日本リーダーパワー史(376)名将・川上操六(48)『日清戦争でロシアの干渉にビクつく幕僚たちを一喝!』
2015/02/23
空前絶後の名将・川上操六(48)
北朝鮮のギリギリ・恫喝・挑発・チキン外交を見ながら
日清戦争開始前の日本の政府(伊藤博文首相、陸奥宗光
外相)、防衛当局(川上操六参謀本部次長)の対応と
比較する②。
–日清戦争開戦の真相は・・・
前坂 俊之(ジャーナリスト)
この川上操六の連載を、現在の国際状況と合わせて、久しぶりに再開する。
前回の終わりは『ロシャの武力介入も辞さぬ』との恫喝外交に内閣も参謀本部も色を失った。とくに、川上が強引に出兵した参謀本部の幕僚のメンバーにとっては、清国一国をでさえ国土の広大さと軍隊、兵力に圧倒される思いなのに、これに軍事大国ロシアが加勢すれば一体どうなるか、青天の霹靂で青くなった。
『ロシアの干渉にビクビクする幕僚を断固やれ、と一喝!』
明治25年当時の参謀次長、川上操六中将(当時45歳)の参謀本部をみてみると次のような陣容である。第一局(動員、編成、制度等担当)局長は初代・児玉源太郎大佐の後の大迫尚敏大佐(後の日露戦争で第七師団長として旅順二〇三高地奪取の戦功をたてた)。
局員には田村恰与造(後に川上次長の後継者となる)、東条英教(東條英機の父)、山根武亮らを配置。
第二局(作戦、情報等担当)には伊知地幸介少佐(駐独武官福島少佐の前任者)、柴五郎大尉と宇都宮太郎大尉(2人とも情報で後に大将となる)
川上次長の特命で活躍した人材では福島安正少佐、上原勇作少佐―野津道貫中将の女婿。明石元二郎大尉は欧州、特にドイツに派遣である。
『ロシアが加わるのか!』という一報にさすがに参謀本部に集まる英材たちも、あ然として戦慄しないものはなかった。
参謀本部では直ちに作戦会議が開かれ、ロシアが兵力を加えてきた時の作戦方針を協議した。この時、参謀本部随一の英才として一目置かれていた東条中佐が最後に、「そうなると遺憾ながらわれわれは、従来の攻勢作戦は断念するほか他に考える余地はありません」と意見集約した。いならんだ少中佐の参謀たちも皆これに賛成した。
会議の席上でどっかと座って悠然としていたのは、川上は最初から最後まで部下の自由な発言にまかせ一切、無言のままで耳を傾けていた。
この東条英教は東条英機(太平洋戦争当時の首相)の厳父である。
明治政府の賊軍の岩手県の出身で、苦学力行して、西南戦争の時には一軍曹にすぎなかった。志を立てて士官学校に入り、ついで陸軍大学に入り、メッケル教官をも感嘆させたほどの英才で、第一期生の首席で卒業した。
「薩長藩閥」にこだわらず、陸軍内の英才を広く集める川上によって参謀本部に抜擢され、ドイツに留学して帰国していた。
東条中佐が何を発言するのか、その一挙一動を全幕僚が注目していた中での発言である。東条は後年、このときの会議を回顧して、「川上次長が如何に神出鬼没の名将といえども、所詮は同じ結論に落ちついてくるだろうと予期していた」と書いている。
しばらく沈黙が支配し、全幕僚の目が川上の開かれない口に集中した。瞑目していた川上の目と口が同時にカッと開かれた。
「そうすると、君たちみんなの考えは守勢説か。…ダメだなあ、そんな考えでは・。一体ロシアが今、アジアに集結し得る兵力はどれだけあるのかね」
そう反問するようにいって、テーブルにあった一輪ざしのバラの花びらを、くしゃくしゃにむしり捨てた。ドイツの大モルトケに直々に教わったバラつくりを川上は真似ており、言葉の柔らかい川上が不満な時にはいつもこうしてクシャクシャにする癖が出るのである。
「五千とはないんだぜ」
「それと、海軍の方はウラジオストックに東洋艦隊が何隻いる?」
「・・・・」(幕僚無言)
「10隻だろう」
「そのうち手ごわいのは7700トンの『ナイヒモフ』ぐらいなもので、こいつはのこのこやって来てわが国沿岸を脅威、砲撃するぐらいなことはあるかもしれん。
しかし日本の海軍は、まだ優勢を誇るとはいわんが、対馬海峡を確保するぐらいなことは、心配いらん。
それだったら既定計方針通り、釜山、仁川から兵を上げ、朝鮮半島を縦貫北上して、攻勢を取るのには差つかえない。ロシアの干渉などにビクビクするな!従来きめた方針で断固やるのだ」
と宣言した。まきに鶴の一声だった。
浮足立っていた参謀本部の若手幕僚の動揺も百戦錬磨の川上のこの不動の一喝で、すぐさま元通りに落ちついてしまった。
東条中佐の回顧録では「川上将軍の所見は実に意外であった。気炎万丈、当るべからざる勢いで、われわれはその英断に打たれ、互に顔を見合わせて一言もなかった。その後、果してこれがロシア一流の恐喝手段であって、東洋に向って兵力的干渉をできるほどの力がないことが分って、幕僚一同は川上将軍の英断にまさに敬服したのであった」
川上の勇気と決断と的確な軍事分析力に巻いたのである。
「日清戦争は川上の戦争であった」と言われているが、大本営の設置も、また広島大本営の進出も、川上の進言によって実現したものなので、まさにその通りなのである。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史 ⑳ 日露戦争開戦ー明治天皇と伊藤博文の外交インテリジェンスと決断力
日本リーダーパワー史 ⑳ 明治天皇と伊藤博文の外交インテリジェンスー 日露戦争開 …
-
-
知的巨人の百歳学(156)/記事再録/『東洋一のビール王・宣伝王・馬越恭平(78歳)ー『心配しても心痛するな』★『元気、勇気、長生き、腹のおちつきーの<四気〉がいずれの事業を行うにしても必要で、これこそすべての原点』
日本経営巨人伝⑪東洋一のビール王・宣伝王・馬越恭平『心配しても心痛するな』 &n …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(192)記事再録/『一億総活躍社会』『超高齢/少子化日本』のキーマンー「育児学の神様」と呼ばれた小児科医 内藤寿七郎(101)「信頼をこめて頼めば、2歳児でも約束を守る。子どもをだます必要などありません」
2015/11/15知的巨人たちの百歳学( …
-
-
日本リーダーパワー史(66) 辛亥革命百年⑦犬養毅と孫文について①<鵜崎鷺城「犬養毅伝」誠文堂1932年>
日本リーダーパワー史(66) 辛亥革命百年⑦犬養毅と孫文① <鵜崎鷺城「犬養毅伝 …
-
-
★『Z世代への遺言・日本ベストリーダーパワー史(2)ライオン宰相・浜口雄幸物語②』★『歴代宰相の中で、最も責任感の強い首相で、軍縮・行政改革・公務員給与減俸』など10大改革国難打開に決死の覚悟で臨み、右翼に暗殺された』
2013/02/15 日本リーダーパワー史( …
-
-
『鎌倉絶景チャンネル』★『鎌倉材木座・由比ガ浜海岸ダイヤモンドビーチの朝の歌でいやされる(2023年1月7日)-太陽光発電・砂浜浴・潮騒(海の鼓動)で体と心のバッテリーが急速充電される。
鎌倉材木座・由比ガ浜海岸ダイヤモンドビーチの朝の歌でいやされる(2023年1月7 …
-
-
『オンライン/日本政治リーダーシップの研究』★『日本の近代化の基礎は誰が作ったのか』★『西郷隆盛でも大久保利通でも伊藤博文でもないよ』★『わしは総理の器ではないとナンバー2に徹した西郷従道なのじゃ」
2012/09/09   …
-
-
★『オンライン/独学のすすめ』★福沢諭吉のリーダー教育論は「子供は自然と遊ばせて、勉強などさせるな」★『日本の知の極限値』の南方熊楠のー世界一周し十数ヵ国語をマスターし、マルクスが『資本論』を書いた『大英博物物館』にこもって世界民俗学、エコロジー(環境)学を切り開いた』
ー福沢諭吉の教育論は『英才教育は必要なし』★『勉強、勉強といって、子供が静かにし …
-
-
現代史の復習問題/「延々と続く日韓衝突のルーツを訪ねる➀ー『ニューヨーク・タイムズ』(1895(明治28)年1月20日付)ー「朝鮮の暴動激化―東学党、各地の村で放火、住民殺害、税務官ら焼き殺される。 朝鮮王朝が行政改革を行えば、日本は反乱鎮圧にあたる見込―ソウル(朝鮮)12月12日>
2011年3月16日の記事再録/『ニューヨーク・タイムズ』(189 …