日本リーダーパワー史(386)児玉源太郎伝(8)川上、田村、児玉と歴代参謀総長はそろって日本救国のために殉職した。
2022/01/06
児玉源太郎伝(8)
① 5年後に明治維新(1858年)から150年を迎える。18,19世紀の欧米各国によるグローバリズム(帝国主義、植民地主義)に対して、『明治の奇跡』を興して、軒並み植民地化されたアジア、中東、アフリカの有色人種各国の中で、唯一独立を守り通したのが<明治日本>なのである。
② 世界的歴史家のH・G・ウエルズヤアーノルド・トインビーは『明治日本の躍進は世界史の奇跡である』として賞賛しているが、肝心の日本は自国の歴史を知らず、自画像を喪失している情況である。
③ <明治の奇跡>が<昭和の亡国>に転落していく<日本の悲劇>のダイナミズムを知らずして、明日の日本、未来像は見えてこない。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
「インテリジェンスから見た日露戦争」
山県は既に66才で、2年ほど年から発熱が続き、病魔に苦しんでいた。大山厳は参謀総長であり、「陸軍3羽ガラス」(川上操六、桂太郎、児玉源太郎)の桂は総理大臣、児玉は内務大臣、台湾総督兼務で格上である。
この時、「ガマ入道」(大山のニックネーム)のためにわしがやってやろう」と児玉が決然と立ち上った。内務大臣、台湾総督、大将という格式に一切こだわらず、自ら進んで対ロ作戦計画の中心の参謀次長(少将職)に2階級降下して座り、全軍の指揮をとったのが、陸軍最後のエースといわれた実力者・児玉源太郎である。
児玉は同じ年の桂、川上とは4歳若いが、2人とならんで「陸軍3羽ガラス」と言われた。「軍政の桂」に対して「統帥の川上」の間のパイプ役であり、この2人の能力以上のものを兼ね備えた陸軍きっての『知恵袋』であった。
メッケルは「児玉こそ日本最高の参謀であり、100年に一度の戦略家である」と折り紙をつけていた。
児玉の実力よく知るメッケルは明治三十七年二月十日、日露戦争開戦と同時に山県有朋に「日本万歳」という電報を打ってきた。山県は大本営陸軍部幕僚の大島健一大佐にすぐ返電を命じた。ところが、しばらくして確認すると大島は返電していない。
山県は激怒して、「ロシアびいきのウイルヘルム2世に知られれば、逆鱗にふれるのを覚悟の上で、あえて祝電してきたメッケルの心事に敬意を表せよ」と至急返電を厳命した。このあと、五月の鴨緑江の対戦の緒戦で黒木為楨軍がロシア軍を撃破した際、メッケル門下生の藤井茂太大佐(陸軍大学第一期生)がメッケルに勝利の報告書簡を送った。
これに対しても「予は最初より確かに日本軍の勝利を信じており、この勝利は日本軍の古来より培養せる精神の致すところなり」との返信を寄せた。
このメッケルと肝胆愛照らしたのが児玉であり、「児玉がいるかぎり日本は必ず勝つ」ともメッケルは断言していたのでる。
児玉は日本のナポレオンか
川上と児玉はもともと明治10年の西南戦争では共に熊本城に籠城して指揮にあたった仲で実戦派である。児玉はその後、参謀本部入りし、川上の下で、明治18年、参謀本部第一局長(34歳)に就任、この年モルトケから推薦した「ドイツ陸軍きっての英才」・メッケル少佐(43歳)が陸軍大学教官として来日し、参謀教育に当たった。
児玉は陸軍大学校長も兼務(35歳)し、メッケルの講義に毎回出席して猛勉強した。メッケルは1年契約だったが、日本が気に入り都合3年間滞在し、徹底した参謀教育と参謀演習によって、日本陸軍を近代陸軍に育て上げた。
メッケルが顧問の「陸軍制度審査委員会」が立ち上げられ、児玉はその委員長に就任、事務能力抜群の児玉は戦時衛生事務、砲兵編制審査、軍用電信材料改正、陸軍職工所編制審査委員会などあらゆる委員を兼務して、スピード改革していった。児玉は優秀な人材なら派閥や民間人に関係なくスカウトし、後藤新平、新渡戸稲造、杉山茂丸らそうそうたるメンバーを手足のごとく使う「人使いの名人」でもあった。
児玉は明治24年10月から10ヵ月間にわたってヨーロッパを軍事視察し、ドイツでウイリヘルム皇帝、フランス、ロシア各皇帝とも謁見、ドイツに帰国していたメッケル中佐(当時メッツ連隊長)をマインツに訪ね、そこで1ヵ月半も逗留した。メッケルとは毎日のように「戦略理論』を戦わせて、日清、日露戦争の戦術に活かした。
メッケルは普仏戦争の激戦地のナンシーなどにも児玉を案内し、現地での戦闘、作戦を詳細に解説して、統帥の秘訣を教えた。
「如何なる新武器が発明され、銃、火砲の改良があっても最後の勝利の決定者は精神力である。武器にこだわり精神力を軽視すれば、必ず敗北する」
「健兵とは疾風の如く進軍して行く健脚の歩兵であり,いかなる辛苦にも堪え得る精神力と黙々として任務を果たす義制的な精神持ちである。ドイツはこの健兵主義でナポレオンのフランス軍をやぶったのだ」
児玉はこの精神を胸に刻んだ。川上が大モルトケから戦略の基本を伝授されたように、児玉はモルトケの直弟子のメッケルから手取り足取りで手ほどきを受けたのである。
インテリジェンス戦争
児玉は日露戦争で数多くの傑出した決断力、リーダーパワーを見せたが、その中で勝利を決定的にした点をあげる。
1つ目は203高地の旅順要塞を落とせなかった乃木軍(第3軍)の指揮権を自らが取り、28センチ榴弾砲18門を内地から旅順に送り込み陥落させたこと。
児玉は旅順に乗り込み12月1日に乃木と会談して指揮権の了解を取り、28センチ榴弾砲による203高地への砲撃を指示、12月3日から4日にかけて猛爆し、5日夕方には203高地占を占領した。電光石火のリーダーシップで、28センチ榴弾砲で旅順港のロシア艦隊を壊滅させた。これは世界の戦史史上に残る名指揮であり、統帥権を行使は川上の山県解任に似たケースである。
この結果、東郷平八郎率いる連合艦隊が後顧の憂いなくバルチック艦隊を迎え撃つことができたのである。
2つ目は情報通信の徹底活用である。川上、児玉がいかにインテジェンスに優れていたかはこの点に象徴されており、この小論でも詳述してきた。
児玉は明治28年4月に陸軍省内に『臨時台湾灯台電信建設部』を設立、部長に就任した。大本営と戦地の連絡をスピードアップするためで、独自の海底ケーブル布設船を購入、本土と中国大陸・朝鮮半島間、九州と台湾を日本独自の海底ケーブル技術で結ぶに海底ケーブルを布設する計画を策定した。
明治29年4月に英国製最新鋭布設船『沖縄丸』を竣工させ、総延長2800キロの海底ケーブルを英国に発注した。同年七月から、九州南端の大隅半島から沖縄・那覇まで欧米人の技術指導も全く受けず海底ケーブル完成させた。さらに沖縄、石垣島、台湾の北端の基隆までの海底ケーブルの幹線を布設、明治30年7月には総延長1800キロを完成した。
電信機の開発も逓信省電気技師・松代松之助が現波式の電信機を完成し、すべて国産自前技術でやってのけたことに世界は驚嘆した。
同時に、海軍もマルコニーの発見した無線通信を改良した木村製の改良新式機(三六式無線電信機)を完成した。日露戦争開戦ギリギリに連合艦隊32艦のすべてに三六式無線電信機を儀装し、佐世保からの出征に間に合わせた。
児玉も海底ケーブル布設隊により戦地や近海諸島の無線機を備えた望楼や海底ケーブルを敷設。佐世保―大連間、北海道―樺太島間、対馬海峡に330キロを張り巡らせ、対馬、沖の島などの望楼間の連絡線の海底ケーブルで2重3重の情報網と連絡速報体制が築いて、バルチック艦隊の発見に全力を挙げた。
陸海軍とも用意周到、準備万端で世界初の情報通信海戦の『日本海海戦』に備えたのである。
五月二七日未明、哨戒任務の信濃丸が、バルチック艦隊を発見、「敵ノ艦隊、二〇三地点二見ユ、時二午前四時四十五分」との暗号電報を発した。この無電が第三艦隊旗艦「厳島」にキャッチされ、朝鮮半島南端の鎮海湾にいた旗艦「三」笠へと転電されたため、司令長官東郷平八郎のもとには約20分後の午前五時〇五分には到着した。
10年前の日清戦争で日本軍は初めて電信を活用したが、平壌陥落の情報は広島大本営まで六時間二十分かかった。10年間で約20分の1のスピードアップであり、児玉のインテリジェンス・スピードのまさに勝利だった。
その児玉は日露戦争終結10ヵ月後にこれまた54歳の若さで急死する。川上、田村、児玉と歴代参謀総長はそろって日本救国のために殉職したといえよう。
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