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片野勧の衝撃レポート(73)★『原発と国家』封印された核の真実⑩(1970~74)近未来開く「万博怪獣エキストラ」(下)

   


片野勧の衝撃レポート(73)

★『原発と国家』―封印された核の真実⑩(1970~74)

近未来開く「万博怪獣エキストラ」(下)

 片野勧(ジャーナリスト)

 

なぜ再稼働するのか

――故郷へ帰れない人たちが何万人もいるのに、国はなぜ再稼働するのか。私は尋ねた。佐藤さんの答え。  「県民感情としてはどうなっているんだとの思いでしょうね。

しかし、国は地域住民の意向がどうあれ、再稼働という国策をいったん決めた方針は一切変えませんよ。一方、自らの都合で計画を変えるときは、いとも簡単に変更します。ですから国策であっても、地域の実情を踏まえ、住民の安全・安心を確保するためには、言うべきことはしっかり主張すべきです」

福島第1原発1号機の着工は1967年。運転開始は71年。双葉郡一帯の地域は、それまで小規模な漁業しか見るべき産業はなく、決して豊かな地域ではなかった。原発誘致の立役者は、ときの佐藤善一郎知事で福島県出身だった当時の木川田一隆東京電力副社長と組んで誘致活動を展開した。

 

佐藤善一郎知事の次の代の木村守江知事の時代に操業が始まる。冬は出稼ぎに頼らなければならなかった過疎の街は、一気に活性化した。原子力は地域にとって「夢の力」だった。そのころ、佐藤栄佐久さんは日本青年会議所で活動していた。  木村守江知事の後の知事は松平勇雄で3期12年務め、88年9月に勇退した。松平知事は副知事の友田昇氏を信頼し、後継者にふさわしいと考えていた。

 

■「知事は県民が選ぶもの」ボス政治に反旗を翻(ひるがえ)

 

ところが87年12月末、自民党県連3役に呼ばれ、出馬しないよう言われた。当時、権勢を極めていた金丸信副総裁が率いる経世会推薦の候補者と調整がつかず、結局、そのとき参院議員だった佐藤さんは自民党の支援を受けずに立候補。

結果は圧倒的な得票で佐藤さんが県知事に初当選した。佐藤さんは当時をこう振り返る。  「知事は県民が選ぶものです。それがボス政治で、この国のすべてが決まってしまう。あげく一地方の首長候補にまで口を挟んでくるのに怒りを覚えました」  腑に落ちない、納得できないことがあれば、徹底して戦う――。それは幼少期に形成されたのだろうか。

 

――小学5年の時、自分がいる3組の担任の先生が病気で長欠することになった。佐藤さんたちは半分に分かれ、2組と4組に加わることになったが、2組の先生のえこひいきがひどいと感じた佐藤さんは、それに抗議して2組から机を持ち出し、空の3組の教室に戻って自習を始めた。ストライキである。

 

そうしたら同級生が次から次に同調し、大問題になる。結局、かわりの先生がやってきたのだが、佐藤さんたちが「勝った」のである。こんなエピソードを紹介しながら、「正義感というか、馬鹿正直というか、生まれた時からの性格が今も生き続けているのでしょうかね」。こう言って、佐藤さんは呵々大笑された。  佐藤さんは初当然以後、5回の選挙で県民の審判を仰ぎながら知事を続けることになる。選挙カーに乗って浜通りをゆくと、福島第1・第2原発の前の街道には所長をはじめ職員が集まっている。車を止めて挨拶、演説するのが通例になった。

 

もともと原発反対ではなかった

 

「もともと私は、原発について反対の立場ではありませんでした。原発を推進した中心人物、中曽根康弘さん(当時、総理)と解放前の東欧を随行したこともありました。それよりも、原発立地自治体には巨額の固定資産税が30年間、保証されていますし、市民ホールや図書館など立派な公共施設も建ててくれます。知事にとって、これほどうれしいことはありません」  ところが、知事選に勝った翌89年1月6日(昭和天皇崩御の前日)、福島第2原発3号機で警報が鳴り、原子炉が手動で停止した。

実は88年の暮れからトラブルは3回起こっており、原子炉は3回目の警報を受けて、ようやく止められたことが、のちに判明した。佐藤さんの証言。

 

「私がこのトラブルで痛感したのは、原発の安全問題から地元が疎外されているということです。事故の情報は福島第2原発から東京・内幸町の東京電力本社に、そこから通産省に、さらに資源エネルギー庁に伝わった後、福島県にもたらされました。第2原発が立地している富岡町・樽葉町には、最後に福島県庁から情報が伝えられたのです」

 

県には原発を止めたり、立ち入り検査をしたりする監督権限がないということを改めて気づかされた。もちろん、東電や原子力関係者は原発の専門家であるが、原発が異常を検知して自動停止しても、「まあいいや」と運転を続け、地元や県を放っておいていいはずはない。これが原発をめぐる「ガバナンス」なのか。さらに言葉を継ぐ。

真っ先に情報伝達されるべきは地元自治体

 

「真っ先に情報伝達されるべきなのは、事故の影響を一番最初に受ける地元自治体です。それが一番後回しにされているのですから、地元はたまりませんよ」  佐藤さんは「国→県→市町村→住民・市民」の縦割り行政を「住民・市民→市町村→県→国」に変える必要性があると強調する。

 

知事は地方政府の長として、大きな権限が与えられている。そのかわり、県民の安全についての責任があり、24時間即応できる態勢をとっている。それなのに、原発政策や原発の安全に自治体が関与できない。おかしい。これが佐藤さんと原発とのかかわりの最初だった。

ところが、その後まもなく、福島第2原発3号機にボルトや部品30キログラムが炉心に入っていることが判明した。ボルトや部品を探すためには原子炉を止めて冷やし、放射線量が少なくなるまで待たなくてはならない。

福島県民に対する二重の裏切り

 

原発が止まれば経済的な損失が発生する。それはぜひとも避けたい。経済が優先で安全は二の次、三の次の東電の体質を、この時、初めて知ったという。しかも、東電はその事実を隠し、メディアのスクープでその事実が明るみに出た。福島県民に対する二重の裏切りである。

「国、事業者にとって都合のよい情報ばかりでなく、都合の悪い情報も公開することによって、透明性の高い議論が可能になるのに、なぜやらないのか」  佐藤さんはこの事故で原発が抱える根源的問題を直観、原発や原子力行政を学び、その在り方に批判的になっていく。それが頂点に達したのは2002年8月29日午後5時15分、経産省資源エネルギー庁原子力安全・保安院から県に送られてきたファックスだった。

 

ファックスの冒頭には長いタイトルがついていた。「原子力発電所における事業者の自主点検作業記録に係る不正等に関する調査について」。そこにはこう書かれていた。  「福島第一・第二原発で、1980年代後半から90年代にかけて、東京電力が実施した点検作業で発見したひび割れやその兆候等の発見、修理作業について不正な記載が行われていた、つまり点検で見つかったひび割れなどを隠して運転を続けていた」

 

その不正の疑いのある箇所は柏崎刈羽原発も含めて3カ所の原発で29件。改ざんの対象は炉心隔壁(シュラウド)、シュラウドヘッドボトル、蒸気乾燥器など7つの機器に及んでいたという。さらにファックスには「ひび割れ、摩耗等が交換・修理されていないまま存在している疑いもある」と書かれていた。

 

このシュラウドと呼ばれる重要部分の損傷まで隠ぺいしていた責任をとって、東電は平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉の歴代社長が総退陣した。しかし、佐藤さんが怒ったのはむしろ国の対応だった。

不正問題は内部告発から

 

保安院からのファックスにはこんなことも書かれていた。  「本件調査のきっかけは、2000年7月に通商産業省(当時)に寄せられた申告(情報提供)であります」  なぜ、丸2年も前に通産省が受けた内部告発の話が、いまごろになって送られてくるのか。不正の事実を知りながら、それを隠す通産省と原子力・保安院はグルではないのか。

点検記録の隠ぺいが東電の組織ぐるみで行われていたことも判明。しかし「同じ穴のムジナ」の東電と経産省、どちらが悪質なのかは明らかだ。  「本丸は国だ。敵を間違えるな」  佐藤さんは県の担当者の川手晃福島県副知事に檄を飛ばしたという(佐藤栄佐久『前掲書』)。  この不正問題が表面化するきっかけになったのは内部告発だった。内部告発を行ったのはゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEII)に勤めていた日系アメリカ人。彼は2001年後半にGEII社を退職した。佐藤さんは言う。

 

「痛切に感じるのは、原子力政策は民主主義の熟度を図るバロメーターであるということです。透明化と民主主義化は不可欠です。隠ぺい体質による不正行為を防止するには、告発者を保護するシステムが必要です」  佐藤さんの語りは決して波立たないが、論旨は明快だ。

 

核燃料サイクルが原子力政策大綱の中心

 

2005年10月12日、閣議で原子力政策大綱が決定された。もちろん、福島県が提出した意見はまったく反映されていない。官僚が決めた路線を追認して強引に進める、まさに日本の原子力行政そのものの決定の仕方である。  核燃料サイクルを国の原子力政策大綱の中心と位置づけ、使用済み核燃料再処理施設を稼働してプルトニウムを取り出す計画をつくったのだから、高速増殖炉の実用運転の見込みが立たない以上、プルトニウムを使う計画は容認できない。

 

しかし、プルサーマル計画を含めた核燃料サイクルに批判的な佐藤さんは、そのプルサーマルを推進する経産省・資源エネルギー庁が、もし国が安全確認した原発が自治体の意向で運転できない時には、地元への電源3法交付金をカットする方針を固めた。原発立地自治体への恫喝、ムチである。

これまで国が「安全だ」と言って、安全だった例はない。佐藤さんは記者会見でこう答えた。  「議論に値しない。枯れ尾花に驚くようなことはない」  脅しにひるむことなく、県が独自に原発の安全を確認する方針に変更がないことを強調したのである。

■「収賄罪で逮捕」青天の霹靂

 

この原子力政策大綱が閣議決定した前年の2004年12月28日、ある人物が「質問書」を持参して県庁に現れた。週刊誌『アエラ』のH記者である。父が起こした家業で佐藤さんの弟が引き継いで経営している「郡山三東スーツ」の本社・工場の土地の売買や融資についての質問だった。

 

佐藤さんは取締役として籍は置いていたが、これは名目でしかなかった。知事就任後の1996年からは役員報酬も受け取らず、完全に会社から離れていた。ところが、「知事大株主企業の不可解取引」という大見出しの記事が『アエラ』(2005/1・31)に掲載された。

記事は、郡山三東スーツの本社の土地と工場の用地を売却したが、その相手は水谷建設というゼネコンであり、前田建設工業の下請け会社である。前田建設工業は県発注の土木工事を受注しており、発注者の立場にある福島県知事の佐藤さんと癒着があるのではないかという内容だった。

 

その後、読売新聞が後追い記事を掲載した。雑誌『フォーサイト』(05/6)も「エネルギー危機の『日本的帰結』とは」という記事を書いた。マスコミ報道はそんな程度だったが、事態が急に動き出したのが2006年秋になってからだった。

 

9月25日、弟が入札妨害罪(談合罪)で東京地検特捜部に逮捕、27日に佐藤さんは道義的責任をとって福島県知事を辞した。  2006年10月23日、佐藤さんは逮捕される。それまで任意の取り調べも含めて、一度も特捜部との接触がなかったため、逮捕容疑が「収賄罪」であることは、逮捕状を示されて初めて知ったという。まさに青天の霹靂(へきれき)とはこういうことをいうのだろう。

 

特捜検事から自白を迫られた

 

東京拘置所の取調室の中で、佐藤さんは特捜検事に自白を迫られた。しかし、やっていないことの自白を拒む佐藤さんは虚偽の自白を決断した。それは弟が逮捕される前日、浪人時代を含め長年の友人である会社役員が自死したり、また県内各地の善良な多数の支持者たちが東京に呼び出されて、特捜部の取り調べに苦しむのが耐えられなかったから、と佐藤さんは語っている。

 

裁判が始まると、次々に奇妙なことが明らかになった。汚職をしたという証拠や証人が次々と覆っていくのである。それは原発の時と同じく、官僚・検察がつくった嘘の数々だった。1審の東京地裁は「懲役3年、執行猶予5年。追徴金7300万円」の判決を言い渡した。

 

1審の法廷で水谷建設元会長の水谷功が「土地取引は自分が儲けようとしてやった。賄賂行為はない。知事は事件には関係なく、濡れ衣だ」と宗像紀夫主任弁護人に連絡してきたことが明らかになった(前掲書)。  2審の東京高裁は「懲役2年、執行猶予4年。追徴金なし」。要するに、有罪だが「賄賂はゼロ」なのである。こんなことがあり得るのか。佐藤さんは最高裁に上告した。結果は弁護側、検察側双方の上告を棄却。東京高裁の判決が確定した(2012年10月16日付)。しかし、審議を担当した最高裁判事の構成について、佐藤さんは重大な疑義を提起した。

 

「判決を下した最高裁第1小法廷には5人の裁判官が所属しており、その中に私の事件に次長検事としてかかわった横田尤孝氏がいた。横田氏は次長検事として当時の特捜部長大鶴基成氏の捜査をコントロールすべき立場であった人で、当然私の起訴の判断にもかかわる職責にあった。

 

横田判事は、最高裁の棄却判決の際に『私は審理には加わらなかった』と、わざわざ弁明しているが、かなり高位の検察側の当事者が判事団の一員である法廷で裁かれる、というのは、果たして公正でありうるのか、疑問に思う」(佐藤栄佐久『日本劣化の正体』ビジネス社)

 

ところで、2009年秋、事態は思わぬ方向に展開した。厚労省雇用均等・児童家庭局長の村木厚子(2015年10月1日、厚生労働省事務次官退任)が偽りの障害者団体証明書を発行し、それを使って不正にダイレクトメールの郵便料金を安く発送させたとして大阪地検特捜部が摘発した郵便不正事件は、1審の大阪地裁で無罪判決が確定したのである。

 

その直後、主任検事を務めた前田恒彦検事が証拠のフロッピーディスクの日付を改ざんした事実が明らかになり、最高検察庁に逮捕された上、証拠隠滅罪で起訴、有罪判決を受けたのである。前田検事は水谷功を取り調べた相手だった。

 

■検事「知事は、いずれ抹殺する」

 

佐藤さんの弟を取り調べていた森本宏検事は言った。  「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」  自分たちに都合よくストーリーを書く。当てはまらないと証拠を隠したり、改ざんしたりする。原発政策も同じだ。ひとたび不都合が生じると、嘘に嘘を重ね、逆らうものを抹殺する。邪魔者は消えてもらう。

 

話を終えると、佐藤さんは車で5、6分のところにある仮設住宅に案内してくれた。富岡町から避難している人々だ。私は皆を励ます姿を見て、佐藤さんは言葉だけでなく、「全身行動家」に思えた。県知事を退いて10年。それでもなお地域を憂い、福島の復興を信じる心は衰えていないようだった。

 

私は田中角栄のロッキード事件と同じように、佐藤元福島県知事の県発注のダム工事をめぐる汚職事件が原発問題とどうかかわっているのか、証明する材料がないので分からない。「しかし……」。印象に残る言葉を思い出す。  「国策捜査は国家のけじめとして行われる」(佐藤優『国家の罠』新潮文庫)(かたの・すすむ)

 - 人物研究, 現代史研究

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