ、深い失望を抱くことになる。あわい期待が裏切られ、それまで持っていた父のイメージを修正せざるを得なくなる。それとともに信太郎は自己の内部にある父と同質の部分を発見することによって、父を拒否する感情を持つとともに自己嫌悪も持つことになる。

江藤はこの戦後のもっとも苦しい時期の信太郎一家を次のように見る。

「いったん秩序が崩壊してみれば、そこにいるのは父と母と息子ではなくて、二人の男と一人の女にすぎない。この三人の孤独な人間を支えるものは、かって『息子』だった男のアルバイト料のほかになにもない。これはすでに家族ではない。単に個人のあつまりである。

しかしそこに『個人主義』などという思想の影響が少しも見られぬことはいうまでもない。思想よりももっと鋭利な『近代』、つまり敗戦という物理的な外圧として顕れた『近代』が、家族のあいだのもっとも内密なきずなを切断した結果生じた解体がこれだからである」と。

ここにいみじくも江藤の家族観が露出している。江藤にとって家族とは「内密なきずな」によって結ばれたもののみを指すのであり、「内密なきずな」のない家族は家族ではないのだろうか。いうまでもなく、内密なきずななどどこを探しても見つからないような家族は戦後はもちろん、戦前、戦中であってもいくらでもあったのではないか。

江藤によればそういった状況をまねいたのが「敗戦という物理的な外圧としてあらわれた『近代』」であり、それが家族の間の最も内密なきずなを切断したということになるのであろうか。ここで「近代」という概念について歴史上の検証はさけるが、江藤にとってはのっぴきならない忌避すべき概念になってしまっている。

戦前には内密なきずなでむすばれた家族があったと仮想し、敗戦をその崩壊の大きな原因と考える江藤は、意識的か無意識的か、戦前を美化し、自己の頭の中の美しい物語を「海辺の光景」を材料にして、その物語にそぐわない展開に異議を唱えているにすぎない。

さらに江藤は自らの価値観を次のように展開してみせる。

「父の権威の失墜は彼の死よりもはるかに深刻な体験だからである。しかし、『海辺の光景』の家族たちは、まだ彼らが『死』以上のなにものかを体験したことを知らない。彼らの周囲にひとりひとりが全力をあげて守ってきたものの血が流れていることを知らない」

これはいったい何を言おうとしているのだろう。血を流して全力をあげて守ってきたのがあの家父長制の上に乗った「父の権威」だったのであろうか。

信太郎が死より深刻な体験を知らないのは当然である。信太郎はただ父の無能力や母の狂気に見舞われて、現前の生活に追われる毎日を過ごさざるを得なかった。江藤は、ひとりひとりが全力をあげて守ってきたものとは「『天皇制』とか『民主主義』とかいうような公式な価値からすれば無にひとしいようなものである。

それは母親のエプロンのすえたような洗濯くさい匂い、父がとにかくどこかにいるという安心感、といったものの堆積にすぎない」という。だが、「とにかくどこかにいるという安心感」を与える父とは立派な経済力をもった威厳のある家長としての父ということであろう。一木一草にいたるまで天皇制が宿っているという竹内好の言説を持ち出すまでもなく「天皇制」といった公式な価値からすれば無に等しいものが結局、積み重ねられて天皇制を形づくっているのではないのか。江藤はここで一種のレトリックを使っているように見える。

江藤は、さらに続けて「そういったものがなければ実は人は生きられない。少なくとも信太郎の一家のような凡庸な家族は生きられない」と断ずる。

どっこい信太郎一家は生きてゆく。逆に信太郎の一家のような凡庸な家族だから生きられるのであると言いたい。凡庸な家族は、いかに「近代」が「敗戦」という物理的な外圧としてあらわれようが、なんとか生きぬいていくのであり、父の権威がいかに地におちようが日々の生活を進めていくのである。

そのことで傷つき生きていけないと思ったのは権威の失墜を恐れ、母のぬくもりを何よりも得難いものとしてとらえる江藤本人である。そして安岡がその方向に踏み出さないことを「海辺の光景」の弱さとしてあげるのは全く方角ちがいであろう。

母の狂気によって母から拒否された信太郎はそのことによって喪失感につながる罪悪感を持った。それが「成熟」と言うものの感覚であると江藤は言う。「『成熟』するとはなにかを獲得することではなく喪失を確認することだ」と江藤は言う。

これに対して既に述べたように安岡は、少年期から青年期に至る過程で「他人」を発見し、自己の中にそれを取り入れ、社会の中で生きていかねばならないことも了解しており、江藤の説くところの「成熟』とはまた、別種の成熟の域に達しており、その地点から自分たちの生活を見据えていたのである。思えば、「成熟」というタームは江藤が夏目漱石論を展開するにあったって使われたキイワードであった。しかし、ここでは必ずしも充分にその意味が説得力を持ったものとなっておらず、かなり情緒的にしかも恣意的な融通無碍な使い方がなされている。

そして、「信太郎は『歯を立てた櫛のやうな、墓標のやうな、杙の列を眺め』た次の瞬間に、彼が『自然』のなかではなく『社会』というもののなかで、つまり人と人のあいだで生きていかねばならぬことを自覚しなければならなかった。

そこにしか彼の『成熟』の場がないことを、そしてこの人と人の間で『自由』にいきるとはどういうことであるかを彼は身をもってしめさなければならなかった。そういう主人公を、今日にいたるまで安岡章太郎氏の小説の中にみいだすことができない」と江藤は断じた。

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